優しい外科医

青瓢箪

優しい外科医

 パレ?

 あんた、あの先生のこと聞きたいのかい?

 ああ、いいよ。いくらでも話してあげるさ。あの先生は俺の自慢、俺たち理髪師の星だからな。

 俺はあの先生と共に何度も戦場で兵士の治療にあたったのさ。


 パレ先生、アンブロワーズ・パレ先生。

 悪いけど、俺は最初、あの人のこと、軽く見てた。

 俺よりも若造だったからねえ。理髪師免許取立てだった。医師助手として、俺のほうが戦場での経験は積んでた。どっちかっていうとタマ無野郎に見えた。だからちょっと馬鹿にしてたところはあったね。悪いけど。

 父親も叔父も理髪師だったって言ってたかなあ。昔、患者から尿結石取り出したのを見て、感動したんだってさ。それで理髪師になりたいと思ったんだとよ。

 包帯巻くのは上手かったな。俺と同じくらい、早くて上手かったよ。

 お堅い敬虔な人だったね。信心深い家で育ったんだろうな。ほら、兵士目当ての商売女に俺らも相手してもらうことがあったけどさ、あの先生はそんな俺たちを軽蔑した目で見てたね。

 まあ、まじめな人だった。しょっちゅう、時間があるときはなにかしら書き留めていたよな。

 あとは、やさしい、ていうのかな。繊細なところがあったなあ。俺はこの人、いつか精神的にまいっちゃうんじゃないかなあ、て思ったこと何度かあるよ。

 まだ、最初の頃……あれはミラノ包囲戦の時だっけな。

 新米ペーペーのあの人はもう死ぬって分かってる重症の兵士たち相手に、治療をすると言って回ってたんだよ。皆、悲鳴をあげて、答えたね。


『治療はよしてくれ!』


 まあ、俺でもそう言うさ。

 あの時、銃創には熱した油を注ぐってのが、決まってた。それが治療だった。

 銃で撃たれた兵士がくせに死ぬのは、中に入ってる弾の毒が身体に回って死ぬからだ。患者が死なないように、油で毒を中和するってんで、そうしなきゃならなかった。

 傷口の穴に漏斗を突っ込んで、煮えたぎった油を注ぐのが俺たちの仕事だった。

 戦場では外科医、外科医見習い、理髪師のそれぞれのテントの脇には常にぐらぐらと油が煮立ててあったもんさ。

 治療は俺も何百回も手伝ったけど、あれは慣れるもんじゃないね。あのときの絶叫といったら。あと、肉の臭い。

 ただでさえ痛い傷口に煮えたぎった油を入れるんだ、まさに拷問だぜ。たまにショックで死んじゃう奴もいたよなあ。


『やってもどうせ無駄なんだ! 頼むから殺してくれ』


 治療の恐ろしさに兵士たちは口を揃えて頼んだよ。

 もちろん、あの先生にそんなこと出来ないさ。

 そしたら、生き残った兵士が一人、やって来て、俺たちの目の前でさっさと全員、兵士たちを殺した。

 あの先生は激怒して『それが同じ神に仕える兄弟たちにする仕打ちか!』とその兵士をなじったね。


 でも、その兵士は冷めた顔で答えやがった。


『俺があいつらと同じようになっても、俺はあいつらと同じことを神に頼むさ』


 それからしばらく先生は落ち込んでたなあ。

 でも、怪我人は次々に運ばれてくるし、医者ってやつはその傷口に油を次々にかけなきゃいけない。兵士は痛さのあまり、俺たちに「クソッたれ! 地獄に堕ちろ、悪魔!」なんて悪態をつきやがる。

 あの人は死にそうなほどつらい顔をしながら、そんな兵士たちの治療をしていた。

 申し訳ない、すまない、ていいながらさあ、涙ぐんであやまっていたこともあったっけ。

 俺はそれを見ながら、しっかりしろよ、外科医目指してるんだろ、あんた、なんていらついたこともあったよ。もしかしたら、何回か声に出してたな。

 まあ、油をかけてもほとんどの兵士が死ぬ。内心、俺もどうせ死ぬんなら更に痛い思いさせることないんじゃないか、て、思うこともあった。


 それがある時だ。

 いつもよりはるかに怪我人が多くてさ。油が切れちまったことがあったんだよ。何も治療しねえことは、確実に兵士たちを殺すことになる。

  それであの人、油の代わりのものをひねり出したんだよな。

 その時のそれは何が入ってたんだか、よくわからねえけど。卵やら酒やら、いろんなもの混ぜたんだと思う。なんだかよくわからないクリーム作って、あの人、怪我人に見せて話したんだよねえ。


『申し訳ないが、不手際で油を切らしてしまった。代わりに、私が作ったクリームを塗らせてもらってよいだろうか』


 患者の了承なんか得ずにさっさと塗っちまえってんだよな。油かけるよりは全然、痛くないからさ。拒否することはないだろうによ。

 なんでもいいから早くしてくれ、ってその怪我人が答えたんで、あの人はそれを塗りたくった。とりあえず、それでその怪我人は少しおとなしくなった。

 残ってた他の怪我人も沸騰油に比べりゃ、冷めたクリームに抵抗なんか無いさ。皆がクリームを許可したよ。


 その晩だよ。

 あの人は、心配で不安で、その夜、一睡もしなかった。一晩中、恐れおののいて、神に祈り通しだったねえ。


『ああ神よ、この私をお許しください。お願いです。どうかあの患者たちをお救いください』


 ってな具合だよ。

 まあ、銃創に沸騰油以外の処置をしたってことがなかったからなあ、それまで。

 あの人、やってしまってから、自分のしたことが怖くなっちまったんだな。患者に弾の毒がまわり、殺しちまうと。

 俺は見かねて言ってやったんだよ。


「なあ、パレさん。油入れてたとしてもあの兵士らは死ぬと思うぜ。そんなに気に病むことじゃねえよ」


 なのに俺の言葉を聞きやしねえ。

 ぶつぶつ祈り続けるあの人に俺もみんなもあきれたよ。

 まだ死んでなかったけど、兵士たちがおそかれはやかれ死ぬのは当たり前だとみんなが思っていた。


 で、次の日の夜明け、パレさん真っ先に患者を見に行った。

 そしたら兵士たち、生きてた。

 いや。生きてたっていうか、むしろ、よかった。

 傷口が火傷してねえから綺麗だったし、兵士たちはすやすや寝てたよ。

 で、油を流し込んだ兵士たちは皆、のたうち回るか死んでたよ。


 その様子を見て、俺は思わず言っちまった。


「なあ、おい。どうして今まで、みんな、油以外のことをしようと思わなかったんだ?」


 その時、俺を振り返ったパレ先生の顔、忘れられないね。

 口は笑っているけど泣きそうで、目がきらきら光っていて……まあ、本当に気持ち悪い顔だったよな。

 そのまま、その顔のままで突っ立ってるもんだから、俺はしびれを切らして言ってやったんだ。


「なあ、パレさん。待ってるんだぜ。さっさと教えなよ、昨日のクリームのレシピをさ」


 ところが先生は覚えてねえ、って言うじゃねえか。慌ててあり合わせを夢中で作ったから、メモしてねえんだとよ。

 いつもメモしてるくせに、なんでそういうときにはしてねえんだよ! って怒鳴ったのは俺だったか、別の奴だったか。

 まあ、いい。とりあえず、似たようなモンを俺たちは作りあげてそれを兵士たちに塗った。


 だけどよ、それからしばらくして先生は、だんだん暗くなっちまった。クリーム塗った時よりも更に沈んでるじゃねえか。訳わかんね。

 俺は我慢できなくて声をかけてやった。


『どうしたんですか、パレさん』


 そしたら、いきなりこう来たもんだ。


『君はどう思う? この事態を』

『え、いや、油よりクリームの方が効く、て、ことでしょうが。良かったじゃないですか』

『そうなんだ。今まで先人たちが行ってきた治療は間違いだったということだ』


 真面目腐った顔で泣きそうな顔するじゃねえか。


『私たちはこれまで信じてやっていた治療法に裏切られたんだ。患者を救うつもりで、私たちは患者を殺してきた。こんな酷い裏切りがあるだろうか。この行為でどれだけ多くの兄弟の命が奪われてきたのだろう。考えると恐ろしくてたまらない』


 俺は黙った。

 確かに俺も腹の底が震えたよ。

 そもそも、銃で撃たれて死ぬ患者は弾の毒が原因で死んだのか? 油を入れりゃ、本当に毒が中和出来んのか?

 俺がこの仕事を始めてからこれまで、押さえつけて油を突っ込んだ兵士は何百人だ。

 先生の作ったクリームで、はっきりと感じた。

 過去の兵士は俺のせいで死んだ。


『君はパラケルススを知っているだろうか』

『ああ、話だけは聞いたことあるよ。伝説のイカサマ軍医、ホモ野郎だろ。どっかの大学の本を焼いちまった迷惑男だそうじゃねえか』

『実は昔、私は彼に会ったことがあるんだ』


 先生は複雑な顔して言ったよ。


『その時、彼は負傷した兵士がガマ油で作った膏薬を自分の傷に塗っているのを見て叱咤していた。そして彼に傷ではなく、自分を傷つけた剣に膏薬を塗るように教えたんだ。私はそんなまじないめいたことを言うパラケルススを心の中で嘲笑ったよ。彼はこうも言っていた。人間には自分で傷を癒す力があると。その治癒力を邪魔する余計なことはするなと。……彼が正しいのではないだろうか』


 先生は俺じゃなくて自分に聞いていた。


『パラケルススは大学講師になったとき、先人たちの医学書をペテンだと言って焼いたそうだ』

『それはパラケルススはラテン語が出来なくて、逆ギレしたからだって聞いたぜ』

『私もそう聞いていた。でも、彼が真実なのだとしたら? 私たちは先人たちの教えや常識を疑わなければいけないのではないか』


 そんなこと言われてもこの俺にどう言えってんだよな。とりあえず沈んだ顔してるから、俺は言ってやったさ。


『……俺もあんたもラテン語なんかわからねえし、医学書にどんなことが書いてあるなんて知りようもないけどさ、パレさん。俺はあんたのクリームを信じるし、実際にこの目で見たあんたの治療を信じるさ』

『……ありがとう』

『そうだ。あんた、あんなに、いつもメモってんだ。あんたがいつか本出せよ。あんたが書いた本なら信じるよ』


 先生は少し笑った。


『……読む者がいるかな』

『いや』


 俺も笑って言った。


『誰も買わねえよ』



 それからだよな。先生が脱皮したっていうか、覚醒しやがったのはさ。

 クリームは、残念ながらなかなか広まらなかったぜ。先生や俺が外科医や理髪師仲間に言っても誰も真似しなかった。あのときクリームの効果をその場で見た奴でさえ、クリームを信用せずに長い間、油を使い続けた。俺も先生も伝統、てやつを呪ったし、それを怖いと思ったね。


 とにかく、そのクリームなんか先生にとっちゃ、ほんの小手調べだったんだよな。


 先生は、次に血管を縛る方法(血管結紮法)をやりだした。

 どうにもならねえ大怪我をした脚や腕は切り落とすしかねえが、そのまま放っておくと血が止まらなくて患者は死んじまう。熱した鉄を押し付けて焼ごてしたり(焼灼止血法)、大きな断面には熱した樹脂に浸して無理矢理、蓋するのがお決まりだった。確かに血は止まるが、結局、火傷した断面から腐っていって、ほとんどの患者は死ぬまでの時間を伸ばしただけだったけどよ。

 先生は腕や脚を切り落とす前に血管を引き摺り出して、糸で縛って血を流れないようにした。そして包帯を巻いた。


 そこからは、あんたも皆も知ってのとおり、先生の人気はうなぎのぼりさ。


 名前が売れ出した先生はやっぱり同業者からよく思われねえし、嫌がらせされたね。

 資格をもらってお仲間に入れてもらったはいいが、ラテン語が出来ねえってんで、エリート医師さんたちからはかなりいじめられたみたいだしな。せっかく取った資格も、剥奪されたりさ。

 でも、先生にとっちゃ大したことなかったと思うぜ。ろくに手術をしたこともない坊っちゃん連中にぎゃあぎゃあ何言われようと気にするこたねえよ。そいつらが机の上で占星術がどうとか議論してる間に、俺たちが戦場でどんだけの修羅場くぐってきたと思ってんだ。下手すりゃあ俺の方がそんな奴らよりはるかに外科医として格上の自信があるぜ。先生の方も、そいつらを軽蔑して馬鹿にしてるさ。

 くく、なああんた、パレ先生が割と大人しい謙虚な人だと思ってんだろ。いいや、違う。どっこい、なかなか、あの人はな、あれでかなり癖モノで、我が強いよ。

 とりあえず、あの人は……ハハッ、ラテン語は意地でも学ばない気だぜ。


 ラテン語じゃなくてフランス語で本を出したってのも、先生の本が売れた理由のひとつだがよ。いやしかし、俺も先生自身も、先生の本がこんなに売れるとは思わなかったんだよ。先生にはいつかすんませんでした、て謝らなきゃな。

 

 実は先生はな、今、仲間の医師に頼んで自分の本をラテン語に訳してもらってんだ。しかも、挿絵は国王のイニシャル付きにして。奴らに出版を邪魔させない気だぜ。

 まだまだ本を売るよ、あの人。やり手だよ。

 昔から、俺たちのような理髪師が身を立てるにはパトロンが必要だ。その点、あの先生は割と世渡りが上手くて、その才能もあったよ。

 解剖ショーやら、公開手術やら、派手な見世物で宣伝して、商人や貴族のパトロンを捕まえるのにみんな苦労してきたさ。あのパラケルススもそうだった。

 だけどよ、先のそいつらの誰もあのパレ先生には叶うまいよ。叶うわけねえ。

 あはあ、なんせ、パレ先生のパトロンはフランス国王だ! あの先生は国王たちをメロメロにしちまったんだからな!











 アンブロワーズ・パレ


 1510-1590


 身分の低い理髪師からフランス王室公式外科医となった。

 従来の治療より侵襲性の少ない治療を生み出したため「優しい外科医」と称される。卓上で議論を交わすだけのエリート医師とは反対に理髪師出身だけあって実践的。臨床データを分析して、確かな治療理論を組み立てた。

 彼の書いた著書はラテン語ではなく、フランス語で書かれたため、専門医師でなくとも知識人なら読むことができた。やがて、ヨーロッパ中で訳され、医学の教科書となった。

 整骨術の本は日本にも蘭学医によってもたらされ、華岡青洲など日本の医師に多大な影響を与えた。

 また、手足を失った兵士のために、精巧な義肢装具も考案した。


 戦場で敵国に捕まり、捕虜にされたとき、その先で敵国の将軍の死因を解剖して突き止めたり、症状で苦しむ男の原因を静脈瘤だと判断し、処置して改善させ、身代金無しに解放してもらったという逸話や、シャルル9世に「哀れな患者よりもっと良い手当をしてくれ」と言われ、パレは「それはできません。すべての病人に国王と同じ手当をしているからです」と答えたという逸話が残っている。




 パラケルスス


 1493-1541


 スイスで生まれた医師、薬学者、神秘主義者。悪魔使いとも言われている。大学で講義をしたのは一年ほどで、それ以外は各地で放浪の旅を続けた。

 女性遍歴話がなく、パラケルススを中傷する目的で同性愛説、不能説、子供の頃に陰部を豚に噛み切られた説、などがある。





 話の中の、アンブロワーズ・パレとパラケルススが遭遇した云々は、全くの創作です。






















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