第15話 朝日の一日の訓練

安城家道場に通って一か月の安城朝日の一日は以下のとおりである。

平日は朝6時に起き、安城家本家屋敷までランニング。

仮次が仕事でいない日が少なくないため本家で朝食をとることもある。

家までジョギングで帰りシャワーを浴びて訓練校に向かう。

「おはよう朝日ちゃ~ん」

「っ!」

スカートを穿いている時は西東恵のあいさつと共にスカートめくりを受ける。

最初こそ毎回めくられていたが自宅、訓練校、安城家道場で一ヶ月以上鍛えられた朝日はここ数日スカートめくりを阻止し続けている。

他の女子もスカートめくりを受ける際キックやパンチ、投げを恵に食らわせてそれを防ごうとしているが恵はそれらを巧みに受け流しながらスカートめくりを敢行している。

気配を感じた朝日は右足の後ろ回し蹴り(上段の後ろ回し蹴りだが朝日の体格ではせいぜい恵の肩か上腕にヒットする)を背後に立っているであろう恵に向けて放つ。

恵は肩に蹴りを受ける瞬間に自分から左側に側転するように倒れ込み衝撃を受け流すと、左手を床につき片手で倒立して言う。

「白!」

なぜこのようなセクハラが横行しているのか。

それは男性の目がない場所で行われることとと、遊びとは思えないほどその目が真剣なことだろうか。


その日の授業は老人が教師役だった。

しかし生徒たち経験から侮る様子を見せない。

「今日の教師は石田卓己さんです。」

「おぉ......鯉口の、仮次の娘というのはどの娘だ?」

例によって鯉口美穂が教師役の殺し屋を紹介するとヨボヨボの老人は口をもごもごと動かすと驚くほどはっきりとした声でそう言った。

「じゃあせっかくだから朝日さんに卓己さんの技術を体験してもらいましょうか」

美穂に呼ばれ朝日が前に出る。

「ほぅ......お前があれの娘か。」

石田が右腕を朝日に向かって振る。

思わず朝日は身構えたが何かが飛んでくることもなく身構えたまま硬直する。

「ふむ。実戦で肉体を作っているようだな。」

「は、はい。家で父と手合わせして、それから安城家の道場でも」

驚いて朝日は思わず答えてしまう。

「そうか。年の割にはよく鍛えている。

 さて儂の技術を味わってもらおう」

石田はその老体を立ち椅子から起こし少し大股気味に立つ。

「手でも足でもいい。打ち込んできなさい。」

朝日が美穂をちらりと見ると彼女はかすかに頷く。

「では」

そう言い終わる前に老人の顎めがけて右ストレートを繰り出す。

しかし朝日の拳は見えない壁にぶつかったように標的の10cm程手前で停止する。

気味の悪い感触に朝日は拳を引っ込めて一歩下がる。

「くっ!」

一歩退いた分助走して勢いをつけた飛び蹴りはしかし同じように阻まれるが、先ほどの打撃と違い透明の壁に少し食い込む感触があることに朝日は気づいた。

着地した朝日は下突きをくりだすがその手を途中で開き服を掴もうとする。

「おおっと」

それはまずい、と言った石田は皺だらけの手を体の前で印を結ぶように動かす。

すると何かが朝日の指一本一本に絡みつきその動きを止める。

「朝日さんはもうわかったようですね」

音もなく二人のそばに近寄った鯉口がその手に持った霧吹きを二人の間に向けて噴射する。

朝日の突き出した右腕が水に濡れるとともに、朝日の腕を阻んでいる蜘蛛の巣のように編まれたワイヤーと、その隙間を縫って内側に侵入した朝日の指を拘束しているワイヤーが水に濡れて露になる。

「まさか2回でわかるとは。いいセンスをしている」

石田が右手を軽く振ると朝日の指に絡んだ糸がほどける。

「2回目の飛び蹴りで足に細い何かが食い込んでいるように感じたので繊維か何かかと。」

「なぜ掴みにかかった」

「その食い込み具合から隙間がありそうだったので指なら通るかな、と。

 体を掴めば引き寄せてワイヤーごと殴れるかと」

朝日は腕を振って水滴を飛ばす。

「ふむ。確かにワイヤーを使うような輩には超近接戦が有効だ。だが」

石田は左腕を上げる。合図を受けた鯉口がナイフを投擲する。

そのナイフは何本かのワイヤーを切り裂いて進むが蜘蛛の巣状のワイヤーによって阻まれ空中で停止する。

そして石田が左腕を振るとナイフにワイヤーが新たに巻き付いたのかナイフが少し揺れ、次の瞬間にはバラバラに切り刻まれ破片が床に落ちた。

「儂ほどの技があれば糸に触れた肉体を切断するなど容易だ。この日本に何人もいないと思うがな」

そういうと石田はカカカと笑う。

「父は、」

「?」

「父は、仮次はどうでもしょう。同じことができますか」

笑い声がぴたりと止まる。

「あれはセンスはあったが儂の技を継ごうとはせんでな」

石田は立ち椅子に座り直す。

「糸技の基本を身につけただけで逃げおった。ワイヤーで打撃を防いだり切断することはできん」

「そうですか」

ほっとした朝日の心情を見抜いたわけではないだろうが石田の目が朝日のそれを鋭く射抜く。

「だがあれが儂を凌ぎうる殺し屋であることも事実。

斯様に殺し屋の実力は一つの技術の優劣では測れん。腐ることなく己の持ち味を活かすが良かろう!若人達!」

「「はい!」」


―――――――――――――――――――――――――――――――


「石田さん、お上手です。このまま常勤講師にもなりますか」

何人かの指導の後、昼休みに入り石田と美穂は控室にいた。

「フン。お世辞を言うな鯉口」

石田はペットボトルの蓋を触れることなく外しお茶を飲む。

「それにしてもあの朝日という娘」

「いいでしょう。彼女。」

「センスもある。思い切りもいい。

 儂の糸に触れて正体を看破しただけでなく網目に指を突っ込んでくるとはな。

 どうにかして儂の弟子にできんか」

「仮次というより安城家がどう思うかですが」

「まあよい。

 それにしても仮次じゃ。彼奴、義理とは言え娘ができたのに何年も隠しておって」

「いえ、彼が父になったのはニヶ月ほど前のはずですよ」

「......と言うことは訓練を始めたのも同じ時期か」

「ええ。どうされましたか」

石田は座布団の上であぐらをかいた状態で眉を顰めしばらく動きを止めた。

「おかしいぞ。

 儂は最初、この糸であの娘の体に触れた。」

石田は右腕を顔の前で垂らす。

すると中指の爪の先に微かに光るもの鯉口の目には見えた。

「この糸で体をなぞればその感触と儂の経験から相手の筋肉量、密度から調子が良ければ使う技まで割り出せる」

「はぁ〜。あるのはわかるけど触った感触がないですね。」

鯉口は右手の親指と人差し指でその糸を摘む。

「この話を聞いて自分から触るかのぉ鯉口の。

 とにかく、あの常人離れした密度の筋繊維は五年は訓練した者のそれじゃ。それも柔軟性を維持した状態で、だ」

「そこは私も不思議だったんですが、安城家のあの道場に通っているとか。柔軟性は筋トレでなく実戦形式で体を育てているからでしょうね」

「そうかあの筋肉達磨揃いの道場か。

 それにしてもまだ納得はできんな。まだあと一つか二つ何かがある気がするのぉ」

それから十分程話したが結論が出ることはなかった。

安城仮次と安城竹継の手によって体内に注入された自然回復を促進するモノによる超回復と、両親の復讐というこれ以上ないモチベーションがなせる業ということは外部からはわかりようがないことだった。


―――――――――――――――――――――――――――――――


訓練校での授業を終えた朝日は家に帰らず再び安城家本家に向かう。

ほとんど朝日しか使わない女性用ロッカールームで黒い道着に着替えて道場に向かう。

会釈して道場に入る朝日を岩岡と門下生たちが出迎える。

「押忍!」

「頑張ってるね」

「よろしく」

門下生たちは口々に朝日に挨拶をする。

「よし!では今日もランニングから行くぞ!」

岩岡の号令で門下生たちはいっせいに外へ駆け出す。


安城家本家屋敷は武家屋敷のようにその周囲に外壁が建てられている。

500mほどもあるその外壁の内側に五人分ほどの横幅で石畳が敷き詰めており、そのルートを10人ほどの黒い道着を着た集団が走る。

2週目に差し掛かろうとしたところで岩岡が右手を挙げる。

「休憩!水分を取っておけ!」

門下生たちは日差しをよけるように木陰や道場の中に向かう。

朝日も道場に入ろうとした時に声をかけられる。

「精が出るね」

振り返ると薄気味悪い笑顔が顔に張り付いた男、安城竹継がそこにいた。

竹継が岩岡に目配せすると岩岡は礼をして道場の方へ行く。

どうやら竹継が話をするために岩岡にランニングを止めさせたようだ。

「いえ。まだまだです」

実際、筋力はついてきたが持久力はまだまだで今の休憩時間も門下生たちが余裕そうな中、朝日は精神力で立っている。

「そうかな。あいつらについていけるだけ立派だと思うけどね。」

朝日は竹継が何のために自分に話しかけてきているのか図りかねていた。

「それで、何の用でしょうか」

「ああそうそう。朝日ちゃんさえよければ今度、安城家の仕事の見学に来ない?」

「それは、殺し屋としての仕事の、ということですよね」

「ああ、違う違う」

竹継は手を横に振る。

「今回はボディーガードの仕事だ。

 もちろん殺しの仕事もあるけど、安城家の仕事はボディーガード等が主なんだよ」

「意外です。殺し屋の大きい家だからてっきり」

「彼らを見てごらん」

竹継が指さした方を見ると木陰で道着の上を脱ぎボディビルダー顔負けの肉体でポージングをしている男たちが目に入る。

「過剰搭載ぎりぎりの筋肉は単純に強そうに見えるだろう?

 『強そう』なのは護衛対象に安心感を与えるからね。古くから肉体派の安城家は昔からその手の依頼が多いんだ。

 そのおかげで業界からの信用も厚い。」

「なるほど」

朝日は話を聞きながら竹継の体を見る。

彼の木陰を指さす腕は細くはなくよく締まってはいるものの到底太いとは言えない。肩幅も大きいわけではなく一般人の目から見て『強そう』には見えないと朝日は思った。

朝日の視線に気づいたのか竹継は少し恥ずかしそうに咳払いをする。

「『強そうに見えない』のは逆に殺しの仕事にはうってつけなんだ。仮次も俺よりは筋肉があるけど大して変わらないだろう?」

朝日は仮次の腕などを思い出し納得する。

「誰かを守ることこそ一番難しいことなんだよ。

 それに人を殺すなんて簡単だ」

そう語る竹継の表情が一瞬優しいものになるが朝日の洞察力でもそれをうかがい知ることはできなかった。


再開したランニングの後道場での組手をこなした朝日はロッカールームに併設されたシャワールームで汗を流して着替え、外に出る。

内門をくぐると駐車場に車が止まっている。

仮次は時間があるときはいつもこの時間に迎えに来る。

最初は無視してランニングで家まで帰っていたが岩岡の「毎回無視されてはあまりにかわいそうなので乗ってあげてください」という言葉に仕方なく送られてやることにしている。

岩岡衛という男その巨体に似合わず意外と細かい所まで気の回る男である。

「今日はどうだった」

「いつも通りです」

話を振る仮次に対して朝日の返事は素っ気ないが、最初は無視していたのだからずいぶんな進歩だ、と仮次は思っている。

朝日は実際のところ親の仇だというのに少しずつ心を開いている自分に戸惑いを感じてもいる。

家に着くと地下に直行し組み手を行う。

ナイフを持った朝日の体は以前とは比べものにならないほど素早く、力強く動く。

しかし依然変わりなくナイフが仮次の体に触れることはない。朝日の成長に合わせて仮次は少しずつスピードを上げているからだ。

ナイフを持っていない右手で仮次の体を何度も殴りつけるが、仮次はその打撃を片手で防ぎ、受け流す。

跳躍して顔面への膝蹴りを防がれた朝日はもう片方の足を仮次の肩に置き、さらに上へ跳躍する。

地下の低い天井に衝突する寸前に朝日は半回転し天井に着地してそれを思い切り蹴りナイフの柄の端を手で押さえ仮次の脳天めがけて落下する。

仮次は前方に飛び退き今まさに腕から床に着地しようとする朝日の背中を思い切り蹴飛ばす。

そのまま床に叩きつけられていたら大けがを負ったであろう朝日は壁に叩きつけられ気を失う。

「容赦のないいい攻撃だが、少し直線的過ぎるな。

 身体能力が伸びているのはわかるが伸びた分の身体能力の使い方をよく考えるように」


リビングのソファで目が覚めた朝日は夕食を食べる。

余談だが彼女の食事は一般的な女子高校生に必要な栄養素に加えて大量のたんぱく質が摂取できるよう計算されている。

風呂に入った後は勉強をする。

元々中学は進学校にいた朝日は高校卒業レベルの学力は身についているが、鯉口が作成したカリキュラムと参考書でさらに深い教養を身に着けることができるらしい。

10時には就寝するが、殺し屋としての習慣として学んだ寝る前の扉の鍵、窓の鍵のチェックを怠らない。

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