もしも、その日に願いが叶うなら……

小林汐希

もしも、その日に願いが叶うなら……


「ねぇ、このサンタさんへのお願いって誰が書いたのかしらね?」


 ホールに飾られていたクリスマスツリーを片付けているとき、そのカードは誰にも見えないような、後ろ側に取り付けられているのを見つけられた。


「うわ、これは……、たぶん字からしても……むっちゃんよ……」


「そうか……、むっちゃん今頃どうしているんだろうね……」




 先生たちは、窓の外の空を見上げた。






「むつきちゃん、今日の体温は測り終わった?」


「はい、36.9度でした」


 巡回で回ってきてくれた看護師さんに、まだ数字が表示されたままの体温計を返す。


「ありがとう。ちょっと高めね。暑く感じるようならお部屋の温度少し下げようか?」


 看護師さんは、その数字とわたしの顔色を見て、持っている紙に書き込んでいる。


「ううん、だいじょうぶ」


「調子悪いようだったら、今日の教室はお休みしていいからね」


「うん……」



 ひとりになったわたしは、窓の外を見る。


 そうだね……。私がこの部屋に来てもうすぐ1ヶ月になるのかな。


 病院の4階の窓からの景色は毎日変わらない。





 佐藤むつき、それがわたしにつけられた名前。


 でも、本当のわたしの名前はわからない。


 ううん……。そもそもつけられていなかったというのが正しいかもしれない。



 わたしは、お父さんとお母さんを知らずに、教会に併設されている施設で育った。



 むつきというのは1月のこと。


 わたしが保護された病院から施設に来たのが1月だったから、名前のなかった当時のわたしに先生たちが付けてくれたとあとで知った。



 同じように、身寄りのない子、事情で自宅で過ごすことができない子たちと一緒に育ってきた。


 幼い頃はそれが自然だと思っていても、小学校に行き始まれば、自分たちと他の子たちとの差がだんだん分かるようになってくる。



 4年生の授業で、「ハーフ成人式」という名目で、教室のほかの子たちは親からの手紙が届いたりする行事があった。


 わたしにも、先生からの手紙を形の上ではもらった。


 もちろん、いつもお世話になっているし、先生たちの気持ちがいっぱいこもっていたことも理解できていた。


 ただ、逆にそのことがきっかけで、わたしにはひとつの願い事ができてしまった。



 『お母さんに会いたい……』と。



 わたしがどうして生まれたのか……。


 他のクラスメイトが当たり前に手にしているものをわたしは知らないのだから……。



 でも、それを施設の同じくらいの子たちと話した時、意外にも否定的な言葉がほとんどだったんだ。



 自分たちを育児放棄した親に会ったとしても、憎しみしか湧かないかもしれない。それなら肉親に会わないほうがマシだという理由が多かった。



 以前のわたしなら、そう思うこともあったかもしれない……。




 でも、今のわたしには、そんな感情を振りかざす時間も残されていない。




 5年生で迎えた秋の運動会の時、体がこれまでよりも重く感じた。


 風邪をひいても治りにくくて、いつまでも咳をしていることが多くなった。


 それでも施設の先生たちに迷惑はかけられない。


 個室をお願いして、他の子に症状が移ったりしないように食事以外はその部屋で過ごしたし、入浴も一番最後にしてもらって気をつけてきた。



 先月、とうとう我慢できなくなって、学校を休んでお医者さんに連れて行ってもらった日。



 普通にお薬をもらって終わりかと思ったのに、1日いろいろな検査をされたあと、夕方になぜかわたしではなく先生が診察室に呼ばれた。




 病院からの帰り道、先生は何かをぐっとこらえている様子が気になった。



 教会に戻って、わたしはお薬を飲んでからいつもの自分の部屋に戻った。



「むっちゃん、ちょっとお話があるの」



 しばらくして、部屋のドアにノックのあと、園長先生と一緒に病院に行ってくれた先生の二人が部屋に入って来た。



「今日、病院でなにか言われたんですか?」



 わたしの部屋に二人でお話しに来るなんて、お説教でもなければあまり良いことじゃないだろうなぁと思っていると、予想していなかった話を聞くことになる。



「むっちゃん。今日ね、お医者様とお話ししたときに、空気のきれいなところの病院で治したほうがいいってことを言われたの」


 具体的な病名は言われなかったけど、そうだったんだね。


 それで咳が止まらなかったりしたんだと。学校は病院の中に教室があるから、そちらに一時的に転校するんだとも教えてくれた。


 先生たちも、元気づけてくれるようにとクリスマスツリーをいつもより早く出してくれた。


「元気になったら帰ってくるね」


 みんなにそう言って、わたしはこれまで過ごしてきた施設を出て、病院に入院するために車に乗り込んだ。





 わたしが入院してしばらくすると、雪が降り始めてきた。


 街を遠く離れた高原の病院。病室は一番上の階の4階の個室。だから、窓は15センチくらいしか開かない。



 そして、この『4階』という場所が普通の病室とは少し違うことに、わたしは気が付いた。


 わたしたちのように入院すると、普通ならいろいろと食事だったり、行動を制限されるはず。


 それなのに、この4階の人たちにはそういった制限がない。


 好きなものを食べて、体調が良ければ外出も大丈夫とヘルパーさんから説明を受けたときはびっくりした。


 でも、1階の外来エリアや、2階や3階にいる院内教室の子たちの話を聞いていると、4階は特別な場所なのだと分かってしまった。




 このフロアにいる人たちは……。そして、わたしがここにいるということは……。


「そういうことなんだね……」


 もう、わたしがあの教会の施設に帰ることはできないということなのだと。




 そう思うと、急いでクリスマスツリーに吊るしてきた願い事もかなうことはないだろうな……。



 4階のわたしたちには、お薬も強いものは出ない。


 わたしも咳止めは出るけれど、逆に入院する前よりお薬の量は減った。


「むつきちゃん、今日からなんでも頼っていいヘルパーさんが付くからね」


「はい……」


 そっか、わたしももうすぐ順番なんだ……。


 その時に備えるため、看護師さんだけじゃなくてベテランのヘルパーさんが身の回りの世話をしてくれるということなんだろうね……。


 院内教室からお部屋に帰ってくると、30歳半ばくらいの女の人がわたしのベッドを直してくれていた。新しいヘルパーさんが来てくれているのだと思った。


「ありがとうございます」


「はじめまして、佐藤むつきちゃん…………」


 わたしたちは、そこから先の会話が続かなかった……。



 違う……。


 それが第一印象だった。それに、なんだろう。先日までとは違う。同じ病室なのに。ただ、残っている時間を過ごす場所だって分かっているはずなのに……。


 あったかい……。


 そう思った。




 上野さんだと、そのヘルパーさんは自己紹介で教えてくれた。


 きっと第一印象で感じた違いも、ベテランさんだから、わたしにこれから起こることも分かっていて、少しでも安心できるようにということだと思っていた。


 上野さんは、わたしの身の上話を消灯時間を過ぎても聞いていてくれた。どうしてそんなことを初対面のヘルパーさんに話す気になったのかは分からない。


 上野さんはそんなわたしの手を握って離さなかった。それどころか、次の日からわたしが目を覚ます前に出勤してきて、眠った後に帰っていくということを看護師さんから聞いた。


「むつきちゃん、きょうのおやつにホットケーキを作ってきたの。一緒に食べない?」


「ありがとう……」


 食事制限がないことを利用して、上野さんは毎日、わたしのおやつにいろいろなものを作ってきてくれた。


 少しずつ重くなっていく体で教室に行くことが辛いことを話すと、


「じゃぁ私が先生になってあげる」


 その日から上野さんが病室で教えてくれることになった。


 もうすぐ消えてしまうわたしに、勉強なんて……と思うかもしれないけれど、こうでもしていないと、悪いことばかり考えてしまって、泣き出してしまうか分からないから。


 でも、上野さんの授業は教科書の中身ではなくて、いろいろな話をしてくれるほうが多かった。


 わたしからも、これまでに経験したことを引き出してくれて、わたしにもそれなりに楽しいこともあったんだなと思い出させてくれる。


 そして毎晩、わたしの手を握って眠ってしまうまでそばにいてくれた。





「上野さん……、屋上に行きたい……」


 そんなお願いをしたのは、クリスマスイブの夕暮れ。


 もう歩くこともできなくて、こうして上野さんにお願いをするしかなかった。


「今から屋上? 寒いよ?」


 心配そうな顔をしている上野さん。ヘルパーさんだからわたしの体のことは看護師さんやお医者さんから聞いているだろうから、よけい心配になったんだと思う。


「わたしね、こっちに来る前にクリスマスツリーにお願い事を吊るしてきたんだけれど、サンタさんに届いたかなって思って……」


「そっか……。天気は大丈夫ね……、少しだけよ?」


 上野さんが車いすと毛布を何枚も持ってきて用意をしてくれている間、わたしは一度部屋を見回して、じっと目をつぶっていた。





 病院の屋上は、このあたりの建物では一番高い場所で遠くが見える。


 もちろん、わたしが育った街までは見られないし、フェンス越しになるけれど、窓の隙間から見るよりはいい……。


「きれいな夕焼けね。もうすぐ一番星も見えるかも」


「うん……」


 地面には雪が積もっていて、大きな白い画用紙のように見えた。


「むつきちゃんがサンタさんにお願いをしたのは、なんだったの? もしよかったら聞かせて?」


 わたしと同じ高さにしゃがんでくれて、上野さんがそっと聞いてくる。


「あのね……、おかあさんに……」


 その時、体が冷えてしまったせいか、ケホケホと咳が止まらなくなった。


「むつきちゃん、お部屋に戻りましょう」


「ううん、ここでいい……」


「むつきちゃん……」



 上野さんの顔が変わった。



「お母さんに……どうしたかったの?」


「会いたいって書いた……」


 上野さんはわたしの身の上を知っている。だから、この時も素直に言えた。


「会って……、ありがとうって言いたかった。大人にはなれないけれど、たのしいこと……いっぱいあった……」


 そこまで言ったとき、咳がまた止まらなくなった。


「むつきちゃん!」


 屋上の雪の上に、赤い色が散らばった。


 そんなわたしのことを、上野さんは両手で抱きしめてくれた。


「うえのさん、だめだよ……、よごれちゃう……」


 お洋服が汚れちゃう。でも、上野さんはわたしのことを両腕で抱いてくれたまま……。


「なゆき……、ごめんね……。ごめんね……!!」


 上野さんが泣いている。いま、なゆきって…………。


「あなたの本当の名前は奈雪なゆき……。名前も決めていたのに、育ててあげられなくて、ごめんなさい!」


「お……かぁさん……?」


 返事の代わりに、上野さんはわたしのことをぎゅっと抱きしめてくれた。


 そっか、だからだ。他のヘルパーさんと違って、なんでも話せた。なぜかいつも安心できた。おやつを食べながら一緒に笑えた……。


 お母さんだったんだもん。わたしはずっと甘えることができていたんだ……。


「わたし……、お母さんに抱っこされてる……。サンタさんにお願い……届いてた……」


「うん。そうだったね。よく、帰ってきてくれたね。……お帰りなさい奈雪……」


「ただいま……。教えてくれて……ありがとう……。おかあ…さん……大好き……」









 新しい患者、佐藤むつきという女の子を見た瞬間、私の中にこれまでに感じたことがない衝撃を感じた。


 あまりにも、自分の子供時代とそっくりだったから。




 12年前。出産を間近に控えた私のところに警察から電話が入った。夫の交通事故死の連絡だった。


 それだけでも衝撃で、夫の葬儀が終わると私はしばらく病院に入院していた。その間に奈雪と名付けるはずだった女の子を出産した。


 でも、当時の私に子育てはできないと判断した親戚や病院は、その子を乳児院に預けたという。


 いつか、お互いの事情を分かり合って会えることを夢見ながら……。





 私は、入院生活に入った彼女の連絡先に電話を掛けた。


 病院関係者として彼女の生い立ちを聞くと、間違いなく奈雪だと確信した。


 4階に入院する患者で、特に未成年の子の場合は誰もが躊躇とまどう。いかにホスピス、ターミナルケアだとしても、本人以上にヘルパー側の精神的ダメージの方が大きい。


「私がやります」


 だから自分から申し出た。あの子のことを他の人に任せたくない。『4階の患者』の意味も分かっている。


 だから、これまでできなかったことを短い日々にいっぱい詰め込んだ。


 どんなに偽善だと思われてもいい。でも、私に与えてもらった最後の時間だと思っているから。




 母親失格の私の事は恨まれていても構わない。それが当然だと思っていたのに、最後に正体を明かした私へ奈雪の口から出た言葉は正反対だった……。


 娘の亡骸なきがらと遺品を引き取って自宅に戻ったある日、奈雪が人生の大半を過ごしていた施設から手紙が届いていた。


 在りし日の奈雪の写真と、最後に遺してきたクリスマスのお願いが書かれたカード。あの子が最後に空へ託した言葉たちはいま、私の腕の中にある。


 病院のヘルパーの仕事は奈雪を最後にすると決めていた。


 私の次の仕事は保育園のお手つだい。それは年度が変わってからだから、少しだけ時間がある。


 奈雪と二人・・で、お世話になった教会にあいさつに行こう。そして、雪が解けたら裏庭にあるお墓にいる彼女の父親にも会わせたい。


 それが、今の私にできることなのだから……。


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