第三十三話 ブリッジ

 授業開始二日めの夕刻からこの大混乱。次から次へと移り行く状況。だが、九重はオリエンテーションの日の夕方に会った女子生徒の顔を覚えていた。わざわざパジャマで部屋を訪ねてきた女子だ。九重には十分すぎるインパクトだ。封筒を渡しに来たときはオドオドして別人のようだったが、見間違えはしない。


「みなさん、こちらです」


 ミキはザワつく捕虜たちにそれ以上の説明をすることもなく、ふたたび開いた扉に向かって踵を返した。


「津川ミキ……先輩」


 気が付くと、九重はミキを呼び止めていた。


「なんですか、布川九重くん」


 ミキは意外にも足を止め振り返った。無表情だがどことなく親しみを感じる気が九重にはした。顔はあの夕方に一度見たっきり。丸耳の人間。それ以外に理由はわからない。


「先輩は……おれに、その、ヒューマンライトソサイエティのパンフレットを渡しに来ましたよね」


 九重は疑問を口にした。今を逃すともう機会はない気がしたのだ。


「そうですが、何か」


 ミキの表情は動かなかった。


「なぜですか」


 九重は答えを聞くのが怖かった。


「関川先輩にあなたに渡すように言われました。それが何か? 突然の依頼だったので戸惑いましたが、副会長なので仕方ありません」


 ミキはそう言うと、話はこれで終わりとばかりに通路の奥へと歩み去った。タテ耳長の捕虜たちの何人かは慌ててついていく。


 あの封筒のなかの紙に接触性の猛毒が仕込まれていたことを知っていたのかどうか、九重には聞くことができなかった。


 武装生徒を撃ち、阿賀校長はアネモネアペンニナに乗らない、と言った。乗らないのが阿賀校長の意思なら武装生徒をわざわざ無力化する必要はない。阿賀校長と関川のグループからアオイ先生とミキは離反したということなのだろうか。


 倒れている武装生徒には、誰も近づかない。


「おーい、九重。どうしたん?」


 気が付くと、九重の後ろにはニココしか残っていなかった。ほかの捕虜たちはもうミキについていったようだった。


「寄居さんとか声かけてたけど、全然反応なかったし。大丈夫?」


 ニココは心配そうに屈んだ。その顔が九重に近づいた。九重は顔が熱くなるのを感じた。


「いや……なんでもない」


 毒殺されそうになったことをニココに相談したとして、事態が好転するとは限らない。むしろ、ニココを、ほかの捕虜たちを不利な立場に追いやるだけかもしれない。


「それじゃあ、行こう。何が待ってるかわかんないけど」


 ニココも事態が好転したとは考えていないようだった。それが今の九重には救いだった。


 九重とニココは連れ立ってミキの消えた扉の先へと歩みを進めた。淡い白色照明の通路の先は、そのまま広大な格納庫へと繋がっていた。あの円盤がまるごとゆうに収まる広さだ。


「寄居さんたちは?」

「さあ。先に行ってんでしょー」


 ニココは手を頭の後ろに組み、九重の前を歩いている。格納庫には大小のエレベータらしき扉があったが、いかにも稼働中のようにブルーのライトが点いているのは一つだけだ。


「さっきの津川ミキって先輩、知り合いだったの?」


 ニココはそのエレベータの前に立つと九重を振り向いた。


「え? ま、まあ。寮ですれ違ったっていうか……」

「ふーん。ま、いいけど」


 エレベータの扉が開いた。そこにはミキがいた。


「遅いので迎えに来ました」

「あっそ。ごくろーさん」


 ニココはそう言うと平然とエレベータに乗り込んだ。九重もおずおずと乗り込む。ミキはエレベータから降りず、ただブリッジへ、とつぶやいた。エレベータは音もなく動き始めた。重力制御のため振動もない。


「……あの武装生徒は?」


 九重は撃たれたまま円盤に放置されている武装生徒のことを聞いた。もちろん、本当は誰がパンフレットに接触性の毒を仕込んだのか聞きたいのだが、聞いたところでミキが知っている保証はないし、なにより聞く勇気がない。


「撃て、としか命令されていません」


 ミキの声には感情が込められていない。ニココは肩をすくめた。


「仲間割れですかー?」

「それには月崎先生がお答えになります」


 ミキの返答とともにエレベータの扉が開いた。


 そこは宇宙だった。正確には、目の前の巨大なスクリーンに宇宙が投影されていた。その広大な部屋はブリッジらしく、いくつものディスプレイやコントローラが立ち並び、タテ耳長人たちがせわしげに立ち回っていた。さっきまで捕虜だった者たちだ。部屋の中央には月崎アオイが立っていた。その横にはメイフェアがいた。


「ようこそ、サイコシップ・アネモネアペンニナのブリッジへ。布川九重さん、荻川ニココさん」


 その三つ目神族の教師は、初めて九重が見たときと変わらずあいまいな微笑みを湛えていた。

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