第38話:対峙:逃げるな危険!

前夜祭。

体育館ステージで、セット、衣装、音響機材をすべて持ち込んでゲネプロを行なった。

体育館は演劇部が貸し切った。

ステージに少ない部員が集中する。

もう11人。

ずいぶん減ったな……。

水谷派の3年と中立派の1・2年だけだ。

しかし、生き残った連中だけに、結束力と言うか、連帯感は熱く固い。

戦友。

ヘラヘラして動いている奴は一人もいない。

一つの熱の塊という感じに、俯瞰ふかんして見える。

いつの間にかは暮れている。

白い息が瞬間だけ顔面をよぎる。

太陽のしずく

濃いオレンジ色の体育館照明の光が、優しいシャワーのようにぐに降り注いでいる。

人工的に磨かれた体育館の床材に照明の玉がいくつも浮かんでいる。

人工の光によってできる影は、どこか懐かしくわびしい。

音が分厚ぶあつい。

ドアを閉め切って集中して稽古けいこしている。

役者の生声なまごえが、マイクも無いのに、エコーが掛かったように「じーん」「わーん」と響く。

柔らかく温かいが、速くカチッと低音が引き締まって重い。

ちたての鉄のようだ。

肉体がつやを帯びてしなる。

振りが大きくてキレがいい。

衣装のこすれる音。

吐息の木霊こだま

靴がキュッキュッと鳴り、筋肉が緊張する。

ステージの床板ゆかいたがミシミシとうねりを上げる。

誰も無駄口をたたかない。

水谷の目は、役者に喰らい付いて離れない。

本番と同じ通し稽古だ。誰にも止められない。

声を出すと、キュンキュンと四方に音が反射して、

やがては鼓膜こまくを包み込み、

ブルブルブルッと頭を震わせる。

ワックスと脱臭剤のにおいがメンソールタバコのようにツンッと鼻をかすめ、逆に身を引き締めてくれる。

みんな、いい顔してる。

浅倉よりよっぽど男前だよ。

ふと、こうばしい匂いが鼻に迷い込んできた。

料理部の特製カレーだ。

前夜祭は必ず全校でこれを頬張ほおばる。

醤油と唐辛子を隠し味にした伝統のカレー。

舌触したざわりのいい、のどをつるんとすべっていく、ピリッとアクセントのある、あの味。

この匂いがすると「今年も始まるッ」と胸がワクワクする。

部員の一人を見た。

思わずニヤリと目が合った。

やっとここまで来たんだ。

私は、ちょっぴり目頭めがしらが熱くなった。

しかし、その余韻は、突然の破裂音はれつおんによってき消された。

幾数いくすうのボーリング玉がゴロゴロと地鳴りを上げて転がるように、

遠方のドアが、芝居のリズムを乱そうとするように強気にたてて開いた。

西野だ。

八坂と3人組を連れて、背中を丸め入って来た。

手をジャケットのポケットに不機嫌そうに入れている。

ジャケットのすそが、突っ込んだ手で斜め下にビーンと伸びている。

伸び切った具合が、ヤクザの冷やかしのように、世の中をおちょくっているような仕種しぐさに仕立て上げている。

のろのろと泳ぐ浮遊感と、キッカケがあれば瞬時にちょっかい出してやろうという緊張感、両方、同時にはらむ。

スタスタと上履きを、威嚇いかくするように鳴らして近付いてくる。

スタッフの手が一瞬止まる。

でも、役者は止まれない。

水谷は振り向こうともしない。


空気が木霊こだましない。


みんな、息をしていない。

指の第一関節だけが、ピクピクッと痙攣けいれんするように反応している。

芝居は続く。

ゲネプロの規則だ。

西野は近くまで来て、胸クソ悪そうにあごをしゃくらせて舞台を見ている。

ツッコミ所を探しているのか。

何も言わない。

隣で八坂が腹をかした狐のような上目遣いで2年のヒロインをにらんでいる。

みんなは心を硬直こうちょくさせて定められたレールの上を走る。

でも、目だけは、とらわれた二十日鼠のようにウロウロさせている。

何が言いたい、西野。

急に顎がクネクネしゃくれた。

キョロキョロ何かを探している。

何か仕掛けたいんだ。

西野が見まわす。

一つ一つ物色している。

そして、あるところでクッと視線が止まった。

しゃくれが収まる。

黙って動かない。

捕らえたッ。

誰だ?。

上目使いで挑発的に口を開いた。


「水谷さんってさあ、辞めたんじゃなかったけえ」


やっぱり土壇場は水谷だった。

芝居が初めて止まる。

水谷は、振り向いて西野を見る。

しかし、挑発には決して乗らない。

黙って受けるだけ。

浅倉がオロオロして目を泳がせている。

舞台が青ざめてつばを飲み込む。

ビビって私を見る浅倉。

分かってるよ。そんな顔で見んな。このまま好きにさせるかよ!。

「私が戻させたんだよ」

 みんなの視線が矢のように私の顔に飛び込んで来た。

「あんた、いつからそんなにエラくなったの」

 西野がおどす笑いで私に言った。

「私のシーンは水谷さんが演出しないとできないからね。あのシーンは浅倉くんの一番の見せ場だよ。それに、私にギター弾いてりゃいいって言ったのはあんただよ」

 私はにらんだ。

 はなっからケンカする覚悟だ。

 でも、腹の下がわなわな言ってチビりそうになっている。

 西野は睨む。

 周りは、一発始まるんじゃないか、とピリピリして見ている。

 私は目をらさない。

 逸らしちゃ負けだ。

「……」

 やってもいいぜ。

 西野は黙る。

 みんなが西野の打つ手を待つ。

「……」

 ここまで来て引き下がれるかよ。

 西野は、何か話さなければならない。

 飛び掛かってくるのか?。

「……」

 みんなが見る。

 八坂も3人組も見る。

 私も最後の沈黙。

 追いつめたか……?。

 どうだ……?。

 くるなら来いッ。西野……。

「いこっ」

西野は、苦しまぎれの強がりで何かに当たるようにカラを吹かして言った。

体育館が溜息を落とす。

その波紋が四方に木霊した。

西野は、来た時と同じように上履きを鳴らして帰っていった。

浅倉は、申し訳なさそうに上目使いで私を見た。

水谷は、口を真一文字まいちもんじにして歯を食いしばっている。

取りあえず一件落着か……。

ゲネプロは、この中断だけで無事最後までやり遂げた。

最後に、みんなで明日の成功を誓って解散した。

そして、そろって食堂へピョンピョンねていった。

みんな、喜んでカレーを食べていた。

でも、私の舌にはる光景がこびり付いて離れなかった。

3人組……、帰り際、私を睨んでいたな……。

私はカレーをき込んだ。

去年ののぼせた味はしなかった。

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