もうひとつの家

 喧嘩けんか勃発ぼっぱつしたようなので、みちるに助けを求める。

「執事と家令かれいはなにがちがうの?」

 僕はさっきから、ずっとみちるににらまれているような気がしていたが、おそらく目が大きくて表情がないからだろう。


 みちるは特に悩むことなく答える。

「ほとんど一緒ですわ。ただ、家令は元は会計部門のスペシャリストですの。執事はわたくしたちメイドや料理人をこき使うだけの役割でしてよ」

「あー! ちょっと、みちるちゃん。それ執事けなしてるよねー?」

 有馬が横から口を挟んだ。

「気のせいですわ」

「ええ、気のせいね」

 どうやら有馬は味方が少ないようだ。


「ああ、そうでした。それで」

 永山が有馬との喧嘩を切り上げて言う。

「こちらが佐藤京子。メイドの見習いとしてアルバイトに来ています」

 永山が指したのは、さっきからみちるの後ろに隠れていた一番若い女の人だった。永山から言葉遣いを注意されていた人だ。


「あ、あ、あたし……佐藤京子です! 十六歳です! よろしくお願いしま……ひゃっ!?」

 お辞儀していた佐藤が頭を上げた瞬間、頭が拳にぶつかった。


 有馬が彼女の頭の上でグーを作って待機していたのだ。

「あははっ! 京子ちゃん、引っかかったー」

「ご、ごめんなさっ……」


 佐藤を含む周囲の空気が凍りついた。


 メイド長の永山が、怒りのオーラをまとっていたのだ。

「あ、な、た、ねぇ……!!」


 永山と有馬の鬼ごっこが始まった。長い廊下を一目散に走り去っていく有馬、それを悪鬼のごとく追いかける永山。

 確か片方が執事で、もう片方がメイド長だった気がするんだけど……。


「馬鹿みたいね」

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」

 残ったみちるは手鏡を出して髪を整えているし、からかわれた佐藤は壁に向かって謝っている。それに、もう一人の不愛想な男性は特に何をするでもなく突っ立っていた。


 本当に、僕はこれからどうやって生きていけばいいのだろう……。



 執事とメイド長という二大トップが点のように見えるまで離れてしまったため、残された僕たち四人も先を行くことになった。


 まだ紹介されていない人がいる。


「あなたは なんの人?」

 不愛想な男性に聞いてみた。


 背がものすごく高くて、前方を歩く僕が豆粒みたいに感じられた。右眉から左頬にかけて、一直線に傷がある。眼光は鋭く、眉間にはさっきからずっとしわが寄っている。


「…………」

 そんな恐ろしげな人が、何も言わず壁をひたすら眺めている。口がきけない人なのだろうか。しかしさっき有馬に一言話していたような気もするが。


 そう待たずして、不愛想な人に代わってみちるが答えた。

「料理人の味美郷あじよしごうさんですわ。極度の人見知りですの」


「りょうりにん……?」


 驚いた。

 兵士にしか見えなかったのだから。


「そのけがは どうしたの?」

「…………」

 何も答えない。この人、ちゃんと仕事していけるのだろうか。


味美あじよしさん、それくらい答えなさいな。木苺を取ろうとして崖から落ちたって」

「………………なぜ……知って…………」

「有馬さんから聞きましたの」

「…………いや、違……」

「文句があるなら直接辰二郎様に訂正したらいかが?」


「……ふふっ」


「あら」

「…………?」

「し、辰二郎さま……」

 三人が不思議そうに見てくるけど、止められない。


 みちるが被せ気味に答えていくのが何だか面白くて、声をあげて笑ってしまっていた。


 不思議そうな視線はやがて温かく見守るような表情に変わっていった。

 そしてみんな笑った。

 歩きながら笑った。



        - † -



 ひとしきり笑った僕らは、屋敷の後ろ半分を過ぎたところまで来ていた。


 前方から眺めていた時はそう広くないだろうと思っていたが、とんでもない。あまりにも広い住居だった。

 廊下は途方もなく続き、そこにいったい何枚の絵画が飾ってあるのか、数えるのも面倒なほどだ。


 できれば移動に自転車がほしいと思った。絵でしか見たことがないから、一度乗ってみたいと思っている。


「なんでみんな、そんなにわかいの?」


 単純に気になったので、みちるに尋ねた。

 家令といえば本家にいるのは五十歳手前くらいの男だし、腰元にも還暦を超えた人がいる。みんなしわだらけだった。それに対して、ここにいる執事とメイドはみんな若くみえたのだ。


 頭の両側に垂れ下がった髪を気にしていたみちるだったが、鏡を閉じて答えた。



「もちろん、辰二郎様の面倒をいつまでも見させていただくためですわ」



 何ということもなくみちるは答えたが、僕は不思議に思った。


「みんな、いなくならないの?」

 腰元だって、これまで何度も入れ替わっている。一か月くらいでいなくなった人もいた。


「定年まできっと誰も辞めませんわ。辰二郎様の手伝い人というのは、それくらい名誉な職ですのよ」

「そうですっ!」

 みちるがさも当然かのように答えると、佐藤も語気を強めて応じた。


「ていねん?」

「普通はみんな、おじいさん、おばあさんになる頃に引退しますの。一番早くおじいさんになるのは、今三十九歳の味美あじよしさんですわね」


「……俺は死ぬまで勤めを果たす」


 驚くべきことに、ほとんど自発的に話さなかった味美でさえ、この頃にはぽつぽつと話すようになっていた。



 僕はまた頬が緩むのに気づいたが、今度は恥ずかしいとは思わなかった。

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