第2話 三百万の生きざま


 私の名前は、汐田絵梨しおたえり


 今年大学を出たばかりの、社会人一年生だ。


 職業は、探偵だ。私の勤務先は『絶滅探偵社』(自分で言うのもなんだが、最悪のセンス!)という小さな調査会社で、私は新卒の身であるにも拘らず、そこの所長を仰せつかっている。「ボス」という人聞きの悪い呼び名は、部下が私を呼ぶときの通称だ。


 元々は叔父の興した会社だが、肝心の所長が海外で行方不明になってしまい、叔父が残した手紙の中に私の名があったことからあれやこれやで二代目を拝命することになってしまったのだ。


 探偵社の社員は私も含めて全部で六名。超零細企業だが五名の部下は皆、独自の能力を持つ優秀な調査員だ。ほかに掃除等の雑務を請け負っている女性がいるが、この女性もまた、他の調査員たちにひけを取らないほど「できる」人物だ。


 私はこの『絶滅探偵社』に興味本意で飛び込んだその日から奇怪な事件に巻き込まれ、短い調査期間内にとんでもない挫折と冒険を味わうこととなった。


 危険を伴う調査に両足を突っ込みながら私が今も無事でいられるのは、我が信頼すべき精鋭たちのお蔭と言ってもいい。


 他の探偵社がどんなやり方で調査をしているか、私は知らない。だが、こと奇妙な事件に関して言えば、わが社を上回る調査力を持つ同業者はいないと言いきれる。

 ――そう、わが社は一般的な能力はともかく、こと特殊な調査能力に関する限り――


 ――探偵以上、なのだ。


                 ※


「お母さま、そんなわけでご子息の周りには悪い虫と言えるような女性の影は見当たりませんでした。……つまり結論から申し上げますと、勇人さんと一緒にいた女性は彼の『美の先輩』とも言うべき男性だったということになります」


 私が事務所にやってきた人物――依頼者である勇人の母親にそう告げると、四十代と思しき母親は信じられないという表情を浮かべたまま、その場に立ち尽くした。


「あの……そのお話が本当なら私は一体、どうしたらいいんでしょうか」


「暖かく見守ってさし上げたらよいのではないでしょうか。……もっともこの先、勇人さんの周囲に気になる「男性」の影が現れた場合は、改めて私どもに調査をご依頼ください」


「男性って……」


「そうですね、一週間も頂ければお相手がただの「友人」なのか「恋人」なのか見極められると思います。まあよほど素行が怪しくない限りたとえ「恋人』であったとしても、そっとしておいてあげるのが一番かとは思いますが……」


 私が明細を手渡して調査の終了を告げると、依頼者は「なんてことかしら」と大きなため息をついて事務所の外に姿を消した。


「ふう、思いのほか早く片付いたわね。これであとは石さんとテディさえ戻ってきてくれれば通常の体制に戻れるわ。……じゃ、早いけど今日はこれで上がり。みんなお疲れさま」


 私が部下たちに業務の終了を告げ、調査終了までお預け(……と、勝手に決めていた)手作りのアイスケーキを取りに冷蔵庫の方へ行きかけた、その時だった。

 

 ドアが勢い良く開け放たれたかと思うと、我が社に強い影響力を持つ人物が姿を現した。


「お久しぶり、みなさん。……なんだかいつもより人数が少ないけど、なにかあったの?」


 良く通る声とともに姿を現したのは探偵事務所のオーナー大船弘道おおぶねひろみちの娘、奈津子なつこだった。


「石亀と荻原は出張中なので、今週はここにいる四人だけで調査を行ってます」


「あらそうなの。……まあいいわ、ちょっと困ったことになったんだけど、聞いてくれる?」


 奈津子は空いているデスクの上にバッグを置くと、浮かない表情で椅子に身体を預けた。


「どうかしたんですか」


「実はパパがあるイベントに出資してたんだけど、それが中止になっちゃって損害の一部を補てんさせられることになったの。だけど今、他の事業が動いてて家にお金がないのよ」


「まさか、あんなに不動産を持ってらっしゃるのに」


「現金って要る時に限ってないのよね。家には絵画や骨とう品もあるんだけど、パパはどうしても売りたくないらしいのよ。それでうちが持ってる一番古い物件をね……」


「ちょっと待ってください奈津子さん、一番古い物件ってもしかして……」


「そう、このビルよ。建物は二束三文だけど、権利を手放せばそれなりのお金にはなるってことでしょ」


「僕らを裸一貫で放り出すつもりですか。いくらなんでも殺生すぎやしませんか」


 大神が泣きつかんばかりの口調で言うと、奈津子は「私もそこまで鬼じゃないわ」と言った。


「仮にここが売却されたとしても、うちが持ってる物件は他にもあるから心配しないで」


「よそに移れってことでしょうか?」


「ちょうどいい機会じゃない?少なくともここよりは広いし、綺麗だし……」


「いくらあれば、ここを売らずに済むんです?」


「え?」


「現金が都合できるまで、必要な額をうちが肩代わりさせていただきます」


「無理しないでいいのよ。いくら私だってここが流行ってるかどうかくらいはわかるわ」


 私は業を煮やすと、どんと机を叩いた。


「いくらあったらいいんです?」


「……そうね、とりあえず三百万ほどあれば」


「三百万ですね。わかりました」


 私はそう啖呵を切ると、部下たちの顔をひとわたり見回した。石亀や荻原に一言も了承を得ないまま勢いで約束してしまったことに後ろめたさを感じないでもなかったが、いったん口に出してしまった以上、引っ込めるわけにもいかない。


「本当にいいの?返済期限まで十日しかないのよ」


「なんとかします。……とりあえず今日のところはオーナーにこうお伝えください。立ち退きが実行される当日まで、わたしたちはここで業務を続けるつもりですと」


 私が移転の提案を突っぱねると、奈津子は「はあ」と呆れたように肩をそびやかした。


「まったくあなたたちの大風呂敷は前の所長さん以上ね。いいわ、十日だけ待ってあげる」


「ありがとうございます」


「本当、頑固な店子を抱えると苦労が尽きないわ」


 奈津子は乱暴な仕草でバッグのストラップを掴むと、「じゃあね」と言って身を翻した。


「……ボス、本当に十日で三百万、稼ぐ気ですか」


 奈津子がハイヒールの音を響かせて立ち去った後、金剛がおずおずと尋ねてきた。


「やるしかないでしょ。私たちの城が落ちかけてるんだもの」


 私は自分を鼓舞するように強い口調で言うと、「とりあえずお手製のアイスケーキでも食べて策を練りましょう」と呼びかけた。


「あーあ、十日後にはこのおんぼろ長屋ともお別れかあ」


 早くも悲観的観測を口にし始めた大神に、私は「縁起でもないことを言うのはやめて」とくぎを刺した。


「……ヒッキ、たしか会社の口座に経費補てんのためのプール預金があったわよね?」


「ありますけど……たしか百万円あるかないかです」


「ううん、やっぱり新規に調査を受けないと駄目か」


 私が今さらながら頭を抱えた、その時だった。奈津子が立ち去ったばかりの廊下に足音が聞こえたかと思うと、ドアが外から力強くノックされた。


「はい、どちら様?」


「調査の依頼に来た者ですが……」


 ドア越しにくぐもった女性の声が聞こえ、私は躍り上がらんばかりに興奮した。


「ほら、捨てる神あれば何とやらよ。……誰かうちにある一番いいお茶を用意して」


「ボス、調査に十日以上かかるような依頼は受けても意味ないですよ」


 私は諦め顔の大神を軽く睨みつけると、「聞いてみなくちゃわからないでしょ」

と言った。


「……決断だけは早いんだよなあ、うちの二代目は」


 私は背後から聞こえる雑音を無視して、いそいそと顧客を迎える準備を始めた。


              〈第三話に続く〉

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