第51話 真正大神官と偽大神官

 答えは決まっていた。私は考える間もなく、口を開いた。


「嫌です。私、ここを出て行く事にします。」


「リサ……ずっと俺のそばにいると、デフレー神殿の庭で涙ながらに言ってくれたじゃないか。」


「それとこれでは状況が違い過ぎます!私、大神官様となんて結婚できないし!」


「お前も結婚相手を職業で選ぶのか……。」


 あまりに鋭い切り返しに思わず言葉を失った。でもそれ、使い方がちょっと違うでしょう。

 私達の様子をうかがっていたアレクシスが、自信に満ちた微笑を浮かべながら、流れる様な足取りで私の近くに来た。そのままとんでもない提案をする。


「大神官が相手では気が引けるというのならば、私ではどうだ?私なら高神官だ。」


 どうだ、って何を提示したいんだ。

 大神官も高神官も庶民にとっては普通、一生関わりが無い存在だ。浮世離れし過ぎてその辺はピンとこないのか。


「どちらも遠慮しときます。」


「リサ………。デフレーでのひと時は、あの時のお前の気持ちは、偽りだったのか?」


 セルゲイは左手の拳を握り締めて、悲しい顔で私にそう言った。その左手の薬指には、私がデフレーの街の広場で彼に買った、銀色の指輪がはめられていた。

 私はそれを目にした途端、どうしようもなく自分が恥ずかしくなった。私は、大神官になんて安っぽい物をプレゼントしたのか。今目の前にいるセルゲイの身辺を飾るのは、大きな貴石がふんだんにはめられた黄金の首飾りや、太い腕輪だった。額には細い金属の鎖で青く輝く石がぶら下がっていて、私があげた指輪に乗る石とは、比ぶべくもない。私が買った屋台の指輪との歴然とした落差に、恥じ入るばかりだ。これでは、銀の指輪をもらう時にセルゲイもさぞ困っただろう。

 そう、それはまるでオモチャだ。

 私は頭を左右に振った。


「だって、セルゲイさんこそが偽りだったというのに。」


「兄上、これ以上の無理強いはおやめ下さい。兄上にはキャロンヌがおりますよ。彼女こそ、大神官の伴侶に相応しい。」


 一瞬耳を疑った。今さっきアレクシスはマドレーヌを推薦していたのに。するとセルゲイが苛ついた声でアレクシスに言い返した。


「お前こそ、ワイヤー神殿の小娘を呼び寄せたら良いだろう。」


「フェリシテの事ですか?あれは愚かな気の迷いでした。リサほど美しい女はおらぬというのに……!」


 またしても神官達がざわついた。アレクシス様の目は節穴じゃ、と誰かが言い、お互い非常に深く頷き合っている。それには同感だが外野に指摘されると腹立たしいものだ。私がひと睨みすると神官達は再びピタリと口をつぐみ、貝になった。


「リサ。俺とアレクシスのどちらを選ぶんだ。」


「なんでどっちかを選ばなきゃいけないんですか。そんな事できません。究極の選択過ぎますから。」


「そうか。それならば、どちらも選ぶ、という手段もあり得るな。どうせ私達は双子なのだから。」


「アレクシス様。あんた馬鹿ですか?」


 重婚でも期待しているのか。どうせ双子だと割り切る女がどこにいる。何より本人はそれで良いのだろうか。


「馬鹿、か。確かに私は恋に目が眩んだ愚か者やも知れぬ。なんと罵られようと、私はそなたが欲しい。」


 目が眩むのはこちらの方だった。白磁の肌に金の髪を纏う美の生き神に、透ける様な瞳で射抜かれながら、欲しい、と真っ直ぐに言われてしまい、私は危うく魂を吸い取られそうになった。

 危ない危ない。私は頭を強く左右に振った。


「私には、セルゲイさんの神力が見えませんでした。」


「俺は自分の神力が気取られない様に普段から制御しているからだ。いちいち俺の神力が具現化していたら面倒な事になるからな。見てみたいか?」


 具現化すると面倒だとはいかなる意味だろう、と疑問に思い、私はコクリと頷いた。一体どんな神力だというのか。

 その直後、真紅の炎が部屋を埋め尽くした。真っ赤な炎はドーム型の天井に軽々届く高さがあり、部屋の幅いっぱいに届いていた。この分だと隣の部屋にもはみ出ているかも知れない。一瞬にして火事にでもなったかのようなその炎の大きさと勢いに、私は完全に圧倒され、我知らず後ずさっていた。

 全然違う。

 私が今まで見てきた神力とは、比較の意味すらなかった。こんなものを具現化していたら、しょっちゅう消防車がきてしまいそうだ。これでは制御できなければ、普通に生活できなそうだ。色にも大きさにも問題がある。気の毒な物を背負ったものだ。

 真紅の炎を目の当たりにして狼狽える私を見て、セルゲイは気遣わし気に言った。


「怖がらせてすまない。」


「本当に大神官様なんですね。」


 私は訪問する神殿で長居したがったり、候補者とやたら親しくしていたのを改めて思い出した。結局は皆彼の嫁候補だったのだ。

 私が信用ならない目でセルゲイを見つめると、彼はまるで捨てられた子犬みたいな、悲しそうな顔をした。


「リサ。俺たちは付き合っていたんじゃないのか?………その、巷じゃ思いを伝え合った男女が二人で出かける事を交際というんじゃないのか?」


 そんな事を改めて聞いてこないで欲しい。今まで軽い男だと思っていたが、本人の主張する通りもしかして本当に硬派なのだろうか。大神官という立場を考えれば、或いは本人は本気でそのつもりなのかもしれない。単に女性との距離感の取り方が全然分かっていないのかもしれない。

 私とセルゲイが切なく見つめあっていると、唐突にアレクシスが私を背後から抱きすくめた。アレクシス、とセルゲイが棘のある声で咎めると、アレクシスは歌う様に滑らかな美声で言った。


「兄上のお好きにはさせません。私もリサを愛している。私とリサも浅からぬ仲なのですよ。」


 浅いから。

 ふと顔を上げると神官達が身を乗り出して、さも楽し気に私達を見ているではないか。無邪気な笑顔に、好奇心がモロ出しになっていいる。ズレた眼鏡を掛け直して瞬き激しくこちらを観察している神官もいた。


「リサは俺の嫁候補だぞ。」


「兄上。リサは私に。」


 アレクシスがそう言った後、私の後頭部に何か柔らかい物が押し付けられた。気のせいだ。気にすまい。全力で自分の五感を否定する私に更なる追いうちをかけるべく、私のアゴに後ろからアレクシスの手が伸びた。抱きすくめられた格好のまま、斜め後ろ方向を向かされ、耳元で後ろから囁かれた。


「そなただけを一途に思うと誓う。兄上の様に、そなたに好意を見せながらも他の女に靡いたりはせぬ。」


「誰が靡いたんだ!」


「イライザとキャロンヌが来た夜、随分と盛り上がってらしたではないか。」


「楽しく宴会を催しただけだ。リサに誤解されかねない言い方はよせ。」


「リサは私が大事に致します。」


 焦れた様子のセルゲイがツカツカと私の前に来ると、私のアゴにかかるアレクシスの指を剥がす。それを受けてアレクシスは私を抱き締める腕に一層力を入れた。

 リサを返せ、とセルゲイが私とアレクシスの間に腕を割りいれる。そのまま二人で、私の身体を奪い始めた。力強い四本の長い腕によって逆方向にグイグイ引かれ、バーゲンセールの廉価品になった気分だ。俺のだ、私のだ、と互いに所有権を主張して譲らない。もう、どうしたら良いのか。しまいには私は二人に怒鳴られていた。


「お前はアレクシスより俺を選ぶだろう?」


「そなたに相応しいのはこの私だ。」


「はっきり意思表示をしてくれ!」


 痛いから。

 暑苦しいし恥ずかし過ぎるから。神官達が生き返った様にイキイキとこちらを見ているのが視界のはしに見える。主婦がハマる泥沼がウリの昼ドラでも見ているみたいな表情をしているではないか。

 ………っていうか何より、勝手過ぎるから!!


「ああもう、うるさいっ!」


 私は大きな声を出して自分の腕を突っぱねて両者の腕を振り払い、二人に向き直った。まずセルゲイを睨む。


「あのね、勝手に候補にされたのに、それに従う気なんてないから!こんな壮大な結婚詐欺に、誰が納得するか!あんた、私が『やったー、騎士だと思ってた彼氏が大神官だった!ラッキー☆大神官ゲット!』と喜ぶとでも思ってたわけ!?」


 たじろぐセルゲイを尻目に、今度はアレクシスを睨む。英単語を混ぜ過ぎて意味が伝わらなかったかも知れないが、憤慨は伝わったに違いない。

 アレクシスを睨むにはかなりの根気が必要だった。


「あと、あんたも!よくもワイヤーでは散々アゴで使ってくれたじゃないの!だいたいねぇ、自分の顔を良く鏡で観察してから求婚しなさいよ!」


 私の声が広い室内に反響し、辺りに響き渡る。誰も口を開かないので、余韻だけが部屋を支配した。私は怒りのあまりすっかり上がった息を整えてから続けた。


「六年も気づかなかったくせに、展開が急過ぎるのよ!シンデレラも泣いて逃げるっつーの!」


 私の力一杯の抗議にもかかわらず、皆なぜか私ではなく、私の後方に視線を投げていた。誰かいるのか、と急いで振り返るが、誰もいない。神官達を始め、セルゲイとアレクシスもどこか間の抜けた様な唖然とした表情で私の後ろを見ていた。

 ややあってから、セルゲイが口を開いた。


「リサ。お前の神力、強くなっているな。」


 えっ、と聞き返しながら気づく。彼等は私の具現化された神力を見ているらしい、と。

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