第6話 グノー平原にて
グノー平原の真ん中に位置するその街は、さほど大きいわけでは無いが、人口が多いのか道や広場には人が溢れ、活気があった。
平原を渡る乾燥した風が時折街中に侵入し、そのために街の空気は若干埃っぽかった。
大陸の東に行く程、地球でいうアジア系の顔立ちに近づく為か、王都よりも頻繁に自分に近い顔立ちの人々を見かける事ができた。やはり自分に似た人々が沢山いる方が安心する。
私達を乗せた馬車は神殿正面に停車した。
アレンがまず降り立ち、続けて私が出ると、白い石造りの神殿の大きな扉から、次々に神官達が出て来て前庭に集った。どうやら私達を迎えてくれる為に勢揃いしているようだ。
彼等は私達の前に綺麗に整列すると、一瞬戸惑った表情で私達を見て、無人になった馬車の中に視線を投げた。
「だ、大神官様の秘書様にあらせられますかっ?」
あまりに畏まられ、気後れしつつ私はそうです、と返答した。
一同に衝撃が走ったようだった。
まさか私みたいなパッとしない女が大神殿から秘書として来るとは、思っていなかったのだろう。彼等の狼狽が痛いほど伝わった。
「連絡は頂いております。私はグノー神殿長のリヒトと申します。今回、我が神殿の神官修習生を大神官様の奥方候補者にご指名頂けただけでも、身に余る光栄に存じます。その上、大神官付秘書様にわざわざ起こしいただきまして、恐縮の限りでございます。ど、どうぞ中へお入り下さい。」
初老の神官にペコペコと頭を下げ続けられ、私の方がいたたまれなかった。
神殿の中はやはり天井が高かったが、床石は灰色と薄桃色の二色の石が交互に敷き詰められ、格子模様になっていた。大神殿ほどでは無いが、荘厳な趣ある神殿だった。
私はその修習生に早速会えるのかと思いきや、まず応接室に通された。テーブルには贅沢に食べ物や飲料が並べられ、着飾った見目麗しい女性達が酒瓶を手に控えていた。
彼女達は表れた客人である私が、女性である事に驚き、気まずそうにもじもじし始めた。
案内されるままとにかく席に着くと、神殿長は私達に酒をつぎだした。
「グノー名産のブドウ酒にございます。」
どうやら接待が始まってしまったらしい。
両隣に座るセルゲイとアレンを盗み見ると、なんとさっさと食べ始めているではないか。少し早い昼食だ、と自分を納得させて私も頂くことにした。
重要な任務を控え、私は飲酒の方は舐める程度に抑えていたが、セルゲイは底無しのザルの如く飲み進めていた。
大丈夫かこの騎士は。
誰か止めてくれないか。
アレンはというと、セルゲイのそんな飲みっぷりを気にする素振りさえなかった。セルゲイはまだ少しも酔った様子は無かったが、私は早々にこの慣れない宴会を切り上げたかった。お腹が満たされれば十分なのだから。
「秘書様、どうぞお収め下さい。」
神殿長がふいに私に木箱を押し付けて来た。
花の彫刻が蓋に施された、綺麗な木箱だったが、受け取ると奇妙なほど重量があった。訝しく感じつつ、中を開けると金色に輝く小指の先ほどの粒が中にギッシリ詰まっていた。
血の気が引いた。
箱一杯の黄金が意味するのは、賄賂だった。
私はゴクリと唾を嚥下すると、丁寧に、だが確実にその木箱を神殿長に返した。
「お気持ちだけ受け取ります。……大神官様は奥方候補の方に一刻も早く会いたがっていらっしゃいます。そろそろ面会をお願いできますか?」
あからさまに神殿長は落胆していたが、私の申し出に頷き、席を立った。
「こちらです。祈りの間に既に待たせております。お気に召して頂ければ良いのですが。」
私はまだ名残りおしそうに酒を飲むセルゲイを、引きずり立たせる様にして席から離し、神殿長の後を着いて行った。
祈りの間の扉を開けると、長い髪の女性が床に膝まづき、こちらに向かって低頭していた。
髪は金色に近い茶色だった。ーーー頑張れば金髪と言えなくは無い。
私は彼女の前まで歩むと、声を掛けた。
「王都より参りました。大神官付秘書のリサです。どうかお顔を上げて下さい。」
彼女がゆったりと顔を上げる間、私は緊張で息をするのも忘れていた。上げられた二つの瞳が青いのを目にした時、私は人目を無視して快哉を叫びそうになった。鼻筋も通っている。
ダイナマイツなボディとまでは言えないが、私に比べればずっと出るべきところも出ている。もっとも私が基準になれば、だいたい誰もが合格してしまう可能性は否めない。
「神官修習生のラトーヤと申します。御指名を賜りました事、光栄の至りにございます。」
なかなか美人だ、とも思った。こればかりは主観でしか判断できない。
しかしここで私は困った。
神力は怒りの心情で具現化される。つまり、彼女を怒らせなければ、私は神力分析器としての役割を果たせないのだ。
仕方なくアレンに私は耳打ちした。
「神力の強さを見たいので、ラトーヤを怒らせて貰えませんか?」
こんな事を頼まれたら嫌な顔をするだろう。私はそう考えたが、驚いた事にアレンは顔色一つ変えず、彼女の所へ行った。そのまま腰を屈めて彼女の耳元に顔を近付けた。美貌の騎士に顔を寄せられ、彼女は満更でもない様子であったが、何やらアレンが彼女に囁くと、肩の辺りに桃色の揺らめきが出現した。神力が見えた!!
期待していた程の大きさは無かったが、顔を真っ赤にしてアレンを睨む彼女からは、確かに炎の形状をしたオーラみたいな物が立ち上り、少なくとも中神官程度の力はあると見た。まだのびしろがあるかも知れない。
アレンがどんな台詞で彼女を怒らせてくれたのか若干気掛かりではあったが、今はそれどころでは無い。
私以外の者にはその炎が見えていないらしく、押し黙ったままの私を、神殿長達は心配そうに見ていた。
私は決めた。
とりあえず連れて帰ろう。
大神殿はここからそれほど遠くないし、神力は高神官並とまでは言え無いけど、大神官は気に入ってくれるかも知れない。
「今から、大神官様に会いに行きませんか?」
顔をはち切れんばかりの喜びに綻ばせた神殿長と廊下に出ると、窓を叩き付けて大粒の雨が降っていた。何時の間にか夕方の様に空が暗くなり、時折ゴン、と雷がどこかに落ちる低い音が響いた。
さっきまでの快晴が嘘の様だ。
「秘書様。今ご出発されるのは危険です。雨が緩くなるまでどうかご滞在下さい。ーーー今夜はお泊り頂いても結構ですし。」
雨は一向に緩む気配が無かった。
私は早く帰りたかったが、無理をして事故にでもあったら、責任の取りようがない。しかし、決断は私に任されていた。そんな私の葛藤を見越してか、セルゲイが肩を軽く叩いてきた。
「まあ、先方もああ言ってくれてる事だ。今夜はゆっくりグノーでくつろごう。」
そう言う彼の顔は至極嬉しそうだった。
私は神殿の中を案内してもらったり、ラトーヤと話をして天候の快復を待ったものの、改善が見られない内に日が沈んでしまったので、仕方なく泊まって行く事にした。
夕飯を出して貰い、更に神殿の浴場を借りて入浴を済ますと、なんと今更雨が止んでいた。中庭の大きな木には黒々と葉が繁り、その無数の葉先からとめど無く雫が滴り落ちていた。廊下から窓の外を恨めしげに私が睨んでいると、セルゲイが庭先にいることに気付いた。
中庭に張り出した軒先の下、八人ほどの女性職員に囲まれて実に楽しそうに談笑している。特設ハーレムを築いているようだ。
私は見なかったフリをして、提供された寝室に行こうとした。
「雨も止んだことだし、街に散策に行かないか?」
振り返るとセルゲイが私を追いかけて来ていて、私の近くまで来ると立ち止まった。女性達が遠巻きにこちらを見ている。何だか皆一様に険のある目で私を見ているのが気になった。
散策ーーー?私は逡巡した。
サル村は尚の事、王都までの道程は急いでいたし、大神殿にいる時も観光らしいことは何一つしていなかった。
「でも、もう遅いですし。」
「俺と一緒なら怖くないだろう?」
でもなんだか後ろの女性達の視線が怖い。
明日もある事だし、私は丁重にお断りした。
セルゲイは残念そうに、そうか、じゃ明日な、と呟くと、止める間も無く私の額に口付けた。
「おやすみ、俺のリサ。」
私は軽過ぎるセルゲイの言動が理解できず、女性達を引き連れて中庭に消えて行く彼の後ろ姿を、呆気にとられて眺めていた。
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