第3話 崩れ去る、確かだと思っていた日常


「お前なぁ、少しは考えて行動しろよな」


 いつものたまり場の屋上。俺と三上以外いない、静かで心地よい場所だ。

 本来ならこの場所は安全上から封鎖されているのだが、実は鍵が錆びてしまっていて、開けるのが簡単なのだ。

 生徒たちの楽しそうな喧騒が遠くに聞こえて、この世とは隔絶された場所かと錯覚してしまう。

 下らない感傷だ。


「だってー、折角約束したのに来てくれないんだもん。全くだね。それに人目を気にするなんて今さらかな気がするしね」

「それについては否定はしない」

 つい先ほど、俺も同じような結論になったばかりだ。

 お互いなにも言わずとも思考が合ったことに僅かながらの驚きで笑う。

「奇遇だな」

「奇遇だね」

 途端に吹いた風が髪の毛を撫でる。俺は一旦座ると、何かを思い出したかのように立ち上がった。


「? どうしたのセカイ君?」

「その、悪かった、な。約束忘れっちまって。待っててくれたんだろ?」

「そういうのってずるいよ」


 三上が小声で呟いた言葉は、残念ながら風の音で聞こえなかった。

 ただ、なんとなく許してくれそうな雰囲気に安心した。


「このこのヒネデレさんめ」

「何度も言っているが止めてくれ。無性に自傷したくなる」

「うりうりぃ」


 俺の胸を肘でグリグリさせる三上。……う、うぜぇ。


「なんかもう、少女漫画の主人公みたいな性格だよね。ヒネデレさんめ」

「ヒネデレじゃない。なんだお前、少女漫画の主人公みたいなって。俺みたいな主人公がいてたまるか。もれなく全ヒロインのフラグをぶっ壊した上で粉々にする自信があるぞ」

「こないだも課題手伝ってくれたし、厳しいようで優しい見たいな?」

「少女漫画の読みすぎでとうとう現実との区別がつかなくなったか。この脳内お花畑が」

「なにおう」


 三上とにらみ合い、赤い火花が散る幻覚さえ見える。

 お互い譲る気がないと判断した俺は、ため息を吐く。と、同時に同じ結論に至ったのか三上と被った。


「時間がないし、お昼食べよっか」

「そうだな時間無いし。ってしまった」


 手持ちぶさたのまま教室から飛び出したことに今更ながら気がついた。

 普段俺はスーパーの特売パンを好んで食べている。今日もそれに倣い鞄の中に入れていたのだが、あの状態で回収する余力はなかった。


「どうしたの?」

「いやな、パン教室に忘れちまった。俺はいいから食べてくれ」

 一日ぐらい、しかも昼ぐらい食べなくても死にはしない。

「ならちょうど良かった」

 その言葉の真意を図りかねて、尋ねようとする 。が、それより前に俺の疑問は解消された。

「はい、これ」

 三上は水玉模様の刺繍が入った包みを俺に渡す。

 それがお弁当だと言うことは一瞬で分かった。

 ただなぜ俺に渡してきたかは分からなかった。


「ホワイ? なにお前俺に惚れてんの? けどごめんなさい。あなたをそういう対象に見れません 」

「何でそういう結論になって、訳も分からない内にフラれてんの私?」

「だってあれだぞ。手作り弁当だぞ? そんなの渡すなんてそれ以外考えられるか?」

「お礼だよ! 課題を手伝ってくれた! いっつもパンばかりで足りるのかなって思ってたから」

「そうかぁ?」

「そうだよ。私の好きな人は白馬の王子さまって決まっているの!」

 興奮して紅葉した顔を俺に近づける。近い近いって。

「流石は花も恥じらう乙女カッコ笑い。素晴らしい理想をお持ちで」

「カッコ笑いって口で言うなぁ!」

 目をバッテンにさせながら、俺の胸元ポカポカ叩く。

 触れあうだけのような微笑ましいものではなく、全力でブローをヒットさせてくるから痛い。


「痛いって。直訴すっぞ」

「じゃあ私は名誉毀損で訴える!」

 カッコ笑い扱いだけで名誉毀損が通ったら、日常的な会話すら出来なくなるぞ。

「ああ言えばこういう。ちった大人しく、っていうか淑女の嗜みを覚えろ。一応そんなんでもお嬢様なんだろ?」

「セカイ君だけには言われたくないよ。こんな立派な花も恥じらう乙女を捕まえて」

「そですね、花も恥じらう乙女ですね。…ぶふぅ」

「吹き出すなぁ!」

 だってねぇ、平気で人の鳩尾を殴りに来る奴がですよ。乙女なんて。

 熟成しきった真っ赤な三上の顔を見ていると、無性にからかいたくなるが…………そろそろ止めとくか。

 いじりといじめの境界は酷く曖昧で、受信者がどのような感情を抱くかで大きく変動する。

 俺はその事については人一倍敏感だからな。

 なんたって、俺の人生の伴侶みたいなもんだし?

 いっつも寄り添ってくる妹みたいな存在だし?

 鬱だな。けど心なしか妹という単語によって癒された気がする。

 妹ってなんかいいよな。俺に現実の妹がいないことが悔やまれる。

「ボウッとしてどうしたの?」

 自分の世界に入った俺を引き戻す声。その発信源に目を向けると、心配そうな顔をして俺を見ていた。


「ああ、悪い考え事していた。いつもの癖だ」

「もう。早くお弁当食べないと、昼休み終わっちゃうよ。折角作ったんだから無駄にしないでね」

 分かってる分かってる。好意で作ってくれた料理を無駄にするほど、俺も絶食修行なんてしてない。食材という貴重なコストも無駄にできないし。

 その場に座り、なぜか高まる鼓動に急かされながら、包みをほどき弁当箱を開けた。

 閉じ込められていた空気が飛び出してき、いい匂いが鼻孔をくすぐる。


 黄金のオーラを纏う卵焼きに、加減が絶妙な野菜炒め。半分の領土をせしめた白米とその上に乗る海苔。

 そして────ふっさふさの衣に包まれた唐揚げ。

 し、しまった!

 自分の浅慮と失策を痛感してしまった。

 見た目だけみれば料理人かかくやの腕前。人間の正常な嗅覚と俺の経験則は「これは見た目だけではない」と熱烈に叫ぶ。

 問題は三上にはない。俺の方にある、っていうか全面的に悪い。

 俺がいつもパンばかりを食べていた理由。

 夕方に買えば割引シールが張られてコスパがいいのもある。

 だが、それ以前に|肉や魚が食べられない《》ことが大きな理由としてあげられる。

 アレルギーの問題や身体的にどうしても食べられない訳ではない。

 肉と魚の血生臭さ。生命を他者を食らっているという実感。

 それがまざりあって相乗効果を産み出し、俺と言う自我が摂取を拒むのだ。


「なにか食べられないものでもあった?残してもいいよ?」

 俺の表情から察したのか三上が素晴らしい提案をして来る。

 本来ならそれにもろ手をあげてフォークダンスでも躍りながら乗り掛かりたい所だ。

 けどなぁ。……折角作ってくれたんだよな。

 弁当を作るのは意外と手間が掛かる。それに食べ物を残すってのもな、俺のプライドに反する。

「いや、食べる。俺は食べる!」

 声高らかに叫び、決意を表明する。


「んな、食べ物の好き嫌いで壮大な。別に私は気にしないからいいんだよ」

「だまらっしゃい! これは私の決意なのよ? 部外者が水を差さないで下さる!?」

「製作者、製作者だから!」

 三上が何か釈然としないみたいだが、ほっとこう。

 精神を落ち着かせ、集中力を研ぎ澄ます。

 周囲がスローモーションになる。背景は灰色になり、俺以外の色彩は失せる。

 全力集中。

 カッと目を見開き、付随していた割り箸をきれいに真っ二つに割る。

 嫌なことは、困難なことは早めに片付けるに限る。

 目標は二つの丸い塊。肌色の固形物だ。

 ええい! ままよ!

 風を切り裂きながら一瞬で一つの目標を掴み、口に入れる。


 んぐぐぐぐぅ!

 拒絶反応で喉が競り上がり、血液が過剰に循環し、意識が朦朧とする。

 けどだ! ここで折れちゃ(吐いたら)男じゃない。

 不屈の闘志で体を押さえつけ、喉に無理やり通す。

 ゴックンと、一飲みだった。なん十回か噛まないと喉を通らないような塊を一飲み。

 無論代償は小さくなく、喉が全力で殴られたように痛くなった。

 まだだ、まだ終わっちゃいない。

「あ、あの、セカイ君? 本当に無理しないでいいんだよ。本当に苦しそう」

 気遣う声に、手のひらだけで制する。声をあげる気力もない。

 代わりに安心させるように、僅かに口角を上げた。

 精神統一をもう一回。

 もう一つを箸で掴み、同じ要領で飲み込む。咀嚼するなんてとんでもない。それをした途端に俺の精神は崩壊しちゃうだろう。

 二つの唐揚げを胃袋にしまった俺は、緊張が途切れて安心したのか脱力する。

 倒れ込む上半身を支えるために、両手を床に付け支点とする。

 頬から垂れ落ちる汗が俺の心情を代弁していた。

 終わったんだ。俺の戦いは終わった。

 何でこんなに意地になったのか分からないが、とにかくやりきったぞ。


「たべ、た」

「そんな顔で食べられたら作った側としては複雑だけど、なんかありがとうね?」

「なに言ってるんだ三上。それはこっちの台詞だろうが」

「ううん何でもない」

 三上の様子がおかしい。急にそわそわし出し、前髪を触ったり、両足を揺らしている。

「? まあいいか」

 そんなに敏感になることでもないと、結論付けた俺は、卵焼きを掴む。

 卵は平気なんだよな。やっぱり、肉とかだと食べているって強烈に認識するからダメなんだろうな。


 最大の鬼門を越えた俺に待っていたのは、生まれて一度も味わったことが無いような甘美な世界だった。

 旨いと言う言葉をそのまま体現したかのような料理の数々。

 自我を通り越して、本能事態を揺さぶるような料理だった。

 思わず、俺のために毎日飯を作ってくれ、なんてとち狂ったことを言い出しそうになった。

 危ない危ない。

「ごちそうさまでした。……悔しいけど旨かった」

「お粗末様でした。でしょでしょ、やっぱり淑女だからねぇ」

「お嬢様なんだから料理なんて作らないと思ったんだけどな」

 三上はチッチチと人差し指を振り子にし、得意気な笑みを浮かべる。

 へし折りたい、あなたの、その人差し指。

「逆なんだよねぇ。お嬢様だからこそ、有力者に嫁ぐために花嫁修行をしているんだよね」

「…………」

 その言葉を聞いて、何とも言いがたい不快感が俺の胸を穿った。


 今だって三上は苦労してるんだ。 学校ではありもしない偶像を押し付けられて、家では厳しいスケジュール管理をされていると聞いた。

 なのに、その言い方だったら、政略結婚させられるみたいじゃないか。

 権力者には権力者なりの義務がある。普段贅沢をしている分義務を果たすのは当然だ。

 そんなこと関わりの持たない他人だからこそ、無責任に言えるんだ。

 それに三上は贅沢なんてしている時間なんてない。

 今を我慢して未来を我慢して。三上が救われることなんてないなんて冗談だろ?


「大丈夫だって、大丈夫。結婚相手ぐらい自分で選ぶ。だから無茶苦茶なスケジュールも受け入れてるんだし。何なら家出とかしちゃおうかな?」

「その時は俺を呼べ。少しは役に立てる筈だ」

「優しいんだね。やっぱり」

「は、はぁ!? バッカ、違げぇよ。何て言うか、同郷のよしみと言うか、同じ境遇としての義務と言うか。そ、それより早く教室に戻らないと遅刻すっぞ」

 捲し立ててごまかすと、立ち上がり三上に背を向けた。

 優しいだって?

 違う、本当に違うんだ。俺は結局、三上に自分を重ねて救った気になって酔っているだけだ。

「そうだね。戻ろう」

 凛とした鈴のような声が、今は辛い。自分の浅ましさを突きつけてくる。

 トントントン、とリズムよく音を発生させ、俺に近づく。


 もうすぐ昼休みが終わる。

 俺と彼女の関係は、傷を舐め合っているだけの関係なんだろう。それを否定するつもりはないし、それが何か? とさえ思う。

 けどこれで良いのか、と語りかけてくる自分もいるわけで、結局何が正しいかなんて分からない。

 今すぐ結論を出す必要はない。時間はまだたっぷり余っていることだし、悩みながら、亀のようなスピードでも前に進めばいい。





 失念していた。ああ、認めるぞ、失念していた。

 絶対なんてないと言うことを忘れていたんだ。

 三上と言う同士が現れたため、腑抜けたんだろう。

 常に何かが変化していく。それが自分達の日常に反映されるかは別として。

 小数点が付くような数字でも、何かが変わる可能性なんてそこら辺に転がっている。

 例えば、交通事故で俺が死ぬかもしれない。隕石とぶつかり地球が変形するかも。あるいは地震や洪水などと言った災害。

 例えを上げだしたらきりがない。

 だからこれもある意味必然だったんだろう。



「ねぇ、何あれ?」

 三上が上を見上げ、空を指差す。釣られるように三上が視界に入れているものを、確認して。

 戦慄が走った。

 予感と言うには微かすぎて、予想と言うには不確か。

 万が一と言う可能性を考慮した結果、十代の優秀な脳細胞は警鐘を思いっきり鳴らした。


 ────空が、赤かった。

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