5日ほど過ぎた土曜日の昼、神田にあるチェーンの喫茶店にて。


「単刀直入に言う」


 窓際のソファ席に腰掛ける、朽葉色のジャケットを傍らに置いた壮年男性――村雨が口を開いた。


警察おれたちに協力してくれ」


 対面しているのは2人の少年少女、早瀬悠希と滝川陽菜だ。

 滝川の方はいつも通り天真爛漫な様子だが、早瀬の方は右手を包帯でグルグル巻きにしていた。


「協力?」


 早瀬がオウム返しにする。彼の前に置かれた濃いオレンジジュースは減っていない。それは滝川の艶やかなカフェラテも、村雨のブラックコーヒーも同様。


 ゆっくりと村雨が頷き、早瀬と滝川は顔を見合わせる。困惑の強い早瀬に対して、滝川は興味津々といった様子で笑顔を浮かべている。


「私たちは何をすればいいんですか?」

「いまの段階では何とも言えない。相談役コンサルタントとして招きたいが、あくまでも最優先は君らを危険に晒さないこと……」

「できます? そんなこと」


 ゾッとするような物言いだった。思わず早瀬は隣に座る滝川の顔を見たが、そこにあるのはいつもと変わらないルンルンと楽し気な表情だ。

 しかしその声は、正確に言えば声の奥底にあるものは、結露を遥かに下回る冷気を孕んでいる。


「できるとは言い切れない。だが、現時点ではそうであると言う他あるまい」

「私たちを懐柔するためにですか」


 村雨は小さく舌打ちして、懐から煙草を取り出した。しかし卓上の禁煙マークを見つけて、いっそう忌々しげに舌を鳴らして煙草をしまう。


「異能力とは例外なく現実改変だ。どんなに有り得ない現象でも、異能を持たない一般人には当たり前の摂理に見えちまう」

「私の『完全防水皮膜モイストプロテクト』は現実改変とは違います」

「言葉のあやだ。広義での現実改変だと思ってくれ」


 そう言って村雨はブラックコーヒーを啜る。


「そのモイストなんたらって誰が付けたんだ?」

「私ですけど」

「そうか。……まぁいい」


 村雨はそれ以上何も言わなかった。

 正しい反応だ、と早瀬は思った。前に異能力のネーミングについて吹き出したら薄めた塩酸を掛けられた。


「仮に異能力を現実改変と定義して、それがどう関係あるんです?」

「簡単な話だ。現実が改変されていると気付ける人間、つまりシロだと分かり切ってる異能者が増えるだけで、俺たちとしてはだいぶ助かる」

「クロだと分かりきってる異能者がいるんですか?」

「少なくとも司法に刃向かおうとする組織は存在する。異能者集団だから、反社会的勢力として立証できないし、おまけに全容も掴み切れてないがな」


 異能者集団、反社会的勢力。あまりに突飛で現実味のない話に聞こえる。

 確かな事実であるという理屈での了解に、早瀬は実感を得られなかった。滝川の方は何も言わなかったが、やがて新たな話題を切り出す。


「私たちは四六時中監視下に置かれるってことですか?」

「別にプライベートを覗こうってわけじゃない」


 プライベート。早瀬はチラリと滝川の顔を窺い、それからオレンジジュースをストローで飲む。


「でも監視することは否定しないんですね」

「指紋採取と戸籍の確認くらいはさせてもらう」


 しばしの沈黙。湯気の立つマグカップを持って、滝川は一口カフェラテを啜る。

 表面の焦げたような部分が薄くなって、炊かれたミルクの白が浮き出る。


 村雨もまた、ブラックコーヒーを飲んだ。


 やがて、


「いいですよ」


 滝川が短く唐突に言ったので、早瀬も慌てて「俺も大丈夫っす」と言った。


「非常に助かる。お礼と言っちゃなんだが、新井の件は揉み消しておこう」

「職権濫用ですか?」

「真実を隠すだけだ。俺たちみたいな一部の人間以外、新井樹は不法侵入程度の軽犯罪者でしかない」

「たまたま周囲のバッテリーが破裂しやすいだけの」

「だからお前たちが起こした新井の揉め事も、デカい事件として扱われることはないだろう」

「それは頼もしいですね」


 そう言う滝川の声色は、素直な称賛のようにも柔らかな皮肉のようにも聞こえる。

 早瀬ですらそう思ったので、村雨はなおさら捻じれた含みを感じ取っただろう。ジッと彼女の顔を見つめていたが結局は何も言わず、滝川もまた何も読み取ることのできない簡潔な笑みを浮かべていた。村雨がため息をひとつ吐く。


「ひとつだけ警告しておく」


 そう言って村雨は、解像の粗い1枚の写真をテーブルに置いた。

 映っているのは、憎悪に満ちた表情でこちらを睨む1人の青年。整然と切り揃えた短髪に自然な角度に整えられた眉の精悍な顔立ち。普段はおそらくイケメンなのだろうが、顔中に満ち満ちている憎しみや怒りといったものが醜い歪みを生み出している。


「この人は?」


 早瀬が尋ねた。


「きりたに、せいいち」

「北沢署襲撃事件の犯人ですね」


 そうだ、と滝川の指摘に肯定する村雨。


 うんざりしたような面持ちで写真をつまみ上げてから、


「こいつも異能者である可能性が高い。しかもグループでの犯行だ」

「さっき言っていた組織が、その人たちってことですか?」

「あくまでも可能性の話だがな。ベタベタ証拠残してくれたおかげで、隠蔽もできない」

「隠蔽するつもりだったんですね」

「異能による犯行だからな。俺たちは一般人に抗う術がないのを理解できるが、多くの人間は単に警察が負けただけと思う。それを避けたかったんだがな」

「それもお相手さんの意図なのかもしれないですね。自分たちの存在を世間に知らしめる、みたいに。あわよくば異能力を公表する……なんて馬鹿げたことを考えているのかも」


 ゆったりと話す滝川に、村雨は舌を巻いた。慣れているはずの早瀬も同様に感心する。


「とにかく、こいつに遭ったらまず逃げろ。人を斬り殺す異能の持ち主だ」

「人を斬る異能」


 滝川は興味深そうに復唱する。まるで自分の常識が打ち破られたかのように。村雨をチラリと見たが、壮年の男は肩を竦めるばかりだった。

 やがてコーヒーを飲み干して朽葉色のジャケットを羽織り、レシートを掴んで立ち上がった。


「俺は仕事があるからもう行く。パンケーキでも食べたかったら自分で出してくれ」


 そう言って村雨は立ち去りかけるが「最後に1つだけ」と滝川が呼び止めた。


「村雨さんて、どこの所属なんですか?」

「表向きは存在しないことになってるとこだ。異能犯罪捜査課」


 いのうはんざいそうさか、と早瀬は復唱する。


 その横で滝川は「そんな部署があるんですね」と言って、クスクスと楽し気に笑っていた。

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