第14話 因果の結びつき

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 因果の結びつきという文言が心のどこかにトゲのように刺さる。驟雨が定めのように語ることにも胸がザワついていた。よもや、知らぬ間に面倒事に引き寄せられていたのか。仙里は唇を噛んだ。言われてみれば心当たりがあった。あの日、犬神如きを気に掛けてしまった理由が分からない。所詮は余所事であった。普段なら気にも留めなかったはずだ。

 ――何故だ、何故、私は……。

 仙里は記憶を辿った。あの日、仙里が捉えたのは匂いであった。街の空気の中に微かに漂う雨の匂いに引きつけられてしまった。自分の持ち物と同じ匂い。匂わせる者が犬神に追われていた。


「仙里さん、真神の件、それもありますが」


 回想の中に驟雨の声が届く。思わせぶりな声色を聞き、来たなと思った。


「それも、とはなんだ。他にもまだ何かあるのか?」

 肩口から様子を覗う。仙里は平然を装いながら意識を会話へと戻した。

 

「まずはお知らせしておきましょう。あの真神は『眠れるもり』の姫君です」

「……そうか、あの真神、睡郷すいきょうの者だったか」

「どうです? 気になりませんか?」

「別に」

「夢の中で魂が通う里、雨殿ゆかりの里のことですよ」

「今更だな。関心など無い」

「ほう」

 短く返した驟雨はニヤリと含みを口元に見せ話を続けた。


「因果については他にもまだありますよ。あの夜、あの場所に現れた巫女、彼女の力は鬼のもの」

「鬼の巫女、か。だが、それがどうした。鬼の血を引く術者など腐るほどおるではないか」

「たしかにそうですね。しかし、あれはどこにでもいるような凡庸な者ではありません。雷術を扱うかの者の由来はあかです」

「朱だと! 朱は酒呑の血脈、まったく、この期に及んで……」

「そうですよね、今更ですよね。しかし、それ以上の話がまだあるのです」

「まだ、だと」

「これが今のところ最後になるのですがね、聞きたいですか?」

 驟雨が顎に手を当てニヤと笑った。仙里は訝しんで目を細めた。


「あの蒼樹ハルという少年のことなのですが」

「あやつがどうしたというのか」

「あの少年、四年前に事故に遭って家族を失っているのですがね」

「そのようなこと、特段に珍しくもないだろう。人の世ではありふれたことだ」

 

 話しながらゆっくりと振り向き再び驟雨と顔を合わせる。無関心を装っていたが、自分でも姿勢が前傾になっているのが分かった。そのことは、当然のように驟雨にも見透かされてしまったようだ。見上げれば目の前に、驟雨の嫌な感じの笑み顔があった。


 ――チッ! 仙里は舌打ちをし次の嫌味に備えた。だが、揚げ足を取って揶揄してくることが常の驟雨は仙里の気持ちを素通りさせ先へと話を進めた。

 

「それがね、これまた凄く驚きなのですよ。聞きたいですか?」

「くっ!」

「怒らないで下さいよ。本題はやはり盛り上げてからでないとね」

 追えば逃げる、逃げれば追ってくる。そんな調子の会話に嫌気が差してきた。

 

「驟雨、いい加減にしろ。こんな茶番に付き合っていられ――」

「蒼樹ハルが遭ったその事故で、彼の家族が死んだ。死んだのは彼の父親、彼の母親、そして彼の妹……」

「……」

 仙里が黙したことを見て驟雨の口角がやんわりと上を向く。彼は一つ間を置いて口を開いた。

 

「彼の妹、名を蒼樹あおき真菰まこもというのですがね。彼女はその小さな胸の内に運命の星を抱いていた」

「さだめの星?」

「そう、その運命の星が『雨喚あめよびびの星』であった」

「な! なんだと」

「ね、驚いたでしょう。事がここに来て、雨、雨、雨だ。これはどういう因果律の悪戯なのでしょうね」

 驟雨がニヤリと笑った。

 

「……雨喚びの巫女」

「そうですよ。雨喚びの巫女です。正式には『雨音女あまおとめ』と言いますが、この際はまぁ良いでしょう」

「雨音女……、この世で唯一『雨』を見つけることが出来る存在」

「残念です。数百年ぶりに顕現した乙女を我々は守ることが出来なかった。安易に喪失させてしまった」

「喪失、これでもう『雨』は降らぬということになるのか」

 言葉が胸に響く。一縷の望みが儚く消えた。


「そうですね。これでもう雨は現れない。乙女なくしては手立てなしです」

「手立てなしか……いや、しかし待てよ」

 ふと思いついた仙里は眉根を寄せる。


「おお、流石ですね。気が付きましたか」

 見ると驟雨が嬉しそうに笑んでいた。


「おい驟雨、あの蒼樹ハルとは何だ」

「さあ」

「さあって、お前」

「分からないのですよ。あ、これは本当ですよ。蒼樹真菰が雨音女であるならば、血を分けた兄が雨の陰陽師であるはずがない。これは不文律といって良い。何せ『雨』は『雨恋あまごい』によって喚ばれたと言い伝えられておりますからね」

「ならば、あれは何なのだ」

「何、と言われてもね。ただ……」

「ただ?」

「彼には、何かがある。しかし、それが何なのかは分からない。素質はともかく、彼は先代とはまるで違う」

「まるで違う、か……」

 仙里は肩を落とした。


「仙里さん?」

「なんだ」

 仙里は上目使いで驟雨を見た。


「蒼樹ハルは雨ではない。そもそもこれは当たり前のことです。人は生まれ変わりなどしないのですからね。先代の再誕など絶対にないのですから」

「そうだったな」

「だがしかし、彼には何かがある。それを例えて言うてみれば……定め、のようなものでしょうか」

「定め?」

「そうです。定めです。考えてもみて下さい。凡なる者があなた程の仙を強制的に従えることなど出来ましょうか。しかもあの者は、使役の術を自覚もなしにやってのけたようですからね」

「なんだって! で、では私は謀られて術に落ちたのでは」

「ありません」

 驟雨は即答した。


「そんな、馬鹿な」

「仙里さん、蒼樹ハルには、他にも奇妙なところがあるのですよ」

「奇妙とは?」

「化け物を恐れない。変だとは思いませんか? それに、初見から、物の怪の殺気に当てられて動けるなど並ではない。並の人間には無理です。あなたも建屋の上から眺めていたのなら分かるでしょう。種族の中でも最低級とはいえ、あの犬神も神を名乗る化け物なのですよ」

「……そうだな。言われてみれば可笑しな事だ。だがあやつは、むき出しの私の気に触れても平然と話しかけてきた。ならば、あのようなクソ犬ども如きに後れを取るはずもなしと……。そうか、あれも私の勘違いだったのか……」

「そうです。あなたは大きな勘違いをしていたのです。大体ですよ、あの夜、あの場所に蒼樹ハルが現れて驚かなかったのですか? 彼には自覚もない。現状、彼は普通の人間なのですよ」

「あ、いや、それは……」

「あの日、街で起こった騒動を追いかけていたあなたは、最後にあの学校に辿り着いた。そうして見れば真神と犬神の争い事であった。あなたは、目の前の騒動が自分の目的の妨げにならないかどうかを見極めていた」

「そうだ」

 仙里が頷くと驟雨も頷きを返す。


「蒼樹ハルが、後を追ってきていたことには気づいていた。だが、彼のその先の行動までは読めなかった」

「……」

「何故、助けなかったのですか?」

「それは――」

「鬼巫女が後を追っていたことまで察知していたからか、鬼巫女が蒼樹ハルを救うだろうと見込んでいたからか」

「……」

「違いますよね? あなたは、あのまま蒼樹ハルが殺されてしまえばいいと考えた。なるほど。契約上、主人は殺せないが、誰かに殺させることは出来る。見過ごしてしまえばいい。簡単なことですね」


 驟雨は、目に確信の色を帯びさせて厳しく見てきた。


「そうだな」


 仙里は短い言葉で肯定した。応じた驟雨は溜め息を漏らす。

 

「やはり、そうでしたか」

「何故に肩を落とすか。別に呆れるほどのこともないだろう。私はあれを主人として望んだわけではない。無理矢理に縛られたのだ。であるからして、私はあれを大事とは思わぬ。それは可笑しいことではなかろう」

「確かにそうですね。しかしですね。私はそれでも、あなたに蒼樹ハルを守って頂きたい」

「はあ? 何故、私がそのような面倒を引き受けねばならないのか」

「……」

「あれは、『雨』ではないのだろう? 先ほど、そう言ったではないか」

「それはそうですね。私にはあの者が雨殿には見えない。しかし、それでも私にはその事を見届ける義務がある。いや、見届けてみたい。あの者は、三つの因果を束ねる留め金になった。自身が望んだわけでもないのにです。まるで内に天命を秘めているようではありませんか。私は、この行く末を見てみたいのです。どうかお願いできませぬか」

 驟雨は恭しく腰を折って頭を下げた。束の間、呆気に囚われてしまったのだが直ぐさま気を取り直し鼻を鳴らす。仙里は意気を持って一言を発した。

 

「知らん! 私の知ったことではない」

 仙里は、満願を得たように思い目尻を下げた。口元は自然に持ち上がっていた。

 だが、仙里の勝ち誇った顔を見た驟雨も負けることはなかった。驟雨はニタリと笑顔を作って言った。


「仙里さん、あなたはきっと、あの蒼樹ハルを助けますよ。そして知ることになる。彼を手助けすることが大峰おおみねなにがしを救うことに繋がっていくことを。現状、かの者に掛けられた呪いを解く手段は二つ。一つは、雨の浄化に頼ること。もう一つは、これは言わずもがなですね。しかし、そのことはこの八百年の長き年月を費やせども成し得なかったこと。ならば、『雨』につらなるであろう可能性を消してしまうことなど、あなたに出来るはずがない」


 痛いところを突いてくると仙里は思った。確かに、驟雨の言うとおり、大峰兼五郎義親の魂を救うには何らかの力が必要であった。


「だが、根拠はないのだろう? あれが『雨』の代わりになるとも思えない」

「それは、今後の事の運びを見極めねばわかりますまい」

「驟雨よ、お前も耄碌したな」

「耄碌?」

「無いものを、有るであろうと思い込んでいるではないか」

「その様なことは――」


 この時初めて驟雨の狼狽する様子を見た気がした。えも言われぬ心地よさを覚えると仙里は瞬時にその波に乗った。

 

「あるぞ、あるとも。いや、違うのか。お前、雨を探すことに飽いたのであろう。そうだな。きっとそうだ。わかるぞ驟雨よ。数百年も待ち続けることは実に辛いことであるからな」


 言い切って胸が空く思いになった。これまで散々やり込められてきた仙里だが、その鬱憤を僅かでも晴らせた気がしていた。と、ここで閃く。この際に極めつけの一言でダメ押しをしてやれば相手を打ちのめすことが出来る。――どうすれば一泡吹かせてやれるだろうか。


「仙里さん、あなたの運命はもう動いている。あなたはもう動き出しているのです」


 口を開いたのは驟雨の方が先であった。仙里は考えすぎを悔やんだ。


「運命とは大仰な。私は何も」

 

「真神の姫が、蒼樹ハルと結ぼうとしたとき、あなたはそれに待ったを掛けた。それはあなたの嫉妬であると私は思っています」

 聞いて仙里は顔を引きつらせた。


「フン、よりにもよって。何を言い出したかと思えば。世迷い言も大概にせよ驟雨。くだらぬ、あれはあの真神の娘の策略を見抜いたまでのことだ。下手にあの子供と契らせれば、支障をきたしかねない。だからだ」

「そうですね。あなたは確かに見抜いていた。あの子は、蒼樹ハルを隷属させようとしていた。それはあなたにとっては不都合なことだろう。主の上に、更に主を置くようなものですからね」

「そうだ。お前の言う通りだ」

「彼女は、蒼樹ハルを従えようとした。あまつさえ人身御供にしようと画策していた」

「人身御供?」

「お気を付けなさい。私の見立てでは、彼女は決して悪ではない。『雨』を欲している事も、『雨』を慕っていることも真実であると思われます。しかし、その行いは真逆。余程の事情を抱え込んでいるのでしょう。自らの真名まなを偽ってでも人と契約を結ぼうとした。神獣が偽名を持って人を騙すことなどありえない。神が存在を偽り人を騙すなど禁忌すれすれの行為ですからね。しかし、それを行ってでも果たさねばならぬことをあの子は抱えている。それ程の覚悟があの子にはある」


 聞いていて辟易とした。驟雨の危惧に関心は無い。他者の事情もどうでもいい。あの少年が神の贄になったとて知ったことではない。蒼樹ハルの死はむしろ好都合なこと。


「よもや、蒼樹ハルが死んでくれれば好都合、などとは考えてはいませんよね?」

 驟雨の目がまた一段と細くなっていた。

 

「あははは。何を言っているのだか」

 取りあえず笑って誤魔化してみた。しかしどうやら効果は無いようだった。


「そう言えば、蒼樹ハルは、真神の姫より宝珠を与えられたようですよ」

「宝珠?」

「睡郷に代々伝わる雨の陰陽師ゆかりの宝物、名を『青の御霊みたま』と言います。その存在については、あなたもご存じかと思いますが」

「あ、ああ」

「彼女の意図は知れませんが、その宝珠が何らかの示しを見せるやも知れませんよ、あなたは蒼樹ハルに縛られて側に暮らしている。どうせなら『雨』の行く末をその目で見極めてみては如何でしょう」

「馬鹿も休み休み言え、わたしは雨玉アメダマにも、あやつの行く末にも興味は無い。煩わしいだけだ。それにだ、私には、どのようにしてもあやつが大物には見えない」

「それを見極めるのですよ」

「随分と入れ込んでおるな。えらく買っているようであるが、実際にあやつの頭の中を見ればガッカリするぞ。何せあやつの頭の中といったら四六時中、女子おなごのことばかりであるからな」

「それはそれで良きことではありませんか」

「はぁ?」

「無類の女子好き、それは先代も同じ事でありましたからね」

「……くだらぬ。実にくだらぬな。驟雨よ、やはり私には無理だ」

「仙里さん」

 驟雨は肩を落とした。


「それでもまぁ、善処はしてみよう。万が一にでもあやつが『雨』であるならば、私にも利はある。だがしかし、見定めるのはお前がやれば良い。お前ならば造作も無くやれるだろ」

 

「魂を結んだあなたにしか出来ないこともあるのですよ」

 珍しく驟雨が微笑みを見せた。

 

「気持ち悪い。能面のような笑い顔を見せるな。大体お前はだな――」

 言いかけたところで、驟雨は身体を煙のように変えて姿を消してしまった。その場に仙里の苦笑だけが取り残された。


「やれやれ、不意に現れたかと思えば、自分の言い分だけを述べ、述べればそそくさと消える。変わらぬな、お前は」

 仙里は再び銀杏の巨木にはり付けられた人形を見た。ふっと息をつく。


「義親様、此度は可笑しな事にあいなりましたね。この八百年、何も変わりが無かった事を思えば、このような事もまた一興かもしれませんが、さて、結末はいかに。……しかしながら、何があろうとも、この私がきっとあなた様を救って見せますから」


 いって桔梗は右腕を真横に持ち上げ手に力を込めた。そこに淡い光が立ち上ると、光る手の中から一振りの太刀が姿を現した。桔梗はその太刀を見つめそこに語りかけた。


「どうやら、何の因果か私もお前も此度の一件に巻き込まれてしまったようです。それにしても、よもや、お前を抜くことが出来うる者が現れるとは思わなかったですね。しかし逸ってはいけませんよ。まだ、そうと決まったわけではありませんからね。この私がきっと見極めてみせますから、万が一にもその時が来るならば、教えてくださいね」

 

 仙里の言葉に呼応するかのように手にした太刀が脈動を伝えてきた。太刀が清浄な気で仙里の全身を包み込む。太刀が喜びを伝えてきた様に思えた。


「お前も『雨』に会いたいのですね。私も、義親様に会いたい……」

 涙が頬を伝って流れて落ちる。そのしずくが、累積した悲しみを示すものなのか、はたまた希望を得た喜びによるものなのかは分からなかった。多分、悲しみが半分、喜びが半分なのだろう。


「義親様、もうしばし、お待ちくださいね」

 仙里は太刀を強く胸に抱きしめた。

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