〈6〉

 待ち合わせ場所には、すでに夕莉がいた。

 茶色いセミロングの髪を今日は結い上げていて、可愛らしいバレッタで止めていた。おめかししてきたな、と佳純はからかいたくなった。自分もサイドアップに結んでいるので、女心はいつどこでも通じ合っているものらしい。夕莉と落ち合うと互いに褒めあい合戦をした。


 学校にはたくさんの客が訪れていた。受付で渡されたパンフレットを持って、大人と子どもが混ざりながらひしめき合っていた。


「人ごみ、平気?」


 佳純が確認するように尋ねると、夕莉は毅然と答えた。


「本当は苦手なんだけど、今日はがんばる。先輩たちと遊びたいもん」


 だいぶ強がっているようにも見えたが、彼女がこの祭りに懸けている思いを察すれば、余計な言葉はいらなかった。


 少しして、夏央が冬華を連れてホールを抜けるのが見えた。二人で大きく手を振ると、夏央と冬華はすぐに気づいてくれて、手を振り返しながら渡り廊下に入った。


「待ったか?」


 四人合流すると夏央が二人を気遣った。


「いいえ、そんなには」


 佳純と夕莉が声を合わせて言い、彼が自分のお洒落に気づいてくれるだろうかと期待を込めたが、当の夏央は「すげえ人だろ。まずは飲み物買おう」とさっさと歩き始めてしまった。「男の人は鈍感だね」と佳純が夕莉に耳打ちすると、夕莉もまた「先輩らしいけどね」と笑った。


 夏央は夕莉に、冬華は佳純にそれぞれ飲み物を買ってくれた。「今日のお前らは楽しむ側だから」という夏央の言葉に甘えて、二人はのどを潤した。


 彼らの学年が催しているクラスの出し物に寄ってみた。夏央の組は縁日を、冬華のほうはアトラクションゲームをやっていた。縁日では夕莉が輪投げで景品を取ることに成功し、佳純は的当てボールで真ん中を当てた。二つの景品を嬉しそうに胸に抱いた二人を見て、夏央たちは「センスあるなあ」と感心していた。


 冬華の組のアトラクションは、人生ゲームだった。升目に沿って「イエス」か「ノー」かで答え、矢印の方向へ進み、各自用意されているゴールへ向かう遊びだった。佳純の人生は仕事で成功を収めるタイプのゴールで、夕莉の人生は、愛する人とともに暮らして子沢山の人生を送るというゴールだった。二人はおかしくなって互いに笑い合った。


 楽しかった。文化祭の充実感は兄たちの様子を見て知っていたが、ここまで生徒が主役で盛り上がる行事を経験したのは、初めてだった。


 二人の学年の出し物を参加し終えて、夏央と冬華が、次はどこを見て回るか打ち合わせを始めた。


「お二人とも、仲いいですね」


 ふいに夕莉が口を開いた。二人はきょとんとした顔をした。


「何でボランティア部に入ろうとしたんですか?」


 夕莉は純粋に疑問を口にしていた。佳純も二人の答えを聞きたくて目を向けた。


「んー、ここじゃ何だからちょっと場所変えようか。そんなに大した理由じゃないんだけどね」


 冬華が夏央に合図をして、二人はスタスタと歩いていった。佳純と夕莉もついていく。二人の間にそれほど深い沈黙はなかった。適当に入っただけなのかもしれない。しかし二人の優しさは中途半端な気持ちでできるものではないと、佳純も夕莉もわかっていた。


 一階のホールに出た。窓辺に沿う形で並んでいる長椅子に佳純たちは座り、たくさんの人で行きかっている駅の入り口のようなホール前を眺めた。二人は夏央たちの言葉を待っていた。


「俺たち、小学校時代は学級委員だったんだ」

「高学年になった時からずっとね」


 夏央と冬華が順に告げた。


「面倒見いいですからね」


 佳純がそう言うと、夕莉も続けてうなずいた。


「それでまあ、ずっと委員長ってポジションだったんだけどさ、どこのクラスにも、必ず一人は身体弱いやつがいるわけ。その中でも特に病弱な男子がいたんだ。

 そいつはちょっと荒んでいて、危なっかしい雰囲気で、世話好きな俺たちは見事に、そいつにかかりっきりになっちゃったわけよ」


 夏央が少しおどけたように笑うと、冬華が続きを話した。


「彼は最初、私たちのことをうっとうしがっていた。あまり口もききたがらなかったし。てっきり嫌われているんだと思っていた。どうにも放っておけなくて、しょっちゅう絡んでいたから」


 冬華が昔を懐かしむように目を伏せた。


「最高学年になった時だった。彼が東京から地方の実家へ帰る時が来たの。もっと空気が綺麗なところで過ごさせたいという両親の考えで。別れの日、彼が私たちにだけ手紙をくれたの。教室で簡単な挨拶を済ませた後の、帰り道だった」


 冬華の顔がぽっと上気していた。彼女は、その男の子のことが好きだったのだと、佳純たちは気がついた。


「彼が泣きながら手紙を渡したの。そして、今までありがとう、という言葉だけを告げて、帰っちゃった。

 私たちは二人そろってその場で手紙を開けた。

 便箋にびっしりとお礼と感謝の言葉が書かれていた。

 胸が熱くなった。

 その時思ったの。もっともっとたくさんの人たちの力になりたいって。困っている人を助けたいって。

 同情じゃなくて、偽善じゃなくて、力になりたかったの」

 

 冬華が話し終えると、夏央が「あいつ、今どうしているかな」と懐かしそうに言った。


「彼とは連絡が途絶えちゃったけど、今でも忘れてない。私は決心して、そういう人たちの助けとなる仕事に就きたいと、思うようになったの。

それでここの学校を見つけ出した。夏央も巻き込んで、このボランティア部に入ったの」


 冬華はそこまで言うと、過去の思い出から帰ってきたように、カラッと笑って、いつもの話し方に戻った。


「だから、あんたたちも大丈夫よ! 私たちがついているから」


 夕莉がもじもじとしていた。何か訊きたいことがあるのかと、彼女の肩をつつくと、夕莉は思いきったように尋ねた。


「あの、初めて私たちのクラスに来た時、兄と何を話していたんですか? 知り合いだったんですか?」


 おそらくこの質問をずっとしたかったのだろう、夕莉の切羽詰まった表情が横顔からわかった。佳純は隣で二人の反応を待った。


「ええとね……」


 冬華がそこでどもった。チラッと夏央の顔を見て、二人は言葉を濁しながら話した。


「入学式の時に、私たちボランティア部は、一回集まってデイケア組の名簿を渡されるのよ。それであらかじめ顔と名前を覚えて、初対面の時に、こっちから話しかけやすいように、いろいろと下準備するわけ。

 そこへあなたのお兄さんが来て、顧問の先生を通して、先に自己紹介してもらったの。

 多分、お兄さんは最初から先生に話をつけていて、あなたの知らないところで動いていたんだと思うな。どうして隠していたのかは知らないけど」


「翠は、一般クラスに移るために必死だったよ。俺たちと同じように勉強して、運動して、同じ目線に立ちたいって真剣に話していた。その熱意は買ってやってもいいんじゃないか? 隠し事していたのは悪いかもしれないけどさ」


 夕莉はじっと二人の話に聞き入っていた。気の弱そうな丸い目は、強い光を伴って、しっかりと開いているのだろうとわかった。


 夕莉はうつむいて、手の指をいじり始めた。彼女は悩むと指をいじる癖がある。

 佳純は夕莉が何をしたいのかを察した。


「じゃあ、翠君のクラスの出し物に寄ってみませんか?」

 

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