百年後のありえない

白咲夢彩

百年後のありえない

 あなたは、「テレビを見たことがありますか?」と誰かに聞かれて、「そんなの、当たり前だ」と答えるだろう。この国でテレビを見たことが無い人物は、今の時代珍しい。


 さて、テレビを見るのが当たり前なこの国の私たちであるが、それは今だけの話である。考えてほしい、百年前の人々に四角の箱から人間が見えるなんて、想像が出来ただろうか。そして、今、スマホを片手に持つ高校生に、「百年前は、文通でしかやり取りができなかったんだよ」と言うと、「え、絶対無理、ありえない」なんて言うのだ。百年前の人にとっては、とんでもない機能の付いた長方形の不思議な薄い手帳なのに。


 何が言いたいかと言うと、百年前想像もできなかった未来は、今当たり前になり、昔の世界は、現代人にとってありえないことになっている。ちなみに、私は今の生活は当たり前ではないと思っている。二十六歳をもうすぐ迎えるのだが、現代の生活は当たり前になってしまっているだけで、とんでもないと思っている。


 そんな風に考える私は思うのだ、今から百年後にはありえないが沢山あるぞ、と。昔の人がスマホなんて想像できなかったように、想像もできない何かがきっとある。いや、想像はできていたかもしれない、昔、予言をする人がいて電気を発明し、世界を変えた人物がいたように、きっと、ありえないことは実現できることなのかもしれない。ありえないと思いながら、実はありえるのではないだろうか。


 だから、私が考える百年後のありえないを聞いてほしい。


 まず、人は空を飛んでいると思う。正直、今の私が友達にそう言えば、「何を言っているんだこいつ」と思われてしまうわけだが、友達はありえないと思っても私は実現できると思う。


 何故なら、デジタル化が進んでいるからである。最近話題に出ているのが、車の自動運転で人が操作をしなくても勝手に車が動くだとか、ドローンで空から頼んだ荷物が届くだとか、無人レジだとか、私の生まれた頃には想像もしなかったことがどんどん実現してきている。きっと、課題はまだ多いだろうが、〝運転手〟とか〝店員〟なんて言葉はいつしか古くなっているかもしれない。IT技術、デジタル技術が進む中で、経済や人々の生活は変化し、これからもありえないは生まれ続けるだろう。もしかしたら、車だって空を飛んでいたりするのかもしれない。だって、そんなのありえないから。

 

 そして、何百年後もしかしたら若者はこう言っているかもしれない。


「百年以上の前の人ってね、地面を歩いていたらしいよ!ありえない!」


 それくらい、空を飛ぶことは当たり前になり、昔をありえないと言っている気がするのだ。空を飛ぶことで地面を歩かないので、地面を走る車との交通事故は減っているかもしれない。車も空を飛ぶならば、新しい交通ルールが出来ているかもしれない。もし、温暖化が進んで海の囲まれた千葉県から沈んでしまうことがあるのならば、標高の高いところの土地の価値が上がり、富士山が首都になるかもしれない。温暖化は食い止めたいが、もし海面が上がってきたら、人々は空で暮らすのだろうか。


 今の私たちは、そんなことありえない、なんて言っているが、いい意味でも悪い意味でも、そう思うことは実現されているのではないだろうか。今までがそうであったように。


 そして、あなたの少しの発想が世の中を大きく変えることにもなるかもしれない。


 私は、寿命が伸ばせるならば、三百年後くらいまで生きて世の中を見ていたいなんて思う。でも、パートナーが先に死んでしまったら、寂しいので、人間が死ぬことのない発明を誰かにしてほしい。いや、それをしてしまったら、不老不死を手に入れた民が争いを増やしてしまうだろうか。昔の古臭い考えのままの人が増え、若者が苦しむだろうか。人口が増えて困るだろうか。先に死んだ先祖が「なんで、俺たちだけ死ぬ運命なんだ!」と怒り、祟るだろうか。


 いや、そんな未来は絶対にないしありえないか。


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