Lemon peel～神癒喫茶の来店記録

Lemon peel～神癒喫茶の来店記録

寒暖というより痛覚だ。水風呂の中を歩くように二の足を踏む。厳密には腰から下は裸も同然だ。ひらひらした薄布は防寒に役立たない。

むしろ制服なんて無駄なルールはとっとと廃止して欲しい、と瑠奈は切に思う。

どうにもこうにも冬という概念はデメリットだらけだ。油断すると死ぬ。針が空間に満ちている。呼吸するたびに冬が肺に突き刺さる。瑠奈はそう理解していた。

ああ、とにかく一瞬一秒たりとも外にに居たくない。心身ともに暖を取るという行為に恋する。エアコンが部屋を室温にするまでのやるせない気分。

とても耐えられない。ほのぼのしたい。癒されたい。温もりが欲しい。こんな時に隣に好きな人がいたらどんなに幸せか。

冬はとにかく寒い時期。

寒くて苦しい時期だ。これが日常なのだ、と、瑠奈はやんわり身を引いた。好きになったら好きになったで、付き合いはしてもいい時期だ。

――あ、そういえば私、上の名前、なんていったっけ……？

瑠奈は名前を失い、呼ばれることを忘れていた。

治療薬の副作用で健忘したようだ 。

フルネームを知っているのは瑠奈の父と、疎遠な叔父だけだ。

病弱な少女はネグレクト同然に育った。

そんな瑠奈に唯一優しくしてくれたのが兄のよく知る人だった。

彼は瑠奈の世話をしてくれていた。人は些末事を忘れてしまう。

大多数にとって日常でも記憶のリカバリーを他人に依存する瑠奈にとっては一大事であった。下校してマンションのエントランスで遭難した。

でも、それでも……。どうすればいい。瑠奈はそこまで考えていなかった。

助けを呼ぼうとドアノブに手をかけた。その手を隙間に挟んだ。

「……ッ！」

ドアの両側で同時に悲鳴があがった。向こうで誰かがドアを乱打している。瑠奈は反射的に縮こまってしまう。

「うるさい！ 誰でもいいから開けろっての！」

「誰でもいいってなんだよ！」

誰かが激しく言い争っている。

瑠奈の視界に影がちらついた。振り向くと青年が立っていた。

素性を聞く間もなく逆に誰何された。

身体が震えて声もでない。男は瑠奈を無視して会話を続ける。

「何が気になるんですか？」

「こいつ、何か知っているんじゃないかって思ってな……」

肩越しにソプラノ声が聞こえる。

「その子さっきから動きませんよね？ 怪しいですよ」

言われて、瑠奈は自分のスカートがドアの隙間に引っかかったままということを思い出した。その事実に気が付き、慌てて服装を整えた。

「何だ、こいつ、まさか……」

男は赤の他人だ。女の顔つきは母の面影があるが微妙に違う。

「まさかとは思うけど、お前、この子に何かした？」

瑠奈が男を見ると、後ろに女が立っていた。

「え？ いや……」

その少女――黒いオーバーサイズパーカーに膝上30センチのショーとスカートを履いた――は、自分に近づいてきた男を見た。

「お前、ここの店で何をしていたんだ？と聞いている」

店って何だよ。瑠奈の集合住宅にテナントはない。

「あ、あなたは……？」

瑠奈が聞くと、少女は後ろの男を見ながら、

「この子、さっき言っていたお客様ですか？」

店って何だよ。集合住宅の一階は駐車場だ。

わけがわからないよ、と瑠奈は怯えた。ブラック校則のせいでスマホで通報できない。同時に寒気がした。この人達は実在しない。つまり化物か幻影だ。ドアをすり抜けた。私は幽霊を信じる女じゃないから、と瑠奈は毅然とした態度で言った。

「何の事でしょう。この棟に店はありません。貴方は不法侵入者ですか」

新しい父と称する人が迎えに来る度に瑠奈はこんな風に撥ね付けた。母親の異性遍歴は瑠奈の心に傷を重ねとうとう兄の元へ逃げ込んだぐらいだ。

少女は「貴女こそ客でないなら出て行って。ここは檸檬のお店よ。癒しと祓し専門。穢し誤魔化し冷やかしはお断り」と言う。

どう見ても、お前は不審者だと目が決めつけてる。

お店か…そういえば病弱でバイト無理なんだよね、と瑠奈は悔やんだ。

もしかしたらエントランスで凍死した自分こそ幽霊かもしれない、と言う事実を目の前の現実的な者に訴えても仕方がない。

それに彼女のいう店とやらは、瑠奈のマンションと無関係なようだが、幽霊になってしまった境遇は無視できない。真相に未練がある。

あっという間に瑠奈は店から連れ出された。もはやエントランスだった場所に保冷ケースやレジが設置され客でごった返している。誰も瑠奈を顧みない。幽霊とはこういうものか、と実感した。そしていわゆるぽつんと一軒家に連行された。近隣も内部も不気味な静けさだ。咄嗟に逃げておけばよかった。瑠奈は後悔した。成仏するにせよ不明点だらけで死んでも死にきれない。継続して情報収集する。観察すると少女の実家は昔から続く名家のようだ。しかし瑠奈は何となくわかる。（今の彼女には家も家族もいない）

母親はさぞ美人だろう。若い娘がそうなので余計に魅力的に思えてくる

大地と名乗った男の話では、この少女は、彼女の母のような美人が欲しがっていたという。

「親子なのに友達感覚って不可解だ。群れたがる女の習性か？」

なんとも、男らしい見解だった。

少女と大地の関係と言い謎は深まるばかりだ。ただ母親という語句が瑠奈に刺さった。甘える対象でなくむしろ元凶である。父親を次々と変えた。

思い出なんて幻滅の連続だ。

ふと気づくと大地と少女が言い争っている。またか。

「どうせうちの娘を殺させてたのに、そんなことも知らないで……」

「いや、でも、俺なんて見向きもしなかったんだ。俺の、娘じゃない」

少女が少女のまま言った。

「俺の、娘じゃないから……」

男が瑠奈の手を握り、それから少女の手をギュッと強く握った。

瑠奈は驚いた。こんなにも強く握れる人が居たなんて。両親は一度たりとも手をつないでくれなかった。他人はもっと厳しい。拒んだりピシャリと払ったり。殺しなんて物騒な台詞とはこの人は無関係な筈だ。誰だろう、もしかして彼は瑠奈の父親か兄弟なのか？

少女の掌が熱くなる

その温もりに一瞬ほだされそうになった。この人達の事情はともかく巻き添えはごめんだ。母親の戸籍が汚れるたびに幻滅が希望の仮面を被って握手を求めてきた。そして酷いしっぺ返しを食らった。

だからきっぱりと少女に言ってやった。

「そろそろ放してくれませんか。私は何もしてないし、あんたの店に何の損害もない。責任があるというなら証拠を見せて。説明して」

すると店主はふぅっと吐息をした。

「私は檸檬。癒しと祓し専門。穢し誤魔化し冷やかしはお断り」

「それは聞いたから。なぜ粘着する。私に家族を殺されたとでもいうの？」

「あなたの妹が、この人を傷つけました」

檸檬は大地をみやる。

「なんで……」

身に覚えがない。

「あなたは、ここを通るの？」

もやっとした霧が晴れて檸檬の背後に山門が現れた。いかつい目をした龍が扉をぐるりと囲んでいる。ドアノブが骸骨だし不気味な彫刻がびっしり。

むこうに何があるか瑠奈は自分の境遇から察した。幽霊の行先は一つだ。

大地が固唾をのんだ。そして扉と瑠奈を見比べた。「俺にはいく理由がある…らしい。だが腑に落ちなくて店に頼った」

目が死んでいる。視線が泳いでいる。

「ちょっと待って！私の妹って誰？面識も記憶もない。それにオッサンの娘が死んだのか何か知らないけど、私、関係ないから」

瑠奈にとっては降ってわいた災難だ。こんな急展開より停滞が欲しい。もう、ごたごたはたくさんだ。人が群れる所に争いが起こる。瑠奈の希望は安定だ。

「の…喉から手が出るほど、というより世間体というか周囲を騙されるためだった。俺自身、消極的だった」

大地の発言にピンときた。「あなた…お父さん」

瑠奈の質問にぎくっとする。

「連れ子は二人も養えないって…何で黙ってるかなあ。知ってたら最初に言ったんだ」

未来の義父らしき人物は頭を抱えてうずくまった。

檸檬の目が無言で促している。瑠奈も行くべきだ、と。冗談じゃない。連帯責任だというのか。その、実母が産んだか妊娠したらしい彼氏の娘のために瑠奈も強く結婚を説得すべきだったと、こういいたいのか。だったら、まず筋を通すべきだろう。兄と今の義父と瑠奈に。

扉の先は地獄に続いている。瑠奈はそう解釈した。冤罪で劫火に焼かれるなんてごめんだ。地縛霊になる方がマシだ。

「この店にお前の姿を見つけた時、俺は先手を打たれたと思ったんだ。てっきり世恋（せれん）が娘を始末して全てを清算するために俺を追い込んだと。だが、事情は違った」

親子関係を黙っていたところで戸籍謄本を見れば身バレする。どこまで他力本願なんだ、この男は。

「私、なにもしてないわ」

瑠奈は身勝手な大人の痴情に腹が立つ。セレンは月女神の別名だ。恋に狂う女に手を出すなよ。名は体を表すって習わなかったのか、このバカ男。

瑠奈は檸檬を睨み返す。仕草だけでは不十分らしく語気を荒げた。

「……私は、この人じゃないから」

「そう」

「あなたの妹がどれだけ、大事なのか、あなたは知ってます」

「え」

「私は、あなたに聞かないと駄目なんだ。私はあなたの事が好きなの」

少女が瑠奈の手を振りほどき、顔を強く自分の顔にあてて言った。

「私はもう、あなたに知ってもらいたいんじゃなくて、あなたをもっと好きになったんだ。それに、私だってやれた事があるから知っているだけ」

そう言って、少女は、瑠奈の顔をじっと見た。

瑠奈は少女の優しい瞳をしかと見ていた。あの時、瑠奈が見せた少女の目の奥の優しさの中に埋もれていたあの目とは違う。見えなくても瑠奈の事がわかるという不思議な目だった。

「好きになって、どうしたんですか」

少女は静かに言った。「あなたが死んでから……」

「死んだ？ なんで？」瑠奈がそう言うと

「あなたを止めようとしたんです。だって、あなたは死んだんだから、私の命を返してくれればいいのに、って」

「なにそれ」

瑠奈は、思わずそう呟いていた。

「好きな人に先立たれて喜ぶ人はいません。もし死んでしまっても、想い続け後追いしたいとすら願う。でも、貴方を好きだなんて、そんなの嘘です」

少女は自分から言ってくれた。でも、瑠奈は何も言えなかった。私は、そんな事言っただろうかと思ったが、私は確かに言った、と思い返した。

少女は顔をしかめた。「どうして死んだんですか」

瑠奈は少女の質問に答えられず、沈黙が続いた。

それから、沈黙はそろそろかと思った時、突然、少女が瑠奈の前に腕を出し、顔を覆った。しかも泣いているのか涙を流しながらだ。その少女は瑠奈の腕を握ると、

何かつぶやき出した。瑠奈はその内容が分かった。少女に言われたことも分かった。瑠奈は自分の頭に手をあて見つけたらしい。その頭を少女に見られているのだろうか？

少女は自分から言ってくれた。、でも、瑠奈は何も言えなかった。

私は、そんな事言っただろうかと思ったが、私は確かに言った、と思い返した。

「逝く前に最後の晩餐をいかがでしょうか」

落ち着き払った態度で檸檬が配膳した。

まず洋酒を置いた。

「えっ、わたし未成年…」

瑠奈がグラスを拒むと「死んでんだぜ」と大地がお酌した。

まぁ、確かに幽霊に法律を守る義務はない。といっても、出来れば成人式に乾杯したかった。瑠奈はセーラー服の袖をぬぐう。

「そんな時、ついつい温めてしまうのが『レモン』です」

檸檬は癒しの儀式を始めた。すっきりポックリ逝ってもらわねばならない。

◇　◇　◇

「レモン」『レモン』をどの季節、またどのような用途で使ったらいいのでしょうか?

レモン、その日の気分にあわせて入れた方がいいのか、何種類か用意してみたら、何種類かが効果が高そうに感じます。(もちろん、何種類も食べれますが、今日はひとつ、「オレンジ」でもいいかな?)

まず、普段、お酒のアテとして使っているレモンのおすすめといえば、これです!

「レモンの皮」

「レモンの皮」

「赤」と「黄」の皮で1袋

(※赤:お酒(小さいお猪口)に入れる。ピンク:アルコールランプで加熱したもの)

レモンの皮から、レモンの味わいが出てきます。

レモンの皮は、爽やかさと、さわやかさを含んだ味わいがあるので、

「赤」と「黄」の皮も使えば、甘みが抑えられるので、飲むお酒としても使えます。

でも、「青く青く」な「赤」と「赤」の皮は、どうしたって味がぼやけてしまいます。

そこで、赤か黄か、黄色か、赤か青か……。

いろんな色でレモンを味わいたい―。

そう思って、「赤」と「黄」の皮を何枚か用意すれば、これがいい!といった使い方もできるので、ぜひ試してみてください。

◇　◇　◇

強炭酸水にレモンの皮をつけてリキュールをまぜサワーにする。

大地がポツリとこぼした。それが全ての答えだった。

「お前の葬式で全部はっきりしたよ。知っていたら一目散に救出に行ってた。養えなくても児相に繋ぐぐらい俺でも出来た。世恋は…」

「悪くないわ」

瑠奈が遮った。

「お母さんは悪くない。今はそう思える。許せる。私だって重たい人間関係は嫌だもの」

すると、檸檬の顔がみるみるうちに別人になった。

「えっ」と瑠奈は一瞬とまどうも、やっぱりか、と確信した。

檸檬もうなづく。

「妹さんの想いを貴女に返します。さっきの言葉を聞けて妹さんの心も晴れるでしょう。児童養護施設で元気にやっていけると思います。最後にもう一度だけ伝えます『お姉ちゃん。ありがとう』」

その瞬間、レモンのしずくが高潔な光となって山門を押し開いた。

大地と瑠奈は神々しい輝きの向こう側へ旅立っていった。

『ここは檸檬のお店よ。癒しと祓し専門。穢し誤魔化し冷やかしはお断り』