普通との邂逅


 海珠みたまはBCIを補助プログラムの作成に数日はかかると言っていた。しかし、彼女が芽衣の研究室を訪れた翌日には「プロトタイプ版が完成したから、試験的に実装してほしい」というメールと共に、私にはよくわからないデータ類が送付された。


 私が見たこともない拡張子のデータを持て余してあると、三十分ほどして海珠が再び研究室を訪れる。


「……どう?」


 私は困ったように首を振る。


「導入のサービスもお願いできないか?」


 私の懇願に対し、海珠は苦笑しつつ答える。


「管理者権限のアカウントを貸してください」


 私が端末を貸し与えると、海珠は慣れた手つきでオペレーションを開始する。


「それにしても、随分と完成が早かったな」


「……ちょっと面白いものを見つけたから、気分が乗っただけ。湊先生は本当に掃除が苦手なんですね」


「面白いもの? 確かに掃除は苦手だが……」


 私は疑問を口にする。面白いものと言われても、人工知能の研究者である彼女が興味を持ちそうな事柄に心当たりがない。さらに言えば、掃除が苦手な事とその事がどう繋がるのだろうか。


「湊先生って部屋を片付けていたら、思わぬ掘り出し物が出てきた経験ってありませんか?」


「いや、そもそも物を家に置かない主義だ」


「最近流行りのミニマリストってヤツですか? まあいいです。私が興味をそそられたのは……」


 海珠が口を開こうとした矢先、彼女の操作する端末にナユタのアバターが現れる。


「蓮さん! ちょっと何を……ってあれ? どちら様ですか?」


「キャッ! びっくりしたぁ!」


 海珠が驚きの声を上げる。普段は落ち着いた様子で生意気な口を利く彼女も、驚きの声が思いのほか可愛らしく意外に思う。


「紹介するよ。人工知能の技術に詳しい海珠さんだ。前に配信中、ナユタが気絶した時の問題を解決するために、協力してもらってるんだ」


「……どうも」


 海珠はどこか緊張した面持ちで頭を下げる。初めて海珠と話した時も思ったが、彼女は人見知りする性格らしい。


 いや、ナユタと出会ったことによる緊張はまた別だろう。私や芽衣は生前からの付き合いだったから抵抗は無かったが、モニターの先に脳だけになった人間がいて、自分に語り掛けて来るというのは、それだけで精神を削られる事なのかもしれない。


「人工知能って、あのAIだよね! 凄い! 海珠さんは頭がいいんですね!」


 対するナユタはそんな海珠の心情などお構い無しにいつも通りの調子だ。


「……いえ、そんな大した事ではない……です」


「ううん、凄いよ! 何だかSFの世界みたい!」


「……」


 海珠が複雑そうな表情で私を見る。


 言いたい事は分かるよ。脳に電極を刺してバーチャル世界経由で我々とコミュニケーションが成り立つナユタの方が、よっぽどSFの世界だ。


「あー、ナユタ。ちょうど海珠さんにナユタに接続したBCIの補助プログラムを適応してもらってるんだが、何かあったか?」


 ナユタのアバターが一瞬だけ考えるような仕草をしてから、怒りマークの付いたモーションへと変わる。


「そーだよ、蓮さん! ちょうど今ゲームの練習をしていたんだけど、急に操作感が変になってびっくりした! そういうのは、前もって言ってもらわないと困るよ。配信中だったらどうするの!?」


「ああ、すまん。悪かったよ」


 私が苦笑交じりに答える。海珠は意外そうな顔で私とモニターのナユタを交互に見比べる。


「……なんか、普通の子っぽい」


「えっ? 私は普通だよ?」


「いや、Vtuberやってる時点で普通じゃないだろ」


 Vtuber云々はさておき、実際のところナユタは生前から少し変わった性格だったように思う。彼女の家庭環境がかなり特殊だったこと関係しているのだろうが、やはり生まれ持っての性格かもしれない。


「え~。蓮さん、私のプロフィール見てないの? ちゃんと普通の女の子って書いてあるじゃん」


「いや……まぁ、そうなんだけど」


「……本当に普通の人は、プロフィールに普通なんて書かないと思います」


 海珠が遠慮がちに言う。言うべきか言わざるべきか苦渋の選択だったようだが、突っ込みたい欲が勝ったらしい。対するナユタは不服そうな表情だ。


「そんな事より、補助プログラムの適応はまだかかりそうなのか?」


「……ちょうど終わった。ナユタさ……ん、ちょっと普段やってることをいろいろと試して来てもらえますか?」


 ナユタが先ほどとは打って変わって目を輝かせる。


「配信してきてもいい?」


「……まずは色々とテストしてからがよろしいかと」


「わかった! それじゃあ、ゲームの続きやってくる!」


 そう言ってナユタはモニターから消えていった。


「……それじゃあ、私もこれで」


「もう行くのか? コーヒーでも飲んでいけばいいのに」


「……いえ、ちょっと思いついた事があるので。使用感についてヒヤリングしたいので、近いうちに、また伺います」


 そう言って、海珠は立ち上がって出口へと向かう。引き留めようかとも思ったが、彼女には彼女の仕事があるのだろう。


「分かった。今回の件、恩に着るよ」


 海珠は口元に笑みを浮かべながら、一礼して部屋を後にした。









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「ふぅ~。緊張した」


 海珠は自室に戻りながら、誰にとなく呟く。


「あのクソジジイの血縁だって聞いてたから、どんな子かと思ってたけど、案外普通だった……あっ、そういえば」


 呟きながら携帯端末を取り出し、何かのデータを開く。


「これの事、伝え忘れてた……まあいいか。結局のところ、なるようにしかならないのよね。下手に結月の耳に入っても面倒だし」


 そのデータは何かのコードの様に見えた。しかし妙な事に、海珠が画面を更新するたびに、その記述が書き換わる。


「……掃除が苦手な湊先生。お部屋ストレージの隅から見つかったこれは、誰かが隠した宝物? それともバグが産み落とした卵? どちらにせよ、面白い事になるわよ」


 全てが終わった後の事を考えるならば、怖いのはあの結月芽衣だ。ヤツはナユタというカードを手にする程の隙の無い女狐だから、きっと因縁をつけて私から手柄を奪っていくだろう。


 しかし、策ならある。甲斐のババア曰く、結月は随分と湊に熱を上げているらしい。湊の身柄はババアに押さえられた。ならば私は、湊に恩をたっぷり売りつけて傀儡かいらいにしてしまえばいい。愛しのダーリンを盾にされれば、あの女狐でも迂闊に私を攻撃できないだろう。


 甲斐のババアに借りは出来てしまったが、あの気色悪い実験体の保護に協力すれば問題はない。誰かを籠絡ろうらくする際はその誰かの大切な人を押さえてしまえば、こんなにも事は簡単に運ぶのだ。


「……全部ひっくるめて、私が搔っ攫ってやる」


 不死を実現させた人間に巨万の富と権力が与えられるこの組織において、最後に”勝ち”を引き当てるのは自分かもしれない。そんな期待に胸を膨らませ、海珠はにやりとほくそ笑んだ。

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