協力者


 教室に入ると,浮ついた顔でにょろにょろした男が身体をくねくねさせながら近づいてきた。どこまでも気持ち悪い奴だ。しかも,よく見ると上唇の右の鼻によったところにほくろがついている。その黒点が一層スケベで締まりのない印象を強くしていた。


「よお,種掛くん。昨日も種付けはできたのかい? いや,お前みたいなやつにそんな相手はいないか。名前負けしていて情けなくならないかい?」

「朝から気持ち悪いな。卑猥なのは顔だけにしとけよ。どうして口から出てくる言葉まで吐き気がするほど汚らしいんだ」


 ぷっ,と近くにいた男が噴き出した。人前で小ばかにしたような態度を取ってあおる魂胆だったのだろうが,虐げられ,笑われるとは思っていなかったらしく顔が分かりやすく紅潮した。


「てめえ,調子に乗ってると痛い目見せるぞ!」

「この前みたいにか? いや,あの時痛い目を見たのはお前だったか。おっと,それ以上近づかないでくれ。汚物に近づきたくない気持ちは分かるだろ? 口も臭いしさ」


 さっき噴き出した男は今度は腹を抱えて笑い出した。宮坂は鼻の穴を大きくして「高西,何を笑ってやがる!」とすごんだが,相良が隣にいない宮坂なんて,虎がいない狐のようなものなのだろう。「悪い悪い」と言って反省したそぶりも見せずに高西は向こうの方へと行った。

 いらいらの収まらない様子の宮坂は,ふと不気味な笑みを浮かべてこちらを見て,今度は教室の真ん中に向かって声を張り上げた。


「そう言えば,種を掛けるという字を書いて種掛さんのところのダイスケベ君は,生徒会長に立候補するんだって? 公約は学校内の女の子にちょめちょめしてハーレム状態を作ることですか~?」


 間抜けな声が教室に響いた。けらけら笑う声と,「あいつが生徒会長?」と疑わしそうにこそこそ話す声が混じりあった。

 くそみたいな集団だな,と嫌気がさした。相手にするのもあほらしいが,今後のためにも自分の立ち位置を示しておく必要がある。


「そうだよ。生徒会長になるんだよ。おれも聞いたぜ。金魚の糞みたいに誰かにくっついていないと何にもできない男が生徒会長に立候補するって。一皮向けようとするんだから立派だよ。これでお前が金魚の糞か,水の中をにょろにょろしているチンアナゴが証明されるわけだな。あ,もし本当に立候補するんなら,人前に立つわけだからそんなにょろにょろするのはやめておいた方がいいぞ。見ていて弱そうだし」


 教室中が静まり返った。喋りすぎたか。短く話して殴り掛かる,そんなことしかしていなかったから手を出さないという制約があるだけでこんなにやりづらいとは。まあいい。言いたいことは言った。鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をしている宮坂をぎゃふんと言わせるのはもう少し後でもいい。


 そんな風に思っていたところで,少し間をおいて教室がどっと沸きあがった。


「確かに,あいついつも偉そうなのになよなよした歩き方してるよな」

「相良くんが仲間だからって,なに威張ってんだよな」

「よく言ったよ種掛。てかあいつ変わりすぎじゃね?」

「チンアナゴだって。うける。確かに,そんな見た目してるよな」


 しんとした湖に波紋が広がるように,嘲笑の波が次の波を生んだ。宮坂のあだ名がチンアナゴとして浸透するのに時間はかからなかった。

 「何を」と涙目で教室を見回す宮坂の見方をするものはいなかった。教室の後ろの方では,いつの間に登校したのか,壁にもたれかかった相良が見下すような目で宮坂を見て笑みを浮かべていた。




 久しぶりに気持ちのいい時間を過ごしたと思ったものの,頭を悩ませる問題が変わらずあり続けていた。演説の原稿をどうしようか,実際の選挙はどうしているのかと思考をめぐらすものの,たいして中身のない話を交差点でスピーカーを使って騒音を発している姿しか思い浮かばなかった。

 半ば投げやりになったところへ,思いがけない話が転がり込んできた。


「種掛くん,すっごくかっこよかった。ちょっと言葉は怖かったけど,私,すっきりしちゃった」


 ショートカットの髪の毛を揺らしながら話しかけてきた女の胸元には,常友と印刷されていた。こいつにも話しかけてくる人間がいるんだな,と思うと少しだけ嬉しくなった。自分の身体でもないのに,大介のことを思って喜ぶなんて,俺も変わったな。

 そんな思いとは裏腹に,ついきつい言葉を口にしてしまった。


「は? 誰だよお前」


 常友は一瞬おびえたような表情を見せたが,すぐに表情を柔らかくした。


「何よ。せっかく頼りになる助っ人に名乗り出ようとしたのに」

「助っ人?」

「そう,助っ人。種掛くん,作文得意だったっけ? 私はわりと得意。国語は5以外の通知表を取ったことないし。それに,サイト会長に立候補するのなら応援演説者もいるんじゃないの?」


 立て続けに質問を投げかけられ,整理が追い付かなかった。


「もしかして・・・・・・,お前,手伝ってくれるのか?」

「お前じゃなくて,常友ね。ちゃんと名前で呼んでください。協力を頼むならね」


 きっと,間抜けな面をしていたに違いない。思わぬ申し出に,しばらく開いた口がふさがらなかった。

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