第2話 お馬鹿な王太子


「そなたは阿呆かっ!!」


 王宮奥深く、後宮の応接室に野太い叫びが響いていた。


 白を基調にした上品な部屋。差し色の赤が美しく、女性らしい柔らかな色調の応接室で、叫んでいるのは父たる国王陛下。叫ばれてるのは息子たる王太子殿下。

 母たる王妃様は、扇で口許を隠しつつ呆れ顔。


「何故よりによって.... いや、それならば全力でエカテリーナ嬢を妃として迎えねばならぬ。正妃に子供が生まれぬ限り側妃は許さぬぞ。仮にも辺境伯から娶るのだからなっ!」


「はあっ? あんな女に夫婦の営みなど有り得ませんよっ! 眼にするのもおぞましいのにっ!」


「ならば、何故、彼女を選んだのだーっ!!」


 心の底から嫌そうな顔の息子は、激昂する父へラシールに話した説明を繰り返した。

 国王は、ぽかんっと口を開けたまま二の句が継げない。


 息子のあまりな情緒の無さに、国王陛下は力なくソファーに沈み込む。  


 何処で育て方を間違った?


 責任感が強いのは良い事だ。しかし、その応用の仕方が間違っている。そこは娶るのではなく、良い輿入れ先を紹介するとかではないだろうか?


 国王がそう言うと、王太子は憮然と首を横に振る。


「そんな、人に嫌な事を押し付けるような真似、出来ません」


 正論だ。人として正しいんだが、何故それをエカテリーナ嬢に適用出来ない?


「では、エカテリーナ嬢を妃に据え、何もさせず王宮に閉じ込めるのは良い事なのか? 子供を生み育てる幸せを奪う事になるんだぞ?」


「そんなのアレの自業自得ですよ。あんなに性格が悪くては公務にも出せないし、学ばせるだけ無駄なんだから、後宮に閉じ込めておくしかないでしょう? 子供も何も、アレは輿入れ先皆無じゃないですか。どっちにしたって望めない幸せなのだから、同じでしょう?」


 うん。言ってる事は理解出来るけど、もう少しオブラートに包もうか。


 国王は凄まじい頭痛に頭を抱えた。


「だいたいですね、俺は昔からアレが大嫌いだったんですよっ!! 高飛車で傲慢で馬鹿みたいに派手で香水臭くて.... 何度も婚約者候補から外して欲しいって御願いしたのに、外して下さらなかったのは父上達ですよねっ!!」


 痛い所を突かれた。


 国王は眉間を寄せ、情けなさげな眼差しで王妃に視線を振る。それに気づいた王妃も、扇の下で小さく嘆息した。


 今でこそ増えた婚約者候補だが、元々は辺境伯の娘が婚約者に選ばれていたのだ。

 辺境伯は質実剛健で領地の守りに徹し、滅多に王都に顔を出さないし、家族を連れても来ない。

 武勇に限らず隣国にも明るく、政治的な働きもそつなくこなす優秀な辺境伯を王宮に取り込むため、エカテリーナ嬢を王太子の妃に望んだのだ。

 娘が嫁いだとなれば、彼の御仁も王宮に興味を示し、今よりも積極的に王都を訪れるだろうとの打算からである。


 まさか肝心の御令嬢が、あんなキテレツな娘とは思わなかったが。


 まずは本人同士を会わせて様子見しましょうという辺境伯に賛成し、行われた後宮お茶会。


 両親や兄妹らを交えた穏やかなお茶会で、エカテリーナ嬢の姿を初めて見た国王側は、思わず全員固まった。


 まだ八歳にもかかわらずオーダーメイドの豪奢なドレスに身を包み、計算したかのような扇の角度から、冷たく見下す子供らしからぬ眼差し。

 キツめのメイクで噎せ返るほどの香水を全身に纏い、本物の煌めきを放つ重そうなアクセサリーをジャラジャラさせながら、ニッコリ笑う幼女。


 エカテリーナ嬢と王太子との初対面は、第一印象最悪からスタートしたのだ。


 それからも高飛車で傲慢な態度や口調。あからさまな嫌みや、気まぐれな行動。

 然したる時間もかからず、王宮内での彼女の評判は、ドン底を更に穿つ勢いで下がっていった。

 みかねた重鎮らから別な婚約者候補を示唆され、反論も出来ずに婚約者候補を増やすはめになったのだ。

 それとなく辺境伯を窘めてみても、暖簾に腕押し糠に釘。親バカ全開でニコニコ褒め称える始末。


 まだまだ子供なのだし、これから慎み深くもなるだろうと楽観していた国王夫妻を嘲笑うかのように、エカテリーナの極悪ぶりは斜め上半捻りでかっ飛んで行く。


 ある日は他の候補者にお茶をぶっかけ、ある日は少しポッチャリな御令嬢を豚だとこき下ろし、ある日はつまづいた振りをして別な候補者を泉に突き落とす。

 共に泉に落ちたにもかかわらず、相手を罵るバイタリティには脱帽だが、使い道を間違っているとしか思えない。

 それでも王太子の事は気に入っているらしく、ベッタリ寄り添って媚を売る。

 いっそ清々しいほどの悪役っぷりに、ある意味、感銘を受ける御令嬢だった。


「アレを何とかしてくださいっ、アレが妃になるなど有り得ませんっ!!」


 辺境伯を取り込みたい国王夫妻は、半泣きする王太子を宥めすかし、エカテリーナの貴婦人としての成長を信じて、ズルズルする事約八年。


 長々とした試練の連続に達観した王太子も、斜め上半捻りな答えを出してしまった。


 己が出した答えであれど、不本意極まりない結果を忌々しく思う王太子は、鋭い眼差しで国王夫妻を睨めつける。


「父上達がアレを候補者から外してくれていれば、今の状況にはならなかったのですっ! 責任転嫁する訳ではありませんが、半分くらいは良心の呵責を感じて頂きたいっ!!」


 返す言葉もない国王夫妻である。


 一番不本意で貧乏クジを引いたのは自分なのだ。エカテリーナも不遇かもしれないが、正妃としての生活は保証するのだから、自分にも側室という安らぎをくれと、王太子は絶叫にも近い泣き声をあげていた。


 分かる。実に身につまされるんだが、状況はそれを許さない。


 この話を辺境伯にしない訳には行かず、さりとて、あの親バカな辺境伯が、これを聞いたら烈火の如く怒り狂うだろう。

 娘が御飾りの妃となり、名ばかりの妻で子も為せないとなれば、彼の御仁も黙ってはおるまい。


 最悪、こちら有責の婚約破棄もありえる。そうなったら、王太子のまともな婚姻は絶望的だ。

 有責を食らう王族など汚点でしかない。辺境伯相手に有責となれば、慰謝料は莫大な金額になる。

 己の不祥事で莫大な損失を血税に出す王族など、百害あって一理なし。場合によっては王籍剥奪も有り得た。


 若輩な王太子は、そこまで考えが至らなかっただろうが、事態は最悪を迎えてしまったのだ。




 卒業ダンスパーティーから数日。


 王宮の応接室に居並ぶ辺境伯親子と王室御一家。それぞれが重苦しい沈黙を携えている。


 ダンスパーティーで指名はされたものの、正式な婚約はまだ成されていない。

 そこに一縷の希望を見出だし、は顔を見合わせていた。

 王家の切実な事情は前述の通りだが、辺境伯家の事情も冒頭の通りである。御互いが御互いに何とか婚約を回避しようと、話あぐねていた。


 正直にぶっちゃけてしまえば簡単に済むのだが、御互いの事情を知らない当事者達は、眼を泳がせまくって明らかに挙動不審。

 そんな両親に溜め息をつき、王太子は鋭い眼差しでエカテリーナを睨みつけた。


「私は、そなたが大嫌いだ。だが、婚約者候補としての拘束期間が、そなたの適齢期を奪ったのも事実。他の御令嬢と違い、そなたには輿入れ先など見つからないだろう。ゆえに私が責任を取る。夫婦たり得るとは思わぬが、正妃としての地位と生活を保証しよう」


 はっきり宣言する生真面目な王太子に、周りは護衛や侍従らをも含めて絶句。

 顎を落としたまま間抜け面で固まる国王陛下を正気づけようと、王妃の扇がバシバシ王の肩を叩く。

 はっと国王が我に返るより先に、物凄い負のオーラが応接室で爆発した。


 言わずと知れた辺境伯。彼は剣呑に眼をすがめ、思わず力の入った顎が、残忍に口角を歪める。


「なるほど? つまり、婚期を逃した娘をお情けで引き取ってくださると? こう、おっしゃりたいのか」


 嫌味で口にした辺境伯の言葉に、お馬鹿な王太子は真摯に頷いた。


「その通りだ。こういっては何だが、貴殿の娘御は問題がありすぎる。このままでは、多くの人々に多大な迷惑をかけるだろう。監視も兼ねて後宮に隔離したい」


 辺境伯のこめかみに、ビキビキビキと青筋が亀裂を作り、負のオーラがさらに深まった。


 顔面蒼白で事態を眺めていた国王陛下は、この凄まじく冷えきった空気を全く感じていない王太子に、有り得ない物を見る眼差しを向ける。


 おまっ、ちょっ、辺境伯の後ろに噴き出してる怒りのオドロ線が見えておらんのかっ、死にたいのかぁぁぁあっっ!!


 負のオーラに怒気をみなぎらせ、眉を跳ね上げて不敵な笑みを浮かべる辺境伯。

 思わず身体を竦めて縮こまる周りの被害者達。

 この極寒のブリザードが吹き荒れる中で、平然と辺境伯を見つめる王太子は、ある意味、大物かもしれない。


「なるほどなるほど。それで? そんな形の婚姻で子が為せるのですか? 大嫌いな相手に夫としての義務は果たせますかな?」


 冷静に理路整然と問い掛ける辺境伯。その意図を察し、二人の会話を打ち切ろうと、慌てて国王陛下が立ち上がった。


 ..........が。


「大変申し訳なく思うが無理だろう。私は側室を迎える事になると思う」


 お馬鹿な王太子が答える方が早かった。


 全身真っ白になり、力なく崩折れる国王夫妻。


 それと対照的に、顔全面で破顔する辺境伯。背後に背負っていたオドロ線が一瞬で凄まじい稲妻に早変わりする。

 そして後ろに控えていた側近に、会話の内容を記録してある事を確認し、にこやかだが深い影を落とした顔で振り返った。


「了解いたしました。なれば、今回の婚約話は無かった事に致しましょう。こちらから婚約破棄を申し立ていたします。今の発言は公式記録として残しておきますので。続きは法廷で。では」


 無機質な硝子のように冷たい瞳。隣国や野獣から国を守り、政治的判断すら任されている歴戦の強者な辺境伯だ。

 獲物を見据える獰猛な雰囲気に、お馬鹿な王太子もようやく気付いた。


 唖然とする王太子と魂の抜けた国王夫妻を見て、エカテリーナは扇で口許を隠したまま、冷ややかな眼差しで軽く嘆息する。


「御待ちになって、御父様」


 立ち上がり、すくにでも退室しようとしていた辺境伯は、娘の一声でピタリと立ち止まった。

 訝し気な父親と娘の間には無言の会話がなされている。


『好都合な展開ではないか? こちらからの婚約破棄、王太子の有責で、おまえに傷はつかない』


『お馬鹿で歪んでますが、大嫌いな私に慈悲をかけようとなさったのは評価できますわ。言い分はメチャクチャですけど』


 短いアイコンタクトで意思の疎通をはかり、エカテリーナは家族で相談して後日返事をすると言い残し、王宮をあとにした。


 ほくそ笑む彼女の脳裏に描かれた策略を、今の王太子は知らない。

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