第25話:サシ飲み:水谷のぶっちゃけ

丸い背中に胡座あぐら

一人薄い明かりの中。

ゆれる肩。

泣いてんの?。

こわごわ近付く。

パスパスと私の靴音がぎこちなく夜の部室に響く。

そっと気をつかう素振そぶりでのぞき込んだ。

缶ビール。

すでにごきげん。

頬骨ほおぼねの肉球が桃色の蹴鞠けまりみたい。

水谷……。

「どうしたの?」

「宿直室からガメてきた。数学の前田先生が隠してるの知ってたんだ。隠してるからられても何も言えないの」

 水谷がケラケラ笑った。

 急に嬉しくなった。

「私もいい?」

「いいよ」

 水谷の飲みさしを一口頂いた。

 炭酸で胃がキューッと縮こまり、たちまち顔がぱんぱんにふくれ上がる。

 顔をくしゃくしゃにしていると、それを見て水谷が笑う。

 私も笑う。

 温かく声が響く。

「あー疲れたッ」

 と言って、水谷は、ぺたんと横になり、頬杖ほおづえをついて目をトロンとさせた。

「一人エッチしたい」

 ええッ?。一番言いそうにない人から一番言いそうにない言葉。

 目の玉が半分飛び出す。

「するの……?」

「ときどき」

 水谷は、私にじゃれつくようにケラケラしている。

「そっちは?」

 軽ーく聞いてくれるな。これって乗り掛かった船?。

「私もときどき」

 うわッ、言っちゃった。自分でも恥ずかしい……。

「ウフフッ」

 と水谷はつやっぽく笑って、私にふんわり微笑みかけている。

 乗って良かった。

 私も、お腹から笑えた。

 部室にじーんと木霊こだまする。

「たいへん……、部長……?」

 何となく聞いてみた。

 でも、核心を突きたいという気持ちはどこかにある。

「へへ、まあね……」

 水谷は愛想笑あいそわらいを浮かべて言う。

「どうして演出なんか……?」

 少し低く聞いた。

「部長が演出するのが昔からの決まりなの」

 厳しい現実をさらりと言うな。いじらしい……。

「でも、貧乏くじ……」

 なぐさめじゃない。ほんとのことだもん……。

「ハハ、きついな……」

 水谷は、冗談とも深刻ともつかないような笑みを浮かべた。

「役者にはなれないの?」

「何の役?」

「ヒロイン」

「まさか……」

 水谷は、鼻でく。

 でも、私は真面目に迫った。

「水谷さんと浅倉くんって合ってると思う。呼吸なんか見てて……」

「そっちのギターのシーンもいいよ」

 ヘヘヘと水谷は照れ臭そうに笑う。

 でも、ここは真面目だよ……。

「八坂さんなんか……」

 とうとう私は口に出す。

「大胆だな」

 水谷の目が少し座った。

「……」

 西野たちの話をしないのが暗黙の了解だ。

 でも、今、話さなきゃ、もう話す機会はないと直観ちょっかんする。

「このままじゃ文化祭までもたないよ。西野さんたち、文化祭成功させようなんて思ってないんだから。早くめさせ……」

「よっとッ」

 水谷はスクッと起き上がって、私の言葉をさえぎった。

「そこまで。それはここだけの話」

 水谷は、首だけ私に振り向かせた。

 そして、すべてを悟ったように、いたずらっぽくニコッと微笑んだ。

 また救われた……。

  私は、何だか恥ずかしくなって、ゴロンと寝転がる。

 広く深い天井。

 ずっと眺めると迫って来る。

 ふわりと身体が浮いた。

 ここで、今、部活動やってるんだなあ……。

 やさしくなれる。

「入れてくれてありがとう。私、どこ行ってもダメだったから……。バンドなんて三つも潰してるし……。他人と上手く合わせられない」

 水谷は黙って聞いてくれる。

 そばにいてくれるだけで何だか身体をあずけているような柔らかい気持ちになる。

 あずける私……。

 すると、しばらくして、黙っていた水谷が、しんみり言葉をよこした。

「私も、今回の件は限界を感じた。確かに、集団としてやっていくんなら、西野さんたちを、逆に利用できる力を持たなくちゃだめだ。そんなの私にはかなわない」

「……」

「これが劇団で、私が代表ならね……。でも、これ、部活動なんだよね。悲しいけど……」

 水谷もゴロンと寝転がった。

 二人でしばらく天井を眺めた。

 アルコールが鼻に上がった。

 フワッと睡眠薬が効いたような心地よさが全身をひたした。

 身体がクニャッとなる。

 静かだ。

「浅倉くんのこと、好きなの……?」

「………………………………………」

 水谷が固まったように思えた。

 天井の防音壁の毛虫のような模様。

 目をらせば「うじゃうじゃ」、ぼーっとさせれば「ザーザー」。

 二人、黙って見つめる。

「どうして?」

 水谷が、不意をかれたことを認めたくないように重く聞き返す。

「何となく」

「………………………………………………」

 黙る水谷……。

 私はいつまでも待とうと思った。

 待って聞くべきものだと思った。

「そうねえ……」

 私はゴクリとつばを飲む。ちょっと響いたかもしれない。

「そっちは誰が好きなの?」

 やっぱりそう来たか。

〝好きな男だれ?〟と聞いた時点でこの返しは予測できていた。

「石堂くん」

 私はストレートに言った。

 ここは犠牲を払ってでも水谷の本心を知りたかった。

「そっか……」

 水谷は、そうこぼすと、また黙ってしまった。

 しばらく沈黙が続く。

 チラッと横目で見ると、何だか思いめたような顔をしている。

 私はバレないように、また視線を戻して待った。

 すると、水谷が、観念したのか、

 尋問じんもんの自白のような口調でつぶやいた。

「そう……、私は、浅倉くんのことが好き。だから部活を辞めないんだ」

 やっぱり……。急にドキドキしてきた。

「演出しながら浅倉くんの手を触ったり、衣装着せたり、息を合わせたりするのが幸せ」

 水谷は、何だか、安心したようなしっとりとした目をしていた。

 私は、長いあいだのどつかえていた岩がモコッとはずれたような気がした。

「ありがと……」

 なぜだか礼を言った。

 言いたかった。

 水谷は、クスクスッと優しげに北叟笑ほくそんでいた。

 その笑顔を見て、私は、やっぱり聞いて良かったと、うれしくホッとした。

「でも、あいつ、見た目と違って……」

「ううん、違うの。私、ダメ男に弱いの、昔から。今回はたまたま男前だっただけ、キャハハハハハハハー」

 水谷は、初めて少女らしく満足げに自分を笑った。

 水谷の腹の底からの笑顔を見るのは初めてだった。

 私も大いに笑わせてもらった。

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