第2話 変な人が現れた



 どうしよう。どこかで時間を潰そうか。このまま帰ろうか。お母さんになんて言おう。いやいやと思ってかぶりを振る。とても言えない。

 とりあえず純也と花火は観たけれど用事があって純也は帰った事にしようか。


 LINEで先に連絡だけした方が良いだろうか。今ならまだ唐揚げを揚げていないだろうし、鶏肉が無駄になることも無い。でも、張り切ってたしなあ。それも可哀そうだな。本当は自分の方が可哀そうなのにお母さんの事ばかり考えてしまう。


 いずれにしてもどこかで時間を潰すしかないのだけれど、浴衣を着た女が一人で牛丼など食っていたら滑稽すぎて目も当てられない。かと言ってカフェもおかしいだろうと思うし。こんな事なら浴衣なんて着てこなきゃ良かった。


 浴衣なんて隣に男性がいて初めてサマになるんだな、と悟りを開く様に考えた。


 考えも纏まらないまま、ひとまずしゃがみっぱなしで足も痛いし歯を食いしばって立ち上がり、花火を見物に北へ向かう人々と逆行するように駅から南の方へ歩き出した。


 そういえば、駅舎の南側にバスのターミナルがあり、そこに待ち合わせのベンチがあった事を思い出した。バスの行き先は様々で、ベンチに座りバスを見送ってても違和感は無いだろうとも思った。


 バスターミナルへ着くとやはりそこには待ち合わせ用のベンチがいくつかあり、幸いその殆どが空席のようだ。

 なるべく隅っこのベンチに腰掛ける。


 『岐阜→新宿 片道 7,000円』と書かれた広告をぼんやり見つめながら純也との思い出にふけっていると、再び涙が滲んできた。


 ぼやけた視界の向こうに1台の赤いバスがターミナルへ入って来るのが見えた。パシューと音がして乗客がぞろぞろと降りてくる。


 何よ、ヨリを戻したいって。ずっと忘れられなかったって。じゃあ告白した時も純也の心にはずっと元カノがいたの?

 二人で一緒に通学している時も考えていたの?

 二人でデートした時もずっと元カノの事を考えながらデートしていたの?

 キスした時もずっと彼女を想っていたの?

 

「キモチ悪い……」とぼそっと呟いた。

「おい、吐くんじゃない」


 突然頭上から聞こえてきた声に驚いて顔を上げると男性が一人立っていて私を見下ろしていた。

 涙を見られたくないと思い咄嗟に俯くと、


「おい、吐くんじゃない」と言って慌ててしゃがむと両手を合わせて皿のようにして私の顔の前に差し出してきた。


「公共の場所を汚すな」


 いやいや、だからと言ってあなたの掌の上に吐きませんよ、これでも乙女なんですから。っていうか、気分が悪くてキモチ悪いと言った訳じゃないし。いや、それより、いくら公共の場所を汚されたくないからって見ず知らずの人間のゲロを掌で受けないでしょうに。何この人?


「いや、大丈夫です」と私は彼に掌を見せて制止した。


「飲みすぎか?」

 いや、酒飲んでないし。それにまだ高校生だし。いろいろおかしいなこの人。


「いや、違います」

「二日酔いか?」

 とりあえず酒から離れて。


「いや……」

「つわりか?」

 まだ女子高生なんですけど!


「違います、本当に大丈夫です」と言った時、『ぱん!』と花火の音がした。

「花火か?」

 花火だからって吐かないでしょうに。いや、今のはただ音に反応しただけか。


「ああ、そうですね」

「何故浴衣を着ている?」

 いや、普通花火の日に浴衣着てたら花火に行くのだと予想できるでしょ。と思って私は固まった。花火の日に浴衣を来て花火を観に行っていないのは私自身ではないか。現実を思い出して再び涙が滲んだ。とにかくこの人に泣いているのを見られたくない。


「あの、本当に大丈夫なん――」

「何故泣いている?」

 人の話聞いてるのかしら、この人。


「いや、別に泣いては……」

「嘘を吐くな」

「……」


「何故泣いている?」


 泣いていたけど、見られたくなかったのに。はっきりと泣いていたと断言させると、私は確かに泣いていたんだと思い知らされる。こんなふうに断言されて理由を訊かれると何故か気持ちを吐き出したくなってしまう。見ず知らずの人なのに……


 私は黙って俯いてしまった。否定しなかった事で彼は私が泣いていたと確信したのか、私の隣に腰を下した。


「心配するな。僕も岐阜の人間だ」

 いや、出身関係ないでしょ。見ず知らずのあなたが問題であって。


「夏休みだから帰省してみれば道端に汚物をまき散らしそうな女と遭遇するとは」

 本当に吐く訳じゃないからそこから離れて。


「本当にもう――」放って置いて下さいと言おうとしたら、

「だから、何故泣いていると聞いているんだ」

 理由を言うまで去りそうにないなこの人。


「彼氏にフラれまして……」

「だからヤケ酒か?」

 だから酒飲んでないって!


「お酒は飲んでないですよ。高校生なんだし」

「……」

 四角い銀縁の眼鏡の奥から黒目がちな瞳で真っすぐ見つめられ私はドキっとしてしまった。


「恋人にフラれたのに何故浴衣を着ている? 独りで花火に行くのか?」

 もう、正直に全部話すしかないわ、この人には。


「ふう……待ち合わせの時にフラれちゃったんですよ、電話で」

 黒く長い前髪の隙間から真っすぐに見つめられ、私は思わず目を逸らす。


「それは災難だったな」

 他人事だと思って適当だな。親身になって話聞いてくれるかと思ったのに。


「だからもう放っておいて下さい」

「そうか……あ、そうだ、いい物をやろう」と言うと地面に置いたボストンバックを漁りだした。


「たしかあった筈だが……おう、あったあった」と言ってくしゃくしゃになったスーパーのレジ袋を引っ張り出し、


「吐くならコレを使え」と言って手渡してきた。

 いや、だから、吐かないよ!


「いや、もう本当にキモチ悪くないので!」

「治ったのか?」

 初めからそう言うんじゃないから、もう。


「キモチ悪いって言ったのは彼氏の行動に対してです」

「夜中に行燈の油でも舐めてたのか?」

 江戸の化け猫か!


「そういうんじゃなくて」

「靴下遊びでもやっていたのか?」

 靴下遊びってなに?


「なんですか? それ?」

「やった事があるだろう? 一日履いた靴下をビニール袋に入れて匂いを嗅ぐんだ」


 あるわけねーだろ! てか、さっきのレジ袋ってまさかそれに使うヤツ? 私は慌てて持っていたレジ袋を投げ捨てた。それは彼の顔に盛大に当たりバウンドして再び私の前にやって来た。


「何をする?」

「そんなキモイビニール袋いりません!」


「安心しろ、ソレはソレに使っていない。いや、と言うか僕はそんな遊びはしない」

 じゃあなんでそんな前代未聞の遊びを知ってるんだ? もう、なんなのこの人。ったく。

 私は大きくひとつ溜め息を吐く。


「ずっと元カノが好きだったみたいなんです。私と付き合い始めた頃から」

「そんな男と別れられて良かったじゃないか」

 え? そうなのかなあ。


「そういうゆらゆらと揺らぐ男はいずれ誰かと不倫する」

 不倫はないでしょ。高校生だよ? 浮気ならあるかもだけれど。


「そうなんでしょうか?」

「そもそも想いの人がいるのに他の誰かと付き合う事がおかしいだろ」

 そう言われてみれば……そうかも……


「何年付き合った?」

「ええと、2か月です」

「それだけか?」

 うん……と言って頷いた。


「それならばなおの事良かっただろう」

 そうなのかなあ。


「早くソイツの本性が分かったんだ。傷は浅い」

 でもやっぱり好きだったから、悲しいんだよ? と思ったけれど、なんかこの人の相手してたら忙しくて悲しいの忘れてたかも。


 確かに2か月だけだったし、あまり思い出も無いし、早く振ってくれて良かったのかも。

 だったら、ファーストキス捧げるんじゃなかった。思い出すと悔しいな。私のファーストキスを返せ。


 考えてたらイラついてきた。あ! そんな事より、もっと大事な事忘れてたわ。純也の事は確かにショックだったけれど、お母さんの唐揚げどうしよう。結局お母さんには報告しないといけないし、お母さんの寂しがる姿を想像したらまた泣けてきた。


「今度はなんだ?」

「本当は、今日、花火が終わったら彼氏を家に連れて行ってお母さんに紹介する予定だったんです」

「結婚の報告か?」

 フラれてますし、まだ高校生ですし。


「なんかお母さんをガッカリさせるのが可哀そうで……せっかく唐揚げも作って待っててくれてるのに」

「なんだと!?」

 異様に反応したなこの人。どの部分に反応した?


「ええと、お母さんが……」

「ああ」

「家で待っていて……」

「ああ」

「悲しませたくなくて……」

「それから?」

「せっかく唐揚げを作って待ってるのに」

「なんだと!?」

 唐揚げ? 唐揚げに反応したの?


「ええと……唐揚げに恨みでもあるんですか?」

「君は見た目に寄らず存外と鈍感なようだな」

 失礼な! 確かに純也の気持ちに気が付かなかったけれど。


「ええと……唐揚げがお好きなんですか?」

「なんだと!?」

「唐揚げ――」

「大好きだ!」

 っ! そ、そう……


「あの……」

「なんだ?」


「家で唐揚げ食べます?」

「なんだと?」


「いや、本当は彼氏に食べてもらう物だったから失礼かと思いますけど、残っても勿体ないので」

「僕は乞食か?」

 いや、どうすりゃいいのこの人。


「ただ、確かに残って捨てるようならば誰かの胃袋に入った方が良い」

 素直にそう言えばいいのに。あ! そうだ!


 私は瞬間的に閃いた。この手で今日を乗り切ろう。


「あの!」

「なんだ?」

「今日だけで良いので、高見純也になってくれませんか?」

「僕は葛谷伸元くずやのぶちかだ。高見純子になれる訳ないだろう」

 え? 葛谷? 私と同じ苗字だ。いやいや、それより純子じゃなくて純也ね。


「あの、彼氏のフリだけでいいんです。お母さんを悲しませたくないんです。別れた報告は後からすればいいけど、今日の唐揚げだけは彼氏の為に一生懸命作ってくれているので、今日だけ彼氏のフリをしてくれませんか?」


「……葛谷が高見か……伸元をどうやって純子に変える? いや、まてよ……スカートをどこで手に入れる? それに……ブツブツブツブツ……」

 何をブツブツ言っているんだろう。やっぱりこの人に頼むの間違えたかな。


「しかし、唐揚げの為か……」

 早く決めてよ。


「こういうのはどうだ? 僕が君の彼氏役になって唐揚げを食べるんだ」

 だから最初からそう言ってるでしょ! 本当に大丈夫なの。


「よし、そうと決まれば行こう」

 まって、まだ花火やってるし、今帰ってもまだ早いよ。


「お母さんに9時半頃って言ってあるんです」

「なんだと?」

 そんな怒んないでよ。しょうがないじゃん。


「今何時だ?」と言って自分の腕時計を見た。

 見るなら聞くな。


「家まで何分かかる?」

「歩いて20分位ですかね」

「そうか、ならばここで時間を潰すか」

 え? ここで? せめてカフェにでも行きましょうよ。


「なんだその目は?」

「いや、ここで待つんですか?」

「どこで待つんだ?」

「例えば、その、カフェとか」

「初めからそう言え。メンドクサイ奴だな」

 なんで怒られるかなあ。


「案内しろ。半年ぶりの帰省で良くわからんのだ」

 半年でそんなに変わんないでしょうに。


「はい、じゃあ行きましょう」

「おい、待たぬか」


 侍か。ってかそこに織田信長の金の像あるけど。そんな事より、頼んじゃったはいいけど、本当に大丈夫かなあこの人。

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