望まない蜜の味

通行人B

望まない蜜の味

「……ゴホッゴホッ」

 これは——自分のではない。

 誰かの咳をする声に一度目を閉じ、大きく深呼吸をする。少し落ち着いた頃に咳をした方向に視線を向ける。目に止まったのは自分と同じぐらいの学生。別に知っている人ではないのだけれども、その人の口元を押さえる手から花弁が溢れ出ているのが自然と目を引いていた。

「何だお前、まだ告ってなかったのか?そんなんだから『花吐はなはきき病』なんかにかかるんだよ」

「う、うるさい!……それよりその花に触るなよ」

「へいへい。分かってるよ。俺だってうつされたくないし」

 そう言われると、花弁を吐いた学生は鞄から袋を取り出しては中に詰め、近くのゴミ箱へと投げ捨てる。手と口を軽く拭き取った後、先程花弁を吐き出したというのに、何事もなかったかの様に何処かに行ってしまった。

「はぁ」

 深呼吸ではなく溜息を吐き出す。自分の口からは先程の人みたいに花弁が溢れ出る事はなく、僅かばかり二酸化炭素の比率が多い息のみが出ていた。それなのにどうしてこうも花の匂いがありふれているのか。


『花吐き病』

 正式名称は嘔吐中枢花被性疾患おうとちゅうすうかひせいしっかん。通称“花吐き病”。遙か昔から潜伏と流行を繰り返してきた病気らしく、片思いを拗らせると文字通りという症状を起こす。それ以外の症状は確認されていない。

 勿論だからといって安全というわけでも、放置していい病気でもない。話によれば症状にもレベルが存在しており、片思いの拗らせ具合によって花を吐く量が増えるとの事。どういう原理で体内で花が作られているのかは不明だが、その花を作るのに少量ながらも体力を持っていかれるらしく、吐く量が増えれば同等の体力を持っていかれる。結果、花吐き病にかかった人の死亡例としては衰弱死か喉に花を詰まらせた事による窒息死というもばかり。また、吐き出された花に非感染者が接触すると、同じく花吐き病に感染してしまうらしい。

 そんな未知の病は専用の薬で治すとか、手術すれば治るとかという明確な治療法は未だ見つかっていないという。

 ——いや、ただ一つ、拗らせた片思いの相手と両思いになると、白銀の百合を吐き出して完治するとの事らしい。

 そんな症状と完治の姿から、SNS界隈からは『恋の病』なんていわれている。それこそ、恋愛ものの創作物では、花吐き病の感染者が病気を得て恋をより強く自覚し、意中の相手と結ばれる話が一つのジャンルとして出来上がる程だ。

 結局、それ等の認知が良くも悪くも大々的に広がってしまい、インフルエンザ等には劣るが、それに近しいものになってしまった。

「……何が『恋の病』だ」

 唾を吐く様に悪態を吐いた。改めていうが花吐き病はこの世界に実在している病気であり、そしてそれによる認知の原因が創作物であるという事を。検索すれば九対一の割合で漫画やドラマ等がひっかかる。内容は色々あるが大体のオチは恋が実って完治というもの。そのせいで花吐き病は簡単に治る病気とされている。

 確かに恋が実れば完治するというのは間違いではない。現にそれで完治している人がいるからだ。しかし、同様に完治せずに死亡している人がいるのも現実だ。花吐き病の一番の問題はシンプルかつ単純。という事だ。

 創作物に登場する人物達は、皆総じて顔が良い。だから花を吐く姿だって絵になるし、そんな相手と結ばれるのなら満更ではないだろう。ましてや何度もいうが創作物だ。作者がまともで捻くれていない限り、大体のものが結ばれてハッピーエンドというオチ。だから見る人はその相手に憧れるし、そんなロマンチックな病気も悪くはないと思ってしまう。

 しかし現実的、冷静に考えて欲しい。例えば自分が感染者の意中の相手だとしよう。その時、相手が目の前で唾液だか胃液だか分からない液まみれの花を吐き出したらどう思うか。私は相手の顔がいかに良くとも、間違いなくドン引きをする自信がある。

 更にいえば、自分には他に意中の相手がいた場合や、感染者が自分にとって生理的に受け付けない人の場合はどうするというのか。両思いの判定を置いておいたとしても、付き合おうとは思えないから私が拒否した段階でその人が完治する事は無い。そしてその結果、私が周りから「最低」「付き合ってあげればいいのに」なんて言われる可能性があると思うと、とばっちりにも程がある。

 それに花吐き病の症状のレベルは、あくまで片思いの拗らせ具合によるもの。つまり恋が実らず諦めれば極偶に花を吐く程度までになる可能性だってある(その結果、また片思いを拗らせて再アタックが来ると思うと余計に面倒になる)。

 何より、花吐き病は感染者とその意中の相手間で同行するもの。先程の感染者君に対して、友人らしき人は心配する様な言動をした。第三者としてはその様な対応は稀で、大体が冷やかしになる場合が多い。

 これ等の事を考慮して、本当に花吐き病を恋の病として扱うのは本当にどうかしていると思った。世の中、そんな綺麗事創作物で片付ける事はできない。

吹雪ふぶきちゃん!」

「……何で休日にまでアンタに会うのさ。……伊吹いぶき

 突然現れた伊吹と呼ばれた少女は、まるで仔犬の様に私に抱きついてくる。側から見ればとても好かれている様に見えるのだけれども、彼女は誰にだってそういった態度をとってくる。距離感が近いというべきか、馴れ馴れしいというべきか。……その性格のおかげで伊吹は友達がいない。いるのは表面上の友達であり、真に友達といえる人物はきっといないのだろう。女子からは尻軽と呼ばれて、男子からは雌として見られている。本人はそれに気がついているのかどうかは知らないけれど、私には関係なかった。

 あしらう様に引き剥がしては一歩分、距離を取る。距離をとった分、体の小さな伊吹は二歩近づいて距離を詰める。

「……何の用?」

「え?吹雪ちゃんがいたから声をかけちゃった」

 ダメだった?そんな風に小首を傾げる。身長差でそれが必然的に上目遣いになっており、大抵の人なら落ちるし、自分以外にする姿を見て失望する。

 ……私と伊吹は友達ではないし、幼馴染というわけでもない。ただのクラスメイトなだけであって、それ以上の存在でもない。これはきっと伊吹が街中で偶々私を見かけたから来ただけであって、別に私じゃなくても良かったのだ。

「……ん?何かお花のいい匂いがする」

 そんな私の思考を無視する様に、鼻をヒクヒクさせる。本当に仔犬みたいだ。

「さっきそこで花吐き病の人が、自分で吐いた花をゴミ箱に捨てたからだよ」

「そっか!自分で花が出せるなんて素敵な病気だね!」

「……」

 花吐き病に対する私達の認知の違い。私はただ嫌な病気だと思っているだけで、伊吹の様なロマンチックな捉え方をする人を否定するつもりはない。それでもただの風邪と違って、死ぬ可能性がある病気に対してそんな笑顔でいられると……正直、否定したくなる。

「……じゃあ、私は用事があるから」

 否定したい気持ちを抑えて伊吹に背を向ける。何故なら私みたいに花吐き病の事を悲観的に考えるのは少数であり、伊吹の様にロマンチックな、又は楽観的に考えている人の方が多いのだ。

 原因は決まって創作物。元々花吐き病は片思いを拗らせなければかかることのない病気。そんな可能性の低い物と、ネタとして多くの人の解釈で形にされる創作物。分母が違うのだ。だから悲観的になる人は私みたいな冷静な考え方をする人か、感染者当人ぐらいだと思う。

「ま、待ってよ吹雪ちゃん!」

「はぁ。……離してよ伊吹。言ったでしょ?私は用事があるんだって」

 縋り寄ってくる伊吹に溜息が溢れる。目を潤ませながら上目遣いをする姿は本当に仔犬の様にしか見えない。

「私、また何か吹雪ちゃんに嫌な事を言っちゃった?言っちゃったのなら謝るから!」

「……分かってないのなら謝らないで。それに、私が伊吹にいつもしている対応と同じでしょ?」

「で、でも……」

「でもじゃ…ゴホッゴホッ!………いいから放っておいて」

 今度こそ伊吹と別れる。早く離れたかったのか、歩く速度は次第に早まり、完全に伊吹が見えない、追ってきてないと分かるとやっと足を止めることができた。

「ゲホッゴホッ!……あぁクソ!」

 苛つきながらも息を整える。嗚呼あぁ、何て日だ。折角の休日なのに嫌なものを見た。嫌な人に会った。咳をする度に周りの通行人達が私に一瞥してから距離を取る。当然の対応に大きく深呼吸をする。

「……大丈夫だ。気にするな」

 平常心を取り戻し、再び歩き始める頃には見る前会う前と同じぐらいに戻れた。ダメ押しという様にコンビニで餡饅あんまんを買い、それを緑茶で流し込む。ふぅと一息付くと咳が治まった事に気がついた。

「花吐き病……かぁ」

 今日はやけにその事を考えてしまう。原因はといえば、数十分前に花を吐いた感染者君だったけれども、より深く考えてしまえば伊吹に会ってしまったからだろう。

 伊吹とはただのクラスメイトだ。それ以上でもない。伊吹は元々誰にだってあんな態度をとる。私は伊吹の特別ではないし、伊吹にとって私は特別ではない。

「……いや違うな。伊吹にとって皆んなが特別か」

 これもまた私と伊吹の認知の違い。私から見れば皆んな同じ様に接するから、伊吹のあの対応が普通だと思っている。しかし、伊吹からすれば皆んな特別。皆んな大切な人だからこそあの対応をしているのだろう。だからきっと伊吹がもし花吐き病にかかったとしたら、その人は伊吹が生理的に受け付けない人なのだろう。

「まぁ、そんな人が伊吹に出来るとは思えないけどね」

 空になったペットボトルをゴミ箱に投げ捨てる。上手く入った私は上機嫌になり、目的地へと急いだ。


 §


 ファーストキスはレモンの味とお父さんが言った。それに対してお母さんはお父さんのはミントの味がしたけどねと笑った。きっとお母さんは本当にレモンの味がして、お父さんは直前までミント味のガムを噛んでいたのだと思う。

 そんな事を笑顔で話せる両親の間に生まれた私は、二人の寵愛ちょうあいを受けて気持ちばかりが大きく成長してしまった。溢れそうな程の愛を抱えきれるほど、私の体は大きくならず、過剰摂取に酔っていた私はその愛を皆んなに配っていた。

 可愛いは正義とお父さんが言った。

 伊吹は仔犬みたいで可愛いねと誰かが言った。

 だから私は皆んなに正義を果たす為に笑顔であり続けた。

 ある日、私はとある人から告白を受けた。相手の人は知らない人だったけれど、ずっと好きだったと言ってくれた。私はそれが嬉しくてその人の手を握った時、その人の口から一輪の白銀の百合が吐き出されていた。私はそれに凄く驚いたけれども、それ以上に泣きながら笑うその人を抱きしめないといけないと強く感じた。


「ごめん伊吹さん。僕と別れて欲しい」

 暫く付き合った頃、私はその人に振られた。理由を聞けば、私が彼氏がいる事に対して他の同性異性にベタベタしているのが堪らなく不快だったからというものだった。私自身は付き合う前と変わらない対応をしていたので、どうしてそれが今になって不快と捉えられたか分からなかった。とはいえ、相手が別れたいというのなら私に引き止める事はできないのでしょう。「分かった」と告げるとその人は一度も振り返らずに、走って私の前からいなくなった。

 その日から、私は周りから変な目でみられる様になりました。近づけばまるでオモチャが来たかの様な笑みを浮かべ、少し離れれば私に対する陰口が聞こえました。……きっと私は何処かで何かをしでかしたのでしょう。しかし、その事を聞いても誰も答えてはくれませんでした。

 変わってしまった周りの態度と聞こえ続ける陰口。私は笑顔であり続けましたが、それは長く続きません。何故なら私も人間だからです。仔犬ではなく言葉を理解する人間。だから自分の失敗に不安を覚えますし、陰口を聞いてしまえば傷ついてしまう。私は有り余る両親の愛を皆んなに分けながらも、余っている分を心の修復に使っていました。

 ……しかし、そんな私の心を修復してくれる両親の愛も有限でした。時代の流れや私の成長に伴って、両親といる時間が日に日に短くなっていき、いつの日か私の愛の消費量が両親の供給量を超えてしまいました。

 そして足りなくなった以上、皆んなに分けるのと自分の心を治す事。二つの事が両立できなくなり、どちらかを諦めなければいけなくなった時、私は自分の心を治す事を諦めました。

 勿論、そんな事をしても意味がないのは分かっていました。私は皆んなの事が大好きだけれども、皆んなは私の事が好きではないのを知っている。だからどれ程私が皆んなを愛したところでそれは道端で貰ったチラシの様に簡単に捨てられてしまう。そんなペースで捨てられては折角渡す方だけにした有限の愛もすぐに尽きそうになる。

 そんな日々を送っていると不意に、私も他の人から愛して欲しくなってしまう。愛の押し売りに対しての見返りというわけではないけれども、皆んなの表面上の愛だけでは物足りなかった。

「……」

 いつしか空っぽになった休日の私は無気力でした。クラスメイトに会うことが無いから笑顔をせず、溜息すや吐かないぐらいに何も考えたくはありませんでした。

 そんな休日、私は偶々用事があったので外出をしていた。長い髪の毛を結ばずに放置し、ポカンと開いてしまいそうな口を隠す為にマスクをしていた。

「最近、陰口が増えてる気がする。無理に笑ってるせいかな。でもそれ以外に愛され方なんて分かんないし」

 無駄と思ってもそれしか方法を知らない。両親に相談して供給量が減ったら困る。だから私は減ると分かっていても出来るのは現状維持のみ。……そして、その現状維持の限界をとっくにオーバーしていた。

「……ん?あの人…確か同じクラスの吹雪ちゃんだよね?」

 とぼとぼ歩いている先に、クラスメイトの吹雪ちゃんを見かける。クラスメイトの皆んなは大好きだけど、吹雪ちゃんは誰よりも私の事が嫌いだと思っている。他のみんなは表面上で優しくしてくれたり、下心みたいなのが感じられたけれど私と接してくれた。だけれども吹雪ちゃんは私に冷たく、私を突き放そうとしていた。当初は吹雪ちゃんにも愛を渡していたけど、ずっと避けられてばかり。休日で私も空っぽだけど、大好きな吹雪ちゃんに愛を分けてあげたい。

「吹雪ちゃん!」

「……何で休日にまでアンタに会うのさ。……伊吹」

 吹雪ちゃんに抱きつくと一瞬、嫌悪するかの様な顔をしたのが見えた。直ぐに引き剥がされると同時に吹雪ちゃんが一歩下がる。私はそれに合わせて二歩近づく。

「……何の用?」

「え?吹雪ちゃんがいたから声をかけちゃった」

 ダメだった?そんな風に小首を傾げる。背丈の低い私は必然的に吹雪ちゃんを見上げる形になってしまう。すると頭痛がするという様に吹雪ちゃんが頭を押さえる。心配になり、顔を覗き込むも視線を合わせようとしてくれない。

 抱きしめてあげようとすると距離を取られる。目も合わせてくれない。困った様に何かしてあげたいと考えている時、不意に花の香りが鼻を掠めた。ここら辺には確か花屋は無かったし、咲いている花も無い。何処から香ってくるのだろうと気になって匂いを嗅いでいると「さっきそこで花吐き病の人が、自分で吐いた花をゴミ箱に捨てたからだよ」と吹雪ちゃんが教えてくれた。

 花吐き病というのは聞いた事があった。そう、確か私に告白してくれたあの人も花吐き病にかかっていた。感染すれば口から花を吐き出す病気。そして恋が実れば一輪の白銀の百合を吐き出して完治する不思議な病気。あまりかかった人は見ないけれども、それはきっと恋の後押しをしてくれている。

「そっか!自分で花が出せるなんて素敵な病気だね!」

「……」

 そう言うと、吹雪ちゃんは顔をしかめた。ここで私はまた間違えたのだと気が付いた。

「……じゃあ、私は用事があるから」

「ま、待ってよ吹雪ちゃん!」

 慌てて引き止めると今度は面倒くさそうな表情をし、溜息を吐き出した。

「はぁ。……離してよ伊吹。言ったでしょ?私は用事があるんだって」

「私、また何か吹雪ちゃんに嫌な事を言っちゃった?言っちゃったのなら謝るから!」

「……分かってないのなら謝らないで。それに、私が伊吹にいつもしている対応と同じでしょ?」

「で、でも……」

「でもじゃ…ゴホッゴホッ!………いいから放っておいて」

 そう言って吹雪ちゃんはそそくさと何処かに行ってしまう。理由を聞きたくて追いかけたい気持ちが湧き出るが、咳をしていた事でその用事が病院の予約だと思うと追うに追えず。心の踏ん切りが着く頃には今更追っても追いつけない程の時間が経ってしまっていた。

「……分かんないよ」

 一人になって言葉が零れる。

「考えたって分からなかったんだよ」

 分からなかったら聞くしかない。

「だって誰も教えてくれないじゃん」

 皆んな、私で遊ぶ様にしか対応してくれない。

『……分かってないのなら謝らないで。それに、私が伊吹にいつもしている対応と同じでしょ?』

「教えてよ……分からないんだからどうしたらいいか教えてよ。じゃないと……謝れないじゃん」

 不意に涙が零れている事に気がつく。手の甲で拭い、その涙を見ては哀しい気持ちが和らいだ。

「そっか。もう限界だったんだ」

 どうして皆んなが私の事が嫌いなのか分からなかった。きっと原因は皆んなからすれば直ぐに見てわかるものだと思うけれど、私には全然分からなかった。

 吹雪ちゃんも皆んなと同じ様に私が嫌いなんだと思う。だけれども吹雪ちゃんだけは初めからからかったりせず、私に冷たかった。きっと吹雪ちゃんならはっきりと教えてくれる予感がした。けれど聞けばきっと嫌な顔をすると思う。大好きな吹雪ちゃんに迷惑をかけるのはつらいけど、私は知りたかった。

「私、何でもしてあげるから。——私のあげられるもの全部を上げるから」

 それを教えてくれるのなら、自分のひび割れた心から生まれた愛を吹雪ちゃんの為だけに渡したい。振り返り近くのゴミ箱を漁る。すると上の方に、いくつもの花が入った袋があった。そう、吹雪ちゃんの言った言葉が本当なら、この花に触れると花吐き病に感染する。花吐き病に感染すれば私がどれだけ本気か分かってもらえる。きっと私の愛は受け入れてもらいない。けれど方法はこれしか思い浮かばない。

 花が風で飛ばない様に袋に軽く穴を空け、穴から花に触れる。花に触れて暫くすると、お腹の中から不快な何かが込み上げてくる。「うおぇっ…」と普段出すことのない嗚咽音を出すと同時に、私の口から一輪の花が吐き出された。花の種類に特段詳しいわけではないけれども、感染して初めて吐き出した花は……とても綺麗だった。

「はぁ…はぁ…んっ……こんな私からも綺麗な花が咲くんだね」

 感動している間にお腹の中に不快感を感じる。沢山吐いて他の人に迷惑かける前に退散しよう。

「明日が楽しみだ」

 無気力続きの休日だったけれど、今日の足取りはとても軽く、心が弾んでいた。


 §


 子供の頃に触れた虫が、高校生になる前に触れなくなった様に、私は昔好きだった花が嫌いになっていた。知らないから格好いいと感じれた虫も、気持ち悪さを知り触れなくなり、病気の存在を知って花嫌いになる。

 私の両親はかつての花吐き病の感染者だった。二人が結ばれ、白銀の百合の花を吐き出した後、暫くして私が産まれた。私がどの段階でデキたは不明だけれども、私は産まれながらにして花吐き病の感染者だった。

 理解したのは中学生になり、思春期真っ只中な頃だった。初めて恋をしたのは隣のクラスの男の子。今となってはどこに惚れたかも思い出せない程平凡な彼を好きになってしまい、自覚したと同時に花を吐き出していた。

 当時は花吐き病の存在は何となく知っている程度だったけれども、いつ汚染されて花に触れたか記憶になかった。正式に論文とかを読んだわけではないけれど、恐らくは産まれながらの感染者であり、物心や理性などが安定しない幼少期にはほぼ非感染者と同じだったのだろう。

 ともかく、自分が感染者だと理解した後、私はその彼に告白をしに行った。なんせ吐き出す事に慣れていないから花でも吐きたくなかったし、治す方法も知っていたからだ。

 両親は花吐き病に肯定的だった。そりゃそうだ。過程はどうあれそれで二人が結ばれたのだから。そんな二人の下で育った私も必然的に肯定的に考えており、結果上手くいくと思って少し恥ずかしがりながらも彼に告白し、


「ごめん。僕、好きな人がいるんだ」

 呆気なく振られましたとさ。


 あの日の事はよく覚えている。両親が何年も『恋は良いものだ』『花吐き病は恋に臆病な自分の背中を押してくれる』なんて語っていたんだ。そんな事を言われたら誰だってそんな確定イベントでドキドキするしワクワクもする。そしてそれが確定イベントではないと知った時の絶望感を忘れるわけがなかった。

 振られた私はショックの大きさで呆然としていた。それこそ時間の流れなんて感じない程にその場に立ち尽くし、そして「僕と付き合って下さい!」という、ついさっき聞いた拒否とは真逆の言葉で正気に戻る頃までだ。

「え?え?」

 当然目の前には告白した彼の姿は見えない。幻聴か?そう思って外を見れば陽は暮れ始め、開いた窓からは夏の仄かな暖かな風が入ってきた。

 あまりのショックで都合の良い幻聴が聞こえたのだろう。そう思い、開いた窓に手をかけた時、その真下に見知った人物が二人立っていた。

 一人はクラスメイトの伊吹。彼女は小さく人懐っこい事からクラスの人気者だと記憶していた。

 そしてもう一人が先程私が告白した——

「うっおぇ…!………あ、あはは。そりゃそうだよね。私みたいな愛想のない奴なんかより、可愛い女の子の方が男子は好きだよね」

 花を吐き出し、その場に座り込んでしまう。姿は見えないけれど、彼の浮ついた声を聞けば本気で好きなんだと分かってしまう。そして今度は数分もしないうちに彼の喜ぶ声が聞こえたので、私は口からもう数本の花を吐き出した。


「姉ちゃん!起きろ!……ったく。また吐いてるぞ」

「……ごめん」

「……朝ごはん出来てるから早く来いよ?」

 体を起こした時、部屋に充満する花の香りに顔を顰める。枕元には先程吐いたのだろうか湿った花が落ちており、寝ていた事を思い出した。

 ……あの日以来、私は度々その夢を見る。シュチュエーションもセリフも全く同じの夢。毎回泣いて毎回起きる度に花が落ちていた。

 元感染者とその子供は感染しないのか、両親や弟はその花に触れてもなんともなかった。この家に住む感染者は私だけ。両親は直ぐに好きな人が出来るから大丈夫というけれども、フラれた後に好きな人が別の人に告白する所を見てしまって何が大丈夫なのだろうか。

 結局、伊吹と彼が付き合って暫くした後、二人は別れた。原因は伊吹が彼がいるのに他の同性異性にベタベタした事。普通なら分かりそうな事を伊吹は理解出来なかったのだ。それが尾を引いて今の伊吹の状況になる。

 伊吹と別れた後、彼に再度告白すれば治るかもしれないと思い、彼に会いに会おうとした時、彼が伊吹についての陰口や自分の理想を語る姿に幻滅し、彼に告白をする事なくその場を去った。

 彼の幻滅をもって花を吐く量は格段に減ったし、恋をしたいともあまり思わなくなったので余計に。しかし、吐く量が減ったとはいえ、恋が実っていないから花吐き病自体は完治していない。

「でも、その程度なら誤魔化せる」

 量が少ないので呑み込んだり、直ぐにトイレに流すなどして隠蔽する事で、周りに自分は非感染者の様に振る舞っていた。

 それに花を吐くタイミングや条件も三つである事を理解した。

 一つ目は好きだった彼の事を考えた時。これは一番少ない。何故なら既に幻滅していて、彼の事を何とも思っておらず、寧ろ何であんなに好きだったのかと疑問に思う程。そんな彼とは中学を卒業して以降会ってもいない。

 二つ目は花吐き病の事を考えた時。花吐き病が原因でこんなに苦しんでいるし、花吐き病のせいで恋をしたいという気持ちも薄らいでいた。とはいえ、花吐き病自体感染者は多くない。家の中ではよく吐いていたけれど、外で吐く事は余程の事がない限りなかった。

 ……そして問題の三つ目。それは

「吹雪ちゃん!おはよう!」

「い、伊吹…何で朝から」

 問題の三つ目。それは伊吹の事を考えた時。これは別に伊吹に恋をしているというわけではない。……伊吹を見るとあの時、伊吹さえいなければ自分の恋は実っていたのではないかと思い、あの日の事を思い出して考えてしまう。勿論、伊吹に対するこの感覚は所謂逆恨み。あの告白に対して伊吹に非があるわけではない。それでも、付き合った後も変わらず皆んなとの接し方を変えず、クラスの人気者から嫌われ者になった伊吹に負けたと思うと余計につらくて無意識のうちに壁を作る様にしていた。

 そんな伊吹が立っていたのは学校の通学路。それももう少し歩けば大通りに出るというのに、伊吹がいたのは私の家の近くの小道。……つまり私に用があるのかもしれない。

 最悪だ。そういった感情を隠さずに顔に出すと「突然朝からごめんね?」と謝罪が入った。

 関わりたくない私がジリジリと後ずさるのに対し、伊吹は自分の付けていたマスクに手をかけていた。警戒する中、伊吹がマスクを外した瞬間、全身から嫌な汗が溢れ出した。

「い、伊吹?…な、何のつもりだよ……

「私ね、考えても分からなかった。どんなに考えても自分の頭じゃ分からなかったの。みんなに聞いても教えてくれなかった。……吹雪ちゃんも教えてくれなかったけど、吹雪ちゃんは皆んなと違ってずっと私に冷たかったから………冷たかったからきっと吹雪ちゃんは私に教えてくれると思ったの」

 伊吹は鞄から大きな花束を取り出す。それは素人が作った様な見た目も何も考慮していないただ沢山の種類の花を一つに纏めた花束。そしてその上に伊吹の外したマスクから零れ落ちた花弁が降り掛かり、その花々がなんなのかを確定させてしまう。

「だからね特別。皆んなにはお父さんやお母さんから貰った愛を分けていたけど、私の愛は吹雪ちゃんに特別にあげたいの」

 そう言いながら伊吹は体液塗れの花束を私に向けて差し出してくる。

「……吹雪ちゃん。皆んなが私を嫌う理由、吹雪ちゃんが私を避ける理由を教えて下さい。お返しに私の皆んなが大好きな気持ちを吹雪ちゃんだけに捧げる事を誓います」

 伊吹の口から花が吐き出される。それは花束に落ちず、腕の袖を濡らして地面にべちゃと落ちた。吐くのが苦しいのか目尻に涙が浮かび、花束を差し出しているために、笑みを浮かべながらも口の端には涎が垂れたままになっていた。

 伊吹から吐き出され続ける花々。常に皆んなを愛する伊吹が誰か一人だけを愛する。それが伊吹にとっては異常であり、その姿はまさに『片思いを拗らせている様』にしか見えなかった。

 私は伊吹が嫌いだ。初恋の相手は奪われるし、別れて尚、思い出さして私を苦しめる。後一年ちょっと我慢すれば伊吹とも別れられると思っていた。

 それがどうしてこうなった?

 花吐き病に感染しているとはいえ、彼をもう一度好きにはなれない。

 伊吹に好かれた以上、周りの人から私も同類とみなされ距離を取られる。

 伊吹が感染者であり、その対象が私であれば、私が伊吹の事を好きになれば互いに完治する。しかしどう頑張ってもこれまでの経験上、私が伊吹の事を好きになるビジョンが見えない。


 ——要するに、コレはもうである。


「は、はははっ。……ほんっと、この世界の創作者はとんでもない程捻くれた性格の悪いクソ野郎だな」


 喉元から込み上がる異物。私はそれを吐き出す前に呑み込んだ。

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望まない蜜の味 通行人B @aruku_c

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