第3話 寝起きにはご用心


「おーい、あおいちゃーん。用意出来たかな」


 ドアをノックし、直希が声をかける。


 しかし何度ノックしても、中から反応がない。


「まさかとは思うけど、また気絶したりしてないよな……あおいちゃん、あおいちゃん。ごめん、入るよ」


 そう言ってドアを開けると、あおいは畳の上で寝息を立てていた。


「……寝てる……んだよな、これって」


 ゆっくりと近づき、あおいの顔を覗きこむ。


「ははっ、無防備と言うか何と言うか……中々の大物っぷりだな。おーい、あおいちゃーん。朝ですよー」


「……う~ん……まーだー、もうちょっとだけー」


 その返しがおかしくて、直希が微笑んだ。


「あおいお嬢様―っ、早く起きないと遅刻しますよー」


「うーん、もうちょっとー」


「……え?」


 力強く抱きしめられ、そのまま一気に押し倒された。


「ちょ……ちょっと、あおいちゃん、あおいちゃん?」


「う~ん……まだ眠いですー」


 そう言って顔を近付けると、直希の頬にキスをした。


「え?え?あおいちゃん、これはまずいから、起きて、起きてって」


「うふふふっ……もっとキスしちゃうですー」


 頬にあおいの小さな唇が、何度も何度も押し当てられる。そのやわらかな感触に、直希は動転して手をばたつかせた。


「あおいちゃん、起きてって」


「え……」


 その声に、あおいがようやく目覚める。


 目の前に直希の顔がある。


 そして胸に……直希の手があった。




「いやあああああああっ!」




 叫ぶと同時に、直希の頬を思いきり張った。そして直希から遠ざかると、顔を真っ赤にして胸を隠した。


「な、な、な……誰ですか!」


「落ち着いて、落ち着いてってあおいちゃん。俺、俺だから」


「俺俺ってあなた、私の胸…………あ、直希さん?」


「起きた?」


「な……なんだ、びっくりしたです、あははははっ」


「はははっ……」


「あ!そうですごめんなさいです!私、また寝ぼけて抱き着きましたですか」


「……と言うことは、これって結構普通のイベントなんだ」


「あのその……ごめんなさいです、大丈夫でしたか」


「大丈夫大丈夫。俺の方こそ、離れようとしてたとはいえ、その……触っちゃってごめんね」


「ひゃんっ!」


 そう言って再び胸を隠し、顔を真っ赤にした。


「ごめんね、あおいちゃん」


「いえ……だ、大丈夫です」


「それよりあおいちゃん、お風呂沸いたよ。着替え持っておいで」


「あ、そうでした。私、お風呂の用意までしてもらってたのに、呑気に寝てましたです」


「疲れてたんだと思うよ。はいこれ、俺のジャージ。ちょっと大きいと思うけど、とりあえず今日はこれに着替えて」


「ごめんなさいです、何から何まで」


「お風呂入ってる間に、カーテンつけておくから。それと布団とテーブル、持ってきておくね」


「はいです……あの、ありがとうございますです」


 バスタオルと着替えを持って、あおいは食堂横の浴場へと向かって行った。


「まいった……これからは寝起き、気をつけないとな」


 ひりひりと痛む頬を押さえながら、直希はそうつぶやき、笑った。





 濡れた髪を拭きながら食堂に現れたあおいに、直希は思わず見とれてしまった。


「あのその……お風呂、いただきましたです」


「あ……ああ、どうだった?お湯、熱くなかった?」


「はいです。お陰様で旅の疲れ……」


 そこまで言って、あおいが倒れそうになった。慌ててあおいの体を支えると、またしても手にやわらかい感触が感じられた。


「ひゃっ……」


「あ、ご、ごめん」


「い、いえ……お世話になりっぱなしですので、これぐらい大丈夫です」


「待って待って、その妙な誤解と献身はいらないからね。今のはただのアクシデントだけど、悪いのは俺の方だし」


「いえ……直希さんでしたら私、少しぐらいなら」


「そういう言い方は誤解を招くから、今すぐ改めようね。今のは怒っていい所だから」


 そう言って手を取り、椅子に座らせる。


「これのせいだな、今つまずいたのは」


 足元にしゃがみ込むと、ジャージの裾を折っていく。


「ごめんね、今はこれしかなくて。やっぱり俺のジャージじゃ大きすぎだよね」


「私、男の人の服は初めてです……ちょっと新鮮で嬉しいです」


「明日にはあおいちゃんの服、何とかするから。今夜だけこれで我慢してね」


「直希さんの匂い……直希さんに包まれてるようです」


「だからあおいちゃん、それ洗濯してるやつだから。俺の匂いなんてしてないから」


「ふふっ……なんだかくすぐったいです」


 そう言って、ぶかぶかの裾を頬に当てて笑う姿に、直希はくぎ付けになった。


「……直希さん?」


「は……はい、出来たよ。じゃあドライヤー貸してあげるから、髪乾かしておいで。そのままだと風邪ひいちゃうよ」


「ドライヤー、ですか?」


「うん。はいこれ」


 そう言ってドライヤーを渡すと、あおいは首をかしげて不思議そうに眺めた。


「……まさかとは思うけどあおいちゃん、ドライヤーって、使ったことがないのかな」


「え?そ、そんなことないですないです。大人ですから、ドライヤーぐらい簡単に使って見せますです」


「分かった。ちょっと後ろ向いて」


 苦笑した直希がそう言って、ドライヤーのスイッチを入れた。


「あ……そ、そんな直希さん、悪いです。私、これぐらい自分で」


「はーい、動かない動かない。どこでそんな見栄を覚えたのかな、このお嬢様は」


「ふ……ふにゅう……」


 あおいの艶やかな髪に指を通しながら、直希は思っていた。


 23歳女子がドライヤーの使い方も知らない……これは本当に、お嬢様なのかもしれないと。

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