第3章-13

 月曜日が待ち遠しかったのは、人生で初めてかもしれない。恵太は「あー、参った」と呑気な調子の独り言を口にしてみた。思いつきでの試みだったが、平凡を意識する必要性に駆られてのことだ。何もしないでいると、頭の中が唯で埋め尽くされる。幽霊で埋め尽くされる。週末の間、恵太の頭が休まることはなかった。

 スマホには、竜海からもうすぐ行くというメッセージが来ていた。恵太は自分の席で竜海の到着を待つことにする。ゲームでもして気を紛らわそうとしたが、すぐにその指は動きを止めてしまった。頭の中で、ママさんの声が響いていた。

 桜町通りで聞いた話は、恵太の想像の遥か外だった。死んだ母親の真似をして酒を飲みたくて、わざわざ高校生には魔境とも思える通りに繰り出したという。そして病気であと半年しか生きられないという唯の話。恵太には、唯がなんとか酒を出してもらおうと考えた作り話だとしか思えなかった。だがそこまでして、酒にこだわった理由が分からない。ママさんの言う通り、そう遠くない未来に叶うことなのだ。

 あるいは。恵太は瞼を抑え、考えを方向転換した。本当に何かの病気で半年しか生きられなかったとしたら。生きているうちに母親と同じ行動をしたいと、思うものなのかもしれない。ママさんの話だと、唯が酒を飲んだ晩、桜がまだ咲かないと話していたらしい。四月の最初だとして、唯が死ぬ二か月ほど前だ。病気が進行して予定より早く死んでしまった可能性を思い浮かべる。だがそれなら、自殺という話はどこから来たのだろうか。

 貫くような寒気に、恵太は思わず身を縮めた。あの女がどこからか、見張っているのではないかと不安になった。舌打ちをして、想像の中の視線を振り払う。あの幽霊という女。あいつが自殺だと嘘を信じ込ませようとしているのだとしたら。目的はなんだ? それ以前に、あいつは一体誰なんだ? とうとう今度は、唯が行っていた店まで当ててしまった。桜町通りの恐らく何十件とある店の中で、一度で当てることなど人間に可能なのか?

 そこまで考えたところで、手元から馴染んだ振動が伝わってきた。竜海から教室の前に着いたとメッセージが届き、恵太は足早に入口へと向かう。

 一刻も早く金曜日に起きたことを話したかったが、昼食が終わるまでは触れないでおくことにした。誰かに聞かれたら、無責任な噂が飛び交う格好の材料になるのは予想できる。まずは昼食を調達するのが先だ。恵太の逸る思いを反映するように、自然と売店に向かう足もせわしなくなっていた。

「ちょっと待て、何急いでるんだよ」

 事情を説明するのも煩わしい。ただ急ぐように伝えようと、振り向いたところで恵太は動きを止めた。竜海の肩越しに、駆け寄ってくる莉花の姿が目に入る。

「こんにちは。元気してた?」

 定型文のような挨拶を、伏し目がちにしてくる。よそよそしさが滲み出ている気もするが、以前のような警戒心は感じなかった。

「よお、そっちこそ元気?」

 恵太がどう返すか迷ったことで、古い友人に会ったような態度になった。

「まあね。いつまでもヘコんでてもさ。生きて、って言われちゃったし。どうせなら、元気に生きないとね」

 ファミレスのテーブルに置かれた、唯のメモが脳裏に浮かぶ。

「誰だ?」

 事情を知らない竜海が、莉花に背を向けたまま小声で説明を求めてきた。恵太は短い検討のあと、「そのうち話す」とだけ告げた。何をどう解釈したのか、竜海は顔を紅潮させ二人の顔を何度も見比べた。

「なあ、そういうことか?」

「何が?」

 恵太にとっては面倒なことに、莉花の方が早く反応を示した。竜海が莉花に近寄っていく。

「こんなつまんない奴だが、よろしく頼む」

 竜海が肩に手を置くと、察したように莉花は言葉を濁した。

「そういう期待は、ちょっとね」

「いや、女子が一緒にいてくれるだけでありがたい。こいつ、女に興味がもてなくなってるんだよ」

「なに? 坂井ってこっち系の人?」

 莉花が手の甲を口元に当て、おどけた声を出す。

「そんなわけないだろ」

 恵太がため息交じりに返すと、何を思ったのか、莉花が顔を近づけて来た。「ふーん」と訝しがる吐息が、恵太の反論を躊躇わせる。どんな結論が飛び出すのか、恵太は待つしかできなかった。

「じゃあ、インポってやつ?」

「はあ?」

 咄嗟に返したのは、良くない響きだと本能的に感じたからだ。恵太はその言葉の意味がすぐには思い出せず、中途半端な顔になった。

「そっか、インポテンツか。若いのに大変だね坂井も」

 二回目の登場で、恵太はようやく理解した。と同時に、竜海が堪えきれない様子で吹き出した。

「すごいな。そんなこと俺は言えないぞ」

「そう? でもインポはインポなんでしょ?」

「待てって、俺はそんなんじゃないぞ」

「あれ、それって絶好調ってこと?」

 莉花が白々しく首をかしげる。恵太が口を開け閉めするだけの時間を、楽しそうに見つめていた。満喫したと言わんばかりに、話題を変えたのは莉花だった。

「ごめんごめん冗談だよ。そりゃ、いろいろあるよね」

 莉花が目を伏せるとともに、三人がそれぞれ唯のことを思い浮かべたのだろう。示し合わせたように目を逸らし、あるべき態度を探した。

「まあ、リハビリだと思ってしばらくは学校に来ようと思うよ」

 努めて明るく、莉花が顔を上げた。

「気づいたら案外、私友達少ないの。ロックから少女漫画までいけるから、たまには声かけてよ」

 下ネタもな、と恵太は言いかけたが止めておいた。

「お前、あのサイトの管理人のことは大丈夫か」

 さりげなく聞いたつもりだが、内心は腫れ物に触る思いだった。唯が死んだ直後のような、世の中の全てに怯えた顔の莉花が戻って来ないとも限らない。

「あれね、とりあえず警察には行ったよ。いまだに死ねとか言ってくるから、さっさと捕まってほしいし」

 莉花は力強くふんぞり返った。恵太の胸中を見透かし、もう心配ないと強調しているかのようだった。内心、管理人が唯の死に関係している可能性も気になっている。だが恵太にはそれよりも先に、確かめるべき一つの疑念が浮かびつつあった。

 恵太は頭を垂れ、一旦疑念を追いやる。顔を上げて、まずは莉花に確認できる情報を聞いておくことにした。

「それと、もう一つ聞きたいんだけど」

「なに? 別に何個でもどうぞ」

「この間、唯のお姉さんと三人で会っただろ? あれ、どうやってお姉さんと連絡とったんだ?」

「どうって?」

 莉花は不思議そうに、視線を宙に彷徨わせた。

「普通にお姉さんから電話が来たよ? 最初はビビったけど、さすがに断れないじゃん」

「普通にって、どうやってお前の番号を調べたんだよ」

 恵太が一番知りたいのはそこだった。方法が分かれば、幽霊の正体が掴めるかもしれない。

「それは、知らないけど。ああっ!」

 突然莉花が叫ぶので、竜海が顔をしかめた。

「なんだよ、驚かすなよ」

「しまった、口止めされてたんだった」

「どういうことだ?」

 枝毛をいじるような仕草で、莉花は視線を逸らした。何かを誤魔化したのは明らかだった。瞬時に顔が強張った恵太の様子から察したのか、莉花はあっさりと態度を変え観念した様子で手を広げた。

「分かったよ。ごめんね、お姉さん。わざとじゃないの」

 その場にいない、幽霊へ向けての簡単な詫びを済ませて莉花は恵太に向き直る。

「お姉さん、唯のスマホから調べたって言ってたよ。でも勝手に調べて電話するような家族って思われたくないから、このことは内緒にしてって言われたの」

 恵太の喉の奥から引きつった声が漏れた。

「そんなわけないんだよ。だってあいつは」

 唯の姉なんかじゃない、そう言いかけて口を閉じる。唯の姉が偽物であることを、恵太もあの場で言えなかったのだ。騙していたという意味では自分も同罪だという思いが、恵太に言葉を飲み込ませた。

「恵太、もういいだろ」

 竜海の声に、恵太は顔を向ける。

「難しいことばっか考えんなってことだよ。飯食おうぜ」

「そうだね。私も買いに行くところ」

 竜海の厚い腕が恵太の首根っこに巻き付き、半ば無理やり引きずっていく。

「分かったから離せって」

 恵太は竜海の腕を平手で叩きながら、売店へと足を向けた。背後から、明るく茶化す莉花の声が聞こえる。唯へのメッセージに対する、莉花の答えのようにも見えた。自分は、何か唯へ答えられることがあるだろうか。その先を思い描けず、恵太は唇を噛んだ。

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