第21話 ダメだ、こっちに来い
「結果をご報告します。前年度から来場者数は二万人増加して、過去最大級となりました」
「いいねえ。日暮里バスさんが、来年はうちも……って言ってるんだよ」
「千葉の錦織さんも興味あるって言ってたね」
「了解しました。こちらから折り返しご連絡させて頂きます。これからも規模を拡大して、もっと多くの方に来場して頂けるイベントを目指します」
「いいね、楽しみだよ!!」
役員や社長たちから拍手されて俺は安堵して頭を下げた。
バスイベントは盛況に終わり、今日はわが社で反省会が行われた。
イベントで配ったチラシや情報を元にバス旅行に申し込む人が増えて、他の会社とコラボ企画も何個か始まった。
このイベントの総合担当者は大変だが、やりがいはある。
華があるから、評価もされやすい。
苦労しただけ、返ってくる仕事であるのは間違いない。
しかし疲労レベルは他の仕事と比較にならない。
「……はあ、疲れた」
役員たちを外で見送り、俺はそのまま食事に出ることにした。
バスイベントがうちの会社では最大級で、このあとは年末に向けて企画を何本か練る必要がある。
田中バスさんがホテルがない場所で泊まる紅葉ツアーをすると言ってたけど、それは素晴らしい強みだと思う。
うちもホテルバスの企画を出してみるか……と思いながら歩いていて……俺は壁に隠れた。
レストランテ平井で飯を食おうと思ったら、中に橘と佐伯が見えた。
マジか。
佐伯は、さっきの反省会で見かけた。終わってその後、橘のところに行ったのか。
橘は仕事で反省会は出て無かったが、そのあと飯を食う約束したのか?
あのふたりは連絡先を交換してるのか?
……やべえ。思ったよりショックだ。
そのままコンビニに行き、適当に買って席に戻った。
みんな反省会のあとで気が楽になり、外食に出ていて企画部には誰もいなかった。
ガランとした部屋でぼんやりと考える。
レストランテ平井は俺と橘が初めて一緒に行った店なので、なんとなく自分の中で特別な店になっていた。
それは橘の中でもそうなんじゃないかと勝手に思っていた。
そんなのありえないんだよな。俺はどこまで思い上がってたんだろう。
口の中におにぎりをねじ込み、仕事を始めた。
仕事なんて無限にあるんだ。今まで手を付けていなかったバス旅行を申し込んだ人たちのデータ化を始めた。
必要な情報が得られるのに面倒で誰も着手してなかった。
今はただただ数字を追い、他のことを考えたくなかった。
終電まで仕事して、ゆっくりと家に帰った。
そして隣の橘のマンション前で足を止める。
部屋を外から見ると、明かりが付いていてまだ起きているのが分かった。
……というか、まだ直してないのかよ。俺は笑ってしまった。
橘は引っ越してきた時かけたカーテンの長さを間違っていて、長さが足りなかった。
橘は「あー……もういいです。ほら、こうして窓際に在庫の段ボールを置けば……これで解決です!」と笑った。
外から見たらカーテンが短いのも段ボールも丸見えだ。
それで女子の部屋なのかよ。
小さく笑って……俺の上着を抱きしめてほほ笑む橘を思い出して、女子だよなあ……と思った。
次の日の朝LINEを確認すると橘から連絡が入っていた。
『おはようございます! 今日は新しく始まるお仕事の打ち合わせに直でいくので一緒に行って頂かなくても大丈夫です』
そして『ひとりでがんばります』というイカのキャラクターが踊るスタンプが送られてきた。
了解、と俺は返してひとりで満員電車に乗った。
今回のイベントで橘の評価が上がり、少し大きな仕事を任されたのは知っていた。
その打ち合わせだろう。それは良かった。同時に心がチクリと痛んだ。
実は橘の新しい仕事、俺が担当するように声をかけられたけど断った。
橘の仕事を単純に応援したい。
イライラするなんて自分勝手で理不尽で、そんな自分に自己嫌悪してしまう。
でもこうして、電車のなかで抱きしめられないことを淋しいと思ってしまうのは、どうしたら良いんだろうな。
仕事を終えて昼過ぎにWEB部署を覗いたが……橘の席はまだ空だった。
朝イチで行って、そこまで時間がかかるのか?
気になって担当を探すと、もう席に座って仕事をしていた。
俺は思わず話しかける。
「おい、橘がいないんだけど、もう打ち合わせは終わったんだよな」
「はい、午前中で終わってます。なんか橘さん、用事があるとかで、急遽今日はお休みにさせてくださいって直帰されました」
「そうか」
急遽休み? リモートワークでもなく? あの真面目な橘が?
嫌な予感がして俺は電話をかけたが……出ない。
おかしい。LINEも送ったが既読にならない。
何があったんだ?
仕事をしながら何度か電話するが……出ない。
そして一時間後に繋がり、俺はスマホ片手に会社の外に出た。
『橘。どうしたんだ、何かあったか』
『えへへ……すいません、えっと……満員電車で財布を無くしてしまいまして。落としたのかと探し回ったんですが無くてですね。結局スラれてたみたいです』
『はあ? お前、大丈夫か。見つかったのか』
『はい、お金がすべて抜かれた状態で駅のトイレに捨てられてたみたいで、それを取りに行ってました。見つかったので今会社に向かってます。いやあ……中央本線を舐めてました。まさかいつも乗ってる電車より混んでるなんて』
朝の中央本線なんて満員電車で有名だろ?! と思うが言葉を飲み込む。
俺が担当だったら朝イチひとりで行かせない。そもそもあの会社駅からめちゃくちゃ遠いから車案件だろ?!
いや……そもそも俺は、わざと担当を断ったんだ。
ただ俺が他の男と仕事している橘をみたくないというガキみたいな理由で。
そんな俺に文句をいう権利など、ひとつもない。
でも違う……本質は、そこにない。
俺は……。
電話がプツンと切れて目の前に橘が立っていた。
「いつも通りの服装で行ったんですけど……五島さん、いつも私と一緒に荷物も守ってくれてたんですね。私なにも分かってなかった。普通に持ってたらいつの間にか財布がなくて。打ち合わせが終わってから気が付きました。いやぁ、疲れました」
その苦笑した顔と、疲れた表情をみて、俺は頭をふった。
「橘、ごめん」
俺はどうしようもなくて、情けなくて、それでいて存在を確かめたくて、橘を引き寄せた。
橘は俺の胸元でビクリとして……それでもいつもの満員電車みたいに身を任せてくれた。
「私がバカだったんです」
「いや、違うんだ。橘。俺、担当を断ったんだ」
「いえいえ。五島さんは他にも色々担当されてて忙しいから、仕事を選ぶのは当然です」
「違うんだ。佐伯と橘が平井にいるのを見てさ、カッときて断った。忙しいからじゃない。ただ個人的に……子どもみたいな理由で断った。それはきっと、橘に必要だと思ってほしかったんだ」
心の奥で「俺がいたほうがいいと思え」と「俺が必要だと気が付け」と思ってたんだ。
だから担当を断った。橘に俺を求めてほしかった。
実際橘がつらい目にあうまで、そんなクソみたいな自分に気が付いてなかった。
だってそんなの俺が嫌っていたメンヘラ女と同じ……待ち合わせ場所にきた俺を影から見ていたのと、同じじゃないか。
ただ私を求めてほしいの、探してほしかったの、と泣かれたのを今も覚えている。
橘は「そう、なんですか?」と俺の胸元で小さく顔をあげて、ぎゅっ……としがみ付いてきた。
「平井は……私も五島さんといく特別な店で躊躇しましたが、秋鹿さんが予約してて、三人でいきました。あ、秋鹿さんは昼から酔いつぶれてましたけど」
「マジか」
「あと……佐伯さんが保城さんに告白されたらしくてですね」
「マジか」
「その相談にのり……あげく、私は五島さんのことを惚気て……平井のシェフさんに笑われてました……」
「なんだよそれ」
さすがに駅前で抱き着いていつまでも話しているのは恥ずかしくなり、建物の陰に橘を引っ張って行った。
でも手は離したくなくて、そのまま手を繋いだ。
橘はモジモジとその手を動かしていたが、俺の意志の強さに諦めて手を繋いだ。
「でも甘えすぎてたのは、本当です」
「いや、もっと俺に甘えろ」
「え……でもそんなワガママは、私……」
「橘には甘えてほしいんだ。言い出せなくて、こんなことをした。言葉にすると本当にガキだな。俺は醜い嫉妬をしてた」
そう言うと橘は「!!」と顔を上げて、キュウ……と手を握ってきた。
「あの……じゃあ、甘えたいんですけど……実は八月の最終週、夏休み取ってて、おばあちゃんと長崎に旅行に行こうと思ってるんですけど……五島さんも一緒に……来てもらえませんか? 福岡から車が良いみたいで……私運転苦手なんです」
「分かった。そこに夏休みを取る。一緒に行こう。てか、ばあちゃんがイヤがらないか?」
「私が、一緒が、良いんです」
「そうか。うん。分かった」
俺たちはなんとなく手を離して歩き始めた。
橘の顔は茹でタコだし……俺もきっと顔が熱かった。
そしてその日は一緒にレストランテ平井に行き「惚気聞いちゃった~~~」とフィナンシェをサービスされた。
悪いが……嬉しくて仕方ない。
橘が言っていたのは本当だったんだな。
俺は本当にバカでガキだと自覚した。
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