ショコラと苺。


「先輩先輩! 今日は私がケーキ買ってきましたよ!」


 私と先輩の数少ない共通点の1つ、それは甘いもの好きということだった。


「どこのお店? これ」

「あれ、先輩気づきませんでした? 近くの駅ビルに新しいケーキ屋が入ったんですよ。何でも海外で本格的に修行してた人の国内初店舗なんだって!」

「へー、知らなかった」


 私の話をひと通り聞き終えると、先輩は読んでいた大判の本を閉じて立ち上がった。


「じゃあ私、紅茶淹れてくるから。ちょっと待ってて」


 私たちは時々こうしてお互いにお互いの好きそうな甘いものを買ってきていた。

 ちょっとしたブームというか、2人の間の流行りノリというか。最初は先輩が買ってきてくれて、そのお返しにって今度は私が。その次はまた先輩が。そうやって週に1回交互に買ってくるのが一種の恒例行事みたいになっていた。


「お待たせ。今日はこないだ買った新しい紅茶淹れてみた」

「わ、ありがとうございます! いい匂い〜」


 しばらくして、満杯のティーポットといつものカップをトレーに乗せた先輩が部屋に戻ってきた。


「それで、今日はどんなケーキを買ってきてくれたの?」

「そうでした! 美味しそうなの2つ選んできたんで見てください」


 そうやってできる限り先輩の気を引いてから、ゆっくりとケーキ箱を開いた。


「じゃじゃーん! ショコラオランジュとストロベリータルトで〜す!」

「おー!」


 箱の中に並んでいたのは、ムースやオレンジソースの層が積み重なりしっとりとした濃厚さを漂わせるチョコケーキと、サクサクのタルト生地の上に旬のベリーが贅沢に敷き詰められた見た目も鮮やかな苺タルト。それぞれ1ピースずつが所狭しと立ち並んでいた。


「なんていうかもう、立ち居姿が美しいですよね! ショーケースを見た瞬間からビビっときましたよ」

「いいね。どっちも美味しそう」

「私が買ってきたんで、良いですよ。先輩、先選んでください!」


 私がそう薦めると、ふと先輩がわざとっぽく微笑んだ気がした。


「じゃあわたしはショコラオランジュこっちにしようかな」

「えっ……!」


 その意外な選択に思わず声が漏れ出てしまった。


「どうしたの? わたしが先に選んでいいって言ったじゃん」

「え、いや、別に良いんですけど……」


 そうは言ったものの、その選択チョイスが私の目論見から外れていたのは事実だった。


「ちょっと意外でした。先輩、フルーツ系好きだからこっち選ぶかと思ってた」


 そう言いながら、私は箱に残ったストロベリータルトを手元の皿に乗せた。


「んー、そうかな? わたし結構チョコも好きだよ。糖分補給としてたまに教室でもつまんでるし」

「うわ、物憂げに窓際でチョコつまむ先輩めっちゃ絵になりそう」

「物憂げではないと思うけど。良かったらひと袋あげようか? 買い溜めてた分がまだいくつかあるし」

「いやいや、私が食べててもみんなにつまみ食いされるだけですって」


 そんなことを話しながら私がケーキの写真を撮っていると、不意に先輩が意味ありげな視線をけしかけてきた。


「あとはまあ、なんとなく今日は貴方にそっちを食べてほしい気分だったから……かな」

「え、なんですかソレ」

「さあね。とりあえず食べようよ。紅茶も冷めちゃうし」

「そうですね。それじゃあいただきま〜す!」


 小さく切り分けたタルトを口に入れた瞬間、思わず甘い声が漏れた。


「ん〜〜っ! おいしっ」


 なめらかで風味豊かなカスタードクリームにサクサクと軽い食感のタルト生地。そして、その上で堂々と主役を張る瑞々しい苺の甘味と酸味。

 ひと噛みごとに思わず笑顔になってしまうような、正に“スイーツ”な王道タルトだった。


「コレおいしいですよ! 先輩!」

「うん。そんな顔してる」

「もー、私の表情なんていいですから、このタルト先輩もひと口どうですか?」

「んー、じゃあいただこうかな」


 そう言うと、先輩は私のタルトをひとかけ切って口に運んだ。


「ホントだ。おいしいね、このタルト」

「ね〜! これはマイベスト更新かもです!」


 興奮気味に語る私に、先輩はお返しにと自分のケーキを切り分けてくれた。


「こっちも美味しいよ。ほら、ひと口どう?」

「いいんですか? あ〜〜……」


 口に入れた瞬間、いちごタルトとは打って変わってビターなチョコレートの香りが口内をくまなく塗りつぶした。しっとり広がる芳醇な香りの中から、酸味の効いたオレンジソースがトロっと溶け出す。

 思わず陶然としてしまうような大人の味わいだった。


「んん〜っ。こっちもおいしいですね! 紅茶なのがちょっと惜しいくらいです」

「ね。今日はコーヒーにすれば良かったかな」

「あ、いやでも今日の紅茶とってもおいしいですよ! 私のタルトにはバッチリです!」

「そっか。それなら良かった」


 そんな会話を交わしながら残るタルトを味わっていると、なぜかずっと先輩が私の顔を見つめている気がした。


「どうかしました? あ、もしかして顔にクリーム付いてますか?」

「んー、や別に。ただ、相変わらず幸せそうな顔して食べるな〜と思って」


 愛おしそうにこちらを見つめる先輩と目があってしまい、思わず顔が発火しそうだった。


「どう? わたしのもあと半分くらい残ってるけど、もうちょっと食べない?」

「いえっ! ホントに、あの……先輩食べてください。私はもう十分なんで」

「いいよ、遠慮しなくて。ほら、あ〜〜ん……」

「んうぅ、あ〜〜……」


 結局、その勧めを断りきれず、先輩のケーキも半分近くいただいてしまった。


「ふぅ……おいしかったね」

「ごめんなさい。せっかくおいしいケーキだったのに、私ばっかり食べちゃって……」

「ううん。美味しそうに食べてるとこ見れてわたしも楽しかったし」

「もう、からかわないでください」

「別に、からかってないよ」


 そう言うと、先輩は2人分の食器をトレーに乗せて立ち上がった。


「それじゃ、私コップとか片付けてくるよ」

「え、あ、私やりますよ! 何もかもやってもらっちゃって悪いですし」

「ううん。ケーキ買ってきてくれたじゃん。もてなしくらいはわたしにさせてよ」


 先輩は結局最後まで私に何もさせてくれなかった。

 部屋に1人取り残されて、私は少しだけ自己嫌悪に陥っていた。


 お茶の準備も片付けもやってもらって、せっかく買ってきたケーキも1人でほとんど食べちゃって。

 私は先輩に優しくされてばっかりで、何か返せているだろうかと、時々不安になる。

 先輩はわかりやすく何かを求めてはくれないし、何かをしてあげたとしてもそもそもあまり表情が汲み取れない。

 “こんな私がいつまでも先輩の隣にいていいのかな?” なんて、本当は考えたくもないのに。


「はぁぁ……」


 大きなため息を漏らした私の目にふと、さっきまで先輩の読んでいた本が写った。

 そこに少し、違和感があった。

 いつもは文庫本を読んでいることが多い先輩が、今日は珍しくハードカバーの単行本を読んでいた。

 いつも通りブックカバーを被せていたせいで本のタイトルは見えなかったものの、つい気になって中身を開いてしまった。


「『想いを伝える花言葉図鑑』?」


 ちょっとだけ意外だった。

 先輩ってあまり飾り気がないから、花とか石とか、そういうものに興味がないのかと思ってた。

 何気なくパラパラとページをめくっていると、さっきまで読んでいる途中だったと思われる箇所にしおりが挟まっていた。


「これ……」


 見開き1ページに渡って掲載されていたのは可愛らしいイチゴの花のイラストと、その花言葉。



 ────『貴方は私を喜ばせる。』



 その一節を読んでようやく、私は先の言葉の意味を理解した。


「ふふっ……さすがにそれは分かりにくくないですか?」


 気づけば私は誰もいない部屋で、1人本に話しかけていた。

 おかしい。笑みがこぼれる。さっきまで1人で思い悩んでいたことが嘘みたいに軽くなった。


 遠くから聞こえていた水音が止まった。

 先輩が帰ってきたらせめて精一杯の感謝を伝えよう。

 そう固く決意して、私は本を閉じた。



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