Act.4:[チャリオット] -忠実な従者- ②





   この国に綺麗な場所など存在しない。辺りは当たり前に薄汚れており、荒み切った大地を木々で覆い隠しているだけだ。

 それを証拠に、街道を中心に広がる森にはまるで生気が感じられない。人工肥料に育まれた木々の色は、人の手を離れて尚輝きを取り戻さないのだ。

 最も、天然の大樹が持つあの輝きは、この国には不釣り合い。そしてそれを求める者すら、この国には存在しないだろう。

 さて。こちらは街道から随分離れた森の一角。空はまだ辛うじて明るいと言うのに、薄闇に包まれたその場所に彼等の姿があった。

「ジャッジ。木でつつくのはやめてくれないか?」

 何処か苦しげなエニシアの声が響く。

「どうじゃ?エニシア。腸を引きずり出された気分は」

 しゃがみ込み、細い枝を手にエニシアを見下ろすのは…勿論パートナーであるジャッジメントだ。

「なかなか興味深い状況ではあるけど。結局死なないんじゃ意味無いよ」

「痛いじゃろう?苦しいか?これできっちり食事を摂取する気になったじゃろうて」

 ジャッジの言葉通り。きちんと食事を取らなかったエニシアは、元からのやる気の無さも手伝って、先程野獣に真っ二つにされた所だ。言うまでもなく、辺りはエニシアの血液や内臓がもたらすグロテスクな効果で溢れている。

「嬉しそうで何よりだよ。それはそうと、これは何時になったら治るんだ?」

 下半身が離れたうつ伏せ状態のまま、虫の息で呟くエニシアに。ジャッジの皮肉な笑顔が嬉々として答えた。

「そう簡単に治るとでも思うたか?まぁ、この程度であれば…動けるようになるまで3週間くらいかの」

「君の力も、あながち当てにならないんだな」

「死を防ぐだけでも奇跡じゃろうて。まぁしかし、瞬時に傷を治すことも出来なくはない。じゃがな、それではお主にお灸を据えられぬではないか」

「君は単に、僕が痛がってるのを見たいだけってことか」

「そうとも言うの」

 ジャッジの妙に嬉しそうな顔を見て、エニシアは小さくため息を漏らす。現在彼は激痛以上の痛みを覚えている筈なのに、何時もと大して変わらぬ表情で自分の手の平を見詰めている。

 現状に、その仕草に、安心と不安を同時に覚えたジャッジは、複雑な表情のまま肩を竦めた。

「心配するでない。ティスが追い付くまでの辛抱じゃ」

「その間に野獣のエサになりそうな気もするけどな」

「アホタレ。そんな面倒事に巻き込まれてたまるか」

「そう言われてもな。面倒だと思うなら、早く治してくれ」

「そもそもの原因はお主にあると言うておるじゃろう。それに、傷を治すにはそれなりのリスクが…」

「ほら。そんなこと言ってるうちに、来ちゃったみたいだし?」

 ずっと手の平を眺めていたエニシアが視線を向けた先に、ジャッジも静かに横目を向ける。と、薄暗い木々の合間から複数の眼差しがこちらを見詰めているのが見えた。目を凝らせば、その瞳が真っ白な毛皮に覆われている事も確認出来る。

「…全く。仕方がないのぅ」

 そう言ってゆらりと立ち上がったジャッジの背を、エニシアの疑問が呼び止めた。

「でも君、戦えないんじゃなかった?ジャッジ」

「誰がそんなことを。わしの力を見くびるでない」

「さっきだって、ずっと隠れて居たじゃないか」

「喰われそうになったら助けてやるつもりでおったんじゃがのう。エニシアが不味そうで助かったと思うたものじゃよ」

「悪かったね。不味そうで」

 皮肉り合いに風の音が混じる。駆け抜けたそれと共に姿を露にしたのは、複数の白い狼だった。

 合わせて6匹。最後尾に佇む狼の足下、他に比べて小柄な狼を含めれば7匹になる。恐らく、子供であろうそれを庇うように、6匹がジャッジの周囲を取り囲んだ。

「野生じゃなくても、群れで行動するんだな」

「人に手を加えられたとは言え…元は野生じゃろう。野放しにされた後に繁殖したと考えるのが妥当じゃろうな」

 ジャッジは正面を見据えたまま疑問に返答すると、ポケットから2つの宝石を取り出した。エメラルド色をしたダイヤ形のそれには、小さな輪が細い糸で取り繋がれている。ジャッジがそれを一つずつ、両手の人差し指に嵌めたことで輪の用途は明らかになった。

 不可解な状況に顔をしかめたエニシアを他所に、ジャッジはゆっくりと両腕を伸ばす。左右に広げられたそれはまるで…小さな天秤のように見えた。

 相手は人の勝手によって姿形をいじられた異形のモノ。先程エニシアを切り裂いた「鹿とパンダが合わさったようなイキモノ」に比べれば小型ではあるが、複数となっては話が変わってくる。

 辺りに殺気が満ちたことで、エニシアは反射的に傍に落ちた剣に手をかけた。しかし足が胴体から離れていてはどうにもならない。

 そうしている間にも、一匹の狼がジャッジとの間合いを詰めた。一瞬の後、小柄なジャッジに白い狼の黒い影が覆い被さる。

 飛び付かれて転がりでもしたら敗けだ。ぼんやりとそんなことを考えたエニシアだったが、彼の予想に反してジャッジは軽々と身を翻した。その過程で、広げられた手の先の宝石が踊る。遠心力に身を委ねたエメラルドの先端が、ナイフの切っ先と見間違う勢いで狼の両目を切り裂いた。

 瞬時に状況を把握した後続の狼達が迫る中、ジャッジは相変わらずの体勢でそれを待ち受ける。素早い狼の突進をものともせず、小柄な体型、回転や上下運動を利用して、向かって来る敵の全てを斬り付けるジャッジの動きに、エニシアは不可思議ながらも感心を覚えた。

 そうしている間にも、子供を除く全ての狼の瞳が切り裂かれる。しかし嗅覚が発達した狼達にとっては、視力が奪われた程度、なんて事は無いらしい。体勢を立て直しながら間合いを測る敵を見て、エニシアが気の無い声を出す。

「そんなチマチマしたダメージじゃ倒せない。僕の剣を使えよ」

「そうじゃのう。多勢に無勢、出し惜しみしている場合では無さそうじゃ」

 同意しながらも、ジャッジはエニシアを振り向かない。更に言えば、後退りする様子も無い。

 ただ、両手を広げた姿勢のまま狼とのにらめっこを続ける背中を前に、エニシアが口を開きかけた瞬間。

 ジャッジの周囲が淡く輝き始めた。

 薄闇に慣れた目には眩しい、緑色の光が地に線を描いていく。エニシアがその正体に気付いたのは、隙を察知した一匹の狼が足を踏み出した時だった。

 光の線が描いたのは、見覚えのある魔法陣。

 ジャッジが持つ2つの宝石を中心に、半径約5メートル程広がったそれは、エニシアが倒れる地の色をも鮮やかな緑色で満たしていた。

 それはまるで、光を受けて輝く自然の木々のように。

 しかし次の瞬間、安らぐ色合いには不釣り合いな轟音が響き渡る。

「雷?」

 焼け焦げた狼と音源を照らし合わせて、エニシアは推測した。

 実際に雷が落ちた所を見たであろう狼達は、警戒を最大限に引き上げて、数十歩程距離を取る。

「今すぐ去れば許してくれよう」

 ジャッジの幼い声が光に紛れる。

 数秒の間。

 溢れ出す輝きを前に、狼達は示し合わせた様にジャッジ目掛けて飛び掛かった。

「…ならば仕方がない。裁いてやろうではないか」

 一瞬の出来事の筈なのに、エニシアの耳にも、そして恐らく狼達の耳にも。ジャッジの声がゆっくりと、鮮明に届いていた。

「愚者によって愚者に成り果てた獣に、公平なる審判を」

 ジャッジの両腕がゆらゆらと揺れる。

「地に還れ」

 心なしかエコー掛かった言霊の後、数本の雷が狼目掛けて同時に落下した。騒音を纏うその色は、魔法陣が放つ光と同じく鮮やかな緑。

 全てが去った後も、変わらず溢れる淡い光が横たわる狼を照らし出していた。

 一部始終をぼんやりと眺めていたエニシアは、不意に首を回したジャッジの視線を追いかける。そこにはテトテトと歩み寄る子供狼の姿があった。後方にはもう一匹の生き残りが佇んでいる。

 エニシアが気の抜けたため息を漏らすと同時に、子狼が魔法陣に足を踏み入れた。前例通り、落ちるであろうと予測した雷は…その時に限って現れず。今まで警戒が薄かったジャッジを安全から遠ざけた。

 子を守ろうと走り出していた狼。それは一瞬にしてジャッジの目の前に到達する。

 瞬きする間も与えられぬまま、狼の巨大な牙がジャッジの腹部を貫いた。はたはたと、血が滴り落ちる。俯いたジャッジの表情は、うつ伏せに倒れているエニシアからも見る事はできない。しかしピクリとも動かぬその様子から、彼は最悪の状況を想像した。

「おい…ジャッジ」

 エニシアの問いかけに返答は無い。代わりに、狼の怒りの眼差しが彼に注がれた。

「…………………参ったな…」

 絶体絶命の状況下で気力の端もなく呟いたエニシアに、無邪気な子狼が警戒の欠片も見せることなく擦り寄っていた。

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