第33話 来訪者と悪役令嬢 ~前編


 王都目前のハシュピリス軍は、途中途中で鎮圧の応援に騎士らを減らしながらも最速で馬を走らせ、ようやく王城が見える辺りまでやってきていた。


 そして絶句。


「なんだ、これは....」


見渡す限りの野獣の群れ。今まで見てきた領地の比ではない。

 樹海近辺は壊滅状態、遠くに見える篝火が、たぶん防衛ラインなのだろう。


「ちくしょうっ、やらせるかよっ!! 行くぞっ!!」


 応っっ!!と呼応するハシュピリス騎士団や冒険者らとともに、ギルマスは野獣の海に飛び込んでいった。


「チトゥセっ、頼むっ!!」


「了解っ!!」


 ギルマスの言葉に頷き、千歳は馬から飛び降りると、野獣がひしめく大地に降り立つ。そして片っ端から魔法を打ち込み、爆散させていく。

 他の騎士らや冒険者も次々に野獣へ駆け出し、新たな戦場の幕が切って落とされた。




「援軍....?」


 エカテリーナの目に複数の篝火が見える。


 王城側からと、樹海沿いから。


 それぞれが見る見る数を増し、一路こちらへと向かってきているようだった。


 ....助かった?


 海側の領地の騎士団とハシュピリス軍だろう。

 既に限界を超えて闘い続け、朦朧とする意識の中で、エカテリーナは剣を支えに立ち上がり、力の限り叫んだ。


「援軍だっ!! 一端退いて戦線を立て直すぞっ!!」


 エカテリーナの声を聞いた騎士らが笛を鳴らす。撤退の合図の笛に、戦場の空気が変わった。

 まだ余力のある者が殿をつとめ、軽傷者が重傷者に手を貸しながら後方へ下がる。


「負傷者を拾えっ、一人も残すなっ!!」


 疲労困憊でふらつきながらも、エカテリーナは全軍が下がるまで前線で声を張り上げた。


 頭が割れるように痛い。負った傷が深いのか、左足に感覚がない。痛みが遠いのは、ある意味幸いだ。ヤバくもあるが。


 一番最前線で戦っていた彼女は、気づけば幾らかの深手を負っていた。


 つらつらととりとめのない事を考えつつ、エカテリーナは全軍撤退したのを確認し、自分も後方へと下がる。

 すると重騎士らが守る防衛ラインから、誰かが飛び出してきた。眼を見開いて何かを絶叫しながら駆けてくる男性。


 ....王太子様? 何故ここに?


 見れば防衛ラインには複数の旗がたなびき、大勢の兵士が立ち並んでいる。


 援軍が着いたのね。良かった。


 しかし変だ。皆が眼を見開き、叫ぶようにこちらを指差している。駆け寄っていた王太子は既に目の前だ。


 満身創痍の疲労から夢現だったエカテリーナを抱きしめ、王太子は身体をクルリと反転させた。


 その瞬間、辺り一面が真っ赤に染まる。


 反転したエカテリーナの瞳に巨大な熊が映った。


 意識が朦朧としていた彼女は、背後から攻め寄る熊に、全く気付いていなかったのだ。

 宵闇が獣に味方をする。周りも闇のせいで認識が遅れた。

 いち早く気づいた王太子が絶叫をあげ、初めて周囲もそれに気づく。

 誰もがエカテリーナを救おうと飛び出したが、時既に遅く、間に合ったのは王太子一人だけだった。


 後れ馳せながら辿り着いた騎士達が、熊を切り裂き打ち倒す。

 生暖かい血塗れな王太子を抱えたまま、エカテリーナの思考は完全に停止していた。


 だが次の瞬間、彼女の本能が悲鳴を迸らせる。慟哭にも似たそれは、涙の泡沫と共に悲しく戦場に谺する。


 力ない王太子の亡骸を抱き締め、声の限りを尽くしたエカテリーナの絶叫は、遥か遠くの樹海の奥まで響き渡り続けた。




「落ち着けエカテリーナっ!!」


 絶叫する彼女を揺するのは長兄アドリシア。彼らはハシュピリス騎士団と合流し、援軍として戻って来ていた。

 そして目の前の惨状に言葉を失い、響き渡る愛しい妹の悲鳴を聞きつけやってきたのだ。


 しかし....なんてこった。


 殺してやりたいと思ってはいたが、まさか本当に死んでしまうとは。


 周囲からの説明によれば、王太子はエカテリーナを守るために亡くなったらしい。


 忌々しい野郎だ。なんでこんな簡単に死んでしまうんだ。しかもエカテリーナを救っただと?


 なんとも言えない複雑な怒りに満たされ、アドリシアは王太子の亡骸を起こした。

 すると微かに王太子の身体が痙攣する。


「おいっ、息があるっ! まだ生きてるっ!!」


 アドリシアの言葉に周囲の人々がわっと押し寄せた。

 口々に王太子を呼び、意識を傾けさせようと努力する。

 そこへ千歳を連れてギルマスがやってきた。


「お嬢っ、御無事でしたかっ」


 喜色満面で駆け付けたギルマスは、次の瞬間、目の前の惨状に度肝を抜かれる。

 死屍累々な大地に、返り血で真っ赤な人々。そして上向きに倒れたまま、真っ青な顔の王太子。

 その傍らには王太子より真っ青にひきつった顔のエカテリーナが、指を戦慄かせながら王太子に取りすがっていた。


「王太子様....眼を開けて下さいませ。王太...」


 息はあれど致命傷を食らった事に間違いはない。下手に動かせば今にも事切れるだろう。

 何の手立てもなく、ただ最後を看取るしかない人々は、絶望に顔を歪めて二人を見守っていた。


 そこへ千歳が膝をつく。


 千歳は少しだが光属性を持っていた。彼女は残り少ない魔力を使い、王太子に触れると治癒の魔術を発動した。

 すると王太子の身体が微かに発光し、か細い息の下で、うっすらと瞼が上がる。

 それを見て歓喜に彩られた人々から歓声が上がった。


「.....エカ...リ...ナ」


 戦慄く唇で言葉を紡ぐ王太子に、エカテリーナは思わず顔を寄せる。


「ここにおりますっ、王太子様」


 その泣き出しそうな顔に苦笑し、王太子は微かに口角を上げた。


「この...国..を.....」


 最後は言葉にならず、王太子の眼から光が失われる。だがそれでも唇の動きで、エカテリーナには伝わっていた。


 ....頼む。と。


 千歳の治癒で起きた奇跡。一瞬の邂逅。


 完全に事切れた王太子の亡骸を抱き締めたまま、再びエカテリーナの絶叫が戦場に響き渡った。




「力及びませんでした」


 深々と頭を下げる千歳をギルマスは抱き締める。


「あんたは良くやってくれたよ。あんたが居なかったら、ここまで来るのにもっと時間がかかったろう。ありがとうな」


 大きな身体に抱き締められ、千歳はポタポタと涙をこぼしていた。


 こんな戦いは初めてだった。無我夢中で来たけど、人の死を眼にするのも初めてだった。

 規格外の力を得て調子にのっていた。ハリボテな万能感に酔い、魔力が尽きれば、ただの人間な事を忘れていた。


 自分は力無い無力な子供なのだと思い知らされた。


 初めて見る夥しい屍の山。いたるところを汚泥と化す血溜まり。死臭があたりを満たす惨たらしい戦場は、千歳の心を手酷く打ちのめした。


 だが、異変は待ってはくれない。


 絶望の夜が明けた時、そこには更なる絶望が口を開いて待ち受けていたのだ。




「嘘だろ....?」


 夜が明けて明るくなった大地には、再び溢れるほどの獣達が姿を現している。

 獰猛に牙を向き、襲いかかってくる野獣の群れ。

 援軍も虚しく、人々は凶悪な形となった絶望の波に、為す術もなく呑み込まれていった。


 有り得ない、皆死んでしまう。


 千歳の眼に映る戦場は一方的な虐殺へと早変わりしていた。

 かろうじて重騎士らが戦線を保ってはいるが、相手の数が多すぎる。いずれ瓦解するだろう。

 元々半数が満身創痍だった騎士団は、援軍の手を借りても獣らの数の暴力に完全に押されている。


 どうしよう? どうすれば良い?


 魔力の尽きた千歳は完全なお荷物だ。


 この国に到着したばかりの頃は、体内が豊富な魔力に満たされていて気付かなかったが、どうやらこの国の大地に魔力を吸われているらしく、千歳の魔力は殆ど回復していない。

 回復する端から魔力を奪われているのだ。吸魔国と呼ばれる由縁を舐めていた。


 千歳は這い上がる悪寒に身を震わせる。


 助けて下さい、女神様っ!


 日本人らしい思考で思わず神頼みに走る千歳の脳裏に、ふと、ある人の姿が浮かんだ。


 地球のダンジョンを踏破し、初めてこちらに渡った来訪者達。


 後続の地球人のために新たな国を作り、ドラゴンや神々と仲睦まじく、魔獣すらもが親しく暮らす秋津国の元首。皇千早。

 自分と似た名前の幼女は、ドラゴンからは孫扱いされ、女神様からは妹認定されている謎な御仁だ。

 霊獣らとも仲が良く、千歳をここまで送ってくれた魔獣もその仲間。秋津国の者には手を貸してくれる。

 見掛けは幼女だが中身は五十すぎのオカンで、とても面倒見が良く、そのせいで、あらゆる災難に見舞われている御人好し。とは、ギルマスのタバスの言である。


 そんな彼女は、旅立つ来訪者らに言った。


 万一、命の危険を感じたら、探索者カードの輝石を砕けと。


 探索者カードに嵌め込まれた輝石は、探索者本人の魔力の結晶。二つあるそれの片割れは探索者ギルドに保管され、生死確認に使われる。

 魔力の結晶である輝石は、本人が死ぬと魔力が失われ、色が抜けるのだ。

 対の輝石からも当然色が失われ、本人の死が確認される。


 しかし、来訪者である自分らの輝石には元首の祈りが込められていると聞いた。

 砕いて術式を発動すれば、命の危機からは逃れられると。


 信じます、皇さんっ、女神様っ!!


 千歳は探索者カードを平たい石の上に置くと、そこに嵌まっている黒い輝石に向かい、力一杯ナイフの柄を振り下ろした。

 途端、輝石は砕け、辺り一面に大きな魔法陣が現れる。

 周囲十メートルほどに展開した魔法陣から光の柱が立ち上ぼり、その内部はキラキラ輝く光の粒子に満たされていた。


 これは....結界?


 唖然とする千歳の身体の傷が癒え始め、体力や魔力も回復の兆しをみせる。

 信じられない面持ちで己の両手をを見つめながら、千歳は震える声で叫んだ。


「負傷者をここへっ!! 癒しのセーフティゾーンですっっ!!」


 千歳の叫びに振り返った人々は、いきなり現れた神々しい魔方陣を言葉もなく見つめていた。




「凄いな。これも魔術か?」


 茫然と呟くギルマスに、千歳は苦笑して答える。


「私のではないけどね。魔術だよ、たぶんかなり高位の」


 次々と運び込まれる負傷者で、重症な者に治癒をかけながら、千歳は先ほど怒鳴り込んできた青年を思い出していた。




「こんな物が作れるなら、何故さっさと作らなかったんだっ! これがあれば、フィルドアを救えたんじゃないのかっ!!」


 肩で息をしながら吼える淡い緑な髪の男性。

 彼は眼を見開き、凄まじい勢いで千歳を怒鳴り付けた。


「よせっ、あんな一瞬の出来事で何がやれる? エカテリーナと最後の言葉を交わせただけでも奇跡だったじゃないかっ! この子が居なかったら、それも無かったはずだっ!」


 怒り狂う男性の名前はラシール。彼は護衛として、王太子と共に戦場にいた。


 あの一瞬も共にいたはずなのに、王太子が眼を見開いたと思った瞬間、彼はエカテリーナに向けて走り出していた。

 何が起きたのか分からず反応が遅れたラシールは、エカテリーナの背後に迫る巨大な熊に眼を奪われる。

 全力で王太子に続いたが間に合わず、ラシールの目の前で王太子は熊に切り裂かれた。

 声もなく絶叫しながら、ラシールは王太子を弑した熊を切りつけたのだ。


 ラシールにだって分かってはいる。しかし、理性が納得しても感情が納得しない。


 こんな奇跡の御業を使えるなら、とっとと使って欲しかった。無い物ねだりだ。だが....っ!!


 涙で霞む視界で空を見上げ、ラシールはなんとも言えない複雑な感情に眉を歪め、言葉もなく魔法陣をあとにした。


 そんな彼を見送り、エカテリーナの次兄であるラルフレートが千歳に頭を下げた。

 先ほども彼は絶叫するラシールに反論し、千歳を庇ってくれている。


「すまない。あいつは王太子殿下と名前で呼びあうほど仲が良くてな。御学友の枠を越えた友人だったんだよ。...なのに、あいつの目の前で、殿下は」


 切な気に眼をすがめ、ラルフレートは口を閉じた。だがそこまで聞けば千歳にも理解は出来た。


 ....ごめんなさい。


 千歳は口にしてはいけない言葉を心の中でだけ呟く。


 自分に出来る事をやるしかない。魔力の回復が乏しい今は、攻撃より支援だ。

 そう思い、千歳は回復した魔力で治癒に全力を注いでいる。


 そんな千歳の葛藤を余所に、エカテリーナは茫然としたまま王太子の亡骸を抱き締めていた。




「王太子様? フィルドア様? 眼を開けてーっ!!」


 絶叫するエカテリーナは、ようやく王太子の存在の大きさに気づいた。

 何故こんな簡単な事に気づいてなかったのだろう。


 悪役令嬢を演じてきた八年間。


 誰もが煙たがり、エカテリーナから距離をおく中で、王太子のみがエカテリーナの傍にいた。

 時には罵り、時には懇願し。何とかエカテリーナを正そうと必死に努力をしてくれた。

 婚約者候補の一人に過ぎないはずのエカテリーナの横に常に立ち、そなたには相手がおらぬだろうと、如何なる時もエスコートをしてくれた。

 有り難迷惑なのだと思っていた当時の自分を殴り飛ばしてやりたい。


 どんなに酷い悪辣な令嬢であろうとも、王太子だけがエカテリーナを見捨てなかったのだ。


 その裏にある物を今更感じ取り、エカテリーナは後悔にうちひしがれる。


 八年だ。並々ならぬ年月だ。


 そんな長い月日をエカテリーナのために捧げてくれていた。


「解りにくいわよ、あなた」


 ほたほたと涙をこぼし、エカテリーナは冷たい亡骸を抱き締める。


 そこに目映い閃光が走った。


 自分の殻に閉じ籠るエカテリーナの視界に、小さな幼女が立っている。


「皇さんっ??」


 某か話す黒髪の二人。いきなり現れた蒼いローブの幼子はエカテリーナに近づき、王太子に何かを振りかけた。


 途端、王太子の身体が発光し、全ての傷が癒され息を吹き返す。


 何が起きたか解らない。


 しかし、目の前で起き上がった王太子は、信じられない顔でエカテリーナを見つめた。


「王太子様....」


「フィルドアと....そなたの呼ぶ声が聞こえた」


「フィル...ド..ア」


 エカテリーナの声が詰まる。


 二人はどちらからともなく抱き合い、再び起きた奇跡を、心から女神様に感謝した。


 少し離れた位置で、幼女が生温く笑っているのにも気づかずに。

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