第2章-5

恵太はこの数日、部屋に着くと鞄を机に置いたまま、ベッドに腰かけて過ごすようになっていた。服を着替えるでも、鞄を開くでもなくただ座る。母親に小言を言われることもあるが、風呂に入る時に着替えればいいと思うと、改める気にもならなかった。そうしていると、頭の中にこの何日かの出来事がフラッシュバックする。考えたくないときはスマホで画面を捲る。この繰り返しだった。

今日フラッシュバックするのは、不可解さに他ならない。莉花のスマホに付いていた、唯のストラップ。インタビューの時とは別人のような莉花の態度。

「あー」

 唸って、次に浮かんでいた言葉を飲み込んだ。『死にたい』と口に出しかけたが、竜海に窘められた時のことが浮かんだのだ。「死ぬなよ」と言う竜海の真顔。当たり前だ、本気で死ぬわけはない。なのに、浮かんでくる思考を止められない。唯の死ですでに理解が追い付いていないのに、また分からないことが出てくる。考えても考えても終わりが見えてこない。もう誰でもいいから息の根を止めて解放してくれないか、そんな心の声は嘘でない気がする。

 こみ上げてくる不快さを抑えきれなくなって、恵太はたまらずスマホに逃避した。手にするまで目的は考えていなかったが、もはや習慣になりつつある行為を、体が勝手にとる。あの、どこにかけているのかも分からない番号を見つけ、通話をする。

何度繰り返しても、同じ展開が起きるだけ。幽霊どころか、誰かが出る期待もなく、恵太はただ留守電に切り替わるのを待っていた。意外性のない単調なコール音が、何度となく繰り返される。

恵太が息を呑んだのは、もうそろそろ留守電に切り替わるだろうかと考えていた時だ。コール音がぷつりと止まった。違和感を覚えながらも、留守電のアナウンスに切り替わるのを待ったがその気配はない。恵太はようやく事態を把握した。誰かが電話に出たのだ。急に心臓を掴まれた気になる。こちらからかけたのだから、何か言葉を発しなければ。そう、動揺する自分に言い聞かせた。

「えっと、もしもし」

 息を飲む音さえ伝わりそうな沈黙が続く。間違い電話ということにして謝ろう、恵太が決意した時、

「何?」

 と受話器から女の声が返ってきた。暗く、低い声。苛立ちや不信感といった負の感情は込められていない気がした。その代わり、歓迎している様子もない。電話を切ってしまいたい衝動を抑え、言葉をつなぐ。

「いえ、すみません。間違って電話をしてしまったみたいで」

「嘘」

「え?」

「私と話したくて電話してきたんでしょ?」

 状況が掴めず、恵太の口からは「いや、あの」と気の抜けた声しか出てこなかった。誰なんだこれは。何が言いたいんだ。疑問ばかりのところに、淡々とした声が響いてくる。

「幽霊と話したいんでしょ?」

 受話器の向こうで、女の口角がくっと上がった気がした。恐らく年齢は若いと思うが、それ以外は何も思い浮かばない。知り合いではないことは確からしかった。気味の悪さとともに、一つの仮説も浮かんでくる。どちらかというと、その説の方がよほど真実味はあった。

「すみません、これなんですか? イタズラですか?」

「あなたからかけてきたのに、イタズラ呼ばわりは酷いわね」

 女の言うことはもっともだが。元が幽霊に繋がる電話番号という胡散臭いものだけに、電話をかけてきた相手を女がからかっているのが一番納得のいく可能性だった。

「あなたが期待した通り、私は幽霊なの。三年前に自殺したのよ」

 タネが分かると、途端に滑稽に思えてくる。唯から苦労して手に入れたヒントとやらが、こんな安っぽい結末だったとは。虚しいと同時に、受話器の向こうの相手が憎たらしく思えた。

「すみません、死んでるところお邪魔しました。ではこれで」

 耳からスマホを離し、終話ボタンに触れようとしたところだった。小さく聞こえてくる女の言葉の最後に、恵太の身は凍り付いた。

「あくまで信じないのね、ケイタくん」

 落としそうになったスマホを、慌てて耳に押し付ける。

「今なんて言いました?」

「ケイタくんでしょ。それぐらい分かるわよ。こっちは死んでるんだもの」

 聞き間違いではなかった。名前が知られている。スマホを押し付けている耳元から、汗が一筋流れ落ちる。誰なんだこいつは。目的は何なんだ。

「あんた、唯の知り合いか?」

 攻撃的な口調になっているのも構わず、探りを入れた。

「ユイ? ユイちゃんは……あなたの大切な人。でも、死んじゃったのね」

 ぐらぐら頭が揺れて、考えるのを止めてしまいそうになる。恵太は部屋の中を素早く見回し、当然なにも変わっていないことを確かめた。当たり前だ。何も起きてはいない。ただ、向こうが唯の知り合いである可能性が高くなっただけだ。

「なんだよこれ、悪趣味すぎるだろ。やめろよ」

「そう言われても。電話がかかってきたから話してるだけなんだけどね」

 女はまるで動じる様子もなく、抑揚のない声で語りかけてくる。

「ケイタくん、きみ、何か目的があって電話してきたんじゃないの?」

 恵太は何も答えなかった。唯が死んだ今、そもそもの目的だった『生け贄』の謎は知る必要もなくなってしまった。それよりも今は、この質の悪いイタズラのような状況を作った犯人を突き止めたい。この女は誰なのか、その疑問ばかりが頭を巡る。

「聞こえてる? 答えないなら、きみの考えていることを当ててあげようか」

 勝手にしゃべる相手の言葉を、恵太は録音音声を聞くかのように聞き続けていた。

「きみ、死にたいんでしょ。だから幽霊である私に電話をしてきた。例えばそうね、死んだ後の世界のことを聞きたいとか、いい死に方とか、幽霊に聞けばいろいろ分かりそうだもんね」

 だんだん相手が調子に乗ってきている気がして、恵太は苛立った。確かに死にたいと思ったことも、言ったこともある。全て見透かされている気がして、ますます気味が悪い。それでも、唯が死んだことまで挙げてからかってくる奴の言うことなど、到底認めるわけにいかない。自然と反論が口をついて出た。

「うるせえな、死んだヤツにグダグダ言われたくねえんだよ。死にたいなんて、思ってないしな」

「あら、やっと私が幽霊だって認めてくれた?」

「お前がしつこいからだろ。いいか、お前は死んだなんて嘘ついて、わざわざ手の込んだイタズラをしてる根暗野郎だ」

 数秒の無音に、少しはダメージを与えられたかと期待した。ややあって「ふー」と聞こえてきた吐息は、どちらかというと『やれやれ』という億劫さを含んだ響きに思えた。

「一度、会って話さない?」

 恵太は耳を疑った。

「マジで言ってんのかよ。自分の立場分かってないのか? 俺今、お前を殴りたいと思ってんだぞ」

 心のどこかで、会って真相を確かめたい気持ちと、得体の知れない相手への不気味さがせめぎ合う。

「殴り飛ばすかどうかは、会ってから考えてよ。こうして電話してても、私が幽霊だって信じてくれないんでしょ?」

 という言葉の裏は、会えば幽霊だと信じられるとでも言いたいのだろうか。躊躇いつつも、恵太は女と会う約束をした。この電話番号が、唯がヒントだと言って残したものということが頭に引っ掛かっていた。もう意味が無いと知っていても、無視をすることなどできなかった。

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