第13話
「東京駅というのは、色々といわくや噂が絶えない場所なんです。日本の中心ですし、皇居もある。国政のへそでもあるし、とにかくこの国の心臓と言っていいでしょう。まことしやかに囁かれている様々な噂のひとつが『7号室』です。噂、とひとことで言ってもこれは実在するものです。7号室と呼ばれているその正体とはずばり『霊安室』」
観客がざわめく。わたしも思わず声を上げ、龍太郎と顔を合わせた。
「なぜ、東京駅に霊安室があるのか? という疑問がおありかと思います。考えてもみてください。東京駅は東京中の路線が集中しているので、その分鉄道事故も多いわけですね。鉄道事故も色々ありますが、7号室が活躍するのはその中でも『人身事故』なわけです。東京駅周辺は渋滞しやすく、救急車が到着するのに困難な場合も多い。だから、一時的に亡くなった方を安置する部屋があるのです。7号室というのは鉄道員同士の隠語で、身元確認や遺体引き取りに訪れた家族のことを『7号室のお客さん』と呼んだりするそうですね。あ、もちろん事故で亡くなった人だけではなく、急病で亡くなった方などもここに安置されるとのことです。一日に何十万人という人間が行き交う公共交通機関の中枢ですから」
ヤベオカは他にも東京駅には死にまつわるスポットが多数存在すると仄めかした。
「東京駅の話ばかりしていても仕方がないので、事故物件の話に戻りましょう。とにかく東京に住んでいる以上、いつ、どんな形で人の死に触れるかわかりません。住んでいる部屋が事故物件でなくとも。例えば、高層マンションで最寄りの駅を窓やベランダから見下ろせる物件の場合、人身事故でバラバラになった人を見てしまうかもしれない。告知の義務範囲から外れているからと、実は数十年前に人が死んでいるのを知らずに済んでいるかもしれない。飛び降り自殺した人が自宅のベランダに激突して肉片が飛び散ったのかもしれない。こういう場合、瑕疵物件にはなりませんから告知するか否かは不動産業者の良心にかかっているわけです」
サークルではカミオカが頻繁に死体の話ばかりをするので毎回吐き気がしていたが、さすがはヤベオカ。わたしは話に聞き入っていた。
それは他の観客も同じらしく、誰もがみんなヤベオカの話に耳を傾けている。
「やっぱり面白いね、ヤベオカさん」
率直な感想を龍太郎に話すと、龍太郎だけが複雑な表情を浮かべているのに気付いた。
「どうしたの?」
「いや、ヤベオカさんの声がどこかで聞いたことあるような気がして」
「そうなの? でも似た声の人って多いし」
否定したかったわけではない。ただ、なんとなく声の空似などはよくあることだと思ったのだ。
「そうだな。そう言われてみると声は似ているけど喋り方は違うし。気のせいかな」
「そうだよ。それにもし仮に龍太郎の知っている人だったとしても、知らない方がいいじゃん。その方が夢があるっていうか」
納得したらしく、龍太郎はうなずくと硬かった表情を戻した。
その横顔を見ていると今度は違う種類の表情に変わる。唇を結び、目が泳いでいた。
まだヤベオカのことが気になっているのかと目を壇上に戻した時、心臓が飛び出そうになった。
「ところでヤベオカさん、事故物件を見抜く方法や事故物件に当たらないようにするコツとかっていうのはあるんですか」
「ええ、もちろん。それを披露するために来たんですから」
トークは滞りなく続いているのに、カミオカはこちらを……いや、わたしたちを凝視していた。それはたまたま目線が向いていたとかいう次元ではなく、確実にわたしと龍太郎を注視している。
「カミオカさん、こっち見てる……?」
「ああ、見てる」
気付くと龍太郎はうつむいていた。カミオカと視線がぶつかり続けるのに耐えられなかったのだろう。
「注目すべきポイントは『物件の名称が変更されていないか』と『共有スペースが汚くないか』という点でしょうか」
「ほう、なるほど。というと?」
異様な光景である。
トークライブは問題なく円滑に進んでいるというのに、カミオカのまなざしだけはずっとこちらに向いている。顔と話がリンクしていないのだ。
そのアンバランスさが著しく人間味を削いでいて、猛烈に気味が悪かった。
◆
わたしの身の回りで奇妙なことが起こり始めた。
仕事中、わたし宛ての内線電話を取るとなにかの映画の音声だけが垂れ流され、相手からはなんの反応もない。わたし宛ての手紙が届くが、裏面は白紙。だがたまごが腐ったような臭いを放ち、すぐゴミ箱に捨てた。帰り道にはやたらと動物の轢死体と出くわすようになった。猫、犬、鳩――。発見する場所は日によって違うが、ほぼ毎日だった。
それだけではない。
自宅の留守番電話は録音件数が常に最大だったし、その内容も会社にかかってくる電話と同じで映画の音声だった。外国の映画らしく、なんの映画かまではわからないので気味が悪かった。
しきりに視線も感じていた。
通勤時の柱や店舗の影。駐輪場の奥。ビルの外。ランチの店。部屋。トイレ……。
すべてが見られているとは思えないが、すべてが杞憂とも思えない。
珍しく動物の死体がないな、と思った夜。道で通行人とぶつかりバランスを崩した際、目に入った側溝に眼球が飛び出たカラスが挟まっていた。その時、わたしはついに参ってしまった。
一連の嫌がらせが、誰によるものかなど目星はついている。
龍太郎だ。そうに違いない。
最初のうちはそれが勘違いであって、ただの疑心暗鬼であると思い込もうとした。
しかし、しばらくして気付いてしまったのだ。
動物の死体は、会社から次第にわたしの家に近い場所で見つかるようになった。
会社に届く悪臭を放つ手紙は、臭いに強い執着を見せる龍太郎のメッセージだと思った。
決定的なのは映画の音声。何日目かでかかったBGMに聞き覚えがあったのだ。
――ネクロマンティック。
劇中でうさぎを解体する際に流れる、アンバランスなうつくしいメロディ。忘れるはずがなかった。
そして、わたしがネクロマンティックが好きだと知っている人物は、やはり龍太郎しかいない。
奇妙と言えば、もうひとつ気にかかることがあった。
あの日以来、道上と松田が出社していないのだ。しかも、無断欠勤だという。
無関係だと思おうとすればするほど、疑心は強く揺らめいた。
直接龍太郎に確かめることもできたが、とてもそんな気にはなれない。
わたしがネクロフィリアではないと知られてから、彼とコンタクトを取るのが怖かったからだ。この嫌がらせも、その報復だと考えれば仕方がない……と無理に自分に言い聞かせてきた。
だが限界だ。
これまでも龍太郎とは、わたしから連絡を取らなければ接触することはなかった。それに気づいた時、膝から崩れ落ちそうになった。
最初から、わたしから「恐れ」に触れていた。触れなければ、こんなことにはならなかったのだ。
だがこうなってしまってはどうにか今の状況に折り合いをつけなければならなかった。
意を決し、わたしは龍太郎にコンタクトをとろうと決めた。
しかし。
連絡しても返事はないし、電話もでない。家に行こうにも龍太郎の住所を知らないことに改めて気付くあたり、わたしは重症だと自覚した。
エアコンや家電の取り付け工事の仕事をしていると聞いたことはあるけれど、自営なので調べようがない。
少しの可能性に賭けて番号案内や電話帳で調べてみたが、やるだけ虚しいだけだった。
一体なにがいけなかったのかを思い浮かべてみる。
わたしが嘘をついていたからだろうか。『死体愛好家』だなんて嘘をついていたことに。
言い訳ではないが、そもそも論としてそんな人間がいるなんて信じるほうがおかしい。
どこかでわたしは「バレることを前提」にしてその嘘と設定を身にまとっていたのだ。
当然、自分自身、そんなことは微塵も思っていない。だが、日常に戻ってくると厭でも思い知るのだ。「そんな人間はいない」と。
だからある意味で龍太郎も、「本当は何の変哲もないただの女」だとわかっていてわたしといたのだと思っていた。
もしかしたら、その前提そのものが違ったのだろうか。
会社の同僚に、抜けた女子社員がいる。仕事が出来ないわけではないがとにかく聞き間違いや、勘違いが多く、語彙力も乏しい。
その代わりにそれを補って余りある愛嬌を持っていて、どれだけミスをしても不思議と嫌われることもない。
人は彼女のことを「天然」だと揶揄した。
しかし、彼女自身は周りから「天然だ」と言われるたびにムキになって猛反論していた。
ある種、キャラとしての「天然」という個性なのだからムキになることもないだろうに、と思うがそれでも毎回彼女は顔を真っ赤にして自分は天然ではないと訴えた。
女性の中にはすべからくして「天然」を装っている者もいるのは確かだ。わたしはこれまでそういう「偽物」と一緒にされたくなくて、彼女は反発していたのかと思っていた。
だが実際は違うのではないか。
本物の「天然」だから、「自分が天然である」ということすら自覚していない。あくまで自分はまともだと信じ切っている。
唐突に脈絡のない彼女のことが頭によぎったのは根拠があった。
わたしは、「死体愛好者」という設定を自分に盛り込んだ。そして、そのことを自らわかっている。つまり、「本当の自分は死体愛好者ではない(ルビ/嘘をついている)」と知っているのだ。
では、龍太郎はどうか。
わたしは龍太郎に対して少なからずとも人にはない「異常性」を感じていた。しかし、それはわたしと同じく龍太郎自身が設けた「設定」なのだと思っていた。
わたしと龍太郎は同類である。
それが龍太郎という人間に惹かれた要因のひとつであるに違いない。
でも、もしかして龍太郎が自覚していなかったとしたら?
「自分が死と死臭に執着している」ということをわかっていなかったとしたら?
それはつまり――龍太郎の異常性が真性……すなわち本物だということになる。
もしも。
もしも龍太郎が、きっかけこそわたしと同じで、「自分と同類」だと思ったからこそわたしを受け入れたのだとしたら。
……龍太郎は異常性を偽っていたわたしをどんな風に思うか。
龍太郎に対する愛しさが急に怖気に変わってゆく。
本物の異常者を本気で怒らせたとしたら……どうなるのか。
全く想像ができない。
「ううん。なに考えてるんだ、わたしは」
そんなわけないじゃない。と、続けてわたしはひとりごちた。
考えすぎだ。なぜ、そんな極端な方向に話がいくのか。ストレスが溜まりすぎているだけなのかもしれない。
龍太郎が本物の異常者? そんなはずない。
確かに嘘を吐いたことで龍太郎を怒らせた可能性はある。でもきっとそれだけだ。
時間が経てば少しずつわたしの呼びかけにも反応してくれるはず。
わたしがすべきことは、根気よく龍太郎に連絡し続けることだ。きっとこの気持ちが伝わる時が来るはずだ。
ホームに流れる電車の到着アナウンスで、わたしは現実に引き戻された。
目の前に電車の扉が止まり、空気圧の抜ける音と一緒にゆっくりドアが開く。乗車しようと足を一歩、踏み入れた時に電車とホームの隙間が目にはいった。
無意識にうつむいていたようだ。
電車とホームの隙間は墨汁で塗りつぶしたように真っ暗だ。不意に吸い込まれそうな感覚に陥り、慌ててまたいだ。
闇に囚われそうな不安な感覚。自分でも驚くほどに龍太郎に対する今の気持ちと似ているのに気付いた。
吊り橋効果、というのはよく聞く話で、人は極度の緊張状態の時に異性に出会うと恐怖心と恋愛感情がすり替わってしまうという。
隙間の闇に魅入られそうになったわたしは、間違いなく恐怖を感じていた。それと龍太郎が同じものだとするならば。
……もしかしてわたしは、初めて龍太郎に惹かれた時、恐怖と恋愛感情がすり替わっていたのではないか。
初めて出会った本物の狂人を前に、本能が恐怖でパニックを起こした。その心臓の高鳴りを、緊張感を、無意識に恋愛感情にすり替えることで精神を守っていた。
バカな話だ。何度、同じことを繰り返すのだろう。不安になっては考えすぎだと自戒し、自戒すればまた考えすぎる。
道上と松田にばったり出会った翌日――。
わたしとの関係を龍太郎があっさり暴露してしまったせいで、次の出勤にわたしは怯えていた。なにを言われるかわからないし、言いふらされることだって考えられる。
あれこれと質問攻めにあうのも不本意ではあるし、なにより「死体愛好家」だなんて悪ふざけのような設定を責められるのが怖かったのだ。
だが翌日、わたしの不安をあざ笑うかのように会社に道上と松田の姿はなかった。
午後になるとにわかに同僚たちがざわつきはじめ、事情を聞くとふたりは無断欠勤で連絡もつかないという。
この状況にわたしは胸を撫でおろすどころか、背筋が粟立った。関係はない。龍太郎とは無関係だ。まして、あのふたりと龍太郎はあの時が初対面だったはず。
いくら言い聞かせても龍太郎の姿が頭によぎり、完全にぬぐい切れない。
それから二日が経ち、三日……一週間が過ぎた。道上も松田も依然会社に姿を現さない。龍太郎も音信不通だ。
『まもなくドア閉まります。駆け込み乗車はおやめくだい』
「えっ? やばっ……!」
降りる駅を見過ごしそうになり、慌てて飛び降りた。笛が鳴り響いている。
ダメだ。どうもすぐに考えに没頭してしまう。わたしがあれこれと思案したところで現状はどのようにも変わらないというのに。
……だめだ。早く帰って、シャワーを浴びてワインを飲んだら早めに寝よう。
わたしは深く考えるのをやめた。ここのところ、毎日この繰り返しだ。
散々あれこれと考えた結果、落としどころが見つからず思考をやめ、現実逃避する。
だがただひとつ、確かな感情としてあるのが龍太郎への思いが次第に愛情から歪な疑念に変化しつつあるということだ。明日、明後日、一週間後、一か月後――。
時間が経てば経つほど、龍太郎に対する憧れや恋愛感情はまるっきり違うものにすげ変わってしまいそうな予感がしていた。
そうなる前に、わたしは龍太郎に会いたい。会って、この気持ちが間違いなく愛情だと確信を得たい。
わたしは、家までの道のりを急いだ。
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