苦情と本

増田朋美

苦情と本

苦情と本

梅雨空にふさわしい、じめじめしていて、曇りがちな、一寸憂鬱になりそうな、そんな感じの日であった。何処の県でも雨が降っているが、静岡でも、例外ではなく、雨の日が続いて、一寸憂鬱になりそうな、そんな日であった。

その日も、製鉄所では、杉ちゃんが、水穂さんのご飯を作って食べさせたり、体を拭いてやったり、布団を新しい物に変えてやったりと、甲斐甲斐しくせわをしていた。今日は、電車の駅員の仕事がない日なのだろうか。今西由紀子も製鉄所へやってきて、水穂さんの世話をしていた。その日も、製鉄所に設置されている柱時計が、三時を音を立てて知らせると、

「さあ水穂さんおやつを食べよう。」

と、杉ちゃんがお菓子の乗ったお盆を持ってきて、四畳半にやってきた。

「三時になったから、おやつを食べるんだよ。ほら、起きて。」

水穂さんに取っては、おやつも大事な食事のひとつなのだ。健康な人には、休息とか気分転換とい意味の強いおやつだけど、病人にとっては、おやつは大事な栄養補給の時間でもある。

「水穂さん、起きて。」

由紀子は、水穂さんの体を軽くたたいて、水穂さんを起した。

「ほら、おやつ食べましょ。」

由紀子は水穂さんの布団をはがして、体を起してあげた。

「あたしが支えますから、ちゃんとおやつも食べてくださいね。おやつは、杉ちゃんが焼いてくれたパンケーキ。」

確かにおやつはパンケーキである。水穂さんはぎょっとした顔をした。

「大丈夫だよ。米粉で作ったから、お前さんが当たることは絶対にない。」

「あたしが食べさせます。杉ちゃんは水穂さんの体を支えてて。」

杉ちゃんがその通りに水穂さんの体を支える役に回った。杉ちゃんからパンケーキのお皿を受け取って、由紀子は、パンケーキを箸で切った。箸で切れるほどパンケーキは柔らかかった。

「ほら、食べて。大丈夫よ。当たる食品ではないんだから、しっかり食べて。」

由紀子は、水穂さんの口もとへパンケーキを持っていく。水穂さんは、顔を背けてしまう。なんでまた、と、杉ちゃんが言っても、何も食べないのだった。

「なんで、何も食べてくれないの?何も食べたくないの?」

由紀子は聞くと、帰ってくるのは、せき込む音であった。

「あーあ、咳で返事してら。」

杉ちゃんは、水穂さんの口もとをチリ紙で拭いた。

「いつも之だよな。そうじゃなくて、何とかして食べようという意思を持って貰えないものかな。確かに、パンケーキはこわいかもしれないけどさ、これはちゃんと米粉で作ってあるし、当たる可能性は無いと思うけどねえ。」

杉ちゃんがデカい声でそういうと、玄関の引き戸がガラガラガラと開く音がした。

「おう、だれだろうな。」

と、杉ちゃんは言うと、

「杉ちゃんいる?あたし、浜島です。一寸相談したいことがあって、来させて貰いました。」

やってきたのは、お箏教室の手伝いをしている浜島咲さんであった。

「はまじさんだ。どうしたの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「上がってもよろしいですか?」

咲がそういっているのが聞こえてくる。由紀子は、こんな大事な時に、なんで浜島さんがくるんだろうと、嫌な顔をした。

「いいよ。一寸とりこんでいるが、手伝ってくれるとありがたいや。」

杉ちゃんがそういうと、ありがとうと言って、浜島咲は四畳半に入ってきた。

「相談事ってなんだ?又着物の事か。」

「ええ、まさしくその通り。」

と、咲は縁側に座った。今回は、梅雨の季節という事もあり、水色の色無地の袷着物に、黄色の名古屋帯をつけている。いや、正確に言うと、作り帯と呼ばれる物であった。杉ちゃんであれば、名古屋帯で作った作り帯と分かるが、普通の人では、何の帯を使って作っているのかは、判別が難しいと思われた。

「で、今日は何の相談なんだよ。又、着物の格の事で、何かもめたのかいな?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、あのね。あたし、着物姿をツイッターにアップしているのよ。それは、よくある事でしょう?」

と、咲は言い始めた。それは別に少数派ではない。最近は着物を着た写真をアップするだけではなく、洋服の上から着物を羽織った姿を投稿している人もよくいる。まあ実際のところ、だんだん着物を着るという事が変わってきているということだろう。単に着物を着ているのを自慢するだけではなく、帯との相性を誰かにアドバイスして貰いたくて、投稿する人もいる。そのため、たまに年齢不適応

な着物を着ている投稿とか、帯と格があっていない投稿も見かけられる。

「まあ確かにそうだ。僕もよく見かけるよ。それがどうしたの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「それでね。今日着ている色無地を、私もツイッターにアップしているんだけど、このお着物が、対象年齢にあっていない、若い人に色無地を売りつけるとは何ごとだと、苦情が出てるって、これを買った着物屋が、私にメールを送りつけてきたのよ。」

と、咲は言った。杉ちゃんは、咲の着物姿を見渡して、

「うん確かにあってないね。水色という色は確かに素晴らしいが、袖が元禄袖になってないから、これは年寄用だ。」

と、即答した。

「そうかあ。じゃあ、これは、やっぱりダメなのね。なんで、年寄用だって、分かっちゃうんだろう。」

咲がそういうと、

「はい。だから袖の形を見ろよ。はまじさんくらいの年の人は、袖の丸みが大きい元禄袖という袖の着物を着なきゃダメ。それは、色無地であろうが、ほかの着物だろうが同じ。着物の袖の形というのは対象年齢を現わすの。丸みの大きな元禄袖は若い人、四角張った袂袖はお年寄り用。これはもう覚えるしかない。着物のルールだよ。」

と、杉ちゃんはデカい声で言った。

「そうだけど、私が着ている着物を見て、一般的な人が、対象年齢が合ってないなんてお店に苦情を出すかしら。そういうことって、一般的な通信販売で、苦情が出るのかしらね。」

「まあねえ、着物だって悪いわけじゃないけど、着物の愛好者の人たちは、着物をちゃんとした形で残したいんだろうね。其れもかっこいい形でね。まあねえ、多分、店の人に文句をいった人たちは、色無地という着物をまだ着たくないっていう気持ちもあるだろうからね。着物と言うと、お年寄りのイメージがあるからな。色無地は、何も柄がないし、確かに着物としては、格が高いが、何も柄のないというところは、年寄臭く見えちゃうんだろうね。それで、お前さんくらいの奴が色無地の写真、それに、袂袖の色無地を掲載していたとなれば、何を生意気なこいつって思ったんだろうよ。それでそれを売った呉服屋さんへ苦情が出てしまったわけだ。成り行きでそうなっちまっただけだと思っておけよ。ただ、元禄袖に変えちまえばいいんだ。それだけの事だと思っておきな。」

杉ちゃんが、カラカラというと、咲は大きなため息をついた。

「そうねえ。やっぱりそういうことだったわけか。着物ってすごく難しいな。邦楽というか、お箏のお教室では色無地が推奨されると聞いたから、何でもいいと思ったけど、それは、大間違いなのね。」

「まあ、そういうこった。着物と、洋服は全然違うよ。洋服とは違うんだって、切り離して考えた方がいい。あくまでも洋服は、西洋起源のモノだし、着物は日本独自のモノだ。洋服とおんなじだって、考えるから悪いんだよ。とりあえずさ、そういうことに巻き込まれるのは、一度や二度はあると思うから、まあ、気にしないで。そういわれることだって、着物をたのしむことのひとつだよ。」

「そうか、杉ちゃんの言うように考えればいいか。一度や二度、苦情が出るのも、楽しみのひとつ、ね。杉ちゃんすごいわ。あたし、ぼやぼやしていたのがいっぺんにフキとんじゃった。」

咲は、一寸嬉しそうに言った。

「そうそう。そういうことをして、人間は強くなって行くもんだ。其れだって、必要な事でもあるんだよ。」

「いいわね。浜島さんは。」

いきなり、杉ちゃんの発言にたいして、由紀子がひとつ言った。

「浜島さんは、なんでも着ることができて、そうして着るもので相談もできるんだから。うらやましいというか、なんか妬ましいわ。水穂さんは、銘仙しか着ることができなかったのに。」

「ま、まあねえ、女物の着物と男物の着物とは一寸違うからな。」

と、杉ちゃんが急いで訂正するが、

「でも、男でも女でも着物はあまり関係ないんじゃありませんか。着物なんて、年齢もそうだけど、生地とか柄によって、身分や年齢が全部ばれちゃうように作っているじゃありませんか。それでは、水穂さんがかわいそうです。」

と由紀子はまくしたてるのであった。

「まあ、そうだねえ。それは、しょうがないな。日本では、プライバシーなんて何も考えない国家だったからな。身分も、商売も、着物でなんでも表していたんだよ。水穂さんのような人は、銘仙が割り当てられたというだけで。」

と、杉ちゃんがそういうと、

「なんでみんな、こういう話をしてしまうんだろう。浜島さんが、着物について、こうして相談してくるって、水穂さんに悪いというか、そういうことは思わなかったのかしら。浜島さんや、杉ちゃんはなんで、平気な顔をしているんだろう。」

由紀子は涙をこぼして泣き始めた。

「由紀子さん、もういいんですよ、銘仙というのはね、貧しい人が着るのが当たり前なんですよ。だから。其れについて何も考慮する必要はありません。浜島さんだって、なんでも相談してくれて結構です。だって、そういう疑問を持つのは、仕方ないことです。着物の本だって、着物の全部を教えてくれるわけじゃないし、本の通りにしたからって、誰かに文句を言われないことは絶対ありません。誰でも、若い人が何かしていると、何か言いたくなるのは、当たり前の事なんです。それ位にしておいてください。」

水穂さんが由紀子に細い声でそういうことを言った。水穂さんにまで、そういうことを言われてしまうなんて、由紀子は涙が止まらなかった。

「しっかし。」

と、杉ちゃんが、ため息をついて言う。

「着物の国なのに、なんで、そういう風に注意されたり、身分の話をしたりしなきゃいけないんだろう。また確かに、年齢や身分をしめすのは必要だけど、よそ様の着物姿に苦情をよこすというのは一寸、聞いたことないね。まあ、たのしんで着物を着てくれや。」

其れから、数日後の事である。

由紀子が駅員の仕事を終えて、さて自宅にかえるかと、車を走らせていた時の事であった。たまたま、個人経営の書店の前を通りかかったところ、店の入り口のドアに、岩永清子、新作小説入荷しましたという貼り紙がしてあった。丁度昨日、ラジオで、岩永清子の新作小説のことを、宣伝する放送をしていた。一寸興味深い内容であったので、由紀子は本屋さんに寄ってみることにした。

由紀子が店に入ると、店の中には誰も客はいなかった。確かに入り口から入ってすぐのところに、岩永清子の小説が目玉商品としておかれている。だが、由紀子の目に入ったのは、それではなく、同じところにおかれている、「新しい着物入門」という本だった。著者名を見ると、有名な着物教室を主催しているような人ではなかった。ただ、リサイクル着物店主、花輪あやという人物である。由紀子はそれを手に取って読んでみた。その本は、いわゆる着物の教科書とは全然違う本で、着物をインターネットショップで安く入手する方法とか、おはしょりができなくても着物は着られるとか、着物の決まりごとにとらわれずに、自由に着てみようとか、そういうことが書かれている本だった。写真も掲載されているが、訪問着に半幅帯をつけてしまうなど、昔からの着物を着続けている人たちにしたら、大ごとになるような着方がたくさん載っていた。

「あの、すみません。この本の著者というのは、どんな人物なんでしょうか?」

由紀子は本屋のおばさんに訪ねてみる。

「ええ、詳しくは知らないんですけどね。なんでも、静岡市の方で着物ショップをしている人みたい。

その本に興味があるの?」

とおばさんがいうので、

「ええ、着物というものがどんな物なのかなって思って。」

と由紀子は言った。

「そうなのね。若い人がね、最近着物を着たいっていうひとが増えているのかしら、最近その本売れているのよね。もしよかったら、是非買っていって。」

とおばさんがいうので、由紀子はかって見ることにした。とりあえず本の代金をおばさんに払って、本をカバーで包んでもらい、由紀子は再び車を走らせた。

自宅について、由紀子は改めてその本を開いてみると、一番最後の章は、なんと銘仙についてと書かれているのだ。由紀子はほかの頁を飛ばしてそこを読んでみた。確かに、本には銘仙というと、貧しい人が着る着物だったということはちゃんと明記されている。しかし、同時にアメリカのラッパーの服装の事も書かれており、其れと同じ歴史をたどってきたと書かれているのだ。其れと同じ感覚でいい。ラッパーの服だって、貧しい人が着るものだったが、今ではファッションの一種として真似してる人も多い。銘仙もそういう気持ちで着ればいいんだ。本にはそう主張されていた。そうでなければ、銘仙のかわいらしさとか、かっこよさが全部無駄になってしまうとも書かれていた。そうか、そういってくれる人がいよいよ出てくれたか。待ってたのよ、待ってたのよ、と思わず由紀子はそういってしまう。この本の通りであれば、銘仙の着物を着ていたって、馬鹿にされても平気でいられる。由紀子は水穂さんに強い味方ができたような気がした。著者紹介の欄を見ると、いちおうこの女性は、着付け教室には通った事があるものの、何も資格らしきものはなく、ただ着物が好きで店を始めただけだと書かれていた。店は、静岡市内にあり、名前をカッシャブルムという変な名前だという。由紀子がそれをスマートフォンの検索欄に入れ込んで調べてみると、カッシャブルムという変な名前の店は、静岡駅のすぐ近くに立地していることがわかった。由紀子は、その女性にあってみたくなった。そこで、次の休みの日、静岡に行ってみることにした。

数日後。由紀子は駅員の仕事が休みなので、その店への行き方をスマートフォンで調べ、車を走らせて静岡市に行った。静岡市は、由紀子が以前訪れた時よりもずいぶん変わっていた。駅前に、大きな建物が立っている事を、由紀子は初めて知った。その裏側にある小さな建物が、着物店カッシャブルムという店であった。由紀子は近くの有料駐車場に車をとめて、その店の入り口のドアを開けた。

「いらっしゃいませ。」

中にいるのは、背の低い、小紋の着物を着た、若い女性だった。由紀子とさほど年恰好は変わらない。其れなのに店を持てるなんて、経済力のある人だなと由紀子は思う。

「今日はお着物をご入用ですか?」

と、彼女に言われて由紀子は、

「あの。花輪あやさんでいらっしゃいますか?」

と小さい声で言った。

「ええ。その通りですが?」

と花輪あやという女性が言うと、

「あの、この本を描いたのは、あなたですか?」

由紀子は先日買ってきた本を鞄から取り出して、花輪あやさんに見せた。

「はい、私です。私が描きました。」

あやさんが答えると、由紀子は、店の中を見渡した。確かに着物が所せましとおかれている。しかし、その着物の格などは何も拘っていないらしく、訪問着も、小紋も何も関係なく、ただ適当におかれているという感じだった。

「どうして、このような本を描こうと思われたんですか?私、悪気を言っているんじゃありません。ただ、銘仙のことについて言及した本は本当に少ないですし、それを肯定的に書いてくださった事も、私、すごくうれしいと思っているんです。」

と、由紀子は素直に本の感想を述べたのであるが、あやさんは一寸悲しそうな顔をした。

「どうして、そんな悲しい顔をなさるんですか?」

由紀子が聞くと、

「ええ、ここに来てくださったということは、着付け教室とか、そういうところで傷ついて

いらっしゃる方でしょうから。どうして、そうなってしまうかわからないですけど、日本の着物というのはたのしもうとすると、みんなに嫌われてしまうんですよね。やっぱりみんなと同じでないと、おかしいのかな。そういうわけでは無いと思うんですが。」

と、あやさんは一寸縮こまっていった。

「私は、着物を悪くしようという気持ちはないんです。ただ、自分が選んだ感性を大切にしたいの。そのためなら、着物に何の帯をあわせるかとか、そういうことは気にしないで好きなものをつけたり着たりすればいいじゃない。其れだけ考えて、着物を着ているんです。」

きっとここに水穂さんがいたら、どんな顔をするだろうか、と由紀子はおもった。水穂さんだったら、そんなことはやってはいけないとか、ちゃんとルールにのっとって着なければだめだとか、そういうことを言うだろう。

「では、先生は本の中にも書いてあった通り、銘仙も、着物の一部として、使用して良いとお思いになりますか?」

由紀子はそう聞いてみた。

「ええ、私はそう思ってます。あれは、男性ものでも女性ものでも、今の時代だったら、かわいらしくて、親しみやすい着物だと思うの。もちろん、着付け教室を破門されてしまった原因を作ったのも銘仙だったけど。それが無かったら、この店を始めることも、本を出すこともできなかったと思うわ。」

と、あやさんは言った。そうか、そういうことだったのか、と由紀子は何か真実をしったような気がした。

「日本ではどうしてもみんなと同じという考え方だから、みんな同じような恰好をしていないとダメ

という傾向があるけれど、着物はそうでなくても良いと思うのよ。そういうことを講師の先生に申し上げたら、即時で破門されちゃったけど。」

そうか、日本ではそういうことになるんだ。そういう個性的な物を身にまとうには、水穂さんのように、差別的に扱われるか、あやさんのように、自ら集団から外れるかしなければ、できないということだ。

でも、あえてそうする人を増やすために本をだしたのだとすれば、もしかしたら、着物を取り巻く考えも変わってくれるかもしれない。

由紀子は、そんな事を思っていた。かわいそうな水穂さんに、あやさんにあわせてやりたいと思った。

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苦情と本 増田朋美 @masubuchi4996

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