第4話 青い薔薇

青い薔薇の花言葉は不可能

あるいは可能性

あるいは奇跡


***



 夏の終わり、秋の始まりの風物詩といえば台風である。古来より日本人はこのシーズナル災害と付き合ってきた。古人が野分などと名付けて歌に詠んだのは、この不可避の暴れん坊に少しでも親しもうという農耕民族的したたかさの表れだろう。

 しかし、今度の台風は、秋草の野をかき分ける風なんて優雅なものではない。今朝がた大阪湾からやってきたマッシブ野分君は、草木を根こそぎに吹き飛ばした。瓦やら看板やらパンツやら、有象無象が宙を舞った。

 雨の方もたいそうなもので、大阪湾に面する某国際空港が沈没するという大惨事。空港沈没により大阪府の面積が四国は香川県を下回るという珍事が発生した。

 かくも台風が八面六臂の活躍を見せているときに私はなにをしていたかといえば、惰眠をむさぼっていた。

 昼過ぎに私が目覚めた時には、台風は日本海に過ぎ去っていた。窓の外を見て景色が変わっていたのには少し驚いた。

「ああ、そういえば今日台風が来るんだった」

 今日通販で買ったものが届くんだった、ぐらいの気分でつぶやく。このときはまだ、大阪府が都道府県面積ランキング最下位に転落したことを知らないとはいえ呑気なものだ。

 電気をつけようとして、初めて被害の甚大さに気付く。停電だ。


 どうやら大阪中の電線がズタズタになってしまったらしい。電力会社も被害の全容がつかめないようだ。

 部屋から光が失われた以上、なにもできることはない。ここで万年床に帰っても怠惰の誹りを受けることはあるまい。しかし空腹がそれを許さない。終身名誉健康優良児たる私としては、ごはんはしっかり食べねばならない。

 電気は止まっているが、ガスは生きていた。ガスまでは奪わずにおいてくれた台風の慈悲に感謝。二度と私の頭上を通過するな。

 用心深さが服を着て歩いているような私であるから、非常食はしっかりと用意してある。

 見よ!このボンカレーゴールドの輝きを!

 暗闇に包まれた共用炊事場で、この歴史あるレトルトカレーだけは燦然と輝いている!。ような気がする。パッケージに施された同心円の意匠はまさに黄金の太陽!。まあ今は暗くてよく見えないが。

 湯が沸騰するのを待ち、銀のパウチを投下する。はねる熱湯を華麗にかわしながら、さあ皆さんご一緒に。

「三分間、待つのだぞ」


 三分という時間ほど日本人に親しみのある時間がほかにあるだろうか。

 一分や二分では短すぎ、四分や五分では長すぎる。三分がちょうどよい。日本人に染み付いたこの感覚を、私はカップ麺ミームと名付けた。たった今。

 ミームというのは人から人へと遺伝子を介さず伝わる情報だ。習慣や伝統など、意識されているか否かを問わず人から人へ伝えられ、人々の間に浸透した情報。そう、人々の脳に染み付いた情報がミームだ。果たして三分待つという感覚が日本人にどれだけ染み付いているか、疑問に思ったあなたに次の逸話を紹介しよう。

 カップにお湯を注いで三分待つ。そもそもなぜ三分なのかと言えば、カップ麺誕生時の技術的な問題だったろう。三分という時間は技術的な制約によって規定された時間にすぎない。カップ麺が開発されて数年、技術は日進月歩の発展を遂げ、一分で湯が浸透する麺が開発された。所要時間が三分の一になる!多忙を極めるエコノミック・アニマルに馬鹿受け!とはならなかった。既にカップ麺は三分待つもの、ということが常識となっていたためだ。勝手に三分待って伸び伸びのカップ麺を作った客からクレームが殺到。一分でできるカップ麺は短命のうちに姿を消した。

 三分待つ。それはもはや日本人の魂に染み付いた行為、大和魂の発露なのだ。

 レトルトカレーのパッケージを見ると、実はお湯に入れて三から五分温めろ、と書かれていることが多い。しかし四分ないし五分待つ者がいるだろうか、否、断じて否である!。

 三分にまつわるどうでもいい話は置いておくとして、この節が始まってからこれまでおよそ600字だ。日本人が一分間に読む字数は400から600字と言われているから、あと1000字ほど適当に書き連ねておけば諸君に私が暗い台所で感じていた三分の感覚を体感していただけるはずだ。くだらない文章に費やす三分というのは意外に長く感じるだろう。空腹の中でレトルトカレーが温まるのを待つ三分といい勝負だ。

 三分についてあれこれつづっておいてなんだが、三分も待つ必要があるだろうか?。空腹は耐え難いし、そもそも私は猫舌だ。大和魂とか美辞麗句をならべて柔軟性を失った先人のあとを追うこともないだろう。

 それでは皆さんご一緒に

「腹が減っても、じっと我慢の子であった」


 レトルトカレーというのは青い薔薇だ。

 青い薔薇は自然には存在しない。繁殖もしない。人と科学の混血児だ。

 美しいもの、珍しいものを見たいという欲求、あるいは不可能を可能にする力、自然を超越した力を誇示したいという欲望を源として青い薔薇は生まれた。

 レトルトカレーだってそうだ。簡単に、早く、旨いものを食いたいという欲求。その欲求の存在に勘づいた企業の稼ごうという欲望がレトルトカレーを生んだ。

 そうして生まれた青い薔薇で私は腹を満たす。化学調味料によって造られた味で舌を満足させる。そこには感動を失望もない。驚きも意外性もなく、懐かしいとまで感じる。世にレトルトカレーは星の数ほどあれど、どれも青い薔薇に違いない。花弁の濃淡、背丈、葉ぶりなど多少は異なれど、総じて人工の産物。本質的に差はない。

 だから、レトルトカレーを口にしたとき、私が抱く感想は普遍的な、貧相なものだ。咖喱を食ったとは思えない、味気ないものだ。

 

 余談はこれぐらいにして、そろそろボンカレーゴールドの食レポに移りたいと思う!腹がふくれれば何でもいいのだ!

 諸君には雑談に付き合っていただき申し訳ないと思う。前述のとおり、私は猫舌なので、湯からあがったレトルトカレーをすぐに米にぶっかけるようなことはしない。一度パウチを人肌くらいの温度まで冷ますのが私流である。

 さて、それでは白米で皿の上に季節外れの雪山を出現させようと思う。

──米はどこか。


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