掲示されたメッセージ

比呂太

掲示されたメッセージ

 ――ただでさえ、不快指数の高い時季である。

 連日のうんざりするような湿気に加えて、今朝は耳障りな携帯の着信音で目が覚めた。

 布団に埋もれていた携帯を音を頼りに引っ張り出すと、相手も見ずに通話アイコンをタップする。


「……はい……」


 喉が準備不足を自白するような擦れた声。そんな俺とは対照的に電話相手は饒舌だった。


『朝からお電話して申し訳ありません、私、大谷東おおたにひがし小学校の一年一組の担任をしております、山岡と申します。こちら桜本さくらもとさんのお電話で間違いないでしょうか?』


 ……大谷東? 一年一組? 担任?

 俺はハッとして無意識に起き上がり、姿勢を正す。

 娘の担任からの電話だったのである。


「あ、先生、どうも、いつもお世話になってます、桜本です」


 電話口でもペコペコしてしまうのは、日本人なら誰しもご理解頂ける所作だろう。


『お休みのところ申し訳ないです。昨日もお電話差し上げたのですが、連絡がつかなかったので、改めて連絡させて頂きました』


 ああ……確かに着信あったな……。

 昨日は在宅残業で目の回る忙しさだったので、それに気付いたのは深夜だった。


「すみません、折り返しできずに」

『いえいえ、お忙しいのは承知しておりますので。お母様はまだご実家の方にいらっしゃるんですよね?』

「そうなんですよ、来週末には、赤ちゃんを連れて帰ってくる予定なんですがね」


 うちの嫁と山岡先生とは、女性同士、同世代とあって中々に親しいようだ。

 嫁が里帰りで出産をしていることなど、家庭の事情を察してくれていることはありがたい。


『じゃあ来週にはりんちゃんもお姉ちゃんなんですね。凜ちゃんはクラスでも面倒見がいいし、絶対に良いお姉ちゃんになりますよ!』


 同感だ。

 我ながらうちの娘・凜は良く出来た子だと思う。

 もう一月ばかり母親と離れて寂しいはずなのに、気丈に明るく振舞っている。俺が在宅で仕事をしていても、特にやりにくいと思わせるようなこともせず、全く頭が下がる。

 ……親バカ?

 そう呼ぶなら呼べばいい。親バカじゃない親なんてバカだ。これ持論な。


「そうですね、今静かな分、来週からは騒がしくなりそうです」


 そんな会話をして、ひとしきり乾いた笑いが収まると、山岡先生が襟を正す。


『それで本日お電話した件なのですが、連絡事項がありまして』

「ああそうか、そうですよね、はい、なんでしょうか」

『実は近頃、校内で上履きを隠される事案が頻発しておりまして、念のため来週からは毎日上履きを持ち帰ることになりました』


 上履き隠しとは、また古風な。そう言えば凜がそんなことを言っていたかもな。


『そうしますと、上履きを忘れてくる子がたくさん出てしまいそうなんですよね。

 学校としても貸出には限りがありますので、各親御さんの方でも、お子様が忘れないように目を光らせて頂きたいんですよ。今回はそのお願いでお電話しました』


 なるほどだ。上履きを忘れた生徒が全員裸足というのも忍ばれる。


「そういうことでしたか。承知しました、私の方でも気を付けますので」

『そうして頂けますと幸いです。学校としても、なるべく早く事件の方が収束出来ますよう努めて参りますので』

「いやいや、学校のせいではないでしょう。悪ガキの一人や二人いるものですよ」


 まあ昔からあることだしな。俺とは打って変わり山岡先生は真剣な口調で返す。


『出来る限り一人一人の子に寄り添っていくのも教師の仕事です。ストレスのやり場が学校に向いてしまう場合もありますからね』

「先生も大変ですね」

『ありがとうございます。それでは宜しくお願い致します。お母様にも宜しくお伝えくださいね』

「はい、ありがとうございました」


 どちらからともなく終了アイコンがタップされ、通話が終了した。

 それを見計らっていたかのように、凜が姿を現した。


「おはよう。誰と電話してたの?」

「山岡先生だよ」

「ふーん。なんだって?」

「来週から凜が上履き忘れないように見張れってよ」


 凜はそれを聞くと鼻から息をもらす。


「ああ、毎日持って帰るからか。別にランドセルから出さないし、問題ないけどね」


 確かに毎日洗えと言われた訳ではない。出さなければ忘れないというのは、あながち間違ってはいない。


「ところで凜、今日はパパ、久しぶりにお休みなんだよ。どっか行くか」

「仕事、落ち着いたの?」

「ああ。昨日でひと段落だ。色々迷惑かけたな」

「やったー」


 凜は表情を崩して顔いっぱいに笑顔を見せた。何もなさそうにしているが、実は結構我慢させていたのかも知れない。

 携帯に目を落とすと、雲マークの横に晴れマークが踊っている。最近では珍しく、今日は晴れ間が見られるようだ。


「どうだ、海でも見に行くか?」

「海か……ちょっと考えてみる」


 考えてみるってなんだよ。会話の変なところが嫁に似ていて困る。

 腕組みしていた凜が首を傾げながら口を開く。


「海だとダメだな。私、銭湯に行きたいんだよね」

「銭湯???」


 小一の娘から銭湯の名が飛び出すとは。確かに凜が近所のスーパー銭湯を気に入っているのは知っていたが、このタイミングで銭湯とは。


「晴れだよ? パパと水入らずだよ? 銭湯だと何も活かせないじゃん」

 凜は眉をひそめて深く息を吐く。マジで嫁が投影されるような仕草だ。

「……気持ち悪いこと言わないでよ。とにかく銭湯じゃないとダメなの!」

 左様でございますか。ならもう何も言わんさ。

「了解、じゃあまずはメシにするかな」

 俺は大きく伸びをして、膝に力を込めて立ち上がった。


 ――朝食を済ませて一息ついた俺と凜は、雲から顔を見せ始めた太陽と足並みを揃える様に家を出た。

 車に乗り込むと、仕事用の椅子と違った柔らかな感触に、なんとも違和感を覚える。


「友達は誘わなくていいのか? 穂乃花ほのかちゃんとか」


 エンジンを掛けながらそう訊くと、助手席の凜は小さくかぶりを振る。


「いいの。それに穂乃花は親から出かけるの禁止されてるし」

「なんだそれ、けったいな話だな」

「この間、穂乃花の上履きが隠されたからね。穂乃花ママもすごい心配してるんだと思う」

「そうだったのか、それじゃ仕方ない」


 アクセルを踏むと、ゆっくりと車が動き出す。パソコンにばかり向かっていたせいか、なんだか運転がやたら楽しく感じる。勝手に海まで走ってやろうかしら。


「じゃあ銭湯にむけて、しゅっぱーつ!」


 まるで俺に釘でも刺すように、凜は高らかにそう言った。


*****


 スーパー銭湯<凪>が見えてきた。ここは銭湯とは言ったものの、風呂以外も充実している。

 休憩所にはフードコート然とした食べ物屋が並んでいるし、雑誌や本なんかも置いてあったりする。ちょっとした漫喫のような側面もある。

 風呂としても、大浴場や露天などの定番もさることながら、炭酸風呂などの変わり種も加えた十種類にのぼるレパートリーを備えている。総じて満足度の高い施設だ。

 かといって、小学一年生がハマるには、ちと渋いような気もするが。


 車を降りて二人分の入館パスを受け取ると、凜が嬉しそうにひとつを引っ手繰る。

 そして跳ねるようにパタパタと、女湯の暖簾の方に走り出した。


「じゃあパパ、二時間後にたこ焼き屋の前ね!」


 二時間!? お前は二時間も風呂に入るつもりなのかよ。

 どうしよう、俺なんて精々一時間がいいところだろうな。まぁ時間が余れば茶でも飲んで待つかな。俺もやおら男湯の方へ歩き出した。


 ――およそ三十分が経過。

 ジャグジーの泡に身体を持ち上げられながら、俺は入浴時間の限界を感じていた。

 仕事ばかりで身体も疲れていたので、初めこそ癒しのひと時を楽しんでいた。だがあれこれ湯を巡っているうちに、寝そべり式のジャグジーに行きついて、そこに落ち着いてしまった。

 湯から立ち上る湯気越しの景色が、徹夜中のかすみ目を思い起こさせる。

 癒しの光景までが仕事に結びついてしまうなんて、社畜とは良く言ったものだ。

 両手で湯をすくい、顔に浴びせかける。

 凜はまだ風呂かな。やはり俺一人ではここいらで飽きてしまう。

 女の子とはいえ、小学一年生ならば昔だったら男湯に連れてきても良かったのかも知れないが、今のご時世そういうことに厳しい目を向けられる場合もある。

 何より本人が自分を「女性」と認識してるのだから仕方がない。この分だとパパと風呂に入れなくなるのも時間の問題だろうな。

 切なさに浸りながらも、本格的にのぼせてきた。湯疲れで動けませんなんてのも面白くない休日なので、俺はここらで上がろうと思う。


 風呂を出て、たこ焼き屋の前の一角に席を取る。そしてアイスカフェオレを啜る。

 仕事中のカフェイン摂取と異なり、何とも心地の良い気分である。

 案の定、凜の姿は無かった。あいつはこうと言ったら聞かないタイプなので、実際に二時間近くは風呂を満喫するのだろう。

 何となく携帯に目を落とす。嫁からメッセージが届いていた。

『仕事どう? 凜は元気? こっちは母子ともに良好です』

 凜が良く出来た娘なのは、コイツがしっかりしているからだ。改めてそう感じる。

 聞きたいことも、聞かれるだろうことも、一度のメッセージに盛り込まれている。

 俺は「元気そうで何より。仕事は昨日終わった。今は凜のリクエストで<凪>に来ている。凜の長湯で待たされてるところだ」と指を滑らせた。

『なんで銭湯(笑) お疲れ様、元気そうで良かった。夕方ごろ電話するから』

 そのメッセージの後、間髪入れずにもう一つ送られてきた。俺はそれを見てハッとする。


『水曜の授業参観もよろしくね』


 おう……そうか。忘れてた。凜の授業参観か。仕事がひと段落していて助かった。

 俺は事も無げに「了解」のスタンプを貼り付けると、会社用のSNSで水曜の休暇申請を送ったのであった。


 ――二時間には届かないまでも、凜は俺をしっかり一時間は待たせて現れた。


「ネギたこ焼きがいい」


 お待たせとか風呂の感想とかもなく、開口一番オーダーとはやってくれる。

 抵抗する気力もなく、財布を片手に立ち上がる。

 そこで遅めのフードコート昼食と洒落込んで、読書スペース等もしっかり楽しんだ。結局帰宅したのは夕方近くになった。


 家族電話や夕食も済ませた後、凜は一人、机に向かっていた。


「なにを書いてるんだ?」


 淀みなくすらすらと鉛筆を走らせる凜は、俺の方を見ずに口だけ動かした。


「宿題。詩を書くの」


 なるほど、少し覗き込んでみると「せんとう」と書いてある。


「今日の銭湯のこと書くのか?」


 凜がサッと書きかけの紙を腕で覆い隠した。そしてジトっとした目で俺を見る。


「見ないでよ、授業参観の日まで秘密なの」


 そういうことか。大方、楽しかったことなどをテーマとした詩なのだろう。


「ハイハイ、ごめんごめん」


 そう言い残し、リビングを後にする。

 今日出かけることが出来て良かった。

 昨日までの凜だったら、せいぜい庭で遊んだことやゲームをしたことなどを書いていただろうからな。そんな詩を見るのは親として心苦しい限りだ。


 ――そこからあっという間に三日が経ち、授業参観の日がやってきた。

 今のところ上履き隠しは行われていないようだが、未だに凜は毎朝上履きを持参して学校に行っている。

 俺は珍しく、凜を玄関まで見送って言った。


「今日見に行くからな」

「うん。三時間目だからね、間違えないでよ」


 大丈夫。全く同じセリフを、昨日嫁に言われているからな。DNAとは恐ろしい。


 そして参観日の時間が来た。

 髭を剃ったり、髪を正したり、テレワーク続きで行われなくなったルーティーンを復活させるのも新鮮な気分だった。

 満を持して一年生の教室に入る。既に多くの親達が壁のように並んでいた。俺もそれにならって、会釈しながら端の方に陣取った。

 開始の鐘と共に、前に見かけた時よりやや化粧の濃い山岡先生が教壇に立つ。


「今日はお父さんお母さんが来てくれていますけど、みなさん、いつも通り勉強しましょうね」


 柔らかな表情でそう言うと、活発そうな男子がすぐさま食いつく。


「先生がいつもと違うじゃん! 顔も違うし優しいもん!」


 父母がどっと笑うと同時に、山岡先生は赤面して身悶えする。


「コラ! あ、失礼しました。あの、それでは授業に入ります! 日直さんお願いします」


 何とか持ち直した山岡先生の合図で授業が開始した。

 山岡先生はコホンと小さく喉を鳴らすと、良く通る声で発した。


「今回、お父様お母様に見てもらうために、生徒たちが詩を書きました。皆様が立っている後ろの壁に掲示しています」


 父母たちが一斉に振り返る。山岡先生は続けた。


「テーマは『家族』です。家族との思い出であったり、伝えたいことであったり、それぞれに生徒が考えて、頑張って書きました。どうぞ見てあげて下さい」


 俺も後ろの壁を振り返る。なるほど『おかあさんのて』や『だいすきなおとうと』などのテーマで書かれているようだ。一年生らしく、平仮名で書いてあるのも可愛らしい。


 凜のものはどこだろう?


「桜本さん、こっちこっち」


 探している俺に、少し離れたところから見知った顔が手招きした。穂乃花ちゃんの母親だ。俺は手を立てて「すみません」と呟きながら、招かれた方へと押し進む。


「どうも、ご無沙汰しています」


 そう言って頭を下げると、穂乃花ちゃんの母親も釣られるように会釈する。


「うちの子の隣に凜ちゃんのもありますよ。凜ちゃん、字が綺麗ですね」


 目顔で示された先に視線を送ると、凜の詩を見つけた。


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 せんとう


  かいすいよくは にがて

  くもったりあめだと たのしくない

  しょっぱいみずで めがいたい

  たのしいばしょなら ほかにある

  のんびりすごせる せんとうがある

  はぁいいきもちって みあげたら

  わたがしみたいな ゆげがふわり

  たしかにうみも いいけれど

  しょっぱいみずより あついおゆ

       1ー1 さくらもと りん

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 凜のやつ……。ここまで銭湯が好きだったのか。

 でもテーマと合ってるか、これ。確かに家族との思い出には違いないが、ならば俺も登場させて欲しかったところだ。

 何にせよ、しっかり平仮名で文章を作るんだから、成長したものだ。

 この「わたがしみたいな湯気」なんて、中々洒落た表現じゃないか。俺が「目のかすみ」と表現してしまったものが、子供にはこんなに純粋に映るんだな。

 凜に視線を送ると、すました様子でこちらを見ていた。照れくさいのか、表情は硬い。

 その後も凜は、大人しく授業に参加していた。終始娘の成長を感じられる良い参観日になった。帰り際、嫁に見せてやるべく、凜の詩をこっそりと写真に収めておいた。


*****


 先に帰宅した俺は、充実感そのままに、一直線に冷蔵庫へと向かって缶ビールを取り出す。

 そして、誰にするでもない乾杯を宙に向かって行うと、一気に喉に流し込んだ。


 ……ッうまい!。


 炭酸に目を潤ませながら、酒の肴にと今日撮った凜の詩を眺める。

 本当に、良く書けている。

 こうして遠巻きの写真でも文字が読めるくらいに字が――


「――え?」


 気を抜いた、ニュートラルな状態だったからだろうか。

 長方形の画面に映し出されたそれの全体像に、俺は、はたと目をみはる。


 ……この瞬間、娘の詩が沿であったことを知ったのだ。


 全身に鳥肌が立った。

 そして何より、情けないという自責の念が湧き上がってくる。

 山岡先生は言った。テーマは『家族』で、思い出や伝えたいこと、だと。


 凜の詩は『家族に伝えたいこと』もとい『家族に自白したいこと』だった。

 あいつは詩にのせて伝えたかったのだ。自分の過ちと、自分の心を。

 そのための銭湯だったのだ。銭湯じゃなきゃ、いけなかったのだ。


 銭湯が示していたのは『先頭』。

 凜の詩の先頭文字だけを切り抜くと、自ずとメッセージが見えてくる。


「かくしたのはわたし」


 学校で発生している上履き隠しの犯人は、凜だった。

 凜は耐えていたのだろう。母親が不在で、父親が仕事に感けている間、ずっと。

 つまらなかったのだろう。寂しかったのだろう。それが学校での悪戯という形で現れてしまったのだと思う。


 気が付いてやれなくてごめん。

 子供の一か月はとても長いもんな。ストレスをため込んでしまったんだな。

 凜はきっと、俺なんかよりもっと自責の念に駆られているはずだ。いい子だからこそだ。

 だから言わずにはいられなかったのだろう。

 見つかってもいいと思って、掲示物に託したのだろう。

 クラスメイトや先生が、この『掲示されたメッセージ』に気付くかどうかは分からない。


 俺のすべきことはまず、帰宅した娘を力いっぱい抱きしめてやること。

 そして、娘のしたことを、一緒に背負ってやることだと思う。


――おわり――

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