〈6〉


 更衣室で別れて先に教室へ入ると、着替えを終えた佳純が、「頭が痛くなっちゃったの?」と遠慮がちに聞いた。


「うん。実は私、かなり重い頭痛もちで。またこれからも迷惑かけるかもしれないけど……」


 さらりと自分の持病を話せたことに、夕莉は内心驚いていた。佳純と出会ってまだ間もないのに、ここまで告白できるのは、彼女がお人好しを絵に描いたような見た目をしているからか。それとも「デイケア組」という安全な檻に囲まれた中で、ある種の心地よさを抱き始めたからか。どちらにせよ、すっきりしたことは確かだった。


「そっか。それは大変だね」


 佳純の言い方は丁寧で、気遣いが感じられた。彼女はどんな事情でこの学級にいるのだろうと問いかけたくなったが、向こうから言いだしてこない限りは、詮索しないほうが優しさだと思い、やめた。


 夕莉は佳純と他愛のない話をしながら、次の授業の教科書を準備した。翠も制服に着替えて戻ってきて、そばにいた男子たちと楽しそうにしゃべり始めた。

 お互い友人ができたことで、余裕が生まれた。今日の帰りはそれぞれ別かな、と考えた。


   ○


 内海が双子の姉を連れて夕莉たちのクラスに来たのは、それから三日後のことだった。


 あの保健室のにらみ合いなどすっかり忘れた頃、夕莉は初めて対面する一般クラスの生徒たちに、かなり緊張していた。

 担任教諭が、「今日のふれあいトークは、ボランティア部の人が来てくれます」と滑舌のいい話し方でそう告げた際、クラス中に緊張のような、張りつめた空気が伝わった。皆、一般人に対して悪い印象しかないようだった。もともと大人しい人たちが集まった教室は、ますますしんと静まり返ってしまった。


「そんなに怖がるな。皆、誰かを助けたいという気持ちを持った子たちなんだから」


 担任は苦笑しながら言った。それは理解しているつもりなのだが、どうしても、あの明るすぎる空気感が苦手だった。それは夕莉だけでなく、皆も思っているようだった。

 そうこうするうちに、いよいよ時間が来てしまい、廊下に人だかりができた。一般クラスの生徒たちだ。夕莉は思わず身構えた。周りのクラスメイトも、不安そうに顔を見合わせている。


「ボランティア部の二年生が来てくれました。どうぞ」


 担任が教室のドアを開けた。

 七名ほどの男女を合わせた生徒たちが、ぞろぞろと入ってきた。その中で一人、ぽっと背の抜きん出た、スタイルのいい男子生徒が「あっ!」と、突然声を上げた。夕莉たちはビクリと飛び上がった。


「青花!」


 重厚感のある低温ボイスに、夕莉は「あ……」と思い出した。

 あの時の、「ベッド空きましたよ」と席を外した、目つきの鋭い男の子が、夕莉のことをまじまじと見つめていた。


   ○


 ボランティア部は、デイケア組の時間割に合わせて午後の授業を立て替えて行われるため、夕莉たちが帰ったあとには、その分の授業を巻き返さなければいけない。つまりほかの生徒たちより帰りが遅くなるのだ。放課後に部活動を行っている者と同じ時間帯に帰るので、週に一度このような活動をするのは、その名の通りボランティアだった。


 内海夏央うつみ なつおからこのことを聞かされた夕莉は、彼のとうてい親切そうな人柄には見えない鋭い目つきを見て、どうしてこんなことをしているのだろうと不思議に思った。


「俺、下の名前、夏央な」


 彼が自分の名前を教えたので、夕莉も簡単に自己紹介をした。


「青花ってあまり見ない名字だから、すぐに覚えたな」と夏央が笑うと、意外と愛嬌のある表情になった。翠が言っていた「デイケア組の名簿でも渡されたんだろ」という台詞を思いだし、問うと、夏央は、


「ああ、そうだよ。一通り覚えてくださいって」と答えた。


 離れたグループにいる翠を見る。兄は、黒髪ショートヘアのすらりと背の高い女子生徒と、何やら話し込んでいる。夕莉の視線に気づいたのか、夏央が、

「あれは姉の冬華ふゆか」と指を差した。そういえばスタイルのよさが似ていると思っていると、


「お前ら双子だろ? 俺らもだよ」と、夏央から意外な共通点が出された。

「どっちが上なの?」


 兄妹構成を聞かれているのだと気づいた夕莉は、「兄の翠のほうです」と簡潔に答えた。


「ふうん。夕莉が妹で、翠が兄か。こっちは姉と弟だし、双子同士だな」


 さらっと下の名前で呼ばれたが、嫌な感じはしなかった。


「な、夏央先輩」


 自分も思い切って名前で呼ぶと、夏央は特に表情を変えずに「ん?」と視線を合わせた。


「先輩たちも、同じ時期に、具合が悪くなったりしませんか?」


 これは、夕莉が前から誰かに問いかけたかった質問だ。


 翠と夕莉はそれぞれ喘息と頭痛を抱えているため、上手く身体を動かせない。一般クラスにいる夏央たちはどうなのだろうと、今まで周りに双子がいなかった夕莉は、前から感じていた疑問をぶつけることにした。


「私たち、大体同じタイミングで体調を崩すんです。あの時は体育の授業だったから、私だけでしたが……」

「翠のほうは運動できるのか?」

「あ、はい。お兄ちゃんは運動している時は調子がいいんです。激しい運動はできないけど。私の場合は、身体を動かすだけで頭が痛くなっちゃって。たいていは季節の変わり目と、梅雨の時期に身体が弱ります」


 夏央は「へえ」と興味深そうにつぶやいた。そして「俺らはめったに風邪ひかないからなあ」と頭を掻いた。夕莉は「……丈夫なんですね」としか返せなかった。


「双子は学問的にもまだまだ解明されていないことが多いから、謎だな。お前らのそれも、何か通じ合っていたりして」


 夏央は少し楽しそうに言った。自分と同じ双子という存在がいたことが嬉しいのは、どうやら夕莉だけではないらしい。


「一卵性の人たちは、通じ合ったりするんでしょうか」

「どうだろうな。あまり自分と似ているのも、嫌な感じがするかもしれないな」


 夕莉たちは二卵性で、性別が違う。今まで自分の世界には翠しかいなかったが、佳純や夏央たちと出会ったことで、何かが変わるかもしれないことを、夕莉は直感していた。


 別グループのほうで朗らかな笑い声が起こった。佳純が口に手を当てて、上品に笑っている。ボランティア部が、何か洒落た冗談でも言ったのだろう。

 また別のグループにいる翠は、夏央の姉である黒髪ショートヘアの女子生徒――冬華と、ぴったり寄り添って、ずっと何かを話している。

 ふいに胸の奥を、じりじりとした日焼けのような痛みが走った。嫉妬だろうか。だとしたら自分は相当嫌な女だ。


   ○

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