第4話 魔徒

 覇城のプライベートビーチから徒歩20分。土産物屋のたちならぶ小さな町で、辰馬たちは聞き込みを開始した。リゾート地だというのに、彼らの顔色は一様に暗い。


 曰く


・新しい覇城の当主が、黒髪美女を連れてきた。

・それと時を同じくして、タコ人間のような異形の魔族が近隣に出没するようになり

・魔族たちは若い娘を攫っていき

・それに呼応するように、外洋でなにやら巨大な質量の脈動が観測される。


 途中シンタが女の子をナンパしたり、辰馬がチャラ男からナンパされたり、瑞穗が色男に口説かれたりするのを全部無視して結論を言うと、だいたいこういうことだった。


「ふむ……外洋、ってことは船が要るな」

「梁田のオッサンに頼めばいーんじゃないスか?」

「まあ、そーなんだが。……とりあえず戻るか」

「辰馬さま、ちゃあんと雫先生に謝るんですよ?」

「ばかたれ。なんでおれが謝らにゃあ……あー、うん、わかった、謝る」


 瑞穗の言葉に反駁した辰馬だが、瑞穗が悲しげな顔になるのを見てすぐに態度を変える。どうにも瑞穗に泣かれると弱い。


 ちょろいなー、この人。まあ、そーいうトコがあるから、オレなんかはついて行く気になんだけど。


 シンタはにやにやと含みのある笑顔で、辰馬と瑞穗のほほえましいやりとりを見つめた。辰馬から「あ゛?」と睨まれるとおどけたように首をすくめ、へらりと笑って鋭鋒を躱す。


「そんじゃまぁ、あのクソガキに言ってやるか。おれのしず姉に手ぇ出すな、ってな」

「はい♪ それがいいです?」


 瑞穗は我がことのように嬉しげに笑った。


 不思議なことに、辰馬の周囲の女性というのは辰馬が自分以外の女性に好意を寄せることを気に掛けない。彼女らの包容力と理解が以上に度外れているのか辰馬の甲斐性が馬鹿でかいのか、とにかく辰馬が誰かを抱いたとして、怒るベクトルが「じゃあ不公平なく、わたしも抱いてくださいね」という態度にしかならないという関係性ができあがっている。まあ、まだ素直になれず臥所ふしどをともにしたことのない文や穣、そもそもゆかの傅役もりやくであって辰馬に特別な情愛を抱いているわけではない美咲などが今後どういう態度をとるかはわからないが、瑞穗と雫、エーリカと、そしてサティアの4人に関しては女性間における嫉妬というものがほぼ存在せず、ありえないほど仲がいい。……ただし、歴史的なことを言うとこれからのち20数年後、エーリカは瑞穗を嫉妬したあげく、殺害するに至るわけだが、それはこの場ではまだ芽も出ていない話である。


・・

・・・


「みさきー、雫おねーちゃんはー?」


 リゾート地に来ても皇国……というか直属の上司本田馨?《ほんだ・きよつな》への報告書をまとめている晦日美咲つごもり・みさきに、公主(こうしゅ。皇籍の姫)であり個人的な主君もある小日向ゆかが問いかけた。主君に暇を感じさせてしまった自分をおおいに羞じながら、美咲はそういえば、といぶかる。覇城瀬名に手(実際的には腰を抱かれだったが)を引かれて連れて行かれたのは確認したが、ちょっとお話、というには長すぎる。というかあのブラコンお姉ちゃんが辰馬から離れて他の男と長時間二人きり、というのが、考えるだに妙であった。


「探してきます」


覇城の新当主、その放蕩の噂を思い返し、最悪の事態が頭をよぎる。雫という武技の天才がまさか後れをとることもあるまいが、万一のこともある。迅速に事を進める必要があった。


磐座いわくらさん、あなたの『見る目聞く耳』で状況を調べることは……」

「はぁ……結局あの蛮族しらぎのために力を使うことになるんですね……まあ、牢城さんのことは嫌いでないですし、彼女のためならやぶさかでないですけど」


 穣は軽く手印を切り、口訣を唱える。


「天の御中あめのみなかに居まします、知恵の大神、八意思兼神やごころおもいかねのかみさまに誓願せいがん奉ります、我が耳目じもくを啓かせ、知恵の鏡を輝かせ給わんことを」


 以前ならこんな長い祭文を上奏する必要もなかったのだが、聖域・ヒノミヤから下俗してしばらく経つと以前通り神讃なしで術を行使することは出来なくなっている。おそらくおなじ理由で、瑞穗も瞬時にトキジクを使うことはできないはずだ。


 ともかく。


 穣は現状を見て聞いて、軽くため息。


「714号室です。危機的状況。急いだ方がいいかと」

「感謝します。ゆかさま、美咲はしばらく空けますが……」

「いーよー。エーリカとサティアと遊んでるから」

「あ、ゆかちゃんごめん、わたしもちょっと行くわ。晦日さんに任せとけば大丈夫かもだけど、わたしの盾が必要かも」

「えー……サティアは?」

「私はゆかのお相手してますよ。今の私には神としての力もほとんどないですし、戦闘では足手まといですから」

「では、行って参ります、ゆかさま」

「うん、いってらっしゃーい」


あっさり行ってらっしゃいと言われるのも忠信としてはつらいというか悔しいところだが、まずは雫だ。雫になにかあったら辰馬に申し開きが……と、そこまで考えて美咲は自分が辰馬のためにと物を考えていることに気づく。もともと新羅辰馬に接近したのは密偵として本田の指図でしかなく、本田に従う理由もゆかの身柄を保全するためだけのこと。今、ゆかの身の安全は確保されていて、いずれゆかと寵を争うであろう雫が脱落すれば美咲にとってむしろ喜ばしいことのはずだが、彼女の思考ベクトルはまったくそちらにかしがない。雫が穢されて辰馬が悲しんだらと思うと、身も灼ける思いだった。恋情に疎い美咲はまだ、自分のこの感情がなんなのかわかっていないが。


・・

・・・


 牢城雫ろうじょう・しずくは絶体絶命のピンチに立たされていた。


 全裸であり、身体はほとんど動かせず、そしてのしかかってくるのは悪魔的微笑を讃えた遠縁の親戚。健康的にしなやかに鍛えられた脚を割り、覇城瀬名はじょう・せなは見せつけるようにズボンのジッパーを下ろし、そのいきりたつ物をさらけ出……されたものは、しなしなと力なくしおれたままだった。


「? なぜだ? 頭は沸騰しそうなほどだというのに、腰に血流が……?」

「あー、たぁくんにさっき、点穴されたでしょ。だからだよー。とゆーわけで、諦めよう?」

「……あの一瞬でこの事態を見越して? そんな……そんな千里眼あるはずが……」

「たぁくんは自在通……だっけ。究極的には世界の全てを見通せるように鍛えてるから。まだまだっていっても、多少の未来予測くらいは出来るんだよ。てゆーか、この薬どーにかなんないかなぁ? 動かしたいのに動かないって、もどかしくてしよーがないんだけど?」

「ふ……ふん、まあ確かに、今ボクのモノが役に立たないのは事実として。だからといって雫さん、安心するのは早いのではないですか?」

「ほへ?」

「別に、女性を虜にする手管は挿入だけではないということです。指で舌で、これまで数百の女を落としてきたボクの技で、新羅辰馬を忘れさせてあげますよ!」

「子供のくせにかーいげがないなぁ、瀬名くんは。たぁくんなんかえっちしてーてこっちから求めてもすぐ真っ赤になるくらいかーいぃのに」

「新羅新羅と……そういう減らず口を、利けなくしてさしあげますよ!」


 そこに。


 ぴし、きしきし、びしっ……ごぅん……!


石がきしむ音。


 ロイヤルスイートの分厚い壁に、巨大なひびが入る。それを外からなにか硬いものが殴打する轟音。ひびにそって壁に大穴があき、指先に鋼糸をまとわせた美咲と聖盾アンドヴァラナートを構えたエーリカが、ものものしく入ってくる。


「そこまでです、覇城大公閣下」

「子供のくせにやることえげつないんじゃないの、大公様? 悪い子にはしつけが必要ね!」


「……」

「「?」」


「邪魔だよ、キミたち……鬱陶しいなあぁ!!」


 激情を爆発させる瀬名。黒い颶風が吹き荒れて、エーリカと雫を吹き飛ばす。


「キミたちみたいなブスの出る幕じゃないんだよ、消えろ、消えろ、消えろよおぉ!!」


 黒風は止まらない。風の一陣が、肉ごと魂まで焼くような威力。エーリカはなんとか線上に美咲をかばい、聖盾で防御するが、盾を支える腕が一瞬で震えてずたずたになる威力に愕然とする。これほどの威力を相手にしたことは過去に2度。竜の魔女ニヌルタと、星神・荒神ミカボシを降ろした神月五十六。覇城瀬名という少年の魔力……明らかに霊力ではなく、神力でもなく、魔力……は伯仲していた。神讃……魔族との契約によるものだから魔契まけいというべきか、それなしでの力の行使からして、上位の魔族、あるいは魔神とつながっているか、あるいは魔人化しているか。


「その力、誰からの借り物です?」


 美咲が問う。シニヨンにまとめていた髪が最初に吹っ飛ばされた勢いでほどけて、赤毛がふわ、と広がる。水着姿でありながらやはりどうしようもなく平坦な板張り胸ながら、その美貌は傾城傾国。凛とした目に宿る意思力は、力を誇る瀬名をもたじろがせた。


「知ったことじゃないだろう。どうせキミらは、ここで死ぬんだよ!」


 煩わしげに、瀬名は腕をかざす。その腕がごとりと落ちた。


「!?」

「大公覇城瀬名、魔族との紐帯ちゅうたい確定により、ここに誅伐します」

「……あんたばっかりかっこつけないでよ……わたしが盾で守ってあげてたからでしょ」「それは感謝しますが」


 美咲が立ち上がって、ほとんど不可視の鋼糸を構える。

 その美咲を庇って、エーリカも立つ。


 決死の面持ちの二人に瀬名は一瞬、惚けた貌になり。

 しかしすぐ面白いというように笑い出した。


「誅伐、ねぇ。小日向の侍従、宰相の犬。キミは宰相の腹の下で喘いでいるのがお似合いだと思うけれど?」


 弄うように言い、切り落とされた左腕に右手を添える。

 ぞぶ!

 勢いよく、元通りの腕が生えた。

 二、三、ぐっぱと掌を握り、感触を確かめるとまた、腕を閃かせた。


「何度も同じ技がっ!」


 エーリカが射線上に入り、聖盾をつきだし、そして、弾き飛ばされる。


「同じ技でも威力は違うからね。さっきのは激情で本来の威力が出せなかった……これが、本物だよ!」


 世界が黒一色に満たされたような、黒い風の暴嵐。

 エーリカも美咲も、さすがに敗北を確信し。


 そこに忽然、飛び込む金銀黒白の光。


「借りモンの力で粋がってんなよ、覇城。つーか、しず姉だけじゃなくてエーリカに晦日までいじめてくれちゃって……さすがのおれもちょっと怒るわ、これは」


駆けつけた新羅辰馬は、そう言って瀬名を睨む。


 瀬名もまた、忌々しげに辰馬を睨んだ。


 そして雫が歓喜の嬌声を上げた。

「たぁくーんっ! まってた待ってた待ってたよぉーっ? やっぱりおねーちゃんのピンチにはたぁくんが来てくれるよねっ?」

「はいはい。緊迫感なくなるからしず姉はちっと黙って……で、後ろ盾の魔族がいるだろ? 呼べよ。お前じゃどーせ、おれの相手にならんし」

「馬鹿にしてくれる……ボクにみっともなく投げ飛ばされたくせに……」

「じゃ、満足いくまでボコってやるか。えらーい貴族様が、ヒーヒー言って魔族に泣きつくまでしばいてやるよ」


 互いに凄絶な笑みを浮かべ。


 そして、アカツキ累代の大貴族の裔と、アカツキの歴史から排斥された名将の裔が、対峙する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る