Chapter25・姉上はお怒りだ

九月 土曜日 午後 自宅


「帰って来た! 英紀! こっちに来なさい!」


 冴上と別れた後に帰宅するやいなや珍しく治姉からお呼びがかかったので、声がしたリビングに入るとリビングのテーブルから険しい視線を向けてくる。先週真鶴家との家族ぐるみの買い物以来、リハビリと称して屋内でスカートをはいていた治姉だったが、袖にレースがあしらわれた白いフレアワンピースがその形相で台無しだ。父さんと買い込んで来た中でも特に清楚感に溢れる一着だった気がするが、表情一つで清楚の『せ』の字も感じさせないなんて、治姉流石すぎるぞ。


「どうしたの? なんで怒ってんの?」


「怒ってないわよ! ただあんたの話を聞きたいだけ!」


「分かった分かった。話すからまず落ち着けよ。こっちは昼飯も食ってねえんだよ」


「落ち着いてなんかいられないわよ! 和歌ちゃんがいじめられてるんだって?」


「治姉なんで知ってんだ? 和歌から聞いた? 今和歌いるの?」


「さっき帰ったわよ。相談されたけど私も母さんも詳しい状況は知らないからろくにアドバイスできなかったの。だからあんたからも話を聞きたいの! ほら! 話しなさい!」


「ああ! 急かすなって! そんなに煽り立てられたら知ってることだって話せないって」


「そうよ治佳、話を聞く時は聞き手から何を聞きたいのか具体的に質問しなきゃ。英紀、お昼まだなら炒飯がまだ残ってるわ。食べる?」


「もう三時前か、お茶碗一杯分くらい食べるよ」


 遅めの昼食を母さんが用意してくれている内に手洗いを済ませて、テーブルに着くと正面の治姉が早速話しかけてくる。


「私達が和歌ちゃんから聞いたのは無視が水曜日から始まって、今日英紀が担任に相談したってことだけ。和歌ちゃん自身も原因はまだ分かっていないし、見当も付かないんだって」


「和歌は先生に言ったことまだ怒ってた?」


「怒ってはいなかったわよ。先生に話せたこと自体は良かったみたい。でも京都の時は先生に相談したことでかえって悪化したらしくて二の舞にならないかすごく心配していたわ」


「だから怒ってたのか。でも式部先生なら女子の信望も厚いし相談しておいた方がいいだろ」


「良くないでしょ! 先生に相談したのは良いにしても、不安を感じている女の子を放っておきながら寄り道して帰って来たのは良くない! よくもまあ和歌ちゃんを放ってのうのうと帰って来たわね」


「怒ってないとか言って結局怒ってんじゃねえかよ! それに俺は和歌を放置したくて放置したんじゃない! いじめの原因を知っているかもしれない女子に話を聞くために別行動を取ってたんだよ」


「それならそれで和歌ちゃんに事情を説明すれば良かったじゃないの。あんたの短気に振り回されて可哀想に」


「治佳、そんなに責めてばっかりじゃ英紀が話しにくいじゃない。あなたはまず聞きに徹しなさいな」


 電子レンジで温めた残り物の炒飯を持って母さんがやって来て治姉を諫める。俺はさっさと食って話せと言わんばかりの治姉の外圧に急かされて、まるで養鶏場の鶏のように一心不乱に炒飯をかき込むと麦茶で流し込んだ。


「ごちそうさま」


「はいはい、食器は私が片付けるから治佳に話してあげて。私も気になるし」


「ありがとう。それで治姉、何から話せばいいんだ?」


「そうね、その女子から原因は聞けたの?」


 ついさっき姫野さんから聞いた情報を治姉に伝えると、ただでさえ清楚白ワンピを台無しにしていた表情が更に険しくなり、もはや般若の形相と化す。


「何よそれ! 本当はモテる和歌ちゃんを自分がいじめたいだけなのに、友達を怒らせたって口実で正義を気取ってるだけじゃない! 挙句その姫野って娘本人に止められても止めたくないだなんて、その娘にいじめの責任も擦り付けたいだけでしょ! マジで性根が腐ってるわ! あんたのクラスの女子共は脳内に蛆でも湧いているんじゃないの?」


「落ち着けよ治姉、純白のワンピに合わせて清楚におしとやかに聞いてくんない?」


 俺と同じような台詞で怒りをぶちまける姿を見て、ふとやっぱり姉弟なんだなと感じてしまう。いや、治姉の方が言葉の辛辣さでは数割勝っているか。


「落ち着いていられますか! その女共の名前を教えなさい!」


「嫌だよ! 知ってどうすんだよ! 家族に犯罪者なんか出したくねえよ、怖えな。和歌は俺が守るから落ち着けって」


「言ったわね。言ったからにはとことんやってもらうわよ」


「そのつもりだって。だからこそこれからどうするか考えようとしてるんじゃねえかよ。それにしても治姉の和歌への思い入れは半端ねえな。本当にただの幼馴染かと思うよ。どうしてそんなに和歌が大好きなんだよ?」


「そうね、確かに久々に再開した時は可愛い幼馴染が返って来た程度にしか思っていなかったけど、いざ話してみるとあの子の考え方ってすごく共感できるのよ。自分で考えて自分の意思を持って判断して行動しているのが話しているとひしひしと伝わってくるの。自分の意思に反して空気を読んで周りに合わせたりしないし、かといって自己中に自分の思想を押し付けもしない、そんな自律した思考力を持ったあんなに可愛い娘が、自分の意志で、素直に、真っ直ぐに私をお姉ちゃんって慕ってくれるのよ! こんなの本物の妹みたいに可愛くならない訳がないじゃない。なのにそんな和歌ちゃんをいじめるなんて! あぁイライラする!」


「そっか、なんだか異様に溺愛するなと思ってたけどそんな理由があったのか。よっぽど弟より妹の方が欲しかったのかと思ってたよ」


 和歌への友情の由来を熱弁する治姉に自虐を含んだ言葉で返すと、食器を片付けた母さんが会話に戻ってきた。


「こら、産んだ親の前でそんな冗談言うんじゃないの。私とお父さんは男一人女一人で嬉しかったんだから。それに治佳も妹の方が良いどころか英紀が大好きなんだし」


「いや、母さん。俺は生まれてこのかた姉上からおよそ家族愛と呼べるものを受けた記憶はないぞ」


「お母さん、やめて」


「本当にこの子達は、お互い大好きなのにツンデレね。英紀知ってる? 治佳が高校生の頃、友達とうちで勉強会してた時にね、友達が『弟君可愛いね』とか『サッカーで体が引き締まってていい』なんて言うものだから舞い上がっちゃって、あなたのことを自慢してたのよ」


「お母さん!」


「それでね、そのお友達が返りに言ってたのよ。『普段クールで頼りにしている治佳さんがあんなに楽しそうに自慢話をするのは初めて見た』って」


「お母さん! 止めてって!」


 弄り倒しモードのスイッチが入ってしまった母さんは治姉が嫌がって止めようとしても気にも留めない。対して俺は俺を可愛いと言ってくれた治姉の友達が誰だったのか本能的に想い出そうとしてしまう。治姉が家に連れてきていた友達は総じて魅力的に見えていたので、俺がお奇麗な年上のお姉さん方にお気に召して頂いていたなんて聞いたら嬉しいに決まっている。


「ほら、英紀が嫌らしい顔になってる。絶対に私の友達を思い出して汚らわしい妄想しているわ」


「違うわ! 確かに治姉の友達は奇麗なお姉さんばっかりだったから誰かとは思ったけどエロい妄想まではしてねえよ! エロい想像力働かせてんのはそっちじゃねえかよ!」


「はぁ、本当に姉弟揃って素直じゃないわねぇ。治佳がクールで頼りになるなんて信じられないわ」


「母さん、それ本当に友達が言っていたの? 冷酷で扇動に長けているの間違いじゃない?」


「本当よ、保護者面談で担任の先生からも男女問わず人気があるって褒められていたんだから。それに高校生にもなってよく友達がうちまで来ていたんだし嫌われ者ってことはないでしょう」


「弱みを握って支配していたのかも」


「私はあんたのクラスの女子とは違うの! 失礼ね!」


「ごめん、怒るなって! でも治姉がそんなに人望に厚かったなんて意外だな。俺はいつも弱みで支配されていたからな」


「まだ言うか!」


「いや、からかっているって言うより感心してたんだよ。それだけ人望に厚かったなら治姉から何かヒントになる話が聞けるかもしれないと思ったんだ」


「うん、治佳なら参考になる話ができそうでいいんじゃない? あなたの学年は三年間ずっといじめなんてなかったんでしょう?」


「そうなのか? すげえな。教えてよ」


「私の話? いきなり教えてって言われても……」


「いじめがないってことは単純にクラスメイト同士で仲が良かったってことだろ? 特に女子同士で仲が良かったのはなんでだと思う?」


「そうねぇ……」


 和歌のためだからか治姉は真剣な表情で腕を組み考えだす。長くなりそうだと察したのか、母さんがコーヒーを淹れると言って席を立った。そして数分が経った頃だろうか、ドリップされたコーヒーの香りを感じた頃、治姉が先程の般若の形相から清楚ワンピに似合った落ち着いた表情に転じて話し出す。


「今までなんでうちの学年でいじめがなかったのか、なんて考えたことがなかったからすぐには思いつかなかったけど、もしかしたら私が原因だったのかもしれないと思う」


「治姉が原因でいじめがなかった? どういうこと? 治姉がシュタージとかゲシュタポみたいに暗躍して防いでいたとか?」※


「あんたが私のことどう思っているのかよく分かったわ。こっちは和歌ちゃんのために真剣に考えたんだから真面目に聞きなさい」


「ごめん、ついいつもの癖で。それよりさ、せっかくだから和歌も呼ばないか? さっきはろくにアドバイスできなかったんだろ?」


「ダメよ。多分今からする話は和歌ちゃんに聞かせない方がいい、聞かせたら和歌ちゃんはむしろ混乱するかもしれない。話すにしても真鶴教授と競子さんに先に相談した方がいい」


「なに? そんなに高度な技術だか知識を使って人気者してたの?」


「そんなもの使ってないわよ。私だって当時は無意識だったんだから。無意識にやっていたことだからこそ勉強みたいに知識だけ教えても混乱させちゃうと思ったの」


「お待たせ。はい、二人ともカプチーノでいいでしょう?」


 母さんが台所から戻ってきて俺達にカプチーノ入りのマグカップを配ると自分もテーブルの席に着く。治姉はありがとうと一言礼を言ってカプチーノを受け取ると一口すすってから話を再開する。


「私が原因って言ったのは私の高校生活三年間の振る舞いがクラスの人間関係のバランスを取るのに一役買っていたのかもしれないってこと」


「治姉がクラスのバランスを取ってた? どゆこと? もっと詳しく話してくれる?」


「まず私は自分で言うのもなんだけどモテるわ」


「いきなり自慢?」


「黙って聞け! 入学早々数人に告白されたりデートに誘われたりが続いていたんだけど、今思い返せばその頃に何度か女子に嫌味を言われたことがあった気がするのよ」


「そうだったの? 最初から順風満帆だったのかと思っていたわ。治佳は毎日楽しそうに学校に行っていたから」


「実際私がそんなに気にしないでさばさばと返していたのもあるし、何よりも一学期が終わる頃には私に告白する男も減ってきたからね。気付いたら収まっていたわ」


「近寄って来た男共を軒並み切り捨て御免していたらそりゃあ口説く気も失せるわな」


「そうよ、もったいないわねぇ。一人くらい付き合っておけば二年になって女の子から告白されることもなかったでしょうに」


「お母さんも余計なこと言わないで! なんで告白したのか問い返されても可愛いからとしか言えない男が悪いのよ。それでね、振る時になんだか気分が悪くて、告白して来た男子が気になっている娘がいたら、「〇〇さんなんかどう?」って提案していたのよ。そうしたら意識し合う内に付き合う人も出てきて、一年の終わりにはクラスの半分が彼氏彼女持ちになってたわ」


「で? 要点は何? 今んところ治姉が男を振りまくってたら、そっちの人だと思われてレズビアンに告白されたってことしか分かんないんだけど?」


「余計な部分だけ覚えておいて『要点は?』なんて言ってんじゃないわよ。これが女の話し方なんだから黙って聞いていなさい。それで二年に入ってからかな、彼氏持ちの女子から『紹介しようか?』なんて言われるようになったの。当時は要らないのになんで紹介したがるのか疑問に思っていたけど、今思うと自分よりモテて才色兼備の私に、彼氏がいるっていう自分の優位性を示して優越感に浸れたんだと思うわ。だからみんな私に紹介話をする時は妙に嬉しそうだったんだと思うの」


 自らを才色兼備と言い切る自己肯定感の高さをツッコミたい衝動にかられたけども、早く核心に触れたいので衝動を抑えて確認する。


「自分より高スペックの相手にマウントできる環境があるのが要点ってこと?」


「それは付加条件ってところね。あったらもっと良いけど絶対じゃないと思う。要点は女子集団の幸福度が平均的に高いってことよ」


「集団の幸福度?」


 予期していなかった言葉を聞いて思わずオウム返しに呟いてしまう。なんだろう、何か引っかかる感じがする。もっと大事と言い切ったということは、より重要な要点なんだろうか。


「腑に落ちていないって感じね。私のクラスの場合だと、クラスの半分以上が彼氏彼女持ちになって、更にフリーの子達も特にトラブルが無くて仲が良かったの。つまり特に恋愛面での幸福度の平均値が高かったのよ。当時は当たり前だと思っていたけど、今の大学の人間関係ってそうでもないのよ。でね、この二つを比べて気付いたのよ」


「何に?」


「女子の優しさよ。高校の頃はクラスの女子が優しくてすごく雰囲気が良かったと思う。私に男を紹介するって提案して来た娘達がいたってさっき話したでしょ? あんたはさっきマウントを取るって言い方をしたけど、そんな嫌な感じには見えなかったから違うと思うの。少なくとも私は本当に親切心で私に紹介しようとしているように見えた。私は彼女達が幸せで精神的に満たされていたから他人に優しくする余裕があったんだと思っているわ」


「ああ、それ分かるわ。ママ友付き合いでもみんなの私生活が充実している時と一人でも上手く行っていない人がいる時では全然会話の進め方が違うもの。治佳の予想は合ってるわ! 女は自分が幸せじゃないと他人に優しくなれない生き物よ」


「お母さんもそう思う? 良かった、私だけの妄想じゃないみたいね。とにかくね、女全体を幸せにすると、女の優しさが男も含めた集団全体にもきめ細かく機能してすごく雰囲気が良くなるのよ」


「はぁ、そうなのか、ごめんな。今まで二人とも不幸だったのに気付かなくて」


 わざとらしくため息交じりに呟く俺。


「私こそ英紀君が優しさに飢えていたのに気付かなくてごめんねぇ。私もお母さんも不幸だから気付かなかったわぁ。今から二人の愛の鞭で優しくしてあげるわ」


 治姉は据わった眼で俺の毒入りの冗談にクロスカウンターを放つ。やばい、怖い。


「お母様とお姉様の愛と優しさに育まれて英紀は健やかに育ちました! だから止めて、ぶたないで、ごめんなさい」


 道化のようにおどけて姉に頭を下げる。


「本当にうちの子達は愛情表現が屈折しているわね。もうすぐ大人なんだからいい加減素直に言いなさいな。照れている内はいくら歳くっても精神的には子供よ。この点では和歌ちゃんの方がずっと大人だわ。あの子は自分が何を考えているかはっきりと言語化できるからね」


 呆れ顔でいつもの姉弟のやりとりに母さんが口を挟んだ。和歌と比べられたことで本来の目的に再び意識が向く。


「母さんが言う通り和歌は言うことがはっきりしている。しかも正直だ。そんな和歌が他人の悪口なんか一言も言っていないのに無視するなんて、絶対に止めさせないと」


「そうね、そのためにと思って話したんだけど、参考になった?」


 軽口を止めて和歌の名を出すと治姉も真剣な表情に戻る。


「ああ、何か掴めそうな気がする。和歌と男子が名前で呼び合うのを止めたところで何も変わらないだろうと思っていたんだけど、理由は漠然としていて……いやそもそも理由なんて考えてさえいなかった。でも治姉から集団の幸福度の平均値って考え方を聞いてしっくり来た気がする。名前呼びを止めたところで女子の平均幸福度が高くないと意味がないんだ」


「良かった。で? 具体的な手段はどうするの?」


「まだ分かんないよ。これから考えないとな。和歌は嫌がるかもしれないけど教英先生にも相談したいな」


「そう言えば、今日レッスン日だったわね。和歌ちゃん来るのかな」


「来た方がいいだろ? 治姉もさっき和歌と話した時よりも情報が増えているわけだし」


「そうね、私もお父さんと一緒に和歌ちゃんを勇気づけられる話がするように頑張るわ。あんたは現場でも和歌ちゃんと一緒なんだからもっと頑張りなさい。期待しているわよ」


「任せろって。治佳お姉ちゃんの可愛い妹は俺が守るよ!」


 俺が力強く答えると治姉はにっこりとした笑顔で「よし!」と返事を返す。才色兼備と自ら言い切るだけあり、その笑顔と相まって、清楚な白いワンピースが今日初めて映えてみえる。


 やっぱり女は笑顔の方がずっといい。姉を見てそう感じた俺は和歌も笑顔にするために早速自室にこもって作戦を練り始めた。




※シュタージ(独・STASI) ゲシュタポ(独・Gestapo)

 共に過去存在したドイツの秘密警察です。ゲシュタポはナチス時代、シュタージは東ドイツ時代にスパイ活動や諜報、国民の監視等を行って恐れられていました。

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