第26話 変わりたい理由


 彩花を見つけた俺は彩花の隣に腰を下ろして、目の前に流れる川を眺めていた。彩花も同じようにして川を眺めていた。しばらくの間、俺達は無言でいた。


「……何も聞かないの?」


「聞いて欲しいのか?」


「分かんない……聞いて欲しいのかもしれないし、聞かないで欲しいのかもしれない」


「そうか」


 そしてまた、しばらくの無言の時間が続く。こんな時になんだが、この時間が心地よく思えてしまう。静かな川辺で川の流れを見守る。それだけで穏やかな気持ちになれてしまうのは自然の力なのだろうか? 彩花がここを訪れた理由も何となく分かる気がした。


「私ね、テストの順位が2位だった」


「見たよ。すごいな」


「ううん……全然だよ……」


「それなら、2位以下の生徒はみんなダメダメだな」


「……いじわる」


「そう思うなら自分を過小評価しすぎないことだな」


 俺がそう言うと、彩花はバツが悪そうに目を伏せて再び膝の中に顔を埋もれさせてしまう。つい説教じみた言い方になってしまったが俺は別に彩花を説教したいわけではない。する意味も理由もないしな。じゃあ、何がしたいのか? それは俺にも分からない。だからこうして何もせずに彩花の隣にいる。それが今の俺にできる最善のような気がするから。


「悠くんはさ……変わりたいと思ったことはある?」


「変わりたい?」


「うん……こういう人になりたいとか」


「無いな。俺は今の俺に満足してるし」


「……すごいね」


「何もすごくなんかないさ。人と関わるのは避けるし、面倒事からは逃げようとするし、基本的にはやる気もないしな。ただのロクでなしだ」


「……それならどうして、変わりたいと思わないの?」


「自分でそれを望んだから」


 人と関わることを避けて1人でいる時間を増やしたいのも、面倒事から逃げて見て見ぬふりをして楽をしたいのも、基本的にやる気を出さないでのんびりとしているのも全て自分で決めてそうしている。過程や理由は存在しない。ただ俺がそうしたいからそうしている。ロクでなしのエゴイスト。それが今の俺だ。


「悠くんは強いんだね……」


「いや、逆だよ。俺は弱いから自己肯定をしていくしかないんだ」


「私にはそれすらできないよ……」


「だから、変わりたいのか? 自分で自分を認めるために」


「……私は出来損ないだから」


「彩花が出来損ないなら俺はどうなるんだよ」


 彩花は誰がどう見ても出来損ないとは言わないだろう。容姿も優れていて、勉強もできる。運動神経も決して悪くは無い。才色兼備といっても過言ではないくらいには優秀であるはずだ。そんな彩花が出来損ないなら世の中の大半の人間は出来損ない以下になってしまう。


「私ね……ずっとお姉ちゃんみたいになりたかったの……」


「菜奈さんみたいに?」


「うん。お姉ちゃんは昔から何でもできたから。頭も良かったし、運動神経も良かった。テストだと常に学年1位だったし、中学生の頃は陸上部で表彰もされてたの」


「あの菜奈さんが……?」


「うん。普段は少し残念なところもあるけどお姉ちゃんは本当にすごいの」


 彩花は少し残念というが、あれが少しなのかは甚だ疑問であるが大事なのはそこではない。あぁ見えて菜奈さんは優秀であった……らしい。俺は菜奈さんのそういった一面をまだ知らないが妹の彩花が言うのだから間違いないのだろう。そして、彩花はそんな菜奈さんに憧れていた。だが、それが何だというのだろうか?


「菜奈さんに比べて自分は出来損ないってことか?」


「……うん」


「常に学年1位に取ってる方が俺からしたら異常だと思うけどな」


「お前もあの人の妹なんだから……私がどれだけ頑張っても褒めてもらえなかった。1番になれなかったら馬鹿にされた」


「……」


「誰も私を見てくれなかった。いつも私はお姉ちゃんの妹。だから……私は変わりたかった。高校生になってからは、お姉ちゃんを越えようって。お姉ちゃんが学年1位を取り続けるのなら私もそうしよう。お姉ちゃんが生徒会長になって学校を改善するなら、私はそれよりもすごいことをしようって……でも、ダメだった……」


「……」


「馬鹿みたいでしょ……?」


 そう言ってこちらを見てくる彩花の顔は笑おうとしているのに笑えていない歪な顔であった。これが彩花の抱えていたもの。俺にはその重圧やどれだけ辛いことだったのかなんていうのはこれっぽっちも分からなかった。だから俺は、俺が分かることを彩花に伝えようと思う。


「そうだな。彩花は馬鹿だな」

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