第5話
あるところに、怪物がいてね。
それは名前のない、名称もない、もちろん学名なんてのも存在しない、誰にも名前を呼ばれたことのない生き物がいたんだ。
別に容姿が必ずしも恐ろしいってわけじゃあないんだよ。
可愛らしいかもしれないし、美しいかもしれないし、怖いかもしれないし、醜いかもしれないし、特にこれといった印象を抱かないかもしれない。
それはもちろん当然だよ。
だって、その生き物は自分の姿を持たなかったのだから。
生き物は、この世界に生きている他の生き物を真似して、姿を変えることで存在し続けていた。
つまり、化けているってことだ。
化けると言っても、狐とか狸が化かすというような曖昧な話じゃなくて、きっちりそれ自体になってしまうということなんだよね。
それがこの生き物の恐ろしいところで、もう本物みたいに完全に擬態しちゃうんだ。
ホントびっくりだよね。驚いちゃうよね。
でも、そんな生き物は普通、存在しない。
だって、名前を名乗ることすら許されない生き物は、存在していないに等しいからね。
でも、その生き物はたしかにそこにいるんだよ。
それってもの凄い矛盾だと思わないかい?
だから、その矛盾を抱えた生き物は怪物なのさ。
別に、難しい話じゃない。
これはこの生き物が現れた時点で、怪物になることは必然だったんだ。
でも、この怪物たちは姿を持たなかったわけだから、何かであり続けなければならない。
ある者は鹿に。ある者は熊に。ある者は鷲に。ある者は鮭に。ある者は猿に。ある者は
形を保てないから、何にだって姿を変える。
それは仕方のないことのように思える。
皆、そう思っていたし、それを受け入れていたから、様々な生き物の――存在の生態系の中に潜り込んでいった。
だけどね、ここである問題が発生したんだ。
なんだと思う? とても簡単な話さ。
怪物たちはそれぞれがそれぞれに変化した生き物になりきってしまったんだ。
成り代わってしまったと言ってもいい。
とにかく、自分はその生き物であると思い込んでしまったんだ。
え、それがどんな問題があるかって?
大問題さ。これは怪物たちにとって、いや、どんな生き物にとっても、存在している者にとってはこれ以上に大きな問題はない。
怪物たちは、自分が他の生き物に成り代わってしまったことで、自分が何者であるかを忘れてしまった。
忘れてしまったんだよ?
ただでさえ存在があやふやで、自分たちでしか存在を確認できなかった生き物が、自分を忘れてしまったんだ。
それが何を意味するのか。
それはもちろん、『破滅』だよ。
自分を忘れてしまった怪物は、途端に泡となって消えてしまった。
あっという間さ。
どれだけ姿が大きかろうと、小さかろうと、関係ない。
結局、見た目なんかよりも存在の強度の方がずっと重要だったってことなんだよね。
とにかく、怪物たちはあっという間に数を減らしていった。
よくよく考えれば、元々の数がどのくらいだったのかは分からないから、自分たちの数がどのくらい減ったのかは分からないのだけれど、それでもちゃんと危機感を覚えるほどの量の怪物が消えたのだろうね。
不幸中の幸いってやつだよ。
まさかこんなあっけなく存在がなくなってしまうような生き物でも、こうやって存命を図るために危機感を感じれるなんて、まったく酷い話だよね。
自分が消えることにすら気づかずに消えてしまえたらどんなによいだろうか。
――まあ、それは存在しているからこそ言える、贅沢なナヤミなのかもしれないけどね。
とにかく、怪物たちは存在することを選んだ。
自分たちが何者であるかも分からなかったから、とにかくなんでもいい、存在するために必要なことをした。
たとえば、自分たちのことを『存在しない怪物』とか『名無しの生き物』とか、存在しないと言うことに対して差別化して、無理矢理に存在しようとした。
一つの場所に集まって、互いに存在していることを証明し合った。
『存在しない怪物』が『存在している』という事実を作ろうとしたんだ。
結果的に、それはうまくいった。
怪物たちが消滅することはなくなり、辛うじて『怪物』としてのポジションを手に入れたんだ。
相変わらず名前はないし、未だになんで存在しているのかは分からないけれど、生き物として、生物として、たしかにそこにいるんだ。
でも、ある時、また事件が起こった。
んー、あれはいつの頃だったかな。
もう記憶にないんだよね。だって、自分が存在していないのに、同じくらい存在しているのかわからない『時間』を把握することって難しいと思うんだ。
まあ、とにかく、ある時に事件が起こったんだ。
それは一人の旅人がきっかけだった。
特にこれと言って印象の強い旅人ではなかったけど、小さな人間だったよ。
そいつは、この森を抜けるためにここを訪れたと言った。
そうそう、ちょうどさっきのキミみたいな感じだね。
その時、そいつに話しかけたのは、鹿の姿をした『怪物』だった。
怪物は、旅人に道案内をした。道案内といっても、案内をするまでもなく、普通に歩けば森を抜けられるようにはなっていたのだけれど。
それでも怪物は道案内をしたんだ。
特に意味はなかったと思う。
ただ、この森に住むというのは中々ヒマだからね。
外からの旅人が珍しかったのだろう。
でも、それがいけなかった。
沢山の怪物が消滅してしまったことを第一の悲劇とするならば、この出来事は第二の悲劇の始まりだったんだ。
旅人に出会った怪物は、愚かなことに魅せられてしまったんだ。
外の世界を生きる旅人という存在に、惹かれてしまったのだよ。
自分たちの居場所が、こんなに何にもないところだから、物に溢れている、出来事に溢れている外界に焦がれてしまったのかもしれない。旅人みたいに不安定でも、たしかに『存在している』ということに惹かれてしまったのかもしれない。
とにかく、そうなった後は簡単だった。
怪物は旅人と一緒に森を出て行ったよ。
もちろん、二度と帰ってこなかった。
それからというもの、悲劇は連鎖的に起こった。
旅人じゃなくても、この森を訪れた者について行こうとする怪物が増えた。中には、物珍しさに無理矢理連れて行かれてしまう怪物もいた。
怪物を騙すのは簡単だからね。それほどに不安定なんだよ。
奪い去ったあと、どうなったかは知らないけどね。
その結果、怪物たちはとうとう本当に数が少なくなった。
今まではいくらいるのかも分からなかった――存在していないからね――でも今は、なんとなくだけど数えられてしまうぐらいの量になってしまっている。
これは大いなる変化だ。
生物が、絶滅という形に追いやられる瞬間を垣間見るようだったよ。
ほら、希少種の鳥とか、魚なんかが絶滅しそうになると、認識できる程度に、世界にあと何匹しかいないと分かるようになるだろう? 普段は全世界にどれくらい数がいるかなんて分かりもしないのに。それとおんなじような感覚だよ。
そういうわけで、それだけ少数になった――絶滅危惧種となってしまった怪物たちは、再び対策を取ることにした。
絶滅危惧種だからといって、誰かが保護してくれるわけでもない。
だって、怪物たちのことを誰も認識できないし、そもそも自分たちで勝手に消えていったみたいなもんだからね。訴えようがないってもんだよ。
自業自得さ。悲しいけどね。
この『第二の悲劇』を終わらせるためには、怪物が外界の者と接触しなければいいという話になった。それが決まれば簡単な話だったよ。
まず、この森を外界と遮断するために、結界を張ったんだ。
どうやったかというと、自分たちの姿を変える力を応用して、森の外側から内側には入れないようにしたんだ。
まったく、皮肉な話ではあるよ。自分たちが忌み嫌っている力で、自分たちの存在を守っているんだからね。
と、いうわけでさ。
この森には誰にも入ることができなくなった。
お陰で、誑かされて自ら消滅しにいく怪物もいない。
力は弱いけれど、互いに互いを認識し合うことで、怪物たちの存在は保たれる。
かつてないほどに最良の状況になったんだ。
おしまいおしまい。
これでこの物語は終わりだ。
もうこれ以上話すことはないよ。
ご清聴ありがとう。
あっ、あとひとつ忘れてたことがあった。
こんなにしゃべっていたのに、自己紹介をしていなかったね。
名前はないけど、知ってのとおり僕は『怪物』の一員さ。
そして、たまーに外界からこの森へ紛れ込んでくる者を、どうにかして怪物たちにとって害のない存在にする役目があったりするんだ。
害っていうのは、言うまでもないよね?
邪魔であれば駆除。邪魔でなくても、放っておくわけにはいかないんだ。
それで、もう一度聞くんだけどさ。
「キミはどうしてこの森に訪れたんだ?」
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