第2章-4

 学生服の波をかき分け、一歩でも早く進みたかった。駆け出したくても昼休みの売店前は、校舎への入り口の幅全てを使って人が並んでいる。恵太は人波の先に消えつつある後ろ姿の、行くあてを見失わないようにだけ心がけた。目印にしていた跳ねた茶髪の襟足と、丈の短いスカートが校舎内の階段を上がって行き視界から消える。と同時に行列の間を縫うことに成功し、恵太は自由になった体で階段へと急いだ。

追いかけながら先ほど見た光景の意味を考えるが、答えは見出せない。あのヘイトロッカの件で会って以来、初めて莉花の姿を見かけたのだ。だが恵太が気になっているのは、莉花自身よりも莉花が手にしていた物だ。なぜそれを莉花が持っているのか、直接話して確かめずにはいられなかった。

二階に上がると、上の階へ続く階段も目に入る。迷ったが、二年生の教室が多い二階にいる可能性に賭け、そのまま廊下を彷徨った。

莉花は同じ二年生ということは聞いていたが、クラスまでは聞いていない。一つずつ教室の中を窺いながら、廊下にいる生徒にも目を光らせた。今見つけないと、また偶然見かけるのを待つことになってしまう。一か月経って初めて見かけたことを考えると、この機会を逃したくなかった。だが、廊下の突き当りに着いても莉花の姿は無い。 

三階にも数は少ないが二年生のクラスはある。三階に行こうと、来た道を戻り始めてすぐのところで恵太は違和感に気づいた。女子トイレから出てきた人影が、すぐにトイレの中に引き返したのだ。一瞬だが、背格好が莉花に似ていた気がする。恵太が目をやった瞬間に引っ込んだのも、なおのこと意味ありげに見えた。

考えた挙句、恵太は廊下の壁の張り出した部分に隠れ、様子を見ることにした。隠れるといっても横や後ろからは丸見えなので、傍から見てかなり不審なのは承知の上だ。誰に言い訳をするでもなく、待ち合わせでもしているかのように時々辺りを見回してみたりする。数人を見送った後、トイレから辺りを窺いながら出る横顔があった。莉花だ。すぐには出てこず、何かを警戒するように二度三度と左右を確認している。恵太は一旦陰に隠れ、莉花が自分を警戒していることを確信した。恐らく、恵太が売店で莉花の後を追おうとした時から気づいていたのだろう。だが、莉花に警戒されないといけないような覚えはない。戸惑いながらも、再度トイレに退避されては事が進まないので、莉花がトイレから離れたところで声をかけることにした。

周りに恵太の姿が見えないことを確認したからだろうか、莉花が廊下へ出て来る。ちょうど、恵太がいる方へ向かってくるのが分かった。正面から見る莉花は、学校の外で初めて見た時とは違った印象だった。インタビューの時は独特の出で立ちで近寄りがたさがあったが、制服の今は違った威圧感がある。腕組みに眉間に皺を寄せて歩く様は、体全体で不機嫌を表していた。

必要以上に驚かさないよう、恵太は近づいてくる莉花との距離にまだ余裕があるところで顔を見せることにした。心の中でカウントダウンし、ゆっくり一歩踏み出す。莉花はあと五メートルほどのところに来ていた。恵太と目が合って、明らかに表情が引きつっている。それには触れず、恵太はごく自然な声を心がけた。

「久しぶり」

 小さく手を振ってみせる。莉花は腕組みしていた手を腰に当て、舌打ちが聞こえてきそうな顔で目を逸らした。

「ごめん、来ないでくれる」

 言われた通り、恵太は足を止めた。これ以上近づくと、今にも振り返って駆け出してしまいそうだ。改めて感じるのは、警戒というより拒絶に近い意思だ。どちらにしても、恵太には身に覚えがない。

「どうしたんだよ。俺が何かしたか?」

 莉花から答えは無い。廊下の隅に視線を落とし、身を固くしたままだ。通り過ぎる学生らによって、恵太と莉花の周囲に境界線が作られた。見えない境界線の外から、遠巻きに何事かという視線を感じる。莉花が話に応じる気がないのなら、本題を早く切り出してしまわないと良くないことになりそうだ。

「スマホに着けてるストラップ、見せてくれねえ?」

「何それ。なんで見せなきゃいけないの」

恵太は何歩か進み出た。対峙する莉花に近づいていくと、以前会った時と印象が違う理由の一つに気が付いた。ほとんどメイクをしていないようだ。目元や頬の色白さに青みがかかっており、疲れでくすんでいるかのように見えた。莉花が一歩後ろに引いたので、恵太も立ち止まる。

「それ、唯のストラップと一緒なんだよ」

 視線を上げる莉花と目が合った。強張った顔のまま、微かに口元が動いたかと思ったが返答はない。スマホを見せようとしないことが、図星だったと確信させる。手から垂れ下がる、赤いピエロ。いつも唯と共にあった光景。なぜかそれが、壁にもたれてスマホをいじる莉花の手にあるのを見つけ、追いかけて来たのだ。他では見かけたことのない代物だ。偶然というのは考えづらい。

「見間違いでしょ。お願いだから、私に関わらないで」

 突き放すような早口のあと、莉花は一旦言い淀んでから言葉を続けた。段々感情がこもって、声が大きくなる。

「唯は死んじゃったんでしょ? ならインタビューのこともナシだよね。私は、あの子から誘われて会いに行っただけなんだから」

 ヒステリックに言い終わるなり、恵太の反応も待たずに踵を返して去ろうとする。追いかけたくとも、通りすがりから浴びる注目が、莉花の突き刺すような声でより強くなってしまっていた。躊躇ったが、なんとか足を進めて莉花の肩に手を伸ばした。

「待てって」

 肩に手を触れたかどうかというところで、莉花が振り返って睨みつけてくる。

「あんたには関係ないでしょ。いい加減にして」

 伸ばしかけていた手は、莉花に乱雑に振り払われた。何がこれだけの剣幕を呼び起こさせるのか、想像がつかない。去っていく後ろ姿を、今度は追うことができなかった。

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