第40話 人魔決別

「この時期だと狼紋ろうもんって、まだ寒い……ですよね」


 温暖な太宰の4月でまだコートの脱げない瑞穗が、ガタガタ震えながら言う。


「まぁ、北方だからなぁ。去年は南だったけどまあ、反対になるか……」


 軍服姿の辰馬はやや上の空で、ぼんやり応えた。去年の頭に雫と覇城家の縁で行くことになった鶯谷うぐいすだに、あそこはアカツキ最南東からさらに船で渡った常夏の国だが、今度の狼紋はラース・イラ、桃華とうか帝国と国境を接するアカツキ最西北の地。今の時期だと雪が降っていることも珍しくなく、瑞穗のような寒がりには厳しい。もともと10数年前まではテンゲリという国があった地方で、西のラース・イラ、北の桃華帝国との緩衝地帯として役立っていたのだが、王子時代、ここでハジルという男に徹底的完敗を嘗めた永安帝は王位に就くや元帥以下四方の将軍を総動員して、テンゲリを滅ぼした。その最後に生き残った王子が現在のラース・イラ宰相ハジルであり、アカツキ宰相本田馨綋ほんだ・きよつな、もとヒノミヤの軍師磐座穣いわくら・みのりに匹敵する天才なわけだが、今回の件はラース・イラの侵攻とは関係ないらしい。


 狼紋の魔人、ねぇ。「魔神」じゃなく「魔人」と言ったって事は、魔族じゃなく人間か、おれとおなじ混ざり者か。それが国境警備の駐屯師団を消滅……壊滅、じゃないんだよな、これ。消滅させたって、尋常の魔族のレベルじゃねえ。ならやっぱ、混ざり者か……。


 魔族は純血より、混血の方が高い力を持つ。辰馬の父・狼牙ろうがも強姦の末生まれた半魔デモノハーフだし、辰馬の場合は魔族と人間、のほかにさらに神族の因子を保有する盈力使い。


 能力の質に置いて盈力は「創世神を殺せる」という特質をもつが、必ずしも魔族や半魔の魔力が盈力に劣るわけではない。辰馬の場合父が「魔王」オディナ・ウシュナハであったために強力な盈力を誇るが、それでも純血の黒妖精デックアールヴ、オリエに雫と二人で手も足も出なかった。


あのオリエってやつか……でも、なんか違う気がする。おれの「自在通」がオリエじゃない別のなんかを警戒しろって警告してる……。


「うぅっ、デブが暑がりとか迷信なんです! 太ってても寒いものは寒いんです!」

「……いや、そんな話してないし、瑞穗細いだろーが。その体型でデブとか言ったら大概の女から殺されるぞ?」

「でも……70㎏……辰馬さまより20㎏も重いんです……」

「そらまぁ、そこの……肉が? 局部的にちょっとだけ多いからな、しかたない」

「ほらぁ! 肉が多いって言ったじゃないですかぁ!」

「あーもう、静かにしろや! 今考え中!」


「瑞穗さん、これを」

「あ……湯たんぽ。ありがとうございます、磐座いわくらさん!」

「あなたにもしっかり働いて貰いますから。特にトキジクの別の可能性……海魔の主ユエガが使ったという『不確定な複数の未来の可能性を任意に確定させる』能力があれば、戦力としてあなたほど強力な存在はいなくなります」

「あれは……寿命が無限に等しい魔族の、それも魔力潤沢な魔王格だからできたこと、では……?」

「ヒノミヤから神具をいくつか、持ってきました。霊妙の勾玉が13個。外部燃料にはなるでしょう」

「いいん……ですか? 一個で姫巫女五人の祭儀で奉納する神力をまかなえる、非常に貴重なもののはず……」

「大丈夫です、今上きんじょうのアカツキ主神は新羅の肉便器ですから」

「磐座さん、いいかた……」 

「事実ですよ。言い方もなにもありません。事実をわかりやすく簡潔に。軍務の基本です」


 とりあえず湯たんぽ(テレビも電話……これは交換手式のヤツだが……)は懐に入れつつ、うーん、という感じで瑞穗は首をひねる。辰馬が「そんじゃお前も後で抱くから!」とのたまったあの日、みのりはどうしても、絶対に、他の娘と一緒にだけはいやだと主張して結局その晩、辰馬の寝室で二人時間を過ごしたのだが、実のところ何があったのか、なにもなかったのかはわからないままだ。穣は相変わらず辰馬のことを新羅と敵意むき出しで呼ぶし、そういう態度をおくびにも出さない。


 とはいえ、なんとなく視線が優しくなっているような気はするんです。サトリは安易に使っていいものではないから、使いませんが。


 そういう洞察力は、案外に瑞穗は鋭い。かつていみじくも穣自身が「瑞穗の才覚は自分より上」と言ってのけたとおりに、知識量はともかく本質的な頭脳でおそらく瑞穗は穣より二枚か三枚、上手である。本人にその意識はないが、かつてヒノミヤ事変でその片鱗は十分に発揮して見せた。まさかワゴンブルクで騎兵を無力化するとは思っていなかった穣だ。せいぜい辰馬がやったように、馬防柵を立てて火縄で斉射、という覇城菘はじょう・すずなの模倣だろうと思っていたから、あのときから穣の策は大枠では揺るがない(辰馬を連戦で限界まで消耗させ、最後に山南交喙やまなみ・いすかからホノアカの心臓を奪い取った穣自身が「万象自在」でさらに削って、空っぽになった状態まで削りきって五十六の前に突き出す、という方策)ものの多少の修正を余儀なくされた。その修正も対ワゴンブルク戦術を使いこなせる将官が存在せず、徐々に後手に回ることになったのだし。


 と、嫉視と羨望を込めて穣が見つめ返すと、瑞穗はまだ多少臆病なところがあるのか慌てて身を縮こまらせる。


 あれ、わたし、なにか粗相をしてしまいましたか……?


 こういう部分では、逆に瑞穗は鈍いのだった。


「そんな露骨に目をそらさないで下さい、瑞穗さん。大丈夫ですから」

「はあ……」


「んじゃ行きますか、辰馬サン!」

「そーすね。しかし……威力偵察任務に一兵もなしとは……」

「ま、今桃華とうかとの戦争が佳境でゴザルからなぁ。その隙をラース・イラに突かれんためにも、西方の兵を動かせんのでゴザろ?」


「そういうことです。それと、あなたたちの上官は新羅ではなくわたしになりますので。命令系統は一本化されないと非常に不都合です」


 晦日に似たタイプだけど、あっちは融通きくからな……こっちはホントにガチガチ。まあ、しとねでもまったく経験者って感じ、なかったしなぁ。


 あまりにお堅すぎる穣に、辰馬はわずかに柳眉をそばだてる。そして実のところそういう関係は結んだらしい。ちなみに同道者たりえる新羅邸一家のサティア・エル・ファリス、晦日美咲つごもり・みさき北嶺院文ほくれいいん・あやの三人はそれぞれ祭神として祀られる仕事、公式の記録に載せられない諜報任務、そして昨年先んじて軍属となっている文は兵站部で各部署に回す補給物資の管理に忙しい。


「行きますよ。牢城先生、いつも一番騒々しいあなたがどうしました?」

「ん……いやー、これからあたしは剣だけじゃなくてさ、エーリカちゃんのぶんもたぁくんを護らなくちゃなんないんだなってね。ちょっとしみじみ……」

「そこは信じるから。しず姉ならやってくれるだろ? 今までずっと、それこそおれが赤ん坊のときから護ってくれて、間違いなんか一度もなかったんだ。これから先もあるはずない」


 本当に、欲しいときに欲しい言葉を、辰馬はナチュラルに女性陣に投げる。無意識のたらしに、雫は「うん、まっかせろ♪」と頬をほころばせた。


・・

・・・


「やあ、長い家出だったね」


 兄様……いや、ドワイト・アゼリア・ヴェスローディアはそう言って、感情のこもらない笑顔でわたしを迎えた。


 ふん、と思う。


 11才も年下の妹なんか簡単に懐柔して、このサークレットを奪えると思っているのだろうけど、そうはいかない。


 というかわたしが、ドワイトを簡単にひねってやるのだ。そのための技量は、すでに身につけたはず。そもそもこの国を継ぐ資格が、この男にはない。古ウェルス王朝の傍流・ヴェスローディア王家。その正統を継ぐ人間は祖帝シーザリオン・リスティ・ザントライユの血を引く者、すなわちミドルネームに「リスティ」が含まれることが条件であって、この国の継承者はわたしが生まれた瞬間、父王が決めたのだ。それを先に生まれたと言うだけの理由で横取りしようなどと、どういう了見か。


「はい、エーリカも多少の苦労をして、反省しましたの。お許し下さるかしら、お兄様?」


 少しあざといくらいに目を潤ませて言ってみせる。「与しやすし」と思っているのが見え見えだ。分かりやすすぎ。たつまだってこんなに簡単じゃなかった。いや、たつまの前ではわたしが冷静じゃなかっただけか。


「兄妹で、というのは少々、問題だが。まあ多少の反発は抑えて見せよう。エーリカ、僕の妻になってくれるね?」


 吐き気がする。けどここは我慢。どうせ名目だけの結婚、ベッドどころか部屋を一緒にすることもない。


「喜んで、お請けします♡」


 それにしても……こいつテレビ見てないのね。もしわたしがグラドルやってたってバレてたらここまで簡単じゃなかった……いや? もしかしてこいつ、本気でアイドルのわたしに惚れてる……? まあ、それならそれで利用の仕方はあるわ。指一本、触れさせてはやらないけど。


・・

・・・


「はぁっ、は、はっ、はぁ……ッ!」


 新代魔王の五将星、その一角、デックアールヴのオリエは雪振りしきる森の中をかける。


 息が上がり、喉がカラカラに渇く。見せつけられた力の差は、久しく忘れていた痛みとともに恐怖を思い出させた。


「ッシ!」


 振り向きざま、「気配」を頼りに矢を放つ。秋雨の如き矢の雨はしかし、一切の手応えを返さない。


「新代魔王の腹心……そんなものか」


 馬鹿にするでもなく、驚きもなく、一切の感情のさざ波を見せない声。


 いつ……の間にこの距離に……バケモノが……!


 太腿のホルダーから分厚いグルカ・ナイフを抜く。これまた勘を頼りに……というかほぼ真後ろに気配があり、この距離とオリエの技量で外しようがない。


 にもかかわらず。


 外れた。


 次の瞬間、右肩と背中に衝撃。押し倒されて組み伏せられる。圧倒的な膂力と技巧で、オリエは制圧されていた。新羅辰馬と牢城雫、武技において天才と言っていい二人がまるで叶わなかった相手であるオリエが、この相手には完全な子供扱い。


「魔王の血……絶やす……それが、俺の宿業……」


「それ」……その男は、どこまでも感情を揺らがせずそう言うと、自分もクリス(世界一洗練された武器、とされる。意味はマレー語でズバリ短刀)を抜いた。


「させる……ものか……!!」


 オリエは内在する全魔力を、極限まで高める。かくなる上は自爆あるのみ。この男を殺せないまでも、どうにか傷ひとつでも残す!


・・

・・・


 閃光が爆ぜた。


「「今の……」」


 辰馬と雫がうなずき合う。間違いない。一度剣を交わした相手の霊質を間違えることなどない。この魔力の爆発は間違いなく、オリエのもの。


 イヤな予感がした。


 走り出す。雫もついてくる。いつの間にか辰馬の方が、わずかに雫より足が速い。


「こら! 小隊の規律を!」

「オレらも行くぞ!」

「応! あのバケモンと渡り合った、おれらの実力見せてやる!」

「見せるでゴザルよぉ~!」


 眉をつり上げて怒る穣と、それを放って駆け出す三バカ。三人の中で神月五十六を相手に戦力として役立ったという事実は、確かな自信になっていた。


 瑞穗と穣、どんくささ世界選手権トップクラスの二人が残され。


「へ。こっちもなかなか。あっちの色黒よりいーんじゃねぇの? とくにそっちの巨乳」「っひ!?」

「あなたたちは……クールマ・ガルパの人間ですか?」

「へぇ~、分かるんだ、金髪ちゃん。結構上手く偽装してるつもりなんだけど!」

「ま、いちいち話し合うのもめんどくせー、女なんてあえぎ声が聞こえりゃそれでいーんだよ」


 二人の男。アカツキの民に偽装しているが、術式解除してみれば明らかに肌色が褐色。ターバンを巻き、額にはクールマ・ガルパの主神アゥァタリではなく、旧き破壊神の信徒を意味する三本線。


 そして。


「鬱陶しいから、まずブッ潰れな!!」


 詠唱なしで、ほぼ魔王化した状態の辰馬の輪転聖王ルドラ・チャクリンに匹敵する大威力。瑞穗の障壁結界は間に合わず、咄嗟に聖杖を握って発動させた穣のそれは打ち砕かれる。二人仲良くふっとばされて、そのまま意識を失った。


「巨乳ちゃんは俺のな」

「んじゃ、おれは生意気そーな金髪か。ま、悪くはねーけどな、こーいうのも……」

「で、カルナはどーしてっかね……?」


・・・


 駆けつけたとき、男はまさにクリスをオリエの首元に突きつけているその瞬間だった。


「はーはー……間に合った……。そこまでにしとけや、そこの」

「? こいつは、魔王の眷属。生かしておく理由が、ない」

「殺す理由も特段ねぇだろーが! つまらんこと言ってるとしばくぞ、ばかたれ!」

「……よく、分からないが。決闘だというなら、受けて立つ」

「おー。それでいい」


 とはいえだ。

 最初から、勝ち目はなさそうに見える。神月五十六相手に真っ向で勝って相当にレベルを上げたとは言え、まだ辰馬の力は極限まで高められたとは言いがたく。そして相手の男は……信じがたいことに新羅牛雄しらぎ・うしお、辰馬の祖父、天壌無窮てんじょうむきゅうに達した人間とほぼ等しいほどの力を、隠すこともなく放出している。下手をすれば、牛雄より強い。そんな人間の存在を、辰馬はまったく思いもしなかったが、どうにも魔族や半魔ではなく、神を下ろしたわけでもないただの人間。


 それが突き詰めた究極が、ここにある。


「俺はカルナ。カルナ・イーシャナ」

「おれは新羅辰馬」


 名乗りあった。次の刹那。


 雫が間に入る時間すらなく。辰馬の腹に、クリスが刺さった。


「かふ……っ?」

「たぁくんっ!?」

「遅……すぎる。相手に、ならない……」

「たぁくん、ちょ、そんな……これって……」

「女は……戦利品。来い……」

「ちょ、やだ、やめれー! たぁくん、たぁくーん!!」


 たぁくん、あたしが、護らなきゃ、護らないと……なのに……!


「うるさい……女だ。黙れ」


 どふ、と殴打。効率などどうでもいいと言わんばかりの、圧倒的実力差から繰り出される無造作な一撃。雫ほどの腕前を持ってして、絶対的な暴力は防ぐことも躱すことも、せめて威力を逃がすことも出来ない。


 ドフ、ゴスッ、ガッ、ベキ!


「っ……、っ……! ……っく!」


 雫が呻く。悲鳴を上げないのはせめて辰馬を心配させないためか。そのさまをみて、辰馬の腹の中でどす黒いものが渦巻き、逆巻く。それは魔王が後天的に取得した人格、人間への否定感情。オリエを……同胞をあんな目に遭わせ、そして今大事な雫をモノのように扱い、連れ去ろうとする男……カルナに、辰馬が他人に対してほとんど今まで抱くことのなかった感情、則ち「憎悪」と「殺意」が湧いた。


「くそ……やめろや! ブチ殺すぞクソがアァッ!!」


 本気で人に対して、殺す、などと言ったのは生まれて初めて。それを待っていたかのように、空が割れる。


「ようこそ、魔皇子。アムドゥシアスは貴方を歓迎するわよ。そして、力を貸してあげる」

「姉貴……しず姉を……、あいつを、殺せ!」

「はいはい。任せなさい。ほら」


 空を割いて登場したクズノハは、これでどーよと燐火を放つ。しかしそれと知った男は右腕を薙いでクリスで焔を裂くと、それまでの無感情から一点、憎悪の感情をむき出しにする。


「魔王! 殺す! 殺すーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 跳躍。高い隙だらけの跳躍ではない。低く、地を滑るような跳躍からの斬撃を、幾たびも繰り返す。その一撃一撃が天壌無窮、「魔王殺し」の力なしで、魔王を殺しうる威力。それを受け、捌き、いなすクズノハも尋常ではないが、彼女はオリエと辰馬を庇いながらだ。どうにも不利。


 轟炎を放つ。


「ッ……!?」

「ひとまず、じゃあね……。でも……すぐに殺す!」


 一旦、間を開き。そして空間を裂くと、二人を連れてその場から消えた。


「ぬ……逃げ……たか……。まあ、いい……俺の……力、十二分に、通用する……」


 狼紋の魔人、カルナ・イーシャナはなお抵抗する牢城雫の顔面に拳の一撃、脳震盪を起こさせて意識を刈ると、ピンクのポニーテールを鷲づかみにして森の奥へ消えた……。


 翌日、全世界の空に、魔王クズノハの姿が映し出される。テレビとかそういうテクノロジーではなく、完璧なる魔術の技で、彼女はデモンストレーションして見せた。


「ごきげんよう、人間のみなさん。わたしはクズノハ。魔王クズノハ。たったいまよりあなたたちに宣戦布告を申し込みます! 第二次魔神戦役、開幕よ!」


 腹心と、可愛い弟。その二つをいたく傷つけられて、新魔王クズノハはとうとう、完全に人類と決別した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒き翼の大天使~第2幕~魔皇女クズノハ篇 遠蛮長恨歌 @enban

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ