第3話 葛谷さん



 私は葛谷伸元くずやのぶちかさんとカフェに向かって歩きだした。辺りはすっかり夜の帳がおりて花火の音が盛んに聞こえてくる。

 本当なら今頃は純也と見ていたんだろうな。そん事を考えながら隣の葛谷さんをこっそり覗う。

 

 さっきは座ってて気が付かなかったけれど、結構背が高いな。180センチ近くあるのだろうか。この暑い中、黒いスーツを着て暑くないのだろうか。そんな事を考えていると不意に葛谷さんが私をギロっと見下ろした。


「なんだ?」

「あ、いや、背が高いですね」

「君が低いんだ」

 そう言う問題? 確かに私は小さいほうだけれど。


 駅にくっ付いているカフェに着いて、

「ここでいいですか?」と聞く。

「構わん」


 ドアを開けると中からひんやりとして空気が流れてきて心地いい。


 適当な席に腰を下ろした。


「私アイスティーで」

「……」

 葛谷さんは熱心にメニューを見ている。黒く長い前髪の隙間から覗く四角い銀縁眼鏡越しの一重の切れ長な目。吸い込まれそうな漆黒の大きな瞳。細くて筋張った手を唇に当ててメニューを見ている姿に少しドキっとしてしまう。


「ここは唐揚げはないんだな」

 ちょっとここで食べないで。家にあるから。それにここカフェだし。


「仕方ない、アイスコーヒーで」


 注文を済ませ水を一口飲む。


「あの、葛谷さん」

「なんだ?」

「わたしも葛谷なんです」

「それがどうした?」

 普通、お! 同じ苗字? とかって驚かない?


「いや、同じ苗字だから……」

「葛谷など、岐阜ではそう珍しくなかろう」

 そうかなあ。少なくとも高校の同級生にはいないと思うけど。


「あ、わたし、葛谷恵梨香くずやえりかです」

「なんだと?」

 どこに反応した? 葛谷? 恵梨香?


「半年で随分変わったな」

 お会いした事ありましたっけ?  


「あの、どこかでお会いしました?」

「何を言っているんだ? エリカ」

 何を言っているんだ? ノブチカ。


「お前の兄じゃないか?」

 プッっと飲みかけの水を吐き出した。


「わ、私に兄なんていませんけど。妹ならいますけど」

「なんだと?」

 どこに反応した? 


「人違いではないですか? 妹さんいらっしゃるんですか?」

「お前が妹だろう?」

 絶対間違えてるわこれ。


「あのう、言いにくいんですが、きっと同姓同名の別人だと思いますよ」

「なんだと?」

「きっとそうです。あ! 妹さんの画像とか無いんですか?」

「ある」

「ちょっと見せて下さいよ」

 そう言うと葛谷さんはポケットからスマホを取り出しなにやら操作して私に見せてくれた。


 いや、まず自分で確認するよね? なんで先に私に見せるかな。


 受け取ったスマホの画像を見てみるとやはり全然別人が写っていた。しかも凄い美人だ。


「葛谷さん、やっぱり同姓同名の別人ですよ」

 自分でやっぱりって言うのもなんか癪だな。


「見せてみろ」

 私はスマホを返した。


「確かに別人だな」

 今頃気付く? どんだけ妹の顔覚えてないのよ。


「君は誰だ?」

 さっき自己紹介したじゃん。


「葛谷恵梨香です。17歳の高校3年生です」

「なんだと?」

 今度は何?


「同じ苗字じゃないか」

 頭痛くなってきた。


「だからさっき言ったじゃないですか、同じ苗字ですねって」

「そう言う意味だったのか」

 他にどんな意味があるのよ。


 運ばれてきたドリンクを飲みながら今日の打ち合わせをしようと思った。


「あ、葛谷さん」

「なんだ?」

「今日は、葛谷さんは高見純也ですからね」

「純子じゃなかったか?」

「純也です」

「よし分かった」

 簡単に話終わらせないで。


「お母さんの前では高見純也で通してくださいね」

「解っておる」

 たまに侍っぽい喋り方するのね。


「あと、高見純也はわたしと同じ高校3年生なので、話合わせてくださいね」

「当たり前だろう? 君はアホなのか?」

 あんたが言う? と思いながら、そう言えばこの人、何歳なんだろう? 私より少し年上っぽいし、帰省したって事は普段は岐阜に住んでいないのかな?


「ねえ、葛谷さん、葛谷さんは何歳で何をしているんですか?」

「僕は大学生1年生だ。横浜の大学に通っている」

 横浜の大学なんだ? しかもいっこ上か。随分大人に見えるけど。


「わたしも横浜の大学に進学する予定なんです。まだ志望段階ですけど」

「それがどうした?」

「いや、奇遇だなと……」

 それがどうしたと言われるくらいなら、なんだと? と言ってもらう方がまだ良いかなあ。


「ねえ、葛谷さん、夏休みだから帰省したんですか?」

「そうだ」

「横浜から岐阜までバスがあるんですか?」

「新宿からだ」

 そういえばさっきバスターミナルにそんな広告が貼ってあった事を思い出す。


「いいなあ、横浜。私も早く行きたいです」

「おい、一つ忠告しておく」

「はい、何でしょう?」

 葛谷さんは何故か周りを見回してから、


「カギをかう・・って言うんじゃないぞ」と小声で言った。

 は?


「僕も初め、向こうへ言った時に、カギをかうって言ってしまったんだ」

「どういう事ですか?」

 葛谷さんは人差し指で眼鏡を上に持ち上げてから、


「カギをかうは方言だから通じないんだ」

 そうなんだ? っていうか、それを言うのになんで辺りを見回して神妙にしたの?


「ある人にカギをかった? って聞いたことがあるんだ」

「ほうほう」

「そしたら相手が何て言ったと思う? ぷっ!」

 と言って、ぷっと自分で吹き出しながら、

「いや? 買ってませんけど? って、はっはっはっは」

 いや、そんなに面白くないですよそれ?


「あの時の彼の顔はケッサクだったよ、はっはっはっは」

 笑いのツボ大丈夫かしら。


「カギをかける・・・って言うんだぞ」

「はい、わかりました」


「ねえ、葛谷さん、葛谷さんてすっかり関東弁になってますね」

「なんだと?」

 どこに反応したの?


「ほら、だって岐阜の言葉出ないじゃないですか?」

「僕は昔からこの喋り方だ。アッチに染まった訳じゃない、失敬な」

 子供の頃からこんな喋り方って逆にヤバくない?


「そうなんですね。わたしアッチに行ってから訛りが出ないかちょっと心配なんです」

 信じられないかもしれないけれど、岐阜の人って自分たちは標準語を話していると思い込んでいるだよね。私も小さい頃はそう思っていたし。


「ならば僕みたいな喋り方をすればいい」

 絶対嫌です。


「ねえ、純也」

「なんだと?」

「いや、予行練習ですよ。いきなりだとボロが出ちゃうかも知れないじゃないですか?」

「なるほど」

 ねえ純也と呼んだ時に胸が痛んだ。もう呼べないんだな。


「……ねえ、純也……」

「なんだ?」

「……ひっく……」

「おい、無理するな」

「ねえ、純也……どうして……」

 その時私の手にそっと温かい物が触れた。


「高見君と呼べ」

「高見君……」

「涙を拭け」と言ってポケットからくしゃくしゃのハンカチを取り出した。

 普通、こんな汚いハンカチ寄越す? だけれど、葛谷さんの精一杯の優しさを感じてしまった。


「ありがとうございます」

「鼻をかめ」

 ここカフェですよ?


「大学に行けば色んな出会いがある。こんなちっぽけな街での出来事なんて忘れてしまうさ」

 そうなのかなあ。早く忘れてしまいたい。


「ありがとうございます。ハンカチ洗って返しますね」

「そんな汚い物いらん」

 いや、最初から結構汚れてましたよ? 


 そんなこんなで喋っていたらあっという間に時間は過ぎて行き。


「あ、葛谷さん、そろそろ行きましょう」

「もうそんな時間か」

 本当にそう思った。なんか葛谷さんと喋ってたらフラれた事も、悲しい事も忘れちゃった。


「では参るか」

 侍か。



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