6話

 榊が縁側に座ると、目の前に永久と彰が向かい合って立っていた。お互い座る気はないらしい。

 日差しはまだ高く、容赦無く日が降り注ぐ。アブラゼミが泣き、川のせせらぎが聞こえる。

 こんな暑い中でまるで果し合いだと思いながら、静かに見守っていた。

 暑さのせいか彰は額に汗を流していて、対照的に永久は涼しい顔をしている。

 あやかしというのは汗をかかないのだろうか。まるで暑さなど感じていないかのようだ。


「命さんに聞いたんだ。お父さんを探す約束をしたって」


 彰は驚いた顔をして、前のめりに永久に問いかける。


「命はなんて言っていた?」

「もしお父さんを見つけて、帰りたくないって言われたら怖いって言ってた」

「そうか……命は逆だったんだな」


 彰がため息をつくと、永久が歩み寄って彰の顔を覗き込む。


「逆って何?」

「いや、俺は……葛城さんが生きてたら絶対に家族の元に帰ってくるから。帰ってこないのはもう死んでるんじゃないかと思って、探しに行くのが怖かった」


 じっと彰の顔を覗き込む永久の視線に耐えられなくなったのだろう。彰は目をそらした。視線の先にあるアカシアの木に気づいて、口元を緩ませる。


「葛城さんが好きだった木だな。命が植えたんだろう?」

「そうだよ。お茶の店が評判になったら、お父さんが自分の意思で、命さんに会いに来るかもしれない。そう言ってたよ」


 まるで逃がさないと言わんばかりに、彰とアカシアの木の間に移動して、また真正面から問いかける。


「どうして、その約束の話を命さんにしないで避けるの? そのせいで命さんは一人ぼっちになったんだよ」


 一度彰が逃げた問いかけをもう一度投げる。しかも逃げられない状況で、命のいない場所で。

 狐にしてはなかなかやるじゃないかと、榊は思いながら彰の反応を待った。ポツリとこぼした。


「俺は、約束通り、葛城さんを探しに行こうって命に言われるのが怖かった」

「……命さんも同じこと言ってた」

「俺も最初は葛城さんが帰ってきたら会社を返すつもりでいた。それまで会社も命も守らなきゃってな。だけど何年経っても帰ってこないから、葛城さんは生きてないんじゃないかと思い始めて、気づいたんだ」


 命は大人になっても父親に拘り続けていた。それが命を苦しめているように見えた。

 父親の話を避けることで、自然と忘れてくれたら良い。いつからかそう思うようになった。


「葛城さんが死んでいるなら、命は葛城さんに縛られずに自由に生きた方がいい。父親の会社を継がないとなんて、余計な枷をつけたくなかった。葛城さんを忘れるには、俺は側にいない方がいいんじゃないか。俺といると葛城さんを思い出すから」

「それは違うよ。間違ってる」


 永久がピシャリと言い放つと、彰は怯むように一歩下がった。ゆっくりと彰に近づく永久の顔は明らかに怒っていた。

 永久が怒るところを、榊は初めて見た。慌てて立ち上がる。


「狐、その人を傷つけると、嬢ちゃんが怒る。辞めておきな」

「わかってる。傷はつけない」


 そう言いながら、永久は彰の頬に触れた。彰の顔に間近まで迫った金色の瞳には、怒りの中に悲しみの色が混じっている。


「命さんは一人が寂しいから、お父さんを求めてるんだ。だから貴方は命さんから離れちゃいけなかったんだ」

「そう、か……そうだな……」


 永久の言葉に納得したのか、彰は表情を緩めた。彰が理解したからだろう、永久の表情が和らぐ。ニヤリと笑って離れた。


「今更気づいても遅いよ。貴方に命さんはあげない。僕が命さんのお父さんになるんだ」

「何言ってるんだ。命の父親代わりは俺だ」

「ダメだよ。もう失格だから。譲らない」


 永久と彰が睨み合って互いに『父親』になろうとしているのに、榊は呆れた。


「どうして、嬢ちゃんの周りの男どもは揃って父親・・になりたがるんだか。そこは色恋で争うところじゃねぇのかい」


 榊のぼやきを二人とも聞いていないらしい。ひとしきり言い争いをしたところで、永久は胸を張って告げた。


「僕は命さんのペットで家族だからね。赤の他人の貴方には口出しさせない」


 それだけ言い残して、永久はくるりと背を向けて店の中へ入っていく。残された彰は悔しそうな顔をしていた。

 榊は面白そうにニヤリと笑う。


「狐に痛いところを突かれたようだね」

「こんなことになるなら、命を側に置いておけばよかった」

「会社で嬢ちゃんがいじめられたから手放したんだろう?」

「そうですね。俺のせいで命が悪く言われても、俺が庇ったら火に油を注ぐだけですから」


 榊は縁側席から立ち上がり彰の前に立った。面白がってた笑顔を消して、真面目に問いかける。


「その問題は解決策がある。お前さんが他の女と結婚してたら、嬢ちゃんと妙な噂を立てられることもなかった。どうしてそうしなかったんだい?」

「それは……」


 彰は目を泳がせてから、アカシアの木を見つめて言った。


「葛城さんが戻ってきた時、お嬢さんに手をつけてたなんて申し訳なかったから」

「また逃げる気かい? お前さんはさっき、嬢ちゃんの父親は死んだから帰ってこないって言っただろう」


 長い長い沈黙が流れた。答える気がないのかもしれない。元々ただの好奇心で聞いただけだから、深く追求するのは辞めよう。

 榊は諦めて彰に背を向ける。店の中へ歩き出そうとした所で、後ろから声が聞こえた。


「……命より、大切な女が見つからなかった」


 やっと色恋話になった。そうと分かればからかう方が面白い。榊はニヤァと笑って振り返る。


「それは嬢ちゃんが好きってことかい?」

「違いますよ。ただ結婚相手より、命を大切にするのは悪いから」

「それが嬢ちゃんを好きってことだろ。今ならまだ間に合うんじゃないかい?」


 彰は俯いて空中に手を漂わせた。まるでそこにいない子供の頭を撫でるように、愛しげに目を細めて。


「初めて命と会った時、まだこんな小さかったんですよ。初めて会った俺に、買ってもらった水色のランドセルを自慢するような、人懐っこい子で……」

「嬢ちゃんらしいな」

「そんな子供の頃から知ってる相手に恋愛感情なんて持ったら、罪悪感が酷いんですよ」


 彰の笑顔が曇って眉間に皺がよる。

 榊は子供を持つことはできなかったが、それでも幼い子供を慈しむ気持ちはある。

 けれど子供は子供のままでいてくれない。いつか大人になって、大人を置き去りにしていく。


「そりゃあ、難儀なことだねぇ……だから、側を離れたのかい? 罪悪感を抱きたくなかったから」

「俺から離れようとしたわけではないです。ただ……命が会社を辞めると言い出した時に、引き留めなかったのは……」


 命は恋愛感情なんて、子供の頃の話だと言っていたが、彰にとっては、そう遠くない昔だったらしい。

 もしも同じ時期に互いが惹かれあっていたなら、二人は上手くいっていたのだろうが。人の思いはすれ違うものだ。

 ただ、生きている限り、遅すぎるということはない。少し発破を掛けたくなった。


「あの狐はまだ恋愛ってものを知らないらしい。だが、いつ気づくか時間の問題だよ。嬢ちゃんを狐に取られてもいいのかい?」

「あやかしとの恋愛なんて、俺が認めません」

「『赤の他人には口出しさせない』って言われたばかりだろ、覚悟を決めたらどうだね」

「……」


 良い年の男が情けない顔をしている。実にからかいがいがあって楽しい。


 『命の父は死んでいる』という彰の推測は当たっている。

 永久は隠し通すつもりでも、いつかこの秘密はバレるかもしれない。その時、彰が側いた方が、この店にとっても命にとってもいいだろう。

 榊はあかしやを気に入ってる。店がなくなってしまっては困る。

 そこで彰がためらうように口を震わせてから、言葉を発した。


「あの……お願いがあります」

「お願い?」

「俺もできるだけこの店に通いますが、あまり頻繁にはこられないので……何かあったら連絡してもらえませんか?」


 思い切り頭を下げられて、思わず困って頭をかいた。しばらく待っても変わらない。榊が承諾するまで、頭を上げない気なのだろうか。

 永久といい、命といい、人に面倒ごとばかり押し付けて。秘密ばかり増えていく。

 ……この店と命に関わる問題に、一番詳しくなりつつあることに苦笑いを浮かべながら答える。


「いいでしょう。その代わり、これは貸しですからね」

「ありがとうござます」


 やっと頭を上げた彰の顔を見ながら思う。

 貸しばかり増えていく。お迎えが来る前に、貸した分を利子つけて返してもらえるだろうか。

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奥多摩古民家茶カフェあかしや〜座敷狐とおもてなし〜 斉凛 @RinItuki

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