第三十二話 ムト、もう一度コルドリアへ行きます

 対面に座るお父さんが、お守りの説明をしてくれる。


「これが『ラビリンス』と言って、界をつないだ場所に行ける。と言っても、三日以内に誰かが通った道を使う」


「わたしと折春おじさんが通った道ってこと?」


「ああ、時間が経つと軌跡きせきを追えない」


 丸いメダルの中、たくさんのつながった円弧えんこ状の迷路がられている。


「その条件なら、三日以内なら行き来できるってこと?」


 こまめに行き来しておけば、道は繋げたままでいられるんじゃないの?


「創るのに五日以上かかる。それに、それ一枚しか無いし、たぶん片道で付与ふよ効果はなくなる」


 わたしは息を飲む。

 行けるけど、帰れない。

 もう一つ創ってもらう時間は無い。


「……わかった。帰りはまた折春おじさんに送ってもらうよ」


 わたしは強がって笑う。

 お父さんは残りの三つ、遠くのものを知覚できる、目の模様の『ホルスの目』、遠くの相手と会話をする、笑った口の模様の『聖なる声』、対象の悪意を封じる六芒星ろくぼうせいの形をした『かごめ』の説明をしてくれる。

 

「どれも折春さんに頼まれていたんだけどな、お前が向こうに相転移して、慌てて帰って、昨日は昨日で最終調整中でな、それにお前を早くこっちに帰したいって、それどころじゃなかったんだ」


 折春おじさんは、コルドリアのことよりもわたしを優先し続けてくれたんだ。

 わたしは持ってきたお守り用のバンドに、『ホルスの目』と『聖なる声』をめながら、その想いを無駄にしてしまうことを申し訳なく思う。


 『ラビリンス』はすぐ使うし『かごめ』は聖獣に使うからポケットに入れる。


「ありがとうお父さん」


 立ち上がり、頭を下げる。


「それよりあんた、その恰好で行くの?」


 すっかり着慣れた体育着だ。

 動くのには最適だし、他に戦いに向いていそうな服なんて持ってない。

 だいたい、異世界に戦いに行こうとする中学一年生なんて、きっとわたしくらいだ。


「サッと行って、早く帰って来るつもりだからね」


 旅行じゃないんだ。

 荷物はいらない。


「すぐ用意するから、ご飯だけ食べて行きなさい」


 お母さんは呆れたようにそう言って母屋おもやに向かった。


―――――


 腹ごしらえして、トイレなどを済ませ準備を整える。

 念の為と、着替えや非常食の入ったバッグを持ち、工場の更衣室に行く。

 見送りは、両親と、のぞみん。


「じゃ、行ってきます」


「むーちゃん、これ」


 部屋の中央で振り返ったわたしにのぞみんが駆け寄り、わたしの手に何かを握らせてくれる。

 開いた手の上に、カエルの顔があった。


「おじさんに頼んで、今朝、アクセサリーを創ったの。オリハルコン? とかじゃなく普通の金属だけど」


 デフォルメされたカエルが手の上で微笑んでる。

 無事に、帰れるように、か。


「ありがと、のぞみん!」


 どうにか泣かずに笑って言えた。

 のぞみんは、笑いながら泣いていた。


「行ってらっしゃい。夏休み中に、ちゃんと帰ってきなさいよ?」


 お母さんはそう言って笑った。


「うん、それじゃ行ってきます」


 わたしはポケットから『ラビリンス』を取出し、カエルと一緒に握りしめる。

 金色の輝きが、手からあふれる。

 視界の奥に、謁見えっけんの間が浮かぶ。

 大丈夫、行ける!


「気を付けてな、ムト」


 久しぶりにお父さんの口から名前を呼ばれた。

 からかわれ、なんでこんな名前にしたの? って泣いたあの日から、お父さんはわたしの名前を呼ばなくなった。

 わたしに気をつかっていたというより、わたしに嫌われたくなかったとか、そんな感じだったのかもしれない。

 でも、折春さんが名付け親で、向こうの神様の名前だって聞いて、ううん、それ以前に、大事な自分の名前、だれに何を言われたって、自分が好きなんだから堂々としていればよかった。


 だからお父さん、もっとたくさん名前で呼んで。

 そのために、ちゃんと帰ってくるからさ。


 金色の光がわたしをおおくす前。


「行ってきます!」


 大きな声で叫ぶ。


―――――


 しんとした空気。

 静か過ぎて耳が痛い。

 初めてここに来た時と同じ風景。

 違うのは、入口の両開きの扉が開いてる。


 謁見えっけんの間だ。

 わたしは違和感を感じ右手を開く。

 そこにはバラバラになった『ラビリンス』があった。

 でも、カエルは無事だった。


「もともと片道だって言ってたもんね!」


 浮かび上がる不安を、大きな声で強がって消す。

 そんなことより、状況を確認しないと。

 ポケットにカエルを突っ込み、謁見えっけんの間を出る。

 回廊に出ると、小さな振動と遠くから声が聞こえる。


 半周してソリアの居室きょしつへ行き、閉じたドアをノックする。


「アヤ様!」


 すぐにカリアムさんが現れる。


「ソリアは?」


「ソリスキュア様は、地下の、祈りの間に……」


「ありがと!」


 今は、みんなの無事を確認するのが先だ。

 バッグを預かってもらい、螺旋階段を駆け足で降りる。

 下がるほどに下層は騒然そうぜんとしているのがわかる。


「南はいいから、東西に回せ!」


「北は大丈夫なんだ、聖都内の幻獣を優先させろ!」


「外壁を守らなきゃ結界も張れないんだぞ!」


 特に三層は防衛隊や警備隊の詰所つめしょでもあるから、多くの人が動き回ってる。


「え? あ、アヤ様?」


 何人かの人に見られ、声をかけられるけど脚は止めない。

 一階まで駆け下り、礼拝堂に向かおうとする。

 確か祈りの間は礼拝堂の奥だ。


 螺旋階段は大聖堂の入口と礼拝堂の間に位置していて、一階に降り立つと、多くの人が大聖堂の入口から急ぎ足で駆け込んできている姿が見える。

 みんな青ざめたような、恐れているような表情。


「アヤ様!」


 聞きなれた声、シルジン王だ。


「シルジンさん、状況は?」


 街の人の避難を誘導してるのか、多くの赤い甲冑かっちゅうの親衛隊が見える。


「なんで戻って来たのです!?」


「そんなことより、状況!」


 シルジン王の強い声に負けず大きな声で言い返す。

 相手が王様だってこと、ゴメン、今は許して。


「……東、南、西から三体の聖獣が近付いてます。それぞれに防衛隊が単騎たんきで応対、親衛隊が護衛に付いてます。まだ結界は張られていません」


 聖獣が三体……。

 それはショックだけど、シルジン王は必要な情報を簡潔かんけつに教えてくれた。


「とりあえず、祈りの間に連れてってください」


「オリバーとソリアから誰も入れるなと……入りたくても中から鍵がかかって」


 苦しそうな、悔しそうな表情をするシルジン王。

 もう、それだけの覚悟でソリアは待機しているんだろう。


「……オリバーさんは、なんで一緒に?」


 結界を張るタイミングを教えるって言ってたけど、外壁に異常があればわかるって言ってた気がする。


姫巫女ひめみこ以外に大聖堂の『思石しせき』を起動できるほどの神威しんいを持つのがオリバーだけなんです」


 ここでも神威しんいか……。

 二人して犠牲になるつもり?

 だんだん腹が立ってきた。


 左腕の『ホルスの目』と『聖なる声』の存在を思い出す。

 目を閉じ、ソリアを想う。

 暗い部屋の中、白く光る大きな『思石しせき』の前で悲痛な顔をしたソリアとオリバーさんが見える。

 声を届ける。


「ソリア、オリバーさん、結界を張るのはわたしの合図を待って」


《あ、アヤ? なんで? どこから?》


《な、なんで、まさか帰って来たのか!?》


 二人の驚く顔が見える。


「いいから聞いて、結界は待って」


《……もう、今のタイミングしかないのだ、外壁が残っているうちに起動しないと》


 ああ、もう! いい加減にして!


「ムトゥ神の御使みつかいであるわたしが命じます! ソリスキュア、そしてオリバー、我が意志に従いなさい!!」


《あ、アヤ?》


 まぶたの奥に映るオリバーとソリアは、ぽかんとした顔をしていた。

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