六、kin

「ここは……何?」

 ターミナル地下三階にあたる、開けた空間に出たスシシは、その光景に首を傾げた。

 壁には色褪せ崩れかけたパネル、その下には破壊されたショウケース、床には幾つもの倒れた展示台。

 何かを陳列していた場所であることは間違いないようだが、スシシには見当もつかない。

 さらに下へ降りられる場所を探してフロアを巡っていると、やがて壁面が厚いガラスに置き換わっている一画があるのを見つけたスシシは怪訝な顔で近づいて、その向こうを覗いた。

「あれ? ここ……」

 ガラスの向こうは、こちらの部屋と同程度の空間があったが、そこには崩れた建物の一部と、かつて舗装されていたであろう道、その他都市のものとは明らかに違う素材の構造物の痕跡が広がっていた。

 スシシは似たようなものを知っていた。巣の建物や、その低階層から覗ける基盤下の光景だ。

 それもそのはず、そこは都市構造群がこの地を覆う前にあった旧ターミナルの遺構を、そのまま現ターミナルの中に取り込んだ部屋だった。おそらくその部屋の外側にも同様に――だがより風化した――基盤下に残った地上の空間が広がっているはずだ。

 この階層は、遺構を保存展示しつつ、ターミナルや都市の歴史を振り返る、記念館のような施設だったようだ。しかし今となっては展示物も解説パネルも奪われ、破壊され、何一つ振り返られるものは残っていない。

 ここから数階層にわたるこの痕跡だけの過去の施設から、さらに長い階段を降りていき――。

「うわあ」

 これまでとは雰囲気の全く違う、長い奥行きを持つ空間に出た。

 展示物やパネルのようなものは何一つない。ただ細長い舞台のような床が、等間隔で幾つも並んでいるだけだった。

「あっ」

 台状の床が挟む、1メートルほど落ちくぼんだ空間を覗いて、スシシは声をあげた。そこに敷かれたものに見覚えがあったからだ。

 並行に走ってどこまでも続いている二本の鋼材。その下に垂直に敷かれて並ぶ、コンクリート製と思われる棒状の四角柱。

「ここって……地下道!?」

 それは兄弟がかつて暗闇の中を彷徨った地下道に、延々と敷かれていた構造物そのものだった。

 スシシもカハルも知る由もない。それがレールであり、彼らが地下道と呼ぶ暗く長い横穴が、かつての地下鉄道網であったことを。

 そして今スシシがいる場所が、都市以前の遺構として保存された駅のホームであった。

 スシシは遭難した時のことを思い出して緊張しつつも、ターミナルから供給されている電気によって明るく照らされている構内を見渡した。

「こなふうになってたんだ……って、ど、どこいくの?」

 線路の上に降りてどこかへ向かい始めたチビスケに、慌ててついていくスシシ。

 しかしその移動はすぐに終わった。ホームの端からすぐ先は、新たに作られた壁によって塞がれていたからだ。

 壁には扉がついているが、鍵がかけられているようだった。その扉の前でチビスケたちは何かを待つように集まっている。

「そこに何かあるの?」

 恐る恐る扉に近づいて扉を確認するスシシ。鍵の形はそれほど複雑ではなさそうだった。

「これならキミたちで開けられるんじゃ……」

 言いかけところで、扉がガンッと鳴った。

「うわっ」

 思わず飛び退いてチビスケの中に挟まるスシシ。

 やがて向こう側で鍵をいじる音がしたかと思うと、ゆっくりと扉が開いた。

「お……」

 現れ出でたものを見てスシシは目を丸くした。

「お、お兄ちゃん!?」

 それは兄・カハルとチビスケだった。

「スシシ! 無事についてたか。よかった……」

 カハルはやや疲れた様子だったが、弟の姿を見て心の底から安堵した顔を見せた。

「お兄ちゃんこそ。でもなんでこんなところから? ……っていうか」

 スシシはカハルの足下に目をやる。

「チビスケ増えてない?」

 裂け目で別れた時に兄についていたのは一体だけだった。だが一緒に出てきたチビスケは三体いたのだ。

「こいつらは例の別動隊だよ。地下道の入り口で合流したんだ」

「合流?」

 スシシの要領を得ない反応に兄は怪訝な顔になる。

「忘れたのか? つまり、あの計画は成功したってことだ」

「計画……ああ!」

 スシシはようやく何が起こったのか理解した。

 この旅が決まるより以前から、兄弟は巣の下を走る地下道、すなわち地下鉄道網が、巣のある地域のみならず都市構造群中の広い範囲にわたって伸びている可能性を見出していた。

 そして巣の端末から都市の地図を得た時に、地下道網の起点がターミナルの地下にあると予想したのだ。巣の周辺意外の地下道については把握していなかったチビスケたちも、その可能性は高いだろうという反応だった。

 もし予測通りなら、自動機械を避ける安全な移動手段になり得るかもしれなかった。

 しかしそれがどんなに可能性が高いといえども、確証がない以上、今回の旅には使えない。それに行きはチビスケが明かり代わりになるが、帰りはそうはいかない。暗闇の中を進むなど、遭難したトラウマのある兄弟には想像さえしたくなかった。

 だが彼らはその「可能性」を捨てきることはしなかった。

 本隊出発に先駆けて、二体のチビスケを別動隊として地下道を行かせたのだ。もしターミナルに行きつかなければ来た道を戻り、兄弟を連れてゆっくりと進む本隊に合流すればいい。そしてもし計画通りに行けば、地下道をマーキングしながらターミナルで合流し、地下道の地図が作成できる。

 もちろんそれだけでは兄弟が暗い地下道を利用することができない。この別動隊にはもう一つのオーダーが課せられていた。

「ほら、肝心のこいつもあるぞ」

 そう言って、カハルがコートのポケットから取り出したのは、大きさも形も様々な小型の器具らしきものだった。四角いもの、円筒形のものなど統一感のないそれらに共通するのは先端に透明なパーツがあることだった。

「ちゃんとつくぞ」

 そのうちの一つをカハルが持つと、先端が強く光り出した。それを見てスシシはそれが何であるか理解して「うわあ」と喜びの声をあげた。

「地下道のどこかには残っていると踏んでいたけど、思った以上の収穫だったな。帰ったら幾つか売ってもいいな」

 兄弟だけで地下道を使うために、地下道沿いの施設に残されたライトを探し出すことも、別働隊の大事な役割だった。

「バッテリーは充電済みだ。これだけあれば余裕で巣まで持つだろう」

「じゃあ帰りはバッチリだね! ちょっと怖いけど……。でも、よくこの子たちと合流できたね」

 先行していた別動隊のチビスケたちはとっくにターミナルに到着していたはずだ。

 カハルは二体のチビスケをつま先で軽く突く。

「こいつらが基盤の下にあった地下道の入口で待ち構えてやがったんだ。お前知ってたか? こいつらある程度の距離までなら、離れててもお互いの位置が把握できるし、通信も可能らしいぞ」

「そうなの?――あ、そういえば」

 チビスケとの意思疎通は体表の表示と音のサインでやりとりしていたため、兄弟は彼ら同士のコミュニケーションがどのように行われているのか意識したことがなかった。普段の様子から至近距離では信号によって疎通をはかっているのだろうとは見ていたが、それがどこまで届くのかは考えたこともなかった。

 しかしスシシはこれまでのことを思い出して、納得がいった。出発前、これまでこちらに来たことがない近隣の巣のチビスケたちが合流したのは遠隔でのやりとりなしではできなかったろうし、ついさっきも、チビスケたちは扉の向こうに彼らが来ているのをわかっているような行動をとっていた。

「やっぱキミたちすごいね」

 スシシはしゃがんで足下のチビスケを撫でた。

「それにしても今日はさんざんだった……。そろそろ日も暮れる頃るだろうし、ここで休もう」

 そう言いながらカハルは抱えていたライトと背嚢から出した幾つかの道具を床に並べて置いた。

「こいつは戻って来るまで必要ないからな。それと……チビスケども、お前たちがまだ持ってる水と食料もここに置いとけ。俺たちが帰りに回収する。スシシも明日一日分必要なもの以外は置いとけ。食料は俺が持っている分で充分だ」

「え? なんで」

「明日はいよいよあの断崖だ。そこまで行ったら俺たちはここに戻って来る。その日のうちにな」

「それって……」

 スシシはそこで思い出した。昨夜から兄と対立していたことを。

 カハルは、断崖から先はチビスケたちに行かせることを決行しようというのだ。

「で、でも」

 それはチビスケたちのスケジュールが大きく遅れることを意味する。もう一度抵抗を試みようとするスシシに、カハルは決定的なことを言った。

「こいつらにはすでにオーダー済みだ。他に手はないんだ。こいつらも承諾した」

「そんな……」

 チビスケは基本的に人間からのオーダーを拒否しない。彼らはそのために作られたものだからだ。

「他に方法があるか? 俺たちがあの断崖をクリアする方法が。あのバカでかい自動機械の目を避けつつ、逃げ場のない橋を渡る方法が」

「そ、それは」

 スシシは何も言えなかった。

「なら話は終わりだ。俺は疲れた。もう寝る」


 ターミナルから西へと伸びる長い地下通路は、巨大な亀裂を生んだのと同一の原因からか、または亀裂発生の衝撃によるものか、カハルの予想通り断崖に届く前に崩れて途絶えていた。しかしながら地上は建物が健在で、そのうえ密集していたことで移動には難はなかった……断崖手前までは。

「近くで見るとすごいな……これは」

 扉から顔をのぞかせたカハルは、すでに柱塔から確認していたその光景に息をのんだ。

 亀裂より200メートル手前から、往時の姿を保っていた建造物群はいきなり途絶え、何もない更地が広がっていた。

 いや、何もないというのは正確ではない。一面瓦礫だらけではある。ただ、これまでのように大小の瓦礫が積まれた山が築かれていることはなく、何かに執拗に砕かれたような小片となった瓦礫が基盤を覆って、さながら砂漠か荒野――そのどちらも兄弟は見たことはないが ――のようだった。

「いったいどうなったらこんな状態になるんだ?」

 ここはもとから天蓋が覆ってはいない。だからそもそも建物を破壊し瓦礫を生み出す要因はないはずだった。

 見上げると灰色の空がどこまでも続いていた。兄弟はこれほど広い空を見るのは初めてだった。

「いつまでだんまりだ? スシシ」

 カハルが声をかけるが、弟はうつむいて応えない。かまわずカハルは続ける。

「見ろ、あれが橋だ」

 指さした方角には亀裂を渡る長い橋があった。見栄えを無視して資材を繋げただけの、武骨な作りだったが、柱塔から見た時よりも大きくがっしりとしたものに見えた。ここを渡ったずっと先に、彼らが目指す“キン”が眠る博物館がある。カハルはしばしそれがあるべき方向を見つめていたが、視線を橋のたもとに戻した。

「橋から更地を横切って北東へ伸びている道は、瓦礫が完全に避けられている。当然巡回路だ。橋は巡回路の一部なんだ。上を渡ろうとすれば、たちまち自動機械が駆けつけてくる。だがそれ以上に厄介なのが、あれだ」

 カハルが視線を向けた、更地が亀裂沿いに伸びる北方のずっと遠くに、動くものが見える。高さは壁のように並んでいる建造物群に匹敵する。これもまた柱塔から確認済みの、四脚の超大型自動機械だ。

「今は幸い遠くにいるけど、ここから見えるってことは、向こうからも見えるってことだ。俺たちがこのだだっ広い更地を渡り切る前に、確実にあいつに見つかる。あの歩幅なら、すぐに駆けつけてくるぞ」

 カハルは、人間ではこの亀裂を渡れないことを念押ししているのだった。他ならぬ弟に向かって。

「……しかし妙だな。巡回路に自動機械がいないのはたまたまとしても、断崖にもトリモドキ一匹いないなんて」

 視界を遮るものがないため、対岸や橋の上を含めて広範囲が見渡せる。だが見る限り一台たりとも自動機械の類が視界に入らない。柱塔から見た時は亀裂上を飛ぶトリモドキがいたが、それも確認できない。

「まあいい。いないにこしたことはない。今のうちに動くぞ。チビスケたち、わかってるな?」

 カハルの呼びかけにおよそ百体の人工生命体が一斉に了解のサインを出す。

「橋を渡る時は、道を塞ぐようなことはするな。自動機械が反応する。渡ってからは事前にオーダーした通りだ。よし行ってこい」

 兄弟の脇をすり抜けて、チビスケの隊列が動き出す。スシシは何か言いたそうなそぶりを見せたが、結局何も言わずに肩を落として見送った。

 間もなくして隊列は橋に辿り着き、カハルに言われた通りに端に寄って渡り始めた。

「あいつらが渡り切るの見届けたら、ターミナルに戻るぞ。その後は……」

 二人の耳に、がしゃんがしゃんと何かを叩きつけるような機械音が聞こえてきた。

「なんだ?」

「あ、あれ……」

 その日初めてスシシが声をあげた。

 視線の先。亀裂に沿って広がる更地の北側で、巨大な影が揺れていた。その影は次第に大きくなっている。

 兄弟は呆然とななった。

 超大型機械がこちらに向かってきているのだった。

 後脚に欠陥があるのか、その歩みはぎこちなく、体を激しく上下しながら右へ左へふらついていた。だが不完全であってもその一歩は建造物の幅に匹敵する程だ。みるみる内に近づいてきた。

「気づかれたのか!?」

 カハルはスシシの手を引いて建物の奥へ逃げ込み、そのまま裏手へ出た。隠れるだけでは不十分だと考えたからだ。あの巨体ならビルごと破壊しかねない。

「あの一帯になんで何もないのかわかった……。あいつが全部踏みつぶしたんだ」

「チビスケたちが……!」

「あいつらはもう橋の上だ。踏み潰されることはない」

 そう言ったカハルだが、心配そうな弟の顔を見て「だけど」と続けた。

「最後まで見届けたいな。回り込むか」

 裏通りを駆けて、兄弟は自動機械の背後につくように別の建物に入った。

「ん? 静かになったな」

 あれほどやかましく響いていた自動機械の足音が聞こえなくなっている。

 窓に駆け寄り、そっと外を伺うと、なぜか超大型自動機械は橋のたもとで立ち止まっていた。

「あんなところで何やってるんだ?」

 不信気に兄弟が見つめる中、やがて自動機械はその規格外の脚を一本、橋の上に乗せた。そうして巨体の重心を前に倒していく。

「チビスケを追いかけようとしてるんだ……!」

「自動機械がチビスケを追うことなんてないだろ。だいたいあんなでかいの、橋に乗れないじゃないか」

 橋の幅はせいぜいが五六メートルで、通常の巡回路よりも狭い。一方、二十メートル近い超大型自動機械は、足幅だけでも数メートルあるのだ。渡るどころか体重を乗せただけで橋は崩壊するだろう。

「でもほら!」

 自動機械は橋へ脚を踏み出して、体重を乗せっかかっていた。大きく橋が揺れて中ほどまで来ていたチビスケたちがよろめいていた。

「そんな馬鹿な……」

「壊れてるのかもよ」

「壊れてる? 自動機械は都市の施設で補修され続けてるはずだ」

「でも脚はおかしいよね。大きすぎて直せないんじゃ」

 スシシの指摘にカハルは「なるほど」と頷いた。

「規格外なのか、もしくは古すぎるのか……。それで動くものなら無差別に追っているのか? それなら奴の近くに他の自動機械がいないのも腑に落ちる」

「このままじゃチビスケたちが」

「……」

 カハルは少し考えてから、おもむろに腰のワイヤー射出機を点検し始めた。

「さすがに人間が現れればそっちを追いかけるよな」

「え?」

「スシシ、隠れてろ。俺が囮になる」

「お兄ちゃん1?」

 カハルは弟の頭をなでてから、外へ向かって駆けだした。

「ちょっと! お兄ちゃん!」

 カハルは一旦振り返り、静かにしろとジェスチャをした。

「おいこらデカブツ!」

 声を張り上げながら、自動機械へ向かっていく。

「人間様はここにいるぞ! おい聞いてるのか!」

 何によって人間を感知するかは、自動機械によって違う。音や振動を捉えるタイプは少なくないが、大型になるほど数は減る。自身がたてる音が大きいからだ。ましてやこの派手な足音を響かせる二十メートルの高さの機械が、聴覚に頼っている可能性は低い。遠くから橋を渡るチビスケに気付いたのならば、おそらくは視覚をメインに感知しているのだろう。子供一人が駆けてくるだけでは、百近い群体を追おうとしている機械が反応するかどうかは怪しかった。

 先に反応したのはチビスケだった。自動機械に近づこうとしているカハルに気付いた彼らは、立ち止まって戻る素振りを見せた。

「おまえらは行けって! 止まるな! こっちはなんとかする!」

 カハルが怒鳴る。それでもチビスケたちはおろおろとこちらを見ている。

「オーダーだ! お前らが渡りきればちゃんと逃げる! わかったか!」

 オーダーという言葉で、人工生命体たちはためらいながらも移動を再開した。

 カハルがほっとする中、橋の揺れが止まった。自動機械が橋に乗りかかっていた脚を上げたのだ。そしてゆっくりと足踏みをしながら旋回する。

 ようやくカハルを感知したようだった。そして百体の不明物体の動きよりも、背後から近づいてくる一体の動きの方が、はるかに人間らしいと判断したのだ。

「そうだ。排除すべきはこっちだ」

 カハルは一旦立ち止まって息を整えてから、自動機械を回り込むように走り出した。

 カハルの作戦は、いたってシンプルだった。チビスケたちが渡り切るまで、ただ逃げ回るだけだ。

 無謀すぎるように思える判断だが、カハルには勝算がないわけではなかった。

 カハルはチビスケのへの反応から、超大型自動機械に射撃武器はないと確信した。大きさからいってもとは運搬や建設に従事していたのだろう。人間を追うのに向いた大きさではない。それが、都市が人間を排除しだした時に、他の自動機械と同様にセキュリティの役割を無理やり課せられたのだ。おそらく本来は移動監視塔のような位置づけだったのだろう。だからせいぜいできる攻撃は巨大な足で踏みつけることだけだと、カハルは見ていた。

 さらにカハルは、その巨体にこそつけ入る隙があると考えた。もちろんただ普通に逃げてはあっという間に追いつかれる。彼が十メートル走るのを、自動機械は一歩で追いつくのだ。しかし急な方向転換には反応が鈍い。後脚が不調なのもあって、旋回が苦手らしかった。それに細かい動きも不得手なようだった。極端な話、足元でうろちょろするだけでも相手を翻弄できる。

 それらをここに来てから咄嗟に判断したわけではない。カハルは、柱塔での観察から、予め超大型自動機械の性能とつけ入る隙を見出していのだ。

 カハルは亀裂を越えるにあたって、チビスケに全てを押し付けることだけを考えていたわけではなかった。胸の内でチビスケを犠牲にしない他のあらゆる可能性も模索していたのだった。

「お兄ちゃん……」

 スシシも兄の動きから、そのことを察した。

 だがもちろん、その重量級の金属塊である機体をわずかにかすめただけでも、人間は一巻の終わりだ。

 カハルは必至で駆けまわる。脚の可動の範囲外へ回り込み、踏みつけを誘い直前で飛び退き、時には股下を潜り抜けた。

 しかしそんな体力任せの陽動は長くはもたない。みるみる息が上がり、足は重くなっていく。

 間一髪の危うい場面が多くなってきた時。

「お兄ちゃん! 全員渡ったよ!」

 兄の意図を組んだスシシが叫んだ。

「はぁはぁ……じゃあ……最後の仕上げだ」

 最後の力を振り絞って、カハルは駆けた。

「え!?」

 てっきりこちらへ逃げてくると思っていたスシシは狼狽えた。

 カハルが向かっていったのは、橋だった。

 実際、建造物群まで走り切るほど、幼いカハルの体力は残っていなかった。残っていたとしてもまっすぐ逃げるだけではあっという間に追いつかれるし、逃げ込めたとしても建造物群ごと破壊されるのは目に見えていた。スシシを危険にさらすわけにはいかない。

 それで、橋を選んだ。――理由はそれだけではなかったが。

 背後で自動機械が迫るのを感じながら、飛び込むように橋に乗り込んで振り返った。

 同時に橋が波打つ。チビスケの時のように自動機械が無理やり橋に踏み込んだのだ。

 かけた足に体重を乗せ、もう一方の足を踏み出そうとする。橋が俄かに軋みだす。

 その時、わずかに自動機械がぐらついた。

 カハルは逃げ回っている間、橋のたもとに来た時を狙って何本かのワイヤーを周囲にかけていたのだ。

 人間を支えられる程度のワイヤーだ。数十トンの自動機械にはなんの障害にもならない。事実一歩目に引っ掛かったワイヤーは容易くちぎれ、不安定な二歩目の時でも多少の抵抗を生む程度のものだった。だがその多少で充分だった。わずかな抵抗は、橋に乗っていた足を微妙にぐらつかせ、それが壊れかけた後脚に多少の負担となった。その負担は機体をやや、前のめりにさせた。それだけだ。だが、それによって軋んでいた橋はさらに大きく揺れ、片方だけで自重を支えていた前脚を滑らせた。

 バランスを崩した超大型自動機械は、そのままのめるように橋に倒れ込だ。

 周辺の資材を組み合わせただけの橋は、その重量を支え切れずにひび割れ、折れ――崩れた。

 橋は弾けるように一瞬でバラバラになり、自動機械は崩れた橋とともに亀裂の中へ落ちて行った。

 その直前、自動機械がバランスを崩した時点で、スシシは駆けだしていた。

「……お兄ちゃん!」

 スシシが辿り着くころには、橋は対岸の一部を残すだけになっていた。

「そんな……」

 呆然としながら断崖を覗き込んだスシシは、目に映ったものに泣きそうになった。

「なんて顔をしてるんだ。スシシ」

 崖下十数メートルの壁面にぶら下がっている兄が、弟を見上げながら笑った。

「お兄ちゃん!」

 カハルは崖の縁にかけたワイヤーをウィンチで巻き上げてするすると上がって来る。

「予備のワイヤー持ってったの見てたろ」

 橋の崩壊寸前、カハルは崖に向かってワイヤーを射出していたのだった。

「よかった……本当によかった」

 上がってきた兄にしがみつくスシシの頭をわしゃわしゃとなでるカハル。

「デカブツに巻き込まれるかどうかはイチかバチかだったけどな。それでもいくつか手はあったが」

 そう言って断崖を振り返り、無惨な状態の橋を見て笑った。

「いやあ、派手にぶっ壊れたな。デカブツがいなくなって他の自動機械が来るかもしれない。早いとこずらかるぞ」

「う、うん。でもこれじゃあ、チビスケたちが……」

 たとえ“キン”を手にいたとしても、橋がなくなっては戻って来る手段がない。

「うんまあ、そうだな」

 そう言いながら、兄は平然としている。

「……お兄ちゃん?」

「ほら行くぞ。走りながら聞け」

「?」

 建造物群に向かっていく兄にうながされ、首を傾げながらついていくスシシ。

「実はな」

 前を向いたままカハルは話し出した。

「俺が命じたオーダーは『“キン”を手に入れたら、それを持ったまま目的地に行け』ってことだった」

「え? それって……」

「ああ、初めから戻ってくるようには言っていない。“キン”の入手はだいぶ先になるが、あいつらが失くさなければいずれ手に入るわけだ」

 それでも彼らの旅程に遅れが出ることは変わらないが、戻って来るよりも数日分は早まる。

「……そうだったの? でもなんでそのことを僕に言わなかったの?」

 あのなあ、と兄はぼやく。

「言ったところでお前は納得しなかったろ。遅れが出ることには変わりないからな。それに奴らが最初は北側から行こうとしていたのは、なるべく虚無地帯を通るのを最小限にしたかったからだ。奴らも都市での活動に適応してるからな。虚無地帯で行動する知識は持ち合わせていない。一方でこの先の西側から都市を出た場合、目的地の都市群との距離は近くなるけど、虚無地帯のど真ん中を突っ切ることになる。それをお前は認めたか?」

「あ……。でもじゃあ、あの子たちは大丈夫なの?」

「そのための、“キン”だ」

「え?」

「おそらくあれが助けになる。あれの名前を覚えているか?」

 スシシは端末や、画像に書かれたその名を思い浮かべる。

「……『サバイバル入門』」

「サバイバルってのは生き延びるって意味だって教えたろ。どこで生き延びるかと言えば、自然の中でだ。あの“キン”には自然環境――虚無地帯で生存するための基本情報が書かれてある……たぶんだけど」

 “キン”とは兄弟の、もとは父が使っていた符丁だ。それは「ホン」の文字をもじったものだ。つまり“キン”とは。

「キン……あの“本”は都市の外で生きる術が詰まっている。それは俺たちはもちろん、奴らにも役に立つはずだ」

 遥かな昔に作られなくなった本には、都市構造群の人間たちが手放し、失ってしまった知識や情報が書き残されている。だからこそ、それを放棄して全てを委ねていた都市から拒絶された今の人間には、何よりも価値があるものだった。

 スシシは兄が何を考えていたのか理解して、驚きの声をあげた。

「お兄ちゃんは、チビスケのために、あの“キン”を……!?」

「勘違いするなよ。あの“キン”は俺たちにとって最も重要なものだ。だが先にあいつらがあれを使って旅を切り抜けた方が効率がいいと考えただけだ。“キン”は重要だが、あいつらも俺たちにとって役に立つものだからな」

 スシシからは前を行く兄の表情は見えなかったが、なんとなく読み取れた。その証拠に耳が赤い。

 やがて二人は荒野を抜け建造物の一つに辿り着いた。中に入ろうとする直前、二人は同時に振り返った。

「あ、鳥」

 西の空に向かって鳥の群れが飛んでいくのが見えた。あの先にはチビスケたちが向かう博物館、さらにその向こうには鳥たちの巣があるだろう虚無地帯がある。

「いつか父さんが言ってた」

 カハルはここからは見えない西の彼方の光景を想像しながら言う。

「この都市にはもう“キン”はほとんどないだろうって。あの古い異物がたくさん残っている博物館にも一冊しかないのはその証拠なんだと思う。でも、別の都市には多くの“キン”が残っているかもしれない。この都市には見つからなかったけど、“図書館”ってのいうのがあるらしい」

「としょかん?」

「ああ。とても古い施設らしいけれど、そこにはとてもたくさんの“キン”が収められてるんだって、父さんは言ってた」

 その言葉にスシシの目が輝く。

「そこ、行きたいね!」

「うん。いつか行こう。虚無地帯を越えて。あいつらが戻ってきたら、あの“キン”を使って」

 兄弟は、遠ざかっていく鳥をしばらく見ていたが、それが見えなくなるとどちらから言うともなく同時に向き直って歩き始めた。自分たちの巣へ向けて。(おわり)

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