Act.17:[フォーチュン] -運命の日-③


 炎が弾ける。

 パチリ、パチリと音をたてる光の固まりは、周囲を濃いオレンジ色へと染め上げていた。

 紺色に沈む森の中腹で一夜を明かすことにした一行は、思い思いの姿で眠りに付いている。

 唯一座った状態で炎を眺めるエニシアは、そこらに落ちた枝を拾い上げては正面に放り投げる動作を繰り返していた。その度に僅かながら元気になる火の勢いに満足するでもなく、ただその揺らめきを見詰めるだけの彼の瞳に、もぞもぞと蠢く黒い影が映り込む。

「勉強になったじゃろう」

 エニシアの左側でひょこりと顔を上げたのは、うつ伏せに寝転ぶジャッジだった。エニシアは視線だけを炎から離して彼に合わせる。

「その時を精一杯生きる若者の言うことは、わし等のような存在に無いものを持っておる」

 昼間の会話を聞いていたのだろう。焚き火を挟んでエニシアの正面に蹲り、小さな寝息を立てるシエルを眺めた後。ジャッジはエニシアに向き直り小首を傾げた。

「そうは思わんか?」

「ねえ、ジャッジ」

 質問には答えずに切り返したエニシアは、相変わらずジャッジを振り向きもせず話を続ける。

「どうして彼女は、僕をカードにしてまで生かしておきたいんだ?」

「何故だと思う?」

「全く分からない」

「全く、という事はなかろうに」

 呆れたように息を漏らし、エニシアを見上げるジャッジ。エニシアは無表情のまま沈黙を保っており、彼なりに不服の意を示しているようにも見えた。

「仕方が無いのう。絡み合ったその糸を解く手伝いくらいはしてやろうではないか」

 ジャッジは再度ため息を吐き出すと、両手を枕にして仰向けに寝返りを打つ。

「話してみよ」

「なにを」

「お主の見解をじゃ」

「なんで?」

「人は語ることで思考を整理するものじゃよ」

 持論に納得したのか、はたまたそうするしか無いと踏んだのか。内情までは分からないが、数十秒の間をおいて、エニシアはゆっくりと語り始めた。

「僕はあの時初めて、殺すことに理由を持った」

 静けさの中、抑揚の無い声が告げる。

「この人を、フルーレを殺した僕が、なにか感じるかどうか。それを確かめたくなった」

「そしてお主は悲しみという感情を覚えた」

 ジャッジの相槌に合わせて枝がはぜた。エニシアは微かに頷いて、追加の燃料を放り込む。

「それまでは誰を殺そうと、何人殺そうと。何も感じたことなんてなかったのに」

 言いながら彼の歪んだ眉と口元は、まるで自分自身を嘲笑っているかのように見えた。

「だってそうだろう?意味も無く斬った人間に対して湧き上がる感情なんてあるわけがないんだから」

 淡々と紡がれる言葉に感情はなく、しかし不思議と寂しげに聞こえる声が昇る空を、ジャッジは黙って眺め続ける。

「通り過ぎる人々全てに興味を持っていられない、それと同じだよ。僕は普通の人より他人に興味がなさ過ぎるのかもしれないけど」

 エニシアは言葉を切ると、そこでやっとジャッジを振り向き苦笑した。

「…結局僕は、彼女の為に剣を振るったつもりが、自分の為に剣を振るっていたってこと」

 絞り出された結論は、初めて二人が出会った夜から変わっていないのだろう。エニシアの死人のような瞳を見上げ、ジャッジは声を低くする。

「それなら尚のこと、彼女の言葉を実行に移してやろうとは思わんか?」

「なんのために?」

「死んだ彼女の為じゃよ」

「それは本当に彼女の為になるの?」

 食い気味に、強く返された質問。

「結局は僕の為にやることになるんじゃない?」

 開いた間に繰り返された言葉を聞いて、ジャッジはただ頷いた。

「そうかもしれん。だがな、それでいいんじゃ。エニシアよ」

 意味がわからない、エニシアはそんな顔をしている。ジャッジはそれでも折れることはない。今までもそうだったように。

「お主になら分かる筈じゃ。あやつの言葉に込められた意味が」

「意味…?」

「結果、誰のためになろうと。まずは彼女の為を思うてやることに意味があるとは思わんか」

 言いくるめるように纏めに突入した会話に首を振り、エニシアは呟く。

「なら手っ取り早く教えてくれよ」

 はりつめた声は、彼の焦りを忠実に表していた。無理もないだろう。こうして話していてもまだ、エニシアには分からないのだ。

「君は知ってるんだろ?彼女の言ったことの意味」

 そして、従いたくないのだ。

 ジャッジはそれを強く感じ取り、しかし大きく肩を竦める。

「わしの口から其れを聞いて、お主は満足か?」

「満足だよ」

「怠惰じゃのう」

「なんとでも言ってよ」

「しかし、それだけはしてくれるなと口を酸っぱくして言われておるからのう」

「誰に?」

「決まっておるであろう。フルーレじゃ」

 回りくどい、それはジャッジ自身も感じていることだ。それでも続けなければならない。

「お主が自分で気付いてこそ、選択する意義があるのじゃよ。エニシア」

 目の前の男が、彼女の意思に気付けるまで。

「我が儘だな」

「どっちがじゃ」

「注文多すぎだよ、フルーレ」

「今まで考えることをせんで生きてきたツケが回ってきておるだけじゃろうに」

「考えてたよ」

「それならとうに気付けていてもおかしくはないのぅ」

「他人の思考なんて、分かるわけがないじゃないか」

 呆れているのか、途方にくれているのか。

「怒るでもなく困るでもない。一体お主はどうしたいんじゃ」

 ジャッジが瞳を細め、無感情な横顔に問いかけると、意外にも素直な答えが返ってきた。

「気付きたいよ」

 その声は強く、いつもよりは感情が籠っていたように思える。目を丸くするジャッジを振り向いたエニシアは、更に無表情で言い放った。

「理解したいと思うようになったよ。それだけじゃ足りない?」

「充分じゃ、と誉めてやりたいところじゃがな…」

 思わず苦笑を漏らしたジャッジは、溜め息と同時にそっぽを向いたエニシアに欠伸を浴びせる。

「もう少しもがいてみよ。きっかけさえあれば、若しくは…」

 すぅ、深く吸い込まれた息は静かに吐き出され。

「…寝てるし」

 異変に気付いたエニシアは、振り向いた先で眠るジャッジの横顔が、安らかに微笑むのを複雑な表情で見下ろした。



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