《改訂版》悪役令嬢やめますっ!! ~バットエンドから始まるハッピーエンド♪~

美袋和仁

第1話 婚約から始まるバットエンド


 鏡に映るのは、毒々しい赤黒いドレスの貴婦人。


 裾からは金の刺繍がふんだんに描かれており、コルセットに絞られた上衣は、下に行くにつれ赤から黒へとグラデーションされ、派手なケバケバさの中にも、ほんのりとした品の良さをのぞかせている。

 それは王国貴族御用達のデザイナーズブランドの名に恥じない一品。


 豪奢なドレスに身を包み、豊かな黒髪を艶やかに大きく巻いて結い上げた姿は、どこからどう見ても悪役令嬢に相応しい出で立ちだった。


 今宵もキツめのメイクに香水をぶちまけて、いざ出陣。



 今夜は、待ちに待った、貴族学園の卒業ダンスパーティー。


 今日この日のために、悪役令嬢エカテリーナ・ハシュピリスは粉骨砕身努力してきた。

 一学年上である王太子様が卒業なさる今日。彼の御方が婚約者を選び、エスコートなさる今日!!


 王太子の伴侶が選ばれる今日のために、彼女はライバル達に嫌みや嫌がらせをしまくり、周囲を不快に陥れ、王太子様に毛嫌いされつつも張り付きまくり、ありとあらゆる悪役令嬢らしい行いを心掛けてきた。


 この辛く苦しい日々も今日で終わるのだ。


 感慨深くて涙が出そう。


 ダンスパーティーの広間壇上に王太子様が上がり、唾棄するような眼差しでエカテリーナを見据える。凍えるように冷たく鋭利な視線。

 それに挑戦的な笑みを返し、エカテリーナは清しい気持ちで凛と佇んでいた。


 そうです、王太子様。わたくしエカテリーナは、ここにおります。


 壇上に上がった彼は、ちらりと会場を一瞥し、軽く一呼吸つく。

 そして金髪碧眼な王子様然とした王太子フィルドア・アズハイルは、まだ微かに幼さの残る透き通った声で、心に決めた名前を呼んだ。


「エカテリーナ・ハシュピリス。そなたを婚約者に指名する」


「何故ですかぁぁぁあっ!!??」


 有り得ない指名に絶叫して、エカテリーナの意識は緊張の糸が切れ、ぷっつりと意識を手離した。




 これは悪夢だわ。そうに違いない。


 意識が途切れたエカテリーナの思考は深く沈み、記憶の海をたゆとう。


 あれは八つの時。


 苦虫を噛み潰したかのような顔の父が、王太子様の婚約者として打診があった事を家族に告げてきた。


 我がハシュピリス辺境伯家は代々隣国との境を守るお役目を担い、華やかな王都の社交界とは縁遠い家柄である。

 子供らも社交界デビューには出向くものの、それ以外ではほぼ領地から出ない。

 ゆったりまったり自由奔放に育てられ、嫡男である長子以外は礼儀作法すらなおざりの、ゆる~い家だった。

 無論、家格に見合う作法や教養は身につけるが、ただそれだけ。外面さえバッチリなら、長子すらも領地では気儘に過ごしている。


 そんな家に降って湧いた縁談話。


 本来貴族であれば万歳三唱で歓迎すべき事態なのだが、何故かハシュピリス家では重い沈黙で迎えられた。


 誰もが悲壮な顔で俯く中、父がポツリと口を開く。


「お妃様か。....無理だよな?」


 普段は威風堂々とした大きな体躯の父親が、ガックリと背中を丸め、その紫の瞳に翳りを落としていた。

 見事な赤い髪を掻きむしるかのように何度も指ですき、落ち着かない面持ちを隠しきれていない。


「無理も何も、そんな苦労をさせたくはありませんっ! 王宮と言えば権力者の化かし合いが跋扈し、駆け引きが嗜みという魔窟ではありませんかっ! わたくしは反対ですっ!!」


 漆黒の髪を振り乱して狼狽える母親。燃えるような深紅の瞳には涙まで浮かばせていた。


 半泣きで叫ぶ母に、沈痛な面持ちの父。


 王宮からの打診とは形だけで、こちらに拒否権は無い。

 つまり、エカテリーナが王太子の婚約者に決まったという知らせと同じである。

 エカテリーナは、子供心にも両親の様子がただならない事を感じ、王太子と同じ年だと言う二番目の兄をすがるように見つめた。

 次兄ラルフレートはしばし考え、長兄に視線を振る。母親譲りの紅い瞳が思案気に揺れていた。


「王太子様に嫌われるよう仕向けてはいかがでしょうか?」


 思わぬ次兄の言葉に、家族の面々が顔を上げた。


「まだ幼いし、保留にしていただき、婚約者候補として扱って頂くのです。たぶん、他の有力貴族らもご息女を捩じ込んでくるでしょう。そうすれば晴れてお役御免になるかもしれないし、そうならない場合、横暴に振る舞い、王太子様に嫌われるよう頑張ってみては?」


「なるほど。高慢で我が儘なご令嬢を装い、お妃様に相応しくないと思って頂くのだね?」


 合点のいった長兄アドリシアに、次兄は大きく頷く。


「物語にあるような悪役令嬢になれば、王太子様をうんざりさせられると思うのです。豪奢な装いをさせて、お金のかかるご令嬢に見せるとか。好かれるのは大変ですが、嫌われるのは簡単かと」


 次兄の具体的な計画に、家族は感心したかのような眼差しで頷き合う。


 こうして、エカテリーナの悪役令嬢生活が始まったのだ。


 次兄の選んでくれた物語を読み尽くし、悪役令嬢の何たるかを学び、高笑いや扇の扱いも練習する。

 鏡の前で、如何にすれば高飛車に見えるかとか、今思えば滑稽極まりないが、それが学園に入ってから大いに役立った。


 お妃様に選ばれたら自由はない。毎日、本を読み耽ったり、畑や花壇を弄ったり、庭の芝生でお昼寝したり。

 そんな事は全く出来ないし、むしろ公務のために毎日お勉強やお仕事をしなくてはならないのだと聞き、エカテリーナは、心底、ぞっとする。


 そんな人生は絶対に嫌っ!!


 そんなモノは、やりたい方がやれば良いのよ。わたくしは絶対に嫌っ!!


 幼心に誓った、あの日。


 好きでもないドレスを着て、やりたくもない罵詈雑言や嫌がらせを行い、自分ですら呼吸困難になるほどの香水に溺れ続けた日々。


 罪悪感や己への嫌悪に、精神をガリガリと削られながらも、諦めず邁進した長い月日。


 あれほど努力した日々が無駄に終わる?


「有り得ないでしょーっ!!」


 ガバッとベッドで起き上がったエカテリーナは、自身が寝汗でびっしょりな事に驚いた。


 まあ、おかしくはないわね。あれだけの悪夢を見ていたのだもの。リアルなんだけど。


 深く溜め息をつき、エカテリーナはベッドから降りると、汗を拭いに洗面台へ向かった。

 両手でざっと水をかぶり、首や鎖骨のあたりまでタオルで拭う。そして鏡の中に、素の自分が映っているのに気がついた。


 真っ直ぐな黒髪に、大きな紫の瞳。とりたてて美人でもないが、人並み程度には見られる顔立ちである。

 ストレートで癖のない髪は、エカテリーナのお気に入りだ。派手に装うため、毎日無理矢理コテで巻いていたのだが。

 こんな無意味な苦労とも今日でおさらばなはずだったのに。


「何で、こうなったの?」


 何度考えても訳が分からない結末に、奈落の底へ穴を掘り、埋まってしまいたいエカテリーナである。




 所変わってパーティー会場。


 こちらでは衝撃の結末に、未だ興奮醒めやらない貴族達。

 ざわざわと歓談する彼等の話題は、もちろん先程の婚約話だった。

 ダンスもそぞろに、人々は言葉を交わし合う。


「まさかエカテリーナ嬢が選ばれるとは」


「あんなお妃様、前代未聞ではないか?」


「ああ、悪名高いご令嬢だ。王太子の弱みでも握ったのかも?」


 あれやこれやと言い合う噂雀どもを一瞥し、テラスの影に隠れている王太子へ御学友の一人ラシールが声をかける。


 隠れているのに、何故バレるのか。


 敏い友人の登場は、フィルドアの眉を忌々しげに寄せさせた。

 そんな王太子を、しれっと無視して、ラシールは如何にも楽しそうな声音で質問する。


「何故、彼女を?」


 憮然とした顔つきのまま、王太子は心底嫌そうな顔で答えた。


「あんな高慢な女、俺が貰ってやらねば貰い手もあるまい。放っておいたら何を仕出かすか分からないしな。慈悲と監視だ」


「これはまた。お情け深い事だが。....夫婦になるんだぞ? 幸せに出来るのか?」


「は? 何で、あんな女を幸せにしなきゃならないんだ?」


 思わぬ王太子の言葉に、ラシールは絶句。

 しかし、そこは貴族。上手く動揺を隠し、長い薄緑な前髪をさりげなく掻き上げる。


「何でって.... 娶った妻を幸せににするのは夫の役目だろう? ましてや彼女は国母に選ばれた訳だし。これからお妃教育や公務に政治、学ぶ事は山ほどある。辛い毎日になる彼女を、王太子が支えてあげなくてはならないのですよ?」


「そんなん、妃になるなら当たり前だろう? まあ、あれに妃が務まるとは思わんし、最悪、邪魔にだけはならないように躾るさ」


 は?


 言ってる意味が分からない。


 疑問が顔に出ていたのだろう。王太子は面倒臭そうにラシールを見た。


「あれには何も期待しとらん。婚約者候補の中で、あいつだけ貰い手がなさそうだから貰ってやるんだ。態度も横柄で性格も悪い。金遣いも荒らそうだし、あんな奴でも妃候補として適齢期を拘束してしまった責任はとらないとな」


 確かに他の候補者令嬢は引く手あまたな御令嬢達だ。お妃様候補だったという立場も箔づけになり、輿入れ先は困らないだろう。


 しかし、前提を間違えちゃいないか? 何のためのお妃様候補で、お妃様選びだったんだ?

 国母に相応しい女性を選ぶためだったんじゃないのかっ?!


 国母から一番ほど遠い極悪令嬢を選んだ理由に、ラシールは頭が痛くなった。

 本人が至極真面目なだけに救いようがない。


「つまり、王太子は好きでもない女性....むしろ大嫌いな彼女を妃にする訳だ。....跡継ぎ生まれるの?」


「はあ? 側室作るに決まってるだろう。あんな女に指一本触れたくもないわ」


「ああ、そう.... それ、ちゃんと相手に伝えておいた方が良いよ。国王陛下らともキチンと相談してね。でないと後々絶対に大惨事になるから」


 頭痛が更にエスカレートしていくラシールは、国王夫妻が王太子を窘め説得してくれる事を心から祈った。


 誰か、この大馬鹿野郎様に正しい情を教えてやってくれ。思考も動機も歪みまくって迷走してるとしか思えない。

 俺? 俺は断る。王太子の御学友という貴族垂涎のアドバンテージを失いたくはない。この立場でないと後々困るからな。


 うんざりとした面持ちでラシールは思案する。

 愛もなく情もなく仕事も御公務もさせず、ただ妃として据え置き、豪奢な王宮に閉じ込める事が、責任を取る形になどなる訳がない。


 俺が親なら絶対やらせん。許さん。


 ああ、辺境伯の怒りが見えるようだ。陛下、御願いします、この馬鹿野郎様を止めてください。


 ラシールの実家領地は辺境伯家と隣接しており、辺境伯一家とも親しく、彼の御仁が、如何に子供らを大切にしているか良く知っていた。

 さらにエカテリーナの上の兄達が、彼女を溺愛しているのも熟知している。


 ラシールが幼いころから懇意にしてきた辺境伯家。


 あの家が、どれだけの力を持ち、恐ろしい相手なのか、フィルドアは分かっていない。

 辺境伯家を侮る者など、この国広しといえど、フィルドアぐらいである。国王夫妻ですら、一目おくというか、恐れているはずなのに、なんで息子に、ちゃんと伝えていないのか。


 賑やかなパーティー会場の片隅で、一人頭を抱えるラシールだった。


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