第3話 異形の海魔

「あー、畜生が! ひとが手加減してやったら調子乗りやがって、あのクソガキ! 『ボクと雫さんの邪魔をしないでください』? うるせークソ、てめーは一体何様だっつーの!」


 ホテルのレストランバーで、辰馬は延々と管を巻く。本気ではなかったとは言え11才の子供にあっさり投げ飛ばされた屈辱は大きく、そしてなにより雫が自分でなくクソガキ……覇城瀬名はじょう・せなについて行ったことがきわめて大きい。


「何様っつーたら覇城はじょうの当主様ですけどね。傍流三家の筆頭、そりゃ、俺ら平民ごとき眼中にもないんじゃないっスか?」

「なにが当主だよ、あのエロガキ……ま、しず姉にうっかり手ぇ出せないように、手

は打っといたが」


 投げられる瞬間、瀬名の腰を点穴しておいた。点穴……ツボの技術は基本的にうさんくさいというかまあ、嘘八百ではある。それが一番顕著なのは鼻下の急所・人中であり、あそこを強打されても人間、死んだりしない。強い痛みを感じるのは皮が薄く神経血流が集中しているからというだけで、実のところ剛弓で人中を射貫かれてなお戦い続けた将軍の例が何件もあるのだから、このツボというもの、うさんくさいのはもう間違いない。


 ほかの部位もほぼ間違いなく嘘。非力な人間が大男を制するという魔術的手際に関する幻想、というかあこがれに過ぎないわけだが。時間と血流、という二つのファクターを組み入れることで、このうさんくさい技術は実戦に使える技に生まれ変わる。腎につながる腰の一点、そこに血流がたまっている時を狙って打ち込むことで、一時的に腎虚の症状を起こさせることが可能となる。ほかにも現在身体のどこに血流が流れていて、その働きを賦活させる、あるいは停滞させるツボを弁えさえすれば、点穴法というのは実戦の技たりえるわけで、辰馬の一撃は覇城瀬名を一時的に腎虚じんきょにしていた。


「クソガキ、勃起不全で笑われろ、バーカ」


 悪役っぽく酷薄に笑いつつ、ジンジャーエールを呷る辰馬。この国の成人期低年齢は14才であり、当然、酒を飲んでも問題ないのだが、辰馬はひどい下戸なので酒類一切呑まない。隣のシンタなんかは濁り酒をガンガン飲んで顔色一つ代えないが、その臭いだけで辰馬は酔いそうである。


「いかん……ちょっと風当たってくるわ……」

 少し怪しい足取りで、辰馬はカンターバーを出る。「あー、んじゃオレもー」とシンタが続き、部屋に荷物を置いてきた帰りらしい、水着にヨットパーカー姿の瑞穗と鉢合わせて三人で外に出た。


「お。瑞穗ねーさん、おっぱい、また大きくなった?」

「はぅ!? ……は、はい、お恥ずかしながら、ちょっとだけ……やはりヒノミヤに比べると食事が豪勢なものですから、その、食べ過ぎてしまいまして……」

「はー、服とか大変スよね、そんなデカいと」

「シンター、あんまりセクハラすんな。瑞穗は怒らんでもおれは怒るぞ?」

「褒め称えただけじゃねースか。辰馬サンて案外独占欲でスよねぇ?」

「うるせー黙ればかたれ。いらんこと言ってんな」


ぶらー、と出歩く辰馬の背を前に、瑞穂とシンタは顔を見合わせる。てっきり、風にあたるという名目で雫のところに向かうのだろうとばかり思っていたら、まったくそんな風もなく。といって割り切っているのかといえばこれも、「くそが!」とか「ちっ!」と短い悪態を絶やさないあたり割り切れていない。


「行けばいーじゃねースか、雫ちゃん先生んトコ。喜びますよ、あの人」

「やかましーわ。なんでおれがあんな裏切りモンの心配せにゃならねーんだよ、ボケ!」

「裏切りモンて……んなこと言ってるとマジで盗られますよー。あのガキの目、あれぁ無邪気な子供の目じゃなかったですもん」

「辰馬さま、意地を張ると一生後悔することになりますよ?」

「うぅ……ま、まぁアレだ。お前らがあんまし言うからな。おれはどーとも気にしてねぇけど、ちょっと見に行くか……」

「はい♪ それがいいと思います♡」


 と、きびすを返そうとした矢先。


 剣呑な気配が、周囲に満ちる。


 ぞぶ……ぐじゅしゅ、ぢゅぐ……、

 ぐしゅ、ぐずゅぶ、ぐぶ……。


 呼気なのか言葉なのか、判然としない音を立てつつ、沼沢地からぞぶぞぶと現れる、無数の異形。人の身体にタコが乗っているような姿をしたその化け物は、身の丈は3メートルを優に超す。そいつらは辰馬たち……正確には辰馬と瑞穗の姿を認めると、気色悪いほど猛然と襲いかかった。


「ぅぎゃあああぁっ!! こっちくんなキモい!!」


 辰馬は全力で叫びつつ、シンタの身体を異形たちに突き出す。


「ちょお!? 辰馬サン!? 人を盾にしないでくださいよ!」

「あれはマズいだろ、あのウネウネ触手……おれとか瑞穗があれに絡まれたらR指定入る……シンタ、頑張れ!」

「あーまあわからんでもないっスけど……そんじゃ、たまにいーとこ見せますか!」


 シンタは新あつらえのダガーを、両手に抜く。


 ……6匹、か。なんとかなるかねぇ……とりあえず、先手必勝!


 うじょろうじょろと気色悪く触手をうねらせる異形たちに、シンタは猛然と突進。疾走しながら二本の刀身に霊力を乗せる。バチバチと爆ぜる紫、それは雷鳴。


「断ち切れ、雷吼閃・御雷らいこうせん・みかずち!」


 交錯。次の瞬間、シンタを夾む形で肉薄してきた二体の異形が腰斬されてずるりと崩れ落ちる。「ッハ、どーよ! オレもなかなか、腕上げたっしょ? 辰馬サン!?」


「おお。けどまー、油断すんな。そいつら死んでねーわ」

「へ……んごあぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 切断面から再生してうじゅろうじゅろ、異形の触手はシンタを襲う。どうにも、辰馬は瑞穗をかばう形で立ちはだかるシンタが気に障るらしく、異形たちの攻勢は激しい。


「っの、クソが、舐めんなゲテモン!」


 出力を上げての雷刃。しかし、多少のダメージは与えられているようでも致命にはほど遠い。この異形たち、見てくれの醜悪さにもかかわらず、上位の魔族であるらしかった。


「……シンタ、下がれ。輪転聖王で消し飛ばす! デーヴァにしてアスラの王、大暗黒マハーカーラの主なる、破壊神にして自在天……ッ、ちぃ、神讃しんさんに割り込んで……こいつら、見た目よりずいぶん強い……!」

「わたしのトキジクで……」

「やめとけ、寿命削るだろーが。おれがなんとかする……」


神讃を奏す隙がない、神讃なしではおそらく倒せないし、やってみて失敗したら消耗だけが大きい。となると残る奥の手は一つ。


「我が名はノイシュ・ウシュナハ! 勇ましくも誇り高き、いと高き血統、銀の魔王の継嗣なり!」


 髪飾りのまじない石を引きちぎりながら、一気に歌い上げる。

 

 ごぅ!! と。


 立ち上る金銀黒白、盈力えいりょくの奔流。背中に生える6対12枚の光の羽根。紅い瞳はいよいよ緋く血の様相を呈し、横溢おういつする気は抜山蓋世ばっさんがいせい。天は喜び謳い、地は歓喜に震え、空気は畏怖にきしむ。宇宙そのものとつながった全能感が辰馬の心を満たし、しかしその情報量の膨大は辰馬の精神を揺らがせる。やたら喉が渇き、頭蓋と頭皮が剥がれるような痛み。息は荒くなり、四肢が痺れ心臓は早鐘を打つ。非現実感により足下もおぼつかない。絶大も絶大すぎる力に、あまり長い時間は保ちそうにない。


 ……けどまぁ、一瞬あれば十分。


 目にいかりを込めて、魔族たちを睥睨する。異形の魔族らの精神に働きかけ、王は誰であるかわからせる。魔族にとって魔王の存在は絶対。この交渉が失敗するはずがなかった……のだが。


 異形たちは辰馬の意に反し、抵抗を見せる。その態度から「貴様は王ではない」という主張が、強くうかがえた。戸惑う辰馬。異形はさらに数を増し、その身体に無数の触手が飛ぶ。


「っ!?」


 引きちぎり、あるいは盈力で消滅させるが、いかんせん相手と辰馬の覚悟の違い……辰馬は「殺さずに」ことを済ませようとしているのに対し、向こうは殺すつもりでかかってくる……が実力差を埋める。というより、この異形の集団を一個の存在として見た場合、それほど手加減できるほどに弱い相手ではなかった。


「この……タコのバケモン風情が、鬱陶しい!!」


 藻掻けど藻掻けど、引きちぎり消滅させるそばから新しい触手が、辰馬を襲い身動きを封じてくる。そしておぞましいことに、口腔へとグロテスクな触手の先端をねじ込もうとされる。「舐めろ」と要求されていることを知って、辰馬の中で怒りが爆発した。魔王への侮辱は絶対の死以外にあり得ない。猛り狂っていた辰馬はむしろ冷たく冷徹な、冷めて凍り付く瞳で異形たちを見渡し、


魂魄皆燼こんぱくかいじん一毫いちごうも残さず現世うつしよから消えよ」


 目も眩むような白光と黒風。それが凪いだあと、辰馬の周囲には異形どころか四方数十メートルの空間がぼっかりと消えていた。瑞穗やシンタを巻き込まないよう無意識の歯止めがきいていなければ、この巨大な虚無はどこまでか続いたかわからない。改めて自分の力をうっかり使うわけにはいかないことを再認識した辰馬は、魔王の力を鎮めるととりあえず何事もなかったかのように埃を払い、立ち上がる。


「瑞穗、シンタ、無事かー?」

「は、はい……辰馬さまこそ、大丈夫ですか? 顔色が……」

「バケモン相手に殺しちまったからどーこーとか、考えるのいーかげんやめましょーや。神経壊しますよ、辰馬サン?」

「……そーはいってもなぁ。性分だし……」

「アンタ普段から肉も魚も食うでしょーが」

「あれは食うことで供養になってるからなー。バケモン殺してギャハハハハハーッてのとは違う」

「んーっとぉに、なんで辰馬サンはそう繊細っつーか、心がか弱いんスか。普段あんだけ図太いくせに」

「しらんわ。おれの性格は生まれつきだ。おれの責任みたいにゆーな」

「殺生戒に悩まされておいででしたら、わたしがご祈祷しましょうか? 少しは気休めになるかと……」

「あー、そーいうのはいらん。結局おれの問題だし。ひとに祈ってもらってどーこー変わらん」


 瑞穗の言葉に、辰馬はひらひら手を振って答える。自分の問題を自分でどうこうできていないから苦しいのだろうに、新羅辰馬という少年は他力本願という考えがどうしても出来ない。「天は自ら助けるものを助く」を地で行く性格で、普段どれだけだらしなく振る舞っていても、根本的な部分で自分に対して厳格すぎるほど厳しい。


「で……アレってなんなんだ?」

「さぁ? 見た感じと違ってずいぶん、ランクの高い感じでしたねぇ。サティアとか竜の魔女とか、あのへんには及ばないにしても……サティアの傀儡のオッサンたちよりかは強かった……かな?」

「やっぱそんな感じか……中級か、上級魔族……なんでリゾート地にそんなモンが住み着いてるかって話だが……」

「聞き込みしますか。リゾート地っつーても町の一個ぐらいあるでしょーし」

「ん。そのへんは任せる。おれが出て行くとだいたい話にならんし」

「あー……うん。そーっスね……」


 シンタは曖昧な顔で頷いた。辰馬は「なんか相手が妙に浮き足立ってろくに話を聞いてくれない」といっているのだが、そんなもん辰馬が綺麗すぎるからに決まっている。本人は頑として認めたがらないが、御用商人、梁田篤のプロデュースで売り出されたヒノミヤ事変の将校たちのブロマイド、その売り上げの6割を辰馬の女装写真がたたき出しているという圧倒的人気は不動であり疑いようがない。相手にしてみれば国民的アイドルに突然話しかけられるようなもので、浮き足立つのは当然だった。


・・

・・・


 その頃。


「んぅ?」


 牢城雫ははたと目を覚ました。毎日いつでもすっきり快眠の自分にしては、やけに頭が重い。パーカーと水着を着ていたはずだが、なんだかすーすーして心許ない。


 てゆーか……ここ、何処だっけ?


 ぼんやりはしていても仮にも剣聖。ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンを退けた腕前は伊達ではない。うす暗闇の中でもはっきりと知覚する、人の気配。年齢よりはやや長身、とはいえやはり11才相応の小柄な少年は、雫が目を覚ましたのを知ると驚いたように目を瞠る。いたずらをたしなめられたときのような怒られる恐怖と、怒られる前に怒りを発して有耶無耶にしようという理不尽さの、い交ぜになったような表情。


「もう……目覚められましたか……?」

「んー……? うん、ってあれ、あたし裸……? なんで……ふぁ、まだ眠いや……」


 覇城瀬名はじょう・せなの内心の動揺などいざ知らず、雫は平然とあっけらかんと言って、ほんのり寒気に軽く身じろぎする。相手が子供だと思ってまったくの無防備だが、もともとこの少年が「新羅辰馬および新羅家と牢城の父母」の保全を盾に自分を呼びつけたという事実を忘れるべきではない。瀬名ははじめこそ叱咤を恐れるように怯えた目をしていたが、やがて自分が強者の立場にいることを思い出すと不敵で酷薄こくはくな笑みを浮かべた。


「予定とは違いますが、まあ、いいでしょう。眠っている女を犯すよりこちらのほうがいい」

「ふぇ?」


 邪悪に淫笑わらう瀬名。その貌は到底、幼児のそれではなく。女を嬲ることに長けた凌辱者のそれ。雫をこの部屋に連れ込んだ際、飲ませたコーヒーには象でも眠らせる量の麻酔を混入してある。だからこそすぐに目覚めた雫に対して瀬名は驚愕したわけだが、そこまで。いくら牢城雫という少女が規格外であろうと、まともに動けるはずがなかった。


「安心しなさい、あなたはちゃあんと、ボクの正妻として迎えます。新羅家も牢城家も、安泰に暮らせるよう取りはからいます。だから……」


 薄汚い言葉を並べ立てる瀬名に、雫はひどくいやな気分になった。相手が子供だとか、遠縁の親戚だとか、言うことを聞かないと自分の家や辰馬も覇城家の権力で潰されるとか、そういう一切合切ふくめて「それがなに?」という気分になる。覇城家がアカツキ最大の貴族だろうがなんだろうが、知ったことではなかった。自分が操を捧げる相手は最初から決まっていて他の相手に明け渡すつもりなどないし、自分も辰馬も、権力などというものに潰されるようなものでは最初からない。


 だが、どうあがこうと動くのは首から上だけ。毅然と自分を睨み付ける雫をむしろ愉しむように薄く笑って、足を割り開いてのしかかってくる瀬名。


「新羅辰馬のことなど、すぐに忘れるようになりますよ、すぐに、ね」


 覇城瀬名は、可憐といってさえいい童顔にひどく悪魔的な淫笑を浮かべ、囁くと雫の乳房に手を伸ばした。

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