おとうさんのせなか

水原麻以

第1話

あなたにもし子供が生まれたら教えてあげるといい。いつの時代も父の背中はいいものだ。ところで、あなたがいつ、最初に父という存在を認識したのだろうか。

「…などといった疑問が当たり前のように生じる今日この頃。誠に由々しき事態であります」

アナクロニズムの化石標本が論壇のペットボトルを揺さぶっている。バーコード付きのゆでだこはPTAの書記を務めている。

長かった休校期間があけ、閑散とした学校に恐る恐る生徒たちが登校してきた。

ステイホームはすっかり子供たちをだめにしてしまったらしく、机に向かったものの、覇気もやる気も全く感じられない。

「このままじゃアカン!」

「教師が弛んでいる」

「学校は子供を勉強させるところでしょ」

付き添いの保護者から次々と不平不満が沸き上がる。そして、クレーム台風の進路上に職員室があった。殺気を感じた教師が校長に密告し予防線を張ったので事なきを得たのだが。

「皆さん、おっしゃる通り、学校は勉強する場所です。議論の場ではありません」

教頭が機転の利いた返しで父兄を黙らせることに成功した。すごすご引き上げていく親たちには煮え切らない者もいたらしく、何やらコソコソ話し合っている。

「ふう、万事休すでしたな。校長」

教頭はほっとバーコードを撫でおろした。

しかし、校長は警戒を緩めなかった。「いや、モンスターは死んでない。近いうちに第二、第三の」、と何処かで聞いたような警告を発した。


「コーチョー!!」

ドタドタドタと土煙をあげて教頭が駆け込んできた。

「引き出しの爪を折ったら自腹で弁償したまえよ」

右足を差し上げた教頭に校長は釘を刺した。ストンと引き出しが床に落ちる。

「あ。」と教頭。

「あ?」と校長。

見つめあう二人には恋の花が咲くこともなく、修繕費の負担を巡って亀裂が生じた。

「便利な道具は君のポケットに入っている」

校長は教頭の膨らんだ胸元を指さした。

「アハン」

「アハンじゃない! 5万だ!」

「…5万って」

教頭が思わずのけぞる。「君が今年になって破壊してくれた学校の修繕費だ」

「…」

「耳を揃えて払ってもらおう。ああ、鼠にかじられただの不条理な言い訳はいっさい!受け付けないから宜しく」

無慈悲な宣言に教頭は青ざめた。

「それで、コーチョー!」

彼は唐突に果たすべき役割を思い出した。

「分割払いは許さん」、と厳しい態度で臨む校長。

「分割どころか一喝されそうです」

教頭は窓の外を指さした。黒山の人だかりが校庭を埋め尽くしている。




「緊急PTA会長選挙ですって? どうしてこうなった」

校長が卒倒するのも無理はない。喧々諤々の結果、保護者の満場一致で学校側が悪いという理屈にたどり着いた。

「結論から申し上げますと、ここは一つ、ガツンと物申すべきだと。しかし、それに相応しい人材がいないので、PTA会長を選びなおすそうです」、と教頭。

「しかし、急に言われても…」

校長はハンカチで汗を拭きながら手渡された決議文を読んだ。

会則に「不測の事態が生じ、可及的速やかに対処すべき課題が円滑に処理されない場合は保護者の総意でPTA会長を解任できる」とある。


そういう次第でPTAの伝統芸能「必殺、推薦」という名の押し付け合いによって、うちの父が会長候補に選出された。

他にも並み居る強豪?がひしめいている、というが、私からみれば誰もが迷惑そうにしていた。

さて、うちの父といえば…そういえば、選挙期間が始まるまですっかり父の存在を忘れていた。それほどまでに我が家では存在感が薄い。

空気よりも薄い。もう星間物質レベルにスッカスカ、無の空間に限りなく近い。


隣の山田君の家庭などもっと父親の存在が薄い。

というか、てっきり母子家庭だと思われている。彼に父親の職業を問うても「ま、時々姿を家の中で見かけるし。そこら辺に浮いているんじゃね?」とまるで幽霊扱いである。

幽霊父兄。そんなもんいてたまるか。

さて、うちの父といえば何だかよくわからないシステム開発の会社に勤めているらしく、ずっとパソコンに張り付いている。まれに実体化する彼とつかの間のやり取りをする。その会話内容によれば、個人情報を扱う部署に関わっているらしく、帰宅や外出すらままならないのだという。

考えてみれば激務のエッセンシャルワークと言えるが、本人は楽しそうである。

「いてもいなくても変わらないなら結婚する意味がないわ」、と母がぼやく始末である。

さて、選挙戦も中盤にさしかかり、家庭の事情や仕事の都合といった万能弁解によって候補者が次々と脱落していった。

ある日なぞ、奇跡的に降臨した父に選挙の意欲を問うと「まぁ、決まったら全力出すわ」と言い切られる始末。

父よ。デスマーチの修羅場ではなかったのか。


「でありますからあ、デジタルデバイドがどーたらこーたらで、私はアフターコロナの学習環境をうんぬん」

政見放送ならぬ投稿動画が抱負を語っている。お向かいの戸成さんだ。低所得層の生徒に配慮した学習機会を整備する公約を掲げている。

一方、裏の向井さんは精神論を唱えている。コロナなどちょっとした風邪なのだそうだ。こっちはこっちでかなりの重症である。

彼の公約は学校へ行こう。熱中症だの自粛だの文科省は何たる体たらくか、と怪気炎をあげている。会長当選の暁には土日も登校させて勉強の遅れを取り戻すと主張して一部父兄の反感を買っている。


そして、父の出番が回ってきた。

「シーン」

誰もいない部屋でパーティションに張り付けた模造紙が無言の演説をしている。

びっしり書き込まれた公約は父らしいミミズ文字で記されていて、解読が不可能に近い。

お父様。これはビデオ出演ではありません。ただのフリップ芸です。

そして山田君のお父さんに至っては言語道断たる酷さだった。

何と全身タイツにマントを纏った父親らしきがバッタバッタと怪人をなぎ倒していく。そんな職業だったなんて聞いてないぞ。山田君。

そんなこんなでとうとう投票日の前日になった。


戸成さんと向井さんが連名で選管に異議を申し立てた。山田・鈴木両名の候補者を失格にしろというのだ。

「まことにけしからん。あの連中はPTAを何と心得てる。やる気が1ミリも感じられない」

「ふざけた男ですよ。何が山田マンだ!」

そして二人は結託して両家に直接怒鳴り込んだ。


選挙の自由妨害という規約違反により、戸成、向井両候補者の立候補は取り消された。

そして、いよいよ投票日当日。


世界中の空が未確認飛行物体で覆いつくされた。

「運動会なんか無くなってしまえばいいのに」「期末テストは地震で中止」

子供たちの積年の恨みが夜空の向こうに発信され、数ある雑念の中から「宇宙人が地球を侵略すればいいのに」が採用された。

純粋無垢な心の叫びを受け取った高度知的生命体は子供たちを苦難から解放すべく宇宙児童相談所に通報した。

宇宙児相は強大な警察力を伴う銀河連邦所属艦隊を引き連れて地球を訪問した。もし抵抗するようなら容赦せず、宇宙警官立ち合いのもと、立ち入る。

世界が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。とうぜん、学校も休みである。


万事休すかと思われたその時、赤いマントの山田マンがよくわからない造形の仲間を引き連れて地元にカムバックした。

そしてうちの父である。これまた肌にピッタリとしたスーツを纏い颯爽と纏った。そして小脇にキーボードを抱えて、ピースサインを突き上げている。

「ちょ、お父さん」

私が父にどういうつもりか意図を訪ねると「地球の危険があぶないんだ」と一言の残して座り込んだ。そしてどこからともなく召喚した100インチ大型液晶モニターを三面鏡のごとく配置し、ガチャガチャとキーボードをたたき始めた。打楽器かよ。

すると、カっと空の一角が燃え上がった。

なんということでしょう、UFOが黒板消しで拭いたように消えていく。

「おとーさん。ハッキングでどけんがせんでください」

余りの荒唐無稽さに私は苦情を申し入れた。だって、安っぽいハリウッド映画じゃあるまいし、そもそもUFOはWindowsOSで動いているのか。

「ぐぬぬ」

横で見ていた山田メンも我慢しきれず父親のターンに乱入した。

そして、本人に夜空の星がはじけるがごとくUFOが内部から破られる様をまざまざと見せつけた。

やがて、空が茜色に染まるころ、侵略者は全滅した。

暮れなずむ夕日を浴びて二人の父がたたずんでいる。

何だか私は涙が出てきた。

おとうさんの後ろ姿は偉大です。

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おとうさんのせなか 水原麻以 @maimizuhara

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