第7話 秘密の交換をして
「ばあちゃん、聞いてるのかよ!」
「へーへー。私がわる~~ございましたねえ~~」
俺は帰宅してすぐ、ばあちゃんに何かしたいならまず相談してほしいことを伝えた。
生ビールサーバーだってピンキリだし、入れたいなら何か方法があるかも知れない。
それなのに勝手に決めて発注するのはやめてほしい。
でも何度言っても「へーへー」とふざけた態度だったので、工事代金、今の店の収益、損をする金額、手間、時間、あのまま工事していたらどれだけ大変なことになったのか、俺は資料片手に延々と説教した。
俺だってこんなことしたくないのに、あまりにも話を聞かないからだ!
するとばあちゃんは「もう寝るわ!」と叫んで母屋の方に行き……数分で戻ってきて写真を橘に渡して去って行った。
橘はそれを見て震えながらソファーに丸まった。
はあ?! なんなんだよ!
奪い取って見ると、それは俺が子どもの頃の写真だった。
大好きだったシャボン玉をしていて、ばあちゃんが作ったのか……肩に『シャボン玉王子』というタスキをしている。
恥ずかしいからこういうのは全部捨てろって言ったのに、隠し持っていやがった!!
ったく、話は聞かねーわ、いらねーもの見せるわ……。
「……明日の朝……説教やり直しだな……」
「すいません、あの、笑ってしまった私が悪いんです!!」
「ばあちゃん、俺がいない間に他にも何か見せてるんじゃねーのか……?」
「いえいえいえ、あのあのあの」
橘はワタワタとスマホを取り出して、俺に画面を見せた。
「じゃあ、あの、えっと! 私、最大の秘密と交換でどうですか?! 私のサークル名は『シルク・ドゥ・任俠』です!!」
そう言って橘はスマホを取り出して、俺の目の前に写真を見せた。
それはたぶんサークルの申込書類なのだが、大きく『シルク・ドゥ・任俠』と書いてあった。
シルク・ドゥ・任俠……? あの舞台の衣装を着て銃を持ったおっさんたちが宙に浮いているのを想像してしまって混乱する。
橘は顔を真っ赤にして口を開く。
「なぜこんな名まえにしてしまったのか、全くわかりません!!」
「……いや、うん。そうだな、どうしてそんな意味不明な名まえなんだ」
「もう変えても『ああ、シルク・ドゥ・任俠さん』って言われるんで、変えるのも諦めました!! 私はシルク・ドゥ・任俠のだるまです!!」
そんなことを申告してくる橘が面白すぎて俺はオデコを揉んだ。
冷静になると、なぜこんな暴露大会になってしまったのだ。
ばあちゃんが全然話を聞かないからカッとなってしまった。俺は言葉を探す。
「いや、ばあちゃんと仲良くしてくれるのはうれしいんだ。ばあちゃんと橘の気が合うから家に呼んだんだし。でもまあ……」
「すいませんでした!」
橘が頭を下げる。
いや、そこまで怒ってるわけではなく……、
「恥ずかしいんだ。こう……そういうキャラじゃないだろう、俺は」
「もちろんそうだから笑ってしまうんですけど、でもシャボン玉は私も大好きです。今、百倍壊れにくいシャボン玉液とか売ってるんですよ。銃みたいに押すとものすごい量が出てくるのもあって! お店に仕入れたら面白いと思います。あっ……でも五島さんをバカにするかではなく、あー……」
iPadでシャボン玉液を見せたり、それを戻したり、隠したりしながらワタワタする橘を見て、俺は口元がにやけてしまうのが止められなかった。
表情七色変化かよ。
会社では借りてきた猫みたいにスン……としてるのに、家ではくるくると表情を変えて別人のようだ。
まあ家にばあちゃんと橘ふたりにしていたら、ある程度は覚悟していた。
俺も落ち着いてきて、ソファーに座った。
「今もシャボン玉は好きだぞ。きれいでいいじゃないか。なにしろたくさん出てくるのが楽しい」
「!! わかります。じゃあこの銃型のを仕入れましょう。なんと見てください!! 銃の形のシャボン玉作るやつ、二十種類もあるんです」
「どんだけ銃が好きなんだよ」
「それは否定しませんけど。子どもはみんな銃が好きですからね。店の前でみんなが遊んでくれたら楽しくないですか?」
安心したのか、橘はやっとポンと花が咲くようにほほ笑んだ。
俺は小学生の時に学校から帰ってきて、この店の前でアイスを食べるのが何より好きだったのを思い出した。
今はアイスもまともに仕入れてないが、ちゃんと仕入れて、またあんな景色をまた見られるなら良いと思う。
俺は机の上を軽く片付けながら口を開いた。
「……今日の仕事はここまでにしよう。飯は今から作るから……先にティラミス食うか。昨日作った」
「えっ、ティラミスって作れるんですか」
そう言って橘は無邪気に目を輝かせた。
「簡単だぞ。昨日作って置いたから今日が食べごろだ」
「食べたいです」
秘密を暴露されたのは俺なのに、なんだかイジメてしまった気がして、俺は冷蔵庫からティラミスとコーヒーを持ってきた。
マスカルポーネさえ買ってくれば層にするだけで出来上がるから、簡単だし、旨い。
コーヒーと一緒に持ってきたら、橘は口元をもにょもにょさせながら喜んで食べた。
「めちゃくちゃ美味しいです。五島さんって料理上手ですよね、すごいです」
「これは本当に趣味だな。旨い飯屋に行くと何が入っているのか気になってメモしてしまう。あの会社の裏にある……」
「レストランテ平井ですか?」
「そうだ。あそこのパスタは突然フルーツが入ってくるだろ。でも旨い。いつも参考にしている」
「あーー、でもあのお店、一番安いランチで千五百円じゃないですか。食べたいですけどランチに千五百円出せる富豪が集う場所ですよ……」
「じゃあ今度俺と行こう。奢ってやる」
「?!」
そう言ったら橘が口にスプーンを入れたまま俺の方を見て固まった。
ん? 何か変なことを言ったか?
橘は口元をもぞもぞさせてスプーンを取り出した。
「あの、会社でもそんな、普通の恋人、みたいに、こう、ランチとか、ご一緒しても良いのでしょか。私あの、戦略的恋人という枠で、つまり嘘なので、言葉だけで、会社では……と思っていたんですけど」
「!! そうか、いや、ごめん。調子に乗っていた」
そうだ。本当に付き合ってるわけじゃないから、橘は俺と会社でも一緒に飯を食うなんてイヤだよな。
家に馴染み始めていて、調子に乗っていたようだ。
急に恥ずかしくなってきた。
橘はワタワタと話し始めた。
「あのでも! 彼女と言われているのに一緒に行動しないのは変ですよね。いいえ、あの平井のランチを奢って頂けるなら、うれしいです。自腹では食べられないですから!!」
「……いや、気を使うな、橘」
「あの、違うんです。五島さんは甘えられるのが好きじゃないって言ってたのもあり……そうなのかなって。でも会社でああ言って下さったの、本当に助かったし、あの、全然、イヤじゃないし……守って頂けて、うれしかったんです」
「……そうか」
確かに甘えられるのは苦手だが、橘はむしろ真逆だ。ふり向いたら黙って沼地にハマってるタイプ。
そのまま無言で沈んで消えるまで何も言わない。
だから思わず誘ってしまったが、自分で地雷を踏んでそこに埋まっていたら、ニコニコと笑いかけられたような……なんだこの気持ちは。
どういう顔をしたらいいのか分からない。
橘はにっこりとほほ笑み、
「それに、五島さんの彼女ということで、今まで頼まれていた朝の掃除とか、ゴミ出しとか、缶洗いとか、シンクの掃除とか、トイレ掃除とか、会議のお茶出しとか頼まれなくなったので、仕事に集中できるようになりました」
「はあ? お前、それ、一年目の新人がする仕事だろ?! どうして四年目のお前がやってるんだ」
「誰もやらなくて……頼まれて……」
小さな声で自信なさそうに呟く橘を見ていたら、完全に仕事スイッチが入ったのが自分でも分かった。
「あのな、橘。朝の掃除は上の人の机をチェックして次の仕事を確認できるし、会議のお茶出しは他社への新人紹介の一部も兼ねてるんだ。新人にやらせる意味がある仕事も多いから、頼まれて断れないから……という視点だけでは抜けるものもあるんだぞ」
「そうなんですか」
「俺は会議に新人がお茶を持ってくると毎回紹介している。そういうものだ」
「そうなんですか……断れなくて……みんな嫌がるし」
「もう頼まれなくなったんだろ。役に立つな、戦略的彼女は」
「そうですね!」
そう言って橘は笑った。
俺は食べ終えた食器を片付けながら思う。
うれしかったのか。……良かった。
それに橘は他に何を押し付けられてるんだ。
ったく気が弱すぎるだろ! 明日向田さんに聞こう。
その後作ったイカフライを「んんん最高に美味しいですーー!」と食べている橘を見ながら俺は思った。
しかしシルク・ドゥ・任俠……。思い出してクスッと笑うと、橘が睨んでいた。
だってお前、なんだよそれ。
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