第2話:始まり

 二年に上がると、唯一の友人に恋人が出来た。相手は同じ学校の生徒で、学年は一つ上。つまり、女子だ。


「へぇ。えっちは?した?どうだった?」


「やめろ。まだ付き合ったばかりじゃ」


「じゃ、ヤったら感想聞かせて」


「お前……ほんと……」


「あははっ。ごめんごめん。お幸せにね〜」


「……うん。ありがとう」


「ところでりんりんって、レズビアンなの?」


「いや、バイだよ。初恋は男の人だったし、どちらかといえばノンケ寄りかも」


「ふーん。彼氏居たことある?」


 それを聞くと彼女は顔をしかめ、俯いて口ごもってしまった。そしてぽつりと「元カレは逮捕された」と耳を疑うようなことを呟いた。震える声で、彼のことを語ってくれた。

 中学生の頃に教師と付き合っており、その教師はある日、児童ポルノ禁止法違反で逮捕されたらしい。複数の少女の裸の写真を所持していたが、幸いにもそこに彼女の写真は無かったようだ。


「……とんでもないロリコンじゃん」


「……うん。けど……皮肉だけど、教訓になった。私はプロになっても、教師と生徒の恋愛物は描かない。描くとしても絶対在学中に付き合うようなことはさせない」


 ちなみに彼女は現在、プロの漫画家になっている。当時こう言っていた通り、彼女の作品の中では教師と生徒の恋愛は肯定的には描かれていない。

 一作だけ教師と生徒の恋愛をテーマにした作品があるが、その作品の教師であるヒーローの、生徒であるヒロインの告白に対する台詞が一時期話題になっていた。


『僕は君とは付き合えない。僕は教師、君は生徒だから。君からしたら真面目すぎると思うかもしれないけど、僕は真面目じゃなくて、まともなだけです。生徒に手を出す教師なんてろくな人間じゃないですよ。だけど、僕は君のことを大切に思っているし、特別に思っています。同じ気持ちなら、もう少しだけ待ってほしい。君が卒業式する日にもう一度、今度は僕から君へ告白します。その時に改めて君の気持ちを聞かせてください。それまで僕は誰とも付き合わないと約束します』


 中高生からは真面目過ぎるという意見もあったが、大人からはかなり評判が良かった。彼女自身が大人との恋愛の危険性を身をもって知ったからこそ生まれた台詞なのだろう。


「漫画家になったらさ、サインちょうだいね」


「いいよ。何枚でも書いてあげる」


 そう言っていた数ヶ月後にはもう彼女はプロになり、真っ先にサインをくれた。

 ちなみに、教師と生徒の物語はドラマにもなり、大ヒットした。他にもいくつかドラマ化したり、アニメ化したり、映画化したりしている。当時から彼女の作品は読ませてもらっており、そこそこ評価していたし、いつかプロになることも疑わなかったが、まさかドラマ化するほど有名になるとは、この頃は思いもしなかった。


「彼女って、どんな人?」


「先にそっち聞けよ」


「ごめん」


「……ありきたりだけど、可愛い人だよ」


「ふーん」


 恋人が出来てから彼女と過ごす時間は減ったが、関係は今までと変わらなかった。


「彼女、嫉妬しない?ほら、あたし、ビッチじゃん?」


「よくは思ってないみたいだけど、女に手を出すとは思われてないみたい」


「ふーん。まぁ、りんりんに手出す気はないけど……女同士のセックスに抵抗はないよ。男とするより良かったし」


「いつの間に……」


「この間3pしてさー」


「さ、さん……」


「女2、男1でね。女同士でヤってるところ見たいなーって言われてヤッたら気持ち良すぎて。


「……あのさ、羞恥心とかないの?」


「りんりんが聞いたんじゃん。で?彼女とは?」


「……まだ」


「えぇ!?一ヵ月なのに!?」


一ヵ月だよ!!馬鹿!」


 それから時は経ち、彼女の恋人が卒業し、あたし達は三年生になった。

 いつも幸せそうに恋人の話をしていた彼女だったが、ゴールデンウィークを過ぎたあたりから突然恋人の話をしなくなった。理由はすぐに察し、あえて触れずにいつも通り接していると、ある日、彼女の方から話したいことがあるからと家にやってきた。


「……察してると思うけど、別れました」


「……うん。気付いてた」


「……だよね」


 彼女はこてんとあたしの肩に頭を寄せて、静かに涙を流しながら、ぽつりぽつりと語り始めた。

 別れた理由は、恋人が社会に出て現実を知ったという、重い理由だった。どう声をかけていいか悩みに悩み出てきた言葉は


「……気晴らしに、セックスでもする?」


 いつもの冗談のつもりだった。明らかに言葉選びを間違えたことはすぐに気付いた。だけど、訂正しようとすると、彼女の唇に言葉を奪われた。そして彼女はあたしの肩に頭を埋めてぽつりと呟いた。


「……したら、吹っ切れるかな」


「……冗談だよ。けど、りんりんがそれで吹っ切れそうなら、あたしはしても良いよ」


 あたしがそう返すと、彼女はゆっくりと顔を上げた。よっぽどショックだったのか、その瞳に生気はなかった。あたしの姿も映らないくらい曇った瞳から、止めどなく涙が流れる。初めて見る彼女の泣き顔が辛くて目を逸らすと、彼女の顔が近づいて、唇が重なる。

 そのまま、ゆっくりと床に押し倒された。


「……姫咲ってさ、どっちでもいける?」


「どっちでもいけるけど、抱かれる方が慣れてるし、好き」


「……私も慣れてないけど、良いかな」


「良いよ。りんりんの好きにして。けど、床だと身体痛めちゃうからベッドいきたいなぁ。連れてってよ。りんりん」


 身体がふわりと浮いて、ベッドに下ろされる。お姫様抱っこをされるのは初めてで、少しドキッとした。

 ギィ……とベッドが二人分の重みで軋む。何も映らない曇った瞳から雨が降り注ぎ、あたしの頰を濡らした。


「……やっぱ、代わろうか」


「っ……」


 身体を起こし、唇を重ねる。そのまま位置を入れ替えて、ゆっくりと押し倒す。虚な瞳には相変わらず、何も映らない。


「……やめるなら今のうちだよ。りんりん」


「……いい。もう……今はただ……何も考えたくないの」


「分かった。じゃあ、頭空っぽにしてあげる」


「うん……して」


「する前に、一つ、約束してくれる?どれだけあたしに優しくされても、付き合いたいとは望まないでほしいんだ」


「……そんなこと先に宣言するクズ、好きになんてならないよ」


「どうだか。りんりん、クズに惹かれやすそうだもん」


「もう……良いから。早く……」


「……ごめん。じゃあ、触るね」


 正直、彼女とするのは少し躊躇いがあった。けれど、少し恥ずかしそうに顔を隠しながら控えめに善がる彼女を見ているうちに、罪悪感よりももっと激しく乱れさせたい気持ちが勝ってしまった。


「ちょっ姫咲……待って……」


「ごめん、無理。待てない。可愛いよ。りんりん」


「ぁ——!!」


 こうして、この日からあたし達は普通の友達ではなくなった。


「どう?吹っ切れた?」


「……姫咲さ」


「んー?」


「抱き慣れてないとか嘘じゃん。めちゃくちゃ手慣れてましたけど」


「抱かれる方が慣れてるって言っただけで、抱き慣れてないとは言ってないよ?」


「……ビッチめ……」


「好きでもない女に抱かれてにゃんにゃん鳴いてた人に言われたくないでーす」


「ぐ……」


「……で?どうだった?」


「……ノーコメント」


「……もう一回しよっか♡」


「いや、ちょっ、待っ——」


 意外にも、彼女との相性は良かった。油断するとこっちがハマってしまいそうなくらいに。

 一年もしないうちに彼女はすっかり吹っ切れ、出会った頃のように笑うようになったが、それでもこの関係はしばらく続いた。

 あたしはいつしか——いや、おそらく最初から、彼女に惚れていた。だけど、彼女から同じ気持ちを返されることは望まなかったし、彼女も最初交わした契約を守り一度も好きだと言わなかった。

 側から見たら少々歪な関係は、高校を卒業しても、二十歳を超えても続いた。

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