第13話 雨降る定め

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 銀杏の巨木が風に煽られて葉擦れを聞かせた。


「やれやれ、飽きもせず。もう幾百年も経つというに……」

 

 頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。男のそのしめやかな声は、いつ聞いても雨情を思わせる。仙里は声の主を思い浮かべると眉を寄せて苦笑した。


「その台詞も聞き飽きたな」

「此度、其を見つめておられるは、標的を見失わない為ですか? それとも、飽きもせず彼の者の残り香に浸るためですか?」 

「聞くまでもないだろう」


 色のない声色を聞いてフッと小さい息を漏らす。

 この男は、と呆れながら銀杏から目を切って振り向く。仙里は枝から舞い降りた長身の男の顔を見上げた。そこには細い目を更に糸のようにして微笑む顔があった。男の薄い顔を見て仙里は肩を落とす。落胆したのは相手の相変わらぬ態度にではなかった。その出で立ちを目にしたからであった。


「私のことより、その格好は何だ。お前、未だにほう烏帽子えぼしとはどいうことか、あれからもう数百年も時は流れた。時代に合わせられぬお前でもないだろう」


 平安絵巻から這い出たような装いを見れば、どうしても遠き昔の記憶を想起させられてしまう。仙里は男の姿形を揶揄するとともに、暗にそのような装いは見たくないと伝えた。


「私には、洋装など似合いませぬのでね」

 男が答えた。その無頓着ぶりに倦むがこれ以上問答を続けたとて埒もない。


「まあいい。それにしても、驟雨しゅううよ、随分と久方ぶりだな」

「そうですね」


 調子は柔和であるが声色はどこか無機質であり、そこからは些かの感情も受け取れない。数百年という時間を経て再会したのだが、知己の顔を見ても、こいつは変わらないなと思うだけで感慨など持てなかった。仙里は驟雨に背を向け再び銀杏の巨木を見つめた。

 

「何用か? とは聞かないのですか?」

 驟雨はそのまま仙里の背中に話しかけてきた。その声にもやはり抑揚はなかった。淡々と尋ねてきただけであった。


「訳はあるのだろう。何せ数百年ぶりの再会だからな」

「それならば――」

「興味が無い」

 視線の先にある藁人形をジッと見ながら、きっぱりと言ってやった。直後、後ろに溜め息を聞くが、それもどうでもよかった。


「桔梗さん?」

 驟雨が別名で話しかけてきた。その名で呼ばれるのも随分と久しぶりであるなと思ったが……。


「既に知っていてるはずだが」

 意図せず、語気を高まらせてしまい不快が面に出る。そんな仙里の様子をどう捉えてか男が吹き出した。


「能面のような面で笑うな。気持ちが悪い」

「これは失礼をば。さてと、そのようなことよりも、ですが」

「何だ、遠回しに話すのはやめろよ。私は忙しい」

「忙しい、ですか。まあいいでしょう。これはこれはと言いましょうか、何とも可笑しきことにあいなりましたね、桔梗さん。仙狸なる化け物によもや仙里と名付ける者がおろうとは。これはまことに可笑しきことだ。これはとんだ頓智だ」

「気まぐれに姿を見せたは、その事を笑うためか、余程の暇を持て余しているようだな、驟雨よ」

「桔梗、あ、いや仙里さん。先ほどの言、返すようですが、私の格好をどうこういう割に、今のあなたのお召し物も和装、あなたもやはり同じ趣向で――」

「フン、私の格好などどうでもいいことだ。驟雨よ、戯れるなと言ったばかりだがな。言いたいことがあるのならば短く言え。それとも何か? お前が数百年ぶりに顔を見せたことについて、何かはぐらかさねばならぬ理由でもあるのか?」

「はぐらかせる? いえいえ、そのようなつもりは毛頭ございませんとも」

「会話にならぬな。といっても、それも昔から変わらぬ事か」

 仙里は舌打ちをし目を伏した。


英邁えいまいなことではありませんか」

「英邁?」

 思わず言葉を復唱してしまう。驟雨は、主語を省き相手が承知しているものと決め込んで話す。会話においても、相手からの返答を待たずに二歩も三歩も話を飛ばしてしまう始末だった。阿吽の呼吸で話す間柄ならばそれも良いであろう。しかし、自分と驟雨はそうではない。仙里は驟雨を苦手としていた。昔から驟雨の話すことは雲を掴むようで要領を得なかった。

 

「だってそうでしょう? あなたに名を受けさせるなど誰にでも成せることではない」

「やはり、この私を笑う為に出てきたか。くだらぬ話だ。それは、私に油断が――」

「おや、随分とご冗談が上手くなられましたな」

 驟雨に言葉を遮られて苛立った。驟雨の言葉にはいちいち角がある。仙里はくしゃりと前髪を掴み歯を鳴らした。

 

「お前、変わらぬな」

 このように長い年月を経てもなお変わりが無いその口調に辟易とした。仙里は振り返って驟雨を睨み付けた。

 

「少しはお認めになってもよいのでは?」

「認める? 何のことだ?」

 吐き捨てるように言って不快を示すと、驟雨は呆れるように困り顔を見せた。


「あの蒼樹ハルという少年のことです」

 驟雨のその言葉を聞いて、おや、珍しいこともあるものだなと思った。いつもとは打って変わって柔らかな口調になったからであった。


「まさかとは思うが、お前まであれを『雨』であるなどと言い出すのではないだろうな」

「うむ、そうですねぇ。そこまでは言い切れませんねぇ」

「おいおい、勘弁してほしいものだな。あれが『雨』でないことは、お前が一番分かっているはずだろうに」

「それは無論のことです。あの者は『雨』たり得ません」

「そうであろう。『雨』などはおらぬ。『雨』などはまやかしでしかないのだよ」

「仙里さん。それを私に向かって言いますか」

「……くだらぬ。お前が正真正銘の番人でも、それが『雨』が再来をする根拠たり得ぬであろう。お前は、大昔に『雨』が実在していたという証拠ではあるがな。『雨』など、二度と今生に姿を見せぬ者。言わば幻想。この私が八百年をかけ探し回って見つけられないのだからな。おらぬのだよ」

「雨殿はおらぬ、ですか」

「お前もいい加減に諦めろ」

「諦めろ、ですか……。しかし私は、別に雨殿を探している訳ではないのですよ。わたしは所詮は番でしかない。見定めるが我が役目、それだけなのですから」

「どうだかな。私には、お前が女々しく『雨』の後ろ姿を追っているようにしか見えぬがな」

 皮肉を込めて言った。仙里の揶揄を受けた驟雨は口をへの字に曲げ、眉をちょこんと持ち上げて見せた。

 

「ままいいでしょう」

 驟雨の声色から再び抑揚が消えた。


「くだらぬ前置きはこれで終いか? では用件を聞こうか。何か言いたいことがあるのだろう聞いてやる。ただし、手短にせよ。私にも都合がある。私はお前と無為に時を過ごすほど暇を持て余してはいない」

「別に急いでもいないでしょう? 今回はちと骨を折りそうですからね」

「……」

 仙里は無言で強い視線だけを送った。受ける驟雨はおどけるようにして肩をすくめた。


「あなたは、化け物のくせに人間を殺したことがない。出来ますか? あなたに」

「驟雨よ、お前は何か勘違いをしているようだな」

「さて、その勘違いとは?」

「まずは、言うまでもないが間違えるな。私は仙だ。そこいらの化け物と同列に語るな。そして殺しのことであるが、確かに私は人間を殺したことがない。しかし、それは殺せないと言うことではない。たまたま殺していなかったというだけのことである。それに化け物に変化した人間ならば、それこそ数えきれぬほどに引き裂いてきた」

「なるほど、だから今回も、その変化とやらを待っているだと」

「言うまでも無いことだ」

「しかし、此度のこと、あなたの思い通り易々と成せるでしょうか」

「何が言いたい」

「おや、あなたにはもう分かっておいでなのではないですか?」

 いって含み笑い、驟雨が仙里の目を覗き込んできた。


「雑事など些末事だ。弊害になどならぬ」

「果たして、そうでしょうか?」

「お前、どうしたのだ? 世事に感心などなかったではないか」

「いやいや、あの桔梗さんが儀名ぎなで縛られるなど、珍妙事で面白いではございませんか」

「お前は……」

「いやなに、このようなことはこの数百年に一度もなかったこと。故に、私の心もザワザワとしましてね。これは久しぶりに退屈しなくて済むのではないかと思いましてね」

「フン、勝手にするが良い。お前が愉しもうと、それはお前の勝手。私は私の都合で動くまでだ。お前の戯れ事に付き合うつもりは毛頭ない」

「それはまたつれない事を言いますね、仙里さん」

「まったく、数百年ぶりに現れたかと思えば、相も変わらず訳の分からぬことばかり。もの珍しさに浮かれて出てきたことはもう分かった。それと、実にくだらないその性分が時を経ても何も変わらないということもな。もう良いだろう驟雨。私は、元来お前を好いてはおらぬ。私は、人を食ったようなお前の物の言い方が大嫌いだ。此度はこれにていとまを頂くとしよう」

 吐き捨てて、仙里はきびすを返した。


「決して、逃れられませんよ。仙里さん」

「……逃げる、だと」

「あの夜、複数の因果が結びついてしまった」

「それは、あの真神の一件のことを言っているのか?」

 仙里は行きかけた足を止めた。

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